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発行日時
2017-7-22 2:27
見出し
常念岳〜赤沢山・峠3つ乗っ越し沢から百名山
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http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1199188.html 常念岳〜赤沢山・峠3つ乗っ越し沢から百名山への外部リンク
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常念岳〜赤沢山・峠3つ乗っ越し沢から百名山(沢登り/槍・穂高・乗鞍)日程:2017-07-15〜2017-07-17メンバー: yoneyama macchan90コースタイム:写真:C2一の俣の連瀑帯を超えた、コンタ1900m巻きを終えたところから滝の落口フェルト足袋を、ゴム足袋に替える。廃れた巻道より七段滝を見下ろす。安曇野から、常念岳。カッコいい〜!常念ノッコしより槍ヶ岳とご対面駐車場で準備笠原沢二股多分これが中山峠へのルンゼ(その一本南のやつだった)一の俣谷に降りる中山峠はまだか〜。後ろ常念岳メザシ炙る(プリン体多し)二俣谷にて火を起こす。常念小屋とほぼおなじような高さまで上がってしまっている。シャウエッセンも炙る今度は間違えないぞ。赤沢山北コルへの直登ルンゼはこれだ雪渓びっしり稀ピーク、赤沢山の三角点。槍穂はガスで残念シャクナゲ繚乱コルへの最後のツメ上げこの時期に山桜サンカヨウ深山丁字桜槍沢国道より、赤沢山の崩壊面を見上げる赤沢の岩小屋で芥川龍之介のマネ。一の俣沢、七段の滝の入り口国道よりおっ立ち岩赤沢山北コルの西沢源頭はサンカヨウの花畑冷沢小屋前の冷水でアイシング常念山頂常念山頂一の俣沢、七段の滝の入り口七段の滝の巻道は廃れた下ノ廊下みたいなルート連瀑帯一の俣の滝一の俣の滝雨が降ってきたのでタープの下でミニ焚き火雨がやんだので外で普通の焚き火安い茶碗支沢の山田の滝12m、1920m。連瀑帯薪、大変豊富谷を移動する霧二条の美しい滝支沢の、常念の滝12m。コンタ2010m常念山頂雪渓もあり、高巻きする右下に見える、超えるはずだった中山峠がはるか下で、ゲンナリ。水なしルンゼ二の俣沢に降り立つ。三日目。赤沢山コルへのガレ沢赤沢山コルへのガレ沢二俣谷にて火を起こす。雪渓延々嘉門次杖、作成。尖らせる。凄い急登?雪渓延々雪渓延々稀ピーク、赤沢山の三角点。槍穂はガスで残念シャクナゲ繚乱稀ピーク、赤沢山より北鎌尾根を見るシャクナゲ繚乱コッチもマネ。岩峰ありニッコウキスゲ一の俣沢、二段の滝一の俣沢、七段の滝一の俣沢、七段の滝のまきルートが岩壁のバンド上にあるハイマツ帯2400mより、明日のっこす赤沢山北のコルへ上がる沢。上部は右俣を取る予定。雪渓あり。巻きルート巻いてる巻きから見下ろす巻いてる七段の滝上部から見下ろす巻の最後は雪渓の脇を下る七段の滝上部から見下ろす見下ろす滝続くタープ下で朝ごはん支沢の山田の滝12m、1920m。右ハジに鉄杭が二本見えている感想:釜トンネルも東鎌尾根も無かった1920年までの、槍ヶ岳への最短沢コースの片鱗を辿る。3つの峠を越え、往年の登山路一の俣谷から常念岳を目指し、「沢から登る百名山」の松っちゃんに貴重な一本。米山は、ちょうど登山歴40年の節目に松本に帰郷し、40年前以来の夏の常念を踏む。里帰り一発目にふさわしい山。【1日目】前夜岐阜から車で来て、松本の米山宅に泊。朝おにぎり6つ握ってどんぶりご飯食べて出発。せっかく早く出たのに、烏川右岸と左岸の登山道を間違えてしまって1時間半失う。一の沢登山道は、沢沿いを常念に近づき、最後にぐっと上昇する威勢のよいルートで、あっという間に常念のっこしへ。常念アタックは最後に取っておいて、中山峠越えに沢を降りる。低い緑の峠が見えていた。十分見当つけたつもりだったが、峠に上がる沢を見誤ったようで、気がつけばかなり高くまで上がっていて、ハイマツ帯に出て見ると、はるか右下に中山峠が見える。200m近く余計に登ってしまった。下降は、予定の峠の西ではなく、中山の北西面沢に降りる。広い二俣について、無人の幕営地で火を焚く。気持ちいい。【2日目】やはり標高1900mは寒い。薄い寝袋ぐらいは持って来ればよかった。今日の峠越えは間違えないぞ。念のため一本下の沢も確認して戻る。ガレガレのルンゼを上がっていくと左に曲がって、稜線までつながる様子が見えた。すぐに雪渓がビッタリになる。地下足袋を、フェルトからゴム底足袋に替える。多少はマシなので。木綿の靴下をネオプレンに替える。あまりに冷たいので。松ちゃんはフェルトのまま、木綿軍足のままでワングレード上を行く。カンバの枝を杖に長い雪渓を登る。一般的にはアイゼンピッケルが安全な上に楽だろうが、日高の直登沢では、数知れずこの手でやりくりしてきたので。コルから稀ピークの赤沢山をアタックする。踏み跡あり。槍穂高の3000mより上は雲に覆われている。コルに戻って、予定の東鎌尾根は取りやめ、このまま西面の沢下って一の俣に入ってしまおうということになる。雨でガスガスだろうし、時間的にも槍アタックはキツいワ!と。下りの沢はサンカヨウの花畑あり、細いルンゼにはほとんど雪渓がビッタリで、脇のカンバの枝を掴んで下る。道に出る頃雨が降り出して、ああ、いい判断だったと話す。途中、赤沢の岩屋にて芥川龍之介を偲ぶ。一の俣は水量多く程なく二段の滝(三段に見える)、七段の滝(これは見事)下半分しか見えないけど。そして一ノ俣の滝をすべて左岸の、元巻き道跡を辿る。七段はかなり長く、黒部の下の廊下みたいに高度感ある岩壁のバンドにうまくルートどりしてあるが、2,3歩、マジ、スタンスの溶けているトラバースある。どのみち水際には道の痕跡は全く残っていない。Co1900m右岸に、珍しく二人用の天場を見つけ、核心も越えたし泊地とする。沢全体に泊まり適地に乏しい。火を起こしてタープを張ったところで断続的に強い雨。タープの下にミニ焚き火を作って快適に過ごす。【3日目】夜、結構たくさん雨が降っていたが、増水はしていない。火床は完全に濡れてしまったので、タープの下のミニ焚き火で朝飯を作る。屋根の下に作っておいてよかった。きょうは天気良し。山田の滝、常念の滝という、側面からの大滝の脇を通り、一昨日間違えたノッコシ沢の取り付きにたどり着く。その上流を確かめると、森の中の本当にしょぼいルンゼが一本あり、多分あれが最低鞍部にあがるスジだろう。でもあんなの気がつかないし行かないだろうなあというくらいのショボ沢だった。まあ答え合わせは出来た。まだまだ我々も未熟だ、と頷きあう。常念ノッコシまでの沢を辿り、ザックを置いて山頂へ。沢と違って、浮き石なしの道のなんと気楽なことよ。山頂は人多く、大きな声で話す大人数組もいて、長居はしなかった。でも40年前と変わらない大岩塊の山頂。あのときはガスだったから。あとはタッタカ下る。しかし、筋肉痛と足指先の内出血で苦しみながら。ほぼ半年ぶりの、ちゃんとした山登りだ。体も悲鳴を上げていた。苦しいけど慣れたものだ。事故ったり、スピードダウンしたりしない。痛みにも慣れ、休むのも面倒になった頃、脚は自動的に体を運んでくれる。冷沢小屋で足をアイシングして、豊科へ。午後三時でも店を開けてくれていたテンホウで、ご馳走食べて豊科駅に送ってもらい岐阜へと車で帰る松と分かれる。登山道では追い抜き常習だが、高速道路では追い抜かない男。大糸線に乗るのも中学生以来か。父と電車に乗ってよく佐野坂スキー場に行った。 過去の山行記録を全てヤマレコに載せてしまえと整理していた際に2002年秋の五日山行が出てきて、その懐かしさと酸っぱさも残る図に文章に15年という年月を思った。https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-29346.html 思えばあれがトンガリ山の槍ヶ岳を間近で目にした最初の事だったと記憶する。芦別岳も同様に格好良く尖っていたけれど流石は本家、ムラダチの勢いが違う。 槍に登らなかった思いに加えてその際の南北線に対する東西線を描いた本年計画、だが今回もソレに登頂することはなかった。しかしその槍ヶ岳アタックを取止めたにも関わらず、我々らしいラインの山行と成せた自負はある。尾根通しに大天井を廻り込むより我々ならこう採る。 今を遡ること95年前の大正11(1922)年7月、槍ヶ岳を目指した深田久弥一行は、燕岳大天井岳常念乗越一ノ俣谷源頭部を経由し、地形上の弱点を突いた中山峠を採用して降り立った二ノ俣谷を本流槍沢出合まで下降し、その槍沢より槍ヶ岳を目指したという。長い、飛騨側に降りるとしても一体何日掛けた山行だったろう。ここ辺りの地形的考察は岳人誌2017.4に服部文祥氏の記述があるので参照されたし。 2002年に遡行して答えを知っている身としては、東鎌尾根が歩けないとあっても大天井から常念乗越を目指すでなく、一行はそのまま二ノ俣谷を下降しても良かったろうに、とも思う。二ノ俣谷に5,6の滝はあったものの、拒絶的連瀑でもなかったのでどうとでも対処できたはずだ。となると中山峠の価値が無くなってしまう。そもそも徳本峠経由の方が易い道なのでは? 氏なりの拘りか? あれこれと私の憶測を刺戟する事項に富んでいる。 古人に活用された常念乗越、中山峠そしてオリジナルの赤沢山北鞍部を西へと西へ乗り越えて、槍沢沿いの路を下って一ノ俣谷遡行から名峰常念岳への登頂と、槍はなくとも大変満足できる山行だった。 ここのところの山行不足に加えて加齢や体調変化と、我々には多少の不安が付き纏っての本三日山行だったが、有り難いことに破綻することもなく無事下山することが出来た。こんな可笑しな計画を共有し、心に思いを携えて実践する山行が未だ成せる幸運に感謝したい。
 
 
 
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