Academic Alpine Club of
Hokkaido
     
 
AACH本家 全アーカイブ アルバムリスト カレンダー お気に入り 検索
 
 

Home > ホームページ > ホームページ用2007年

タイトル  +   - 
ファイル名  +   - 
日付  +   - 
ポジション  +   - 
1171425313.jpg
1171425313.jpgニペソツ山〜ウペペサンケ山縦走ウペペ頂稜。お気に入りに追加
1171425371.jpg
1171425371.jpgニペソツ山〜ウペペサンケ山縦走ついに下山。お気に入りに追加
1171425414.jpg
1171425414.jpg1ニペソツ山〜ウペペサンケ山縦走三国峠から見たニペとウペペ。お気に入りに追加
1171426454.jpg
1171426454.jpgニペソツ山〜ウペペサンケ山縦走お気に入りに追加
1171809381.jpg
1171809381.jpg小松遭難現場の六人小松遭難現場の六人
1990年2月10日オロフレ山で雪庇を落として雪崩に埋まり遭難死した小松健の追悼で今年も6人集まった。
お気に入りに追加
1172315584.jpg
1172315584.jpg上信国境・湯ノ丸山スキー山行湯ノ丸スキー場のリフトは、たった100m登るだけで500円で、少々高い気がするが、リフトの機動力を活用しない手はない。湯ノ丸山へは、群馬県と長野県の県境の尾根を牧柵沿いにシール登高する。お気に入りに追加
1172315609.jpg
1172315609.jpg上信国境・湯ノ丸山スキー山行湯ノ丸山ピークに到着した私(山森)。お気に入りに追加
1172315625.jpg
1172315625.jpg上信国境・湯ノ丸山スキー山行山頂にいた人に、写真を撮ってもらう。左から、石橋兄、清原ババア、山森。お気に入りに追加
1172315647.jpg
1172315647.jpg上信国境・湯ノ丸山スキー山行湯ノ丸山(2098.5m)から西側の烏帽子岳(2065.6m)を望む。お気に入りに追加
1172315673.jpg
1172315673.jpg上信国境・湯ノ丸山スキー山行根子岳(ねこだけ)、四阿山(あずまやさん)方面を望む。四阿山は昨年1月中旬に行った際は、真っ白だったのに、今年はだいぶ黒い。やはり、昨年より相当に雪が少ないのだろう。お気に入りに追加
1172315727.jpg
1172315727.jpg上信国境・湯ノ丸山スキー山行湯ノ丸山の北側のポコ手前から滑降開始。まずは山森が一番に飛び出した。お気に入りに追加
1172315752.jpg
1172315752.jpg上信国境・湯ノ丸山スキー山行次に清原ババア。お気に入りに追加
1172315767.jpg
1172315767.jpg上信国境・湯ノ丸山スキー山行そして石橋兄。お気に入りに追加
1172315783.jpg
1172315783.jpg上信国境・湯ノ丸山スキー山行スキーが快調な斜面は、最初の数ターンで終わり。すぐに密林に突入した。ルートファインディングで失敗し、写真の樹林が一番上まで来ているあたりで、密林に突入してしまった。現役時代を含めた、いままでの山スキー経験で、一番不快調なブッシュスキーとなった。途中で、旧鹿沢スキー場のゲレンデ跡に出たが、雪が少ないのと、植林した潅木が成長したのとで、ブッシュが顔を出している斜面を滑ることになる。お気に入りに追加
1172315805.jpg
1172315805.jpg上信国境・湯ノ丸山スキー山行旧鹿沢(下山口)から、地蔵峠(登山口)までは、ジャンケンで負けた人が、車道を歩いて車を回収に行く予定にしていたが、一緒に同じルートを下山したスノーボードのパーティの人の好意で、地蔵峠まで車に便乗させてもらって、車を回収してくる。お決まりの温泉は、旧鹿沢の紅葉館。温泉(500-)とそば(600-)のセットで、1000-。お気に入りに追加
1172315824.jpg
1172315824.jpg上信国境・湯ノ丸山スキー山行温泉(雲井乃湯)は、なかなか渋い。旧鹿沢温泉紅葉館は、「雪山讃歌」発祥の宿とのこと。昭和3年、西堀栄三郎(後の第一次南極越冬隊隊長)が京大山岳部の仲間と、吹雪で旧鹿沢温泉紅葉館に閉じ込められた際に、退屈しのぎに「雪山讃歌」を作詞したのだという。8年位前までは、鹿沢スキー場が営業していたとのことだが、スキー場が廃業してしまったので、訪れる人も少なく、まさに秘湯といった趣きだ。お気に入りに追加
1172315993.jpg
1172315993.jpg東北・東吾妻(高湯〜土湯)スキー山行東京、仙台をそれぞれ早朝に出発し、福島西ICに6:00集合。土湯(下山口)に、銭谷号をデポし、石橋兄号で高湯(登山口)に向かう。土湯から高湯へ向かう車窓からは、今回行く東吾妻が良く見えた。高湯の吾妻スキー場は今年から営業を休止してしまっている。リフトの機動力が使えないので、吾妻小舎までは、昨年までと比べて、3時間位、余計に歩かないと到達できない。ゲレンデ跡ではなく、夏道沿いにシールで登高することにする。お気に入りに追加
1172316013.jpg
1172316013.jpg東北・東吾妻(高湯〜土湯)スキー山行古いスキーツアーの標識が、樹木に食い込んでいる。家形ヒュッテというのは、1952年に開設され、1970年頃に雪崩で半壊、1974年には解体された山小屋らしい。このことから、1960年代の標識であろうと想像できる。約40年かけて樹木が成長して、このように標識が食い込んでしまったのだろう。お気に入りに追加
1172316033.jpg
1172316033.jpg東北・東吾妻(高湯〜土湯)スキー山行福島平野をバックに、ブッシュの鬱陶しい夏道をラッセルして進む。登山口で出会ったKO山荘の管理人さんの話によると、今年は極端に雪が少なく、例年の3分の1以下の積雪量とのことであった。お気に入りに追加
1172316052.jpg
1172316052.jpg東北・東吾妻(高湯〜土湯)スキー山行KO山荘分岐近くで見かけた、古いスキーツアーの標識。ニッポンビールと書いてある。サッポロビールのホームページによると、日本麦酒(ニッポンビール)から、サッポロビールへの社名変更が、1964年1月とのことなので、少なくとも43年以上昔に設置された標識だと思われる。ちなみに私の地図では「KO山荘」となっているが、新しい版だと「慶應吾妻山荘」と書いてあるようだ。私は、KOはノックアウトのことだったりしてと想像を膨らましていたが、どうやら慶応義塾大学の関係の山荘のようだ。お気に入りに追加

ファイル数 433 / 22ページ中 4

RSS feed
 
 
北大山岳部・山の会 © 2000-2010 記事・写真の無断転載を禁じます。
Academic Alpine Club of Hokkaido © 2000-2024 All rights reserved. No reproduction or reproduction without written permission.
Avalanche style by What Is Real © 2004
Converted by DaMysterious © 2006