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12242.jpg12242.jpg1940/3/31、佐藤弘、浅野芳彦、 1940/1/5遭難のペテガリ隊捜索のための「アバ」を作りに行った時、仕事を終わってから登ったものである。 写真:コイカク頂上にて、人物:浅野芳彦 撮影:佐藤弘お気に入りに追加
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12243.jpg12243.jpg昭和15年8月、トラックの上で。撮影:今村昌耕 人物左より不明、男沢哲夫、長田進、小滝靖、栃内晃吉、東晃、不明、不明お気に入りに追加
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12456.jpg12456.jpgコイカクの沢よりコイボクを望むお気に入りに追加
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12457.jpg12457.jpgペテガリ隊のベースキャンプお気に入りに追加
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12458.jpg12458.jpgお気に入りに追加
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12459.jpg12459.jpg及川さんと橋本巌さんお気に入りに追加
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12460.jpg12460.jpg巌さんとオスお気に入りに追加
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12461.jpg12461.jpgタッツァンこと中野竜雄兄、ガダルカナルで戦死お気に入りに追加
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12462.jpg12462.jpgコイカクキャンプでチョーハツさんお気に入りに追加
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12463.jpg12463.jpgチョーハツ尾根を登る一行お気に入りに追加
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12464.jpg12464.jpg遠方左よりペテガリ岳、ルベツネ岳、手前ヤオロマップ岳お気に入りに追加
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12465.jpg12465.jpg左のピークはヤオロマップ岳、右のピークは1839m峰お気に入りに追加
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12466.jpg12466.jpgマーチャンとチョーハツさんお気に入りに追加
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12468.jpg12468.jpgコイボクサツナイ岳より南方遠望お気に入りに追加
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12469.jpg12469.jpgコイボク頂上の佐藤弘君お気に入りに追加
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12122-2.jpg12122-2.jpgお気に入りに追加
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12014.jpg12014.jpgルベツネ6/12 1941年3月朝比奈、橋本、ペテガリ初登を目指すもルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登 第二楽章D 漸く再び前進を開始することが出来た4月2日は、物凄い風であった。重荷を背負った私たちに、ヤオロマップ雪稜のアイゼンアルバイトは決して楽ではなかった。幸いに尾根は固く、アイゼンは快適に効いて、昼にはヤオロマップの頂を越えて最低鞍部にチェルトザックを被っていた。この付近は1937年の時の全身キャンプ地らしく部報の写真に見た岩も懐かしく眺められた。此処からヤオロマップに落ち込んでいるただ一本の幅広い尾根の付け根に今度は殆ど立てるほどの大きな雪洞を掘った。明日は登頂との興奮も大きな疲労の前には苦も無く寝てしまった。 写真:ヤオロマップ山稜(北側より) お気に入りに追加
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12015.jpg12015.jpgルベツネ8/12 1941年3月朝比奈、橋本の両名は、ペテガリ積雪期初登を目指したが、強風のためルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登 第三楽章B ルベツネに近づくにつれて風は強く、呼吸さえも困難になってきた。この雪庇とヤブ漕ぎが終わると、今度はヤオロマップよりもぐんと悪い痩せ尾根が黒い岩の間にぎらぎらと油氷を光らせ、殊に頂上直下の岩稜は、1839の雪稜と一、二を争う日高屈指のアレーとであった。辛うじてルベツネの頂上に立った時、吹き上げる雪煙の中に伏して二人は再挙を叫ぶより他は無かった。濛々たる雪煙に包まれたペテガリを1,2時間の後にして、命の危険さへ感じながら二人は吹雪の尾根を、登る以上の緊張にこわばりながら歩き出した。 写真:ペテガリ岳(奥、ルベツネ頂上より)お気に入りに追加
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12016.jpg12016.jpgルベツネ2/12 1941年3月、朝比奈、橋本の両名は、ペテガリ積雪期初登を目指すも、強風に遇いルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登 ルベツネ・シンフォニー ヘ長調 第一楽章(舞曲、歌うように) それは暖かい春の日差しであった。中札内の溶けかかった街道からは国境の山並みが真っ白に輝いて望まれた。右からカムイエクウチカウシが、1833が、コイカクが、ヤオロが、そして勿論ルベツネも、又ペテガリも美しいカールを抱いて魔女のトルソーの如きその肌を輝かしていた。 この快快晴は、僕たちがコイカクの澤の飯場に着くまで、その以前半月にも亘って照り続いたものであった。 ほとんど固雪になった札内川沿いの明るいタマ道を歩きながら、僕たちはどんなにこの幸先を祝しあったことか! 写真:中札内から国境線遠望お気に入りに追加
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12017.jpg12017.jpgルベツネ3/12 1941年3月朝比奈、橋本、ペテガリ初登を目指すもルベツネ岳より引き返す。ルベツネ岳積雪期初登 第二楽章 アンダンティーノ A 登攀開始はアレグロといきたかったが、どうしてどうしてブレストでも無かった。半日続いた快晴は、一夜にして崩れ、飯場に停滞を余儀なくさせられた。真冬に異ならぬ吹雪の三日は、雪崩の恐怖を一月と同様に呼び起こし、風に叩かれたラッセルは重荷にあえぐ僕たちに更に一層の注意と労力を強いた。 長髪ルートは、聞きしに勝るシーゲレンデでヤブ刈をした取り付けを除けば、スキーでぐんぐんと殆ど国境近くまで登れるのであったが、天候と雪質はこの良ルートの登高に三日の日数を要求した。この割合に平らになった(1200m付近)場所まで僕たちはラッセルに荷揚げに三度も往復せねばならなかった。まだ高いピラトスミを見ながら、溜息をついたことである。 写真:コイカクシュサツナイ岳お気に入りに追加

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