山などただの土くれだ

観音寺あけぼの山の会  上村 智子

 ある日、早もぎのみかんを食べた。 思いがけない酸味に哀しさがあふれる。 あなたに食べさせてあげたい。 レモンが智恵子を正気に戻したように,あなたに意識をよみがえらせるてだてに。

 一日の終わり、満たされた湯舟につかると願わずにはいられない。 このぬくもりをあなたに, 一あなたのかたくなな手足を柔らげてあげたい。

 けれど, もうあなたは五感を持たない。

 わたしは今まであなたに焦がれてきた。 出会ったのは2年半ほど前だが, まるっきりのさぬき弁を使う 粗野で怖い人という印象を受けた。 なのに、いつの間にか, 「男が男に惚れる」かのように、あなたに同化することを夢見てきた。

 もしも男になれたなら,一緒に山に登り、お酒を酌み交し, 肩を組んで大声で歌う。 好きな娘の話などし,手ばなしで笑いたかった。 笑ったときの目尻のしわや,くしを入れずに自然な髪や, 腕に残る傷あとまでもが,わたしには好ましく見えたのに……。

 山など, ただの土くれだ。 あなたの命に比べたら, どれほどの価値があるだろう。

 出国前に,「登頂なんてどうでもいいから生きて帰って来て下さい。」と言ったら、「山は俺の一部だけど総てではない。 やりたいことは他にもいっぱいあるし, それに俺は畳の上で死にたい。とあなたは言ったのだ。

 わたしは, あなたに多くを学んだ。 たとえば北アルプスの帰り、 新名の自宅までお送りしたときのことである。前走車がいるにもかかわらず, アッパービームをつけていると, たしなめられた。「自分ではわからないこともたくさんあるから。 いつも相手の身になって考えるように。」 そのときは,ハッとした。どんなに恥かしく思ったか知れやしない。 それ以来何かにつけて,そのことばを思い出す。

 これからもあなたの優しい叱責を聞きながら生きていきそうです。

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