遭難事故の概要

(岩と雪山岳年鑑’84)

Himalchuli 7893m   1983年9月~10月

南西面ドルディ・コーラより南西整事故の為6300mで断念

香川県勤労者山岳連盟ヒマルチュリ登山1983  隊長高林久蔵隊員8名

 9月14日 3800m地点にベースキャンプ建設

  21日 4800mにキャンプ1建設

  30日 5600mにキャンプ2建設

10月6日 キャン プ3建設のため、4名づつ2隊に分かれて前進中,9時15分6300m地点で先行の金沢,藤 田,森里,長谷隊が滑落。長谷・藤田2名が死 亡。金沢・森里2名が重傷。

 7~8日 金沢・ 森里をキャンプ1まで下す。

   9日 ヘリコプタ ーで2名をカトマンズへ送る。

 10~12日 悪天のため遺体収容を断念。

(Elizabeth Hawleyの記事)

1983年10月10日

 9月30日以降は悪天候(雪と雪崩の危険)のため、全員C1に入った。10月6日、C3を目指して藤田、長谷、金沢、森里の4名が個人装備を担いでC3に向かい、他の4名は5~6日後の第1回登頂アタックに備え、シェルパ2名とともにBCで休養し、食料とテントを担いでサポートした。

 第1チームは平坦な6300m地点に到着。午前9時10分、メンバーの一人が滑落。全員がロープを張っていたので、彼が自分で止まるかと思ったが、止まらず、他のメンバーを引っ張った(安全な場所に見えたので、強いビレイではなかった)。4人とも200m滑落。長谷は午前9時15分、藤田は午後5時、テントの中で死亡。

 金沢は怪我をしていて藤田が死んだところから降りられなかったが、森里は10月7日にC2に降り、10月9日にヘリコプターがC1に行き、金沢を避難させた。

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