Academic Alpine Club of
Hokkaido
     
 
AACH本家 全アーカイブ アルバムリスト カレンダー お気に入り 検索
 
 

Home > アーカイブス事業 > 道内 > 12000-中部日高

タイトル  +   - 
ファイル名  +   - 
日付  +   - 
ポジション  +   - 
12264.jpg
12264.jpg12264.jpg50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。 コイカクシュ札内岳頂上のイグルーにて、撮影:今村昌耕お気に入りに追加
12265.jpg
12265.jpg12265.jpg50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。 1月5日、快快晴、ルベツネ頂上よりヤオロマップを見る、撮影:今村昌耕お気に入りに追加
12266.jpg
12266.jpg12266.jpg50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。 1月5日、ペテガリ岳アタック、頂上近し、撮影:今村昌耕お気に入りに追加
12267.jpg
12267.jpg12267.jpg50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。 1月5日午前11時10分、今村、佐藤の2名ペテガリ岳登頂。撮影:今村昌耕 とうとう成功か、なんと長い間北海道の一角に聳えて付き纏った山であったろう。カメラーデンリードを歌い、ケルンの側で黙祷、記念撮影をして良かったと言いながらイグルーで昼飯を食べる。(部報8号より) お気に入りに追加
12268.jpg
12268.jpg12268.jpg50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。 1月5日頂上アタック、ペテガリ近し、撮影:今村昌耕 お気に入りに追加
12270.jpg
12270.jpg12270.jpg50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。 中札内から南札内分教場へ、撮影:今村昌耕お気に入りに追加
12271.jpg
12271.jpg12271.jpg50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。 中札内から南札内分教場へ、撮影:今村昌耕お気に入りに追加
12272.jpg
12272.jpg12272.jpg50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。 中札内から南札内分教場へ、撮影:今村昌耕お気に入りに追加
12273.jpg
12273.jpg12273.jpg50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。 南札内分教場よりコイカクを望む、撮影:今村昌耕お気に入りに追加
12275.jpg
12275.jpg12275.jpg50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。 撮影:今村昌耕お気に入りに追加
12276-0.jpg
12276-0.jpg12276-0.jpg50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。 撮影:今村昌耕お気に入りに追加
12276-1.jpg
12276-1.jpg12276-1.jpg50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。 コイカクべースキャンプ、撮影:今村昌耕お気に入りに追加
12276-2.jpg
12276-2.jpg12276-2.jpg50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。 1599m峰でのモルゲンロート、撮影:今村昌耕お気に入りに追加
12276-3.jpg
12276-3.jpg12276-3.jpg50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。 1599m峰でのモルゲンロート、撮影:今村昌耕お気に入りに追加
12276-4.jpg
12276-4.jpg12276-4.jpg50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。 撮影:今村昌耕お気に入りに追加
12014.jpg
12014.jpg12014.jpgルベツネ6/12 1941年3月朝比奈、橋本、ペテガリ初登を目指すもルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登 第二楽章D 漸く再び前進を開始することが出来た4月2日は、物凄い風であった。重荷を背負った私たちに、ヤオロマップ雪稜のアイゼンアルバイトは決して楽ではなかった。幸いに尾根は固く、アイゼンは快適に効いて、昼にはヤオロマップの頂を越えて最低鞍部にチェルトザックを被っていた。この付近は1937年の時の全身キャンプ地らしく部報の写真に見た岩も懐かしく眺められた。此処からヤオロマップに落ち込んでいるただ一本の幅広い尾根の付け根に今度は殆ど立てるほどの大きな雪洞を掘った。明日は登頂との興奮も大きな疲労の前には苦も無く寝てしまった。 写真:ヤオロマップ山稜(北側より) お気に入りに追加
12015.jpg
12015.jpg12015.jpgルベツネ8/12 1941年3月朝比奈、橋本の両名は、ペテガリ積雪期初登を目指したが、強風のためルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登 第三楽章B ルベツネに近づくにつれて風は強く、呼吸さえも困難になってきた。この雪庇とヤブ漕ぎが終わると、今度はヤオロマップよりもぐんと悪い痩せ尾根が黒い岩の間にぎらぎらと油氷を光らせ、殊に頂上直下の岩稜は、1839の雪稜と一、二を争う日高屈指のアレーとであった。辛うじてルベツネの頂上に立った時、吹き上げる雪煙の中に伏して二人は再挙を叫ぶより他は無かった。濛々たる雪煙に包まれたペテガリを1,2時間の後にして、命の危険さへ感じながら二人は吹雪の尾根を、登る以上の緊張にこわばりながら歩き出した。 写真:ペテガリ岳(奥、ルベツネ頂上より)お気に入りに追加
12016.jpg
12016.jpg12016.jpgルベツネ2/12 1941年3月、朝比奈、橋本の両名は、ペテガリ積雪期初登を目指すも、強風に遇いルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登 ルベツネ・シンフォニー ヘ長調 第一楽章(舞曲、歌うように) それは暖かい春の日差しであった。中札内の溶けかかった街道からは国境の山並みが真っ白に輝いて望まれた。右からカムイエクウチカウシが、1833が、コイカクが、ヤオロが、そして勿論ルベツネも、又ペテガリも美しいカールを抱いて魔女のトルソーの如きその肌を輝かしていた。 この快快晴は、僕たちがコイカクの澤の飯場に着くまで、その以前半月にも亘って照り続いたものであった。 ほとんど固雪になった札内川沿いの明るいタマ道を歩きながら、僕たちはどんなにこの幸先を祝しあったことか! 写真:中札内から国境線遠望お気に入りに追加
12017.jpg
12017.jpg12017.jpgルベツネ3/12 1941年3月朝比奈、橋本、ペテガリ初登を目指すもルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登 第二楽章 アンダンティーノ A 登攀開始はアレグロといきたかったが、どうしてどうしてブレストでも無かった。半日続いた快晴は、一夜にして崩れ、飯場に停滞を余儀なくさせられた。真冬に異ならぬ吹雪の三日は、雪崩の恐怖を一月と同様に呼び起こし、風に叩かれたラッセルは重荷にあえぐ僕たちに更に一層の注意と労力を強いた。 長髪ルートは、聞きしに勝るシーゲレンデでヤブ刈をした取り付けを除けば、スキーでぐんぐんと殆ど国境近くまで登れるのであったが、天候と雪質はこの良ルートの登高に三日の日数を要求した。この割合に平らになった(1200m付近)場所まで僕たちはラッセルに荷揚げに三度も往復せねばならなかった。まだ高いピラトスミを見ながら、溜息をついたことである。 写真:コイカクシュサツナイ岳お気に入りに追加
12018.jpg
12018.jpg12018.jpgルベツネ5/12 1941年3月朝比奈、橋本、ペテガリ初登を目指すもルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登 第二楽章C 雪洞まで登った日のアルバイトと寒さで、二人共風邪で寝込んだ日は幸いに吹雪であった。しかし、その翌日になってもヤンチョはまだ快癒しなかった。外は相変わらずガスが舞っていたが、昼頃俄然晴れ上がった。僕は一人で国境までのラッセルに出かけた。国境の眺めは部報六号でお馴染みの素晴らしいものであった。穴に帰ってからも十勝の原野がまぶしく輝いて見えた。穴の中からカメラを向けて工夫している間に空は又曇り、風は又その恐ろしい歌を歌い始めた。 写真:コイカク直下の雪洞から十勝原野を遠望お気に入りに追加

ファイル数 636 / 32ページ中 12

RSS feed
 
 
北大山岳部・山の会 © 2000-2010 記事・写真の無断転載を禁じます。
Academic Alpine Club of Hokkaido © 2000-2010 All rights reserved. No reproduction or reproduction without written permission.
Avalanche style by What Is Real © 2004
Converted by DaMysterious © 2006