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発行日時
2018-3-13 11:16
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《中ア》宝剣岳より三ノ沢岳南西尾根降下(独標、蕎麦粒岳を断念)
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《中ア》宝剣岳より三ノ沢岳南西尾根降下(独標、蕎麦粒岳を断念)(積雪期ピークハント/縦走/中央アルプス)日程:2018-03-10〜2018-03-11メンバー: yoneyama macchan90コースタイム:写真:駅前の花崗岩立体模型伊奈川源流。空木岳と熊沢岳三ノ沢岳へ向かう宝剣岳へトラバースのところイグルゥと登り返し尾根敗退地点帰り道、ガスがわく千畳敷カール宝剣岳菅の台よりバスで入山イグルゥ暮らし支脈から主稜へ千畳敷カール南西尾根を下降。腰まで潜る穴。二人組が懸垂している、鎖付きフェイス6mくらいのところ極楽平から御嶽山極楽平から空木岳、南駒ヶ岳、熊沢岳稜線に到着三ノ沢岳帰路の松イグルーと行く手の南西尾根南西尾根を登り返す。奥の左が蕎麦粒岳、右が独標。駅前の花崗岩立体模型三ノ沢岳残照カリコリで快調登行極楽平よりサギダルの頭イグルーと御嶽山下降時、ガスに巻かれる三ノ沢岳山頂三ノ沢岳の登り。後ろは木曽駒ケ岳、中岳、宝剣岳宝剣岳へトラバースのところ三ノ沢岳山頂より御嶽山三ノ沢岳と夕日のイグルー三ノ沢岳山頂三ノ沢岳の登り。後ろは木曽駒ケ岳、中岳、宝剣岳三ノ沢岳山頂よりゆくて南西尾根と風越山の西の尾根夕日のイグルー切り株アリ。かつては切り開きがあった模様。木曽駒ヶ岳、滑川源頭三ノ沢岳を登ってきた男イグルー玄関。尾根が狭くてこうしか撮れない。極楽平から三ノ沢岳出発の朝宝剣岳山頂の岩雲海を抜けると高気圧の晴天だった。イグルー壁作りながら日の入りカール見下ろしここにイグルー作る天井穴だらけ。星が見えた。滑川の谷を提げる木曽駒ヶ岳、宝剣岳イグルゥマスタルイグルー作っていたら晴れてきた。乗鞍、笠、穂高御嶽山の左に日没作戦会議南西尾根を下降三ノ沢岳下の伊奈川源流小カール。20年前の6月、ここをザックにまたがって滑り降りた。正面は島田娘南西尾根を登り返す。奥の左が蕎麦粒岳、右が独標。ここにイグルー作る夕日のイグルー木曽駒、宝剣、島田娘。手前は伊奈川源流カールわかんをつける三ノ沢岳より。手前熊沢岳、奥、空木岳、南駒ヶ岳イグルー作っていたら晴れてきた。檜尾岳南西尾根を登り返す。奥の左が蕎麦粒岳、右が独標。ソースカツ丼@駅前食堂・水車イグルー作りながら三ノ沢岳南面を見上げる感想:三ノ沢岳の南西尾根には独標と、蕎麦粒岳があり、これを上から辿ろうという計画。この時期の中ア、南アの雪の状態は行って見なければわからない難しい山域で、過去には塩見岳の鳥倉尾根で、シートラ塹壕クライミング(表面凍ってスキーは使えず担ぎ、重荷で首まで潜るラッセル登り)の憂き目に遭う経験もあった。今回は、未踏の宝剣岳を踏み、以前奥三の沢から登った三ノ沢岳を再び登ることができたが、三ノ沢岳から下降した南西尾根の雪はやはり大ハズレで、一泊して早々に引き返した。この稜線の適期は、いつだろうか。週末の2日で収めようと言う方が無理かもしれない。松本から鈍行で雪景色の小野、辰野を辿り、駒ヶ根へ。駅前からのバス利用者はわずか3人だった。菅の台駐車場にて松と合流。ロープウエイは雲海を越え、晴天の天上へ。今日から高気圧ベルトだ。千畳敷から、左手の神社にお参りしてからその南側の斜面を直登する。三ノ沢岳分岐にザックを置いて、ロープなし空身で宝剣岳を往復する。千畳敷は数え切れないほど来ているが、宝剣岳は初めて。ルートには太い鎖が設えてあり、これを掴めば短時間で山頂へ行けるが、危険箇所は多い。狹い山頂である。3月に入って二軒遭難があったそう。南側からは日帰り装備二組いた。アンザイレンの二人組と、懸垂下降していた1人。千畳敷から駒ケ岳への登路は、100人近くが辿っていくのが見える。微風快晴だ。ザックに戻って、三ノ沢岳へ。下りの斜面で日帰り装備単独男一名とすれ違う。「いやあ、三ノ沢岳、最高です」と。右は滑川の絶壁、左は伊奈川源流の小カール。昔ここをザックに乗っかって6月に滑り降りたねえと話す。三ノ沢岳山頂から伊奈川をスキーで下る計画はおもしろそうだ。大きな滝は無かったから、と松の提案有り。思えば20年ほど前のあの伊奈川下り、倉本下山山行の充実感から、今回の計画も生まれいでたのかもしれない。三ノ沢岳山頂からの駒ケ岳はどこから見るより雄壮だ。滑川の壁が引き立てる。木曽駒はやはり木曽川から見てこそ映える。山頂から南西尾根に下り始める頃、ガスが発生し、行く手の尾根が見通せなくなる。肝心なときに。地形図を確かめ、尾根分岐で方角を確認して下る。程なく稜線に大岩地帯が現れ、北側は滑川の絶壁なので南側を巻き気味に雪面とハイマツを辿って下っていくが、雪がバリンズボリと潜り始める。結構な急斜面のバリズボ。胸まで浸かるのもあり。時折霧の中から朧に見える独標らしき高まりまでの間に、地形図に無い上り下りのバリズボ樹林の細い尾根が見える。五時前になって、標高2520mのイグルー適地で泊まることにする。イグルー作っている間に霧が晴れ、檜尾岳西面や三の沢岳南面、それに木曽御岳や北アルプスが眺望できた。日の落ちる間際の空の色も美しかった。イグルーの雪は、グサグサのグラニュー糖雪のイマイチブロックだが、深い層にしまり雪を掘り当てて、なんとか完成。仕上げをして、出入り口の蓋ブロックを最後に切り出していたら土台のイッコを切ってしまい、まさかの屋根崩落。気を取り直して10分ほどでまた屋根を作り直した。晩飯後の検討会議で、標高差300mを下るのに二時間もかかっていたのでは、明日中に下山が出来ないだろうと、木曽側への下山を諦め、登り返してロープウエイから帰ることを決める。せめて3日を用意して攻めるべきだった。翌朝は泥沼のように潜ったシャビシャビの雪はカキ〜ンと凍り、1時間ちょっとで三ノ沢岳まで登り上げてしまった。結氷した諏訪湖の上を歩くよう。ずっとこれだったら貫徹も出来ただろうが、終日これが見込めるわけではない。きのうはよく見えなかった独標と蕎麦粒岳が見下ろせた。倉本までの長い尾根も。しかし、やはり低い方の山頂に向かっていく計画はあまり気分が沸かないものだ。以前松が読んだという、服部文祥氏の若い頃の、下から辿った記録のようなベクトルが本来いいのだが、日数と忍耐を要する。腰弁が週末に挑める話ではないだろう。愛する三ノ沢岳山頂で長々と名残を惜しみ、遠方の山を眺め、千畳敷目指して帰還する。最後はバックステップのちシリセード。切符売り場で再び片道キップを買うと、切符売の男は山をやるとの事で、我らのハマった雪の事情をよく知っていた。今年の木曽側はことさら雪が少なくて、しかも少し前、悪い雨が降ったという。標高が低くなるに連れバリズボになるだろうと。「山は千畳敷から上だけではないのだ」ということをよく知る人にこの場所で会えてちょっと安堵した。駒ヶ根駅前のソースカツ丼屋で、井上井月(せいげつ)の由来が書いてあり、人間失格旅暮らし俳人井月が、駒ヶ根で30年も逗留して、墓もあるらしいことを知る。駒ヶ根駅前には花崗岩で作ったタタミ一枚ほどの精密な中ア、南アの立体模型地図があり、感慨に浸る。 長く寝かせた計画にいよいよ手を付けた。 まずはこの尾根に執着したキッカケを思い出してみたい。 この尾根、とは中央アルプスいや、木曽山脈の主脈ちょい外れに位置する三ノ沢岳から南西に派生する長く個性的なコブ尾根で、倉本駅から空木岳を目指すクラシックルート「倉本道」がその尾根を横切る。 日本登山大系にもその記載が無いところを見ると、やはり2000年頃に地図から見出した一本のはずだ。なお、その登山大系には主脈に対して「前衛」の山と表記され沢ルートが幾本も紹介されている。地図を一見すれば判ることだが、これ位に面白そうな尾根もそうざらにはない。槍ヶ岳そばの硫黄尾根ほどに派手さはないものの、秘めた何かがそこにはある。キニバ岩、蕎麦粒(そばつぼ)岳、独標2338.7m、中三ノ沢岳、そして盟主三ノ沢岳。 地図で見出してすぐ後に交流を持った服部ブンショウ氏が、全く驚くべきことにこの人気ないラインを辿ったことがあると言い、その死を賭した(!)単独行記録を投稿した岳人誌クロニクルのコピーを送って貰ったのだったが、我が家の書架の何処ぞに存在すると思しきブラックホールへと吸い込まれて今や見出せない現状である。ブンショウ氏には、地図を睨んでこの手のラインを見出すのが得意な山仲間がいたと、何かの文章で読んだからその線からの実践と想像する。 また氏は、岳人誌2013年1月号「ニッポンの冬山 憧れスタンダード」P.35にも「三ノ沢岳蕎麦粒尾根」として記載を忘れなかった。ただ、私が調べた範囲の古い地図に「蕎麦粒尾根」の記載が見出せないところから、服部氏独自の呼称だろう。同行の米山氏が送ってくれた古い資料にもその呼称はやはり無かった。 三ノ沢岳、知る人ぞ知るという程の山ではないかもしれないけれど、百名山の傍に立つこともあって二百名山でも三百名山でもない山のため誰もが知る山ではない、かもしれない。けれどもこの山の容姿や殊南西面から見上げるその量感から、最も好きな山に挙げる御仁も居るようで、その富士型で何事にも動じない雰囲気を醸すこの山を、私も個人的に好む一人である。 その三ノ沢岳には15年前の2003年6月に、奥三ノ沢から立ち伊奈川を下降するという満足度のかなり高い山行を米山氏と成した。https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-21132.html 私や廣川健太郎氏も推したその伊奈川を、服部氏と共に取材でトレースした(岳人誌@号)故若月武治氏が直後に拙宅を訪れたことも単なる偶然の所業にない。 件の尾根途上の「独標」には2014年10月にダブル石氏の同行を得て萩原沢遡行から立った。独標は登られることの極めて少ない山で、また登路とした萩原沢は記録を殆ど見掛けない骨っぽく実に味わい深い渓谷だった。その際、仕事都合で同行の予定が立たなくなった米山氏と、今回再度目指すことと相成った。今度は独標に立った上で蕎麦粒岳に立とう、キニバ岩にも是非接近したい。その蕎麦粒岳にもまた、特別格好の決まった写真がある。 以上が山行に出掛けるまでに編んだ文章で、この段ではかなりの見込みで山行の成功を楽観していた。 だが、甘くはなかった。 果たしてその試みは失敗した。 下山時など気抜けして歩が捗らなかったほどだった。再試行の心持になる機会を得ることが今後あるだらうか。 けれども今こうして気持ちを整理すると、不思議と満たされた心持の自分をも感じる。それは何故か、追って書き付けたい。
 
 
 
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