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新着写真 - アーカイブス事業
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ファイル名 : bar-members1.jpg ファイルサイズ : 2306KB ディメンション : 1414x2048 登録日 : 2009年 04月 29日
bar-members1.jpgバルンツェ厳冬期登頂報告遠征隊メンバー2009年 04月 29日
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ファイル名 : bar-members2.jpg ファイルサイズ : 603KB ディメンション : 1492x2048 登録日 : 2009年 04月 29日
bar-members2.jpgバルンツェ厳冬期登頂報告遠征隊及び遠征隊事務局メンバー2009年 04月 29日
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ファイル名 : bar-caravan.jpg ファイルサイズ : 1628KB ディメンション : 1486x2047 登録日 : 2009年 04月 29日
bar-caravan.jpgバルンツェ厳冬期登頂報告キャラバンルート

1980年10月22日、バス及びトラックでダーランバザールへ向けカトマンズを出発。
10月26日、キャラバン開始
10月29日、ツムリンタール着
11月9日、セドア着
11月14日、シプトン峠を越える
11月17日、BC(5,000m)到着
2009年 04月 29日
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ファイル名 : bar-climb.jpg ファイルサイズ : 2287KB ディメンション : 2047x1340 登録日 : 2009年 04月 29日
bar-climb.jpgバルンツェ厳冬期登頂報告登攀ルート
11月19日、C1(5130m)予定地に荷物デポ
12月1日、C1建設
12月3日、C2(5720m)建設
12月5日、C3(6140m)建設
12月13日、C4(6700m)建設
12月14日、7000mまでルート工作
12月15日、浜名、池上、石村、花井、アン・ペンバ登頂に成功(7,220m)
12月23日、第二次アタック、悪天のため7000m付近の難所を乗り切ることが出来ず、撤退
12月28日、BC撤収
2009年 04月 29日
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ファイル名 : izumi-1.jpg ファイルサイズ : 184KB ディメンション : 400x532 登録日 : 2009年 04月 28日
izumi-1.jpg泉を聴く 西岡一雄泉を聴く 西岡一雄2009年 04月 28日
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ファイル名 : izumi-2.jpg ファイルサイズ : 144KB ディメンション : 384x540 登録日 : 2009年 04月 28日
izumi-2.jpg泉を聴く 西岡一雄泉を聴く 西岡一雄2009年 04月 28日
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ファイル名 : title.jpg ファイルサイズ : 3037KB ディメンション : 1692x2047 登録日 : 2009年 04月 25日
title.jpgナラカンカール遠征(北大西ネパール遠征隊1963-1964)報告書表紙

巻頭言 
北大山岳部長、北大山の会会長 渡辺千尚

われわれ山仲間から1962年にはじめて第一次ヒマラヤ遠征隊をヒマラヤの地に送り、チャムラン峰の山頂に足跡を印すことが出来た。ついで1963年に第二次ヒマラヤ遠征隊がナラカンカール峰をめざして進発し、幾多の困難な山旅を続けた後、このほど無事に帰ってきた。そして遠征の記録をまとめてここに報告書を出版する運びに至ったことは誠に喜びに耐えないところである。
第二次遠征隊は思わざる伏兵のために第一次隊のようにめざす山峰の初登頂には成功しなかった。しかし今次遠征もまた色々の点で登山界に裨益するところが大きいものと信ずるしだいである。
もとより登山隊は人の輪、すなわちメンバーの完全な融和をもって第一義とすることは周知のことであるが、海外遠征に当たっては特にその感が深い。今次の遠征隊はこの点に関しては少しも心配するところがなく、必ずや立派にやってくるものと期待していた。またとかく海外遠征にあたっては事を余りに重大に思いすぎたり、悲壮感さえ抱くような傾向がないでもない。だがこの隊は極めて坦々としていたところに好感が持てた。最近次第に出国の煩雑さが取り除かれたために、ヒマラヤの山旅も気軽に出来るようになりつつある。今次の隊は仰々しいことは一切排除して、少ない経費で簡潔な山旅をするように心掛けたので、この意味においてもこの報告書は今後のヒマラヤの山旅のよき参考となるであろう。------
2009年 04月 25日
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ファイル名 : route.jpg ファイルサイズ : 1428KB ディメンション : 1134x2047 登録日 : 2009年 04月 25日
route.jpgナラカンカール遠征(北大西ネパール遠征隊1963-1964)西ネパールカルナリ河流域概念図

行程
1963年7月10日、隊長を除く4隊員横浜港を出港
7月27日、ボンベイ上陸
7月28日、隊長と合流し、汽車でネパールガンジへ向かう。ネパールガンジで食料等を調達の後、
8月12日、ネパールガンジよりキャラバン出発
9月8日、ジュムラ着、9月22日、シミコッとに到着
10月3日、チベット高原に上り、10月4日ニャモナニールを望む地点にBC建設、ネパールガンジ出発以来54日目であった
10月10日BCを移動し、12日よりナラカンカール探査を行うも存在しないと推定
10月11日〜11月4日、周辺の地質、氷河調査
11月5日、BCを出発
12月22日、ネパールガンジに帰着
1月24日、本隊神戸港に帰着
2009年 04月 25日
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ファイル名 : membars2.jpg ファイルサイズ : 3075KB ディメンション : 2048x1975 登録日 : 2009年 04月 25日
membars2.jpgナラカンカール遠征(北大西ネパール遠征隊1963-1964)遠征隊員たち

現地で、24,064呎(7335m)の高さをもち、われわれが、ナラ・カンカールと推測した山はチベット人により、ニャモナニールと呼ばれていた。しかしこの山は中国領チベットにあり、中国・ネパールの国境地図のナラ・カンカールの位置よりも、かなり北方に存在していることを測量結果より知っていた。そして、中国・ネパール国境地図のナラ・カンカールの位置には、タクプ・ヒマールと呼ばれている山群が存在し、その最高峰の標高を約6,500mと隊の測量隊は測定していた。(報告書 ナラ・カンカール考)
2009年 04月 25日
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ファイル名 : members.jpg ファイルサイズ : 112KB ディメンション : 871x952 登録日 : 2009年 04月 25日
members.jpgナラカンカール遠征(北大西ネパール遠征隊1963-1964)遠征隊員2009年 04月 25日
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ファイル名 : contents1.jpg ファイルサイズ : 885KB ディメンション : 1658x2047 登録日 : 2009年 04月 25日
contents1.jpgナラカンカール遠征(北大西ネパール遠征隊1963-1964)目次1ページ2009年 04月 25日
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ファイル名 : contents2.jpg ファイルサイズ : 874KB ディメンション : 1719x2047 登録日 : 2009年 04月 25日
contents2.jpgナラカンカール遠征(北大西ネパール遠征隊1963-1964)目次2ページ2009年 04月 25日
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ファイル名 : tozanski-1.jpg ファイルサイズ : 195KB ディメンション : 600x483 登録日 : 2009年 04月 21日
tozanski-1.jpg登山スキー術の手引 北海道帝国大学山岳部登山スキー術の手引 北海道帝国大学山岳部
第1版扉、右:第二版表紙
2009年 04月 21日
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ファイル名 : tozanski-2.jpg ファイルサイズ : 214KB ディメンション : 412x612 登録日 : 2009年 04月 21日
tozanski-2.jpg登山スキー術の手引 北海道帝国大学山岳部登山スキー術の手引 北海道帝国大学山岳部
第2版付図
静止中の角附
2009年 04月 21日
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ファイル名 : tozanski-3.jpg ファイルサイズ : 173KB ディメンション : 375x620 登録日 : 2009年 04月 21日
tozanski-3.jpg登山スキー術の手引 北海道帝国大学山岳部登山スキー術の手引 北海道帝国大学山岳部
第2版付図
ボディ・スイングとクリスチャニア
2009年 04月 21日
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ファイル名 : d1.jpg ファイルサイズ : 2683KB ディメンション : 1436x2048 登録日 : 2009年 04月 18日
d1.jpgダウラギリⅠ峰報告書 報告書「序」 
北大山岳部・山の会ヒマラヤ遠征隊は1982年12月13日ダウラギリⅠ峰の登頂に成功した。これは単にダウラギリⅠ峰の冬期初登頂であるばかりでなく、ネパール政府の定めたヒマラヤ厳冬期における8000m峰の初めての登頂である。
北大山岳部と山の会が、山岳部創立50周年記念事業の一つとして、冬の8000m峰計画を取り上げてより、すでに苦い経験を含む十数年の歳月が流れている。(多くの会員のヒマラヤにおける貴重な経験の積み重ねの上に)厳冬期のヒマラヤ高峰への本格的な遠征は、1980年のバルンツェ計画で始まったと言ってよいと思う。このバルンツェ計画は、一つの独立した登山計画として実行されたのは勿論であるが、結果としてあらゆる意味で今回のダウラギリ遠征の地ならし的役割を果たしたことになった。------
北大山の会会長 朝比奈英三
北大山岳部部長杉野目浩



2009年 04月 18日
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ファイル名 : d2.jpg ファイルサイズ : 2419KB ディメンション : 1389x2047 登録日 : 2009年 04月 18日
d2.jpgダウラギリⅠ峰報告書ダウラギリの頂に立つオンチュー・シェルパ

雪原は西日を白く照り返していた。引き返し点に辿りついたのだ。振り返ってオンチューに合図し、確保する。オンチューはネパール国旗と部旗を取り出してピッケルに結んでから登ってきた。「頂だ」と言うと彼はろくに周りを見ようともせずに、うなずき、例のごとく"yes, sir"などと言うので思わず笑うと彼も嬉しそうにしている。3時半だった。岩陰に風を避けてRCの工藤と交信する。工藤も喜んでくれる。(第3章遠征経過6登頂 小泉章夫)
2009年 04月 18日
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ファイル名 : d3.jpg ファイルサイズ : 647KB ディメンション : 3129x2294 登録日 : 2009年 04月 18日
d3.jpgダウラギリⅠ峰報告書総隊長 有馬純(64歳、元北大山岳部、前北大免疫科学研究所教授)
隊長   安間荘(45歳)
副隊長・医師 越前谷幸平(34歳)
隊員・医師 下沢英二(34歳)
隊員・気象担当 名越昭男(39歳)
隊員・記録担当 浜名純(34歳)
隊員・装備担当 花井修(31歳)
隊員・渉外担当 石村明也(30歳)
隊員・会計担当 小泉章夫(27歳)
隊員・装備担当 毛利立夫(26歳)
隊員・総隊長付 八木欣平(26歳)
隊員・食料担当 清野啓介(26歳)
隊員・食料担当 志賀弘行(25歳)
隊員・庶務担当 工藤哲靖(22歳)
隊員・報道担当 先川信一郎(32歳、北海道新聞社特派記者)
サーダー アン・ペンバ・シェルパ
リエゾンオフィサー ジェナダン・デウワディ・ダバディ
2009年 04月 18日
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ファイル名 : d4.jpg ファイルサイズ : 224KB ディメンション : 1765x2514 登録日 : 2009年 04月 18日
d4.jpgダウラギリⅠ峰報告書目次第1ページ2009年 04月 18日
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ファイル名 : d5.jpg ファイルサイズ : 327KB ディメンション : 3148x2290 登録日 : 2009年 04月 18日
d5.jpgダウラギリⅠ峰報告書目次第2、3ページ2009年 04月 18日
ファイル数 10496 / 525ページ中 129

 
 
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