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bar-caravan.jpgバルンツェ厳冬期登頂報告キャラバンルート

1980年10月22日、バス及びトラックでダーランバザールへ向けカトマンズを出発。
10月26日、キャラバン開始
10月29日、ツムリンタール着
11月9日、セドア着
11月14日、シプトン峠を越える
11月17日、BC(5,000m)到着
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bar-climb.jpgバルンツェ厳冬期登頂報告登攀ルート
11月19日、C1(5130m)予定地に荷物デポ
12月1日、C1建設
12月3日、C2(5720m)建設
12月5日、C3(6140m)建設
12月13日、C4(6700m)建設
12月14日、7000mまでルート工作
12月15日、浜名、池上、石村、花井、アン・ペンバ登頂に成功(7,220m)
12月23日、第二次アタック、悪天のため7000m付近の難所を乗り切ることが出来ず、撤退
12月28日、BC撤収
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bar-contents1.jpgバルンツェ厳冬期登頂報告あいさつ 
北大山の会会長 朝比奈英三、 北大山岳部部長 山田真弓
1980年12月15日、われわれの遠征隊は、東部ネパールヒマラヤ・バルンツェ峰の厳冬季初登頂に成功した。これは北大山岳部・山の会がその総力を挙げて取り組んだ計画としては、1962年のチャムラン以来のものであった。
1976年の北大山岳部創立50周年に当たり、われわれは記念事業の一つとして冬期八千メートル峰登頂を計画した。しかし、この目標への実践的な歩みは決して容易なものではなかった。1975年12月、われわれはガルワルヒマラヤへ最初の偵察隊を送ったが、キャラバン中のトラブルのため遂にBC地点にも達することが出来なかった。この苦い経験によって、われわれは厳冬期のヒマラヤ高峰登山に対する全ての意味での準備の不足を、身をもって知ったのであった。
ーつづくー



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bar-contents2.jpgバルンツェ厳冬期登頂報告あいさつ続き
このような挫折にもかかわらず、その後のヒマラヤを目指す山岳部員の熱意は次々と受けつがれ、1978年8月現役部員だけの石村隊によるカラコルム・ドレフェカル(6,447m)の初登頂、次いで翌1979年7月現役・OB合同の越前谷隊によるカラコルム・シュマリクンヤンチッシュ(7,108m)の初登頂が成し遂げられた。今回のバルンツェの成功は、このように築いてきた山の会会員達の努力の成果であるといえよう。
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bar-cover.jpgバルンツェ厳冬期登頂報告表紙カバー

1980年10月28日、キャラバン4日目の朝、ポカリパスから望むチャムラン(左)とマカルー(右)
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bar-members1.jpgバルンツェ厳冬期登頂報告遠征隊メンバーお気に入りに追加
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bar-members2.jpgバルンツェ厳冬期登頂報告遠征隊及び遠征隊事務局メンバーお気に入りに追加
 

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