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12000-中部日高
12000-中部日高
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50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。撮影:今村昌耕
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50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。撮影:今村昌耕
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50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。コイカクべースキャンプ、撮影:今村昌耕
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50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。1599m峰でのモルゲンロート、撮影:今村昌耕
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50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。1599m峰でのモルゲンロート、撮影:今村昌耕
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50年記念誌に収録。ペテガリ岳厳冬期初登頂(昭和18年12月31日 1月9日)、隊員:渡辺良一、佐藤弘、荘田幹夫、上杉寿彦、今村昌耕。長髪尾根からコイカクシュ札内岳を経て尾根伝いにアタック。1月5日佐藤弘、今村昌耕が登頂に成功。撮影:今村昌耕
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1942/7/19-25、有馬洋君のための九の沢ケルン建設行,朝比奈英三と有馬純はコイカクで遭難した有馬洋を悼んで九の沢ににケルンを積んだ。その碑文は次のとおり;“Hier schleft ein man der den Hidaka herzlich geliept hat.”部報8号に掲載
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1942/7/19-25、有馬洋君のための九の沢ケルン建設行朝比奈英三と有馬純はコイカクで遭難した有馬洋を悼んで九の沢ににケルンを積んだ。その碑文は次のとおり;“Hier schleft ein man der den Hidaka herzlich geliept hat.”部報8号に掲載
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1942/7/19-25、有馬洋君のための九の沢ケルン建設行朝比奈英三、有馬純らはコイカクで遭難した有馬洋を悼んで九の沢ににケルンを積んだ。その碑文は次のとおり;“Hier schleft ein man der den Hidaka herzlich geliept hat.”部報8号に掲載
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ルベツネ6/121941年3月朝比奈、橋本、ペテガリ初登を目指すもルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登第二楽章D漸く再び前進を開始することが出来た4月2日は、物凄い風であった。重荷を背負った私たちに、ヤオロマップ雪稜のアイゼンアルバイトは決して楽ではなかった。幸いに尾根は固く、アイゼンは快適に効いて、昼にはヤオロマップの頂を越えて最低鞍部にチェルトザックを被っていた。この付近は1937年の時の全身キャンプ地らしく部報の写真に見た岩も懐かしく眺められた。此処からヤオロマップに落ち込んでいるただ一本の幅広い尾根の付け根に今度は殆ど立てるほどの大きな雪洞を掘った。明日は登頂との興奮も大きな疲労の前には苦も無く寝てしまった。写真:ヤオロマップ山稜(北側より)
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ルベツネ8/121941年3月朝比奈、橋本の両名は、ペテガリ積雪期初登を目指したが、強風のためルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登第三楽章Bルベツネに近づくにつれて風は強く、呼吸さえも困難になってきた。この雪庇とヤブ漕ぎが終わると、今度はヤオロマップよりもぐんと悪い痩せ尾根が黒い岩の間にぎらぎらと油氷を光らせ、殊に頂上直下の岩稜は、1839の雪稜と一、二を争う日高屈指のアレーとであった。辛うじてルベツネの頂上に立った時、吹き上げる雪煙の中に伏して二人は再挙を叫ぶより他は無かった。濛々たる雪煙に包まれたペテガリを1,2時間の後にして、命の危険さへ感じながら二人は吹雪の尾根を、登る以上の緊張にこわばりながら歩き出した。写真:ペテガリ岳(奥、ルベツネ頂上より)
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ルベツネ2/121941年3月、朝比奈、橋本の両名は、ペテガリ積雪期初登を目指すも、強風に遇いルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登ルベツネ・シンフォニー ヘ長調第一楽章(舞曲、歌うように)それは暖かい春の日差しであった。中札内の溶けかかった街道からは国境の山並みが真っ白に輝いて望まれた。右からカムイエクウチカウシが、1833が、コイカクが、ヤオロが、そして勿論ルベツネも、又ペテガリも美しいカールを抱いて魔女のトルソーの如きその肌を輝かしていた。この快快晴は、僕たちがコイカクの澤の飯場に着くまで、その以前半月にも亘って照り続いたものであった。ほとんど固雪になった札内川沿いの明るいタマ道を歩きながら、僕たちはどんなにこの幸先を祝しあったことか!写真:中札内から国境線遠望
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ルベツネ3/121941年3月朝比奈、橋本、ペテガリ初登を目指すもルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登第二楽章 アンダンティーノ A登攀開始はアレグロといきたかったが、どうしてどうしてブレストでも無かった。半日続いた快晴は、一夜にして崩れ、飯場に停滞を余儀なくさせられた。真冬に異ならぬ吹雪の三日は、雪崩の恐怖を一月と同様に呼び起こし、風に叩かれたラッセルは重荷にあえぐ僕たちに更に一層の注意と労力を強いた。長髪ルートは、聞きしに勝るシーゲレンデでヤブ刈をした取り付けを除けば、スキーでぐんぐんと殆ど国境近くまで登れるのであったが、天候と雪質はこの良ルートの登高に三日の日数を要求した。この割合に平らになった(1200m付近)場所まで僕たちはラッセルに荷揚げに三度も往復せねばならなかった。まだ高いピラトスミを見ながら、溜息をついたことである。写真:コイカクシュサツナイ岳
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ルベツネ5/121941年3月朝比奈、橋本、ペテガリ初登を目指すもルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登第二楽章C雪洞まで登った日のアルバイトと寒さで、二人共風邪で寝込んだ日は幸いに吹雪であった。しかし、その翌日になってもヤンチョはまだ快癒しなかった。外は相変わらずガスが舞っていたが、昼頃俄然晴れ上がった。僕は一人で国境までのラッセルに出かけた。国境の眺めは部報六号でお馴染みの素晴らしいものであった。穴に帰ってからも十勝の原野がまぶしく輝いて見えた。穴の中からカメラを向けて工夫している間に空は又曇り、風は又その恐ろしい歌を歌い始めた。写真:コイカク直下の雪洞から十勝原野を遠望
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ルベツネ1/121941年3月、朝比奈、橋本の両名は、ペテガリ積雪期初登を目指すも、強風に遇いルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登この山行は、1940年1月のコイカクシュサツナイ川遭難の翌年行われたものであるが、長髪ルートを取って国境に出た。特筆すべきは、国境線での露営2箇所に日高稜線で初めて雪洞を用いたことである。以下の12葉の写真に添付されたルベツネ・シンフォニーは、この山行を歌った朝比奈の作である。写真:1839m峰(右端)
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ルベツネ9/121941年3月朝比奈、橋本、ペテガリ初登を目指すもルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登第四楽章アダジョーブレスト穴に帰って5日間、来る日も来る日もすっかり用意されたルックは持ち上げられる機会をむなしく待っていた。もはや食料は三日を余す4月6日、生還を決意してヤオロへと出たが、猛烈な降りとガスは又穴に追い返された。良く7日、やや穏やかな朝を利して漸くヤオロを越えたが、雪は昨日にも増した降りとなり、カチカチの尾根が越までのラッセルと変わっていた。コイカクの尾根にいたっては、雪崩のためにあると言えるほど不安定な状態にあった。慎重に稜線に沿ってキックターンを続け、コイカクの澤に降り立った後も稜線からの表状雪崩に注意せねばならなかった。写真:コイカク直下の雪洞で天候回復を待つヤンチョ
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ルベツネ11/121941年3月朝比奈、橋本、ペテガリ初登を目指すもルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登第五楽章B 戦い破れてトボトボとスキーを引きずる二人に強い夕日が目に痛かった。里は晴れていたが、山は相変わらず雲に覆われて、国境は望むべくも無い。降り続いた新雪に雪は少しも減っていず、大島木工場後の大きなねこやなぎも固い蕾を少しも膨らませていなかった。赤旗をつけたままのストックを新しいセ雪庇が出来たため、国境線上に埋められたヤンチョは、カバの杖を突いていた。写真:トムラウシ合流付近
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ルベツネ7/121941年3月朝比奈、橋本、ペテガリ初登を目指すも烈風のためルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登ルベツネ・シンフォニー 第三楽章アレグロ A攻撃の日の空は晴れていたが、国境に登って見ると、昨日等は問題にならぬほどの烈風であった。風雲に包まれた1599mを越える頃は、空身の体が浮き上がるばかりになっていた。幾度か歩行のショックで大きな雪庇が落ち、凄惨な雪崩となってヤオロマップの谷へと落ちていった。それを避けて右に寄れば、名だたるルベツネの藪にアイゼンを履いての木登りを余儀なくさせられる。この藪漕ぎの途次、まだ誰も見ぬ雪の1839mの南側が、サッシビチャリの源頭にカールを抱いて聳立していた。写真:1839m峰の南側
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ルベツネ4/121941年3月朝比奈、橋本、ペテガリ初登を目指すもルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登第二楽章B コイカクの頂上に達した日は、幸いに午後から晴れた。雪崩に緊張また緊張でラッセルを続け、国境sんの四十mくらい下に着いたときはもう五時近かった。やっと二人が住めるだけの狭い雪洞が出来た時、空はもう冷たいいやな風がガスを呼んでいた。これはその翌々日の晴れ間に写したもの。目の前の広い斜面があのカタストローフを起こした源である。写真:コイカク直下の雪洞
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ルベツネ12/121941年3月朝比奈、橋本、ペテガリ初登を目指すもルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登第五楽章C山を出る日、それは皮肉にも決まって快快晴である。コイカクを、ヤオロを、そして相変わらず真っ白な「遥かなペテガリ」をを望みながら、春の水を聞きつつむっとするほど暖かい原野の馬橇道を歩んだことである。写真:ペテガリ
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