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33.白頭山 京都帝大白頭山遠征隊/1935/梓書房/148頁及び写真


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箱と表紙
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天池の一角に立ちて
天池の一角に立ちて


京都大学学士山岳会 Academic Alpine Club Kyoto (AACK)
 AACKは1931(昭和6)年、今西錦司をはじめとする京都大学旅行部の現役、OBにより、海外遠征の母体として創設された。なお京都大学学士山岳会の名称は、戦後つけられたものである。AACKはヒマラヤ初登頂を前提として作られ、当時から会員も京大出身に限定せず、志を同じくする者の会であった。初代会長は郡場寛、ついで木原均、3代目が桑原武夫といずれも京大教授である。戦前の白頭山、大興安嶺、内蒙古、カラフト、ポナペ島など、戦後はチョゴリザ、ヤルンカンをはじめとする数々のヒマラヤ初登頂や学術探検など、AACKは常に世界の探検登山をリードしてきた。

内容
 本書は、今西錦司を隊長とする京大白頭山(2744m)遠征隊が、1934(昭和9)年12月から1月にかけて、厳冬期初登頂したときの報告書である。一部と二部に分かれ、一部は遠征の意義、登山用装備と行動日誌、二部は気象、植物、動物、写真などの科学技術である。
 ヒマラヤ登山のトレーニング的な意味合いから極地法登山を展開し、1月7日に登頂した。以後のAACK海外登山史の原点となる記念碑的遠征である。隊員は今西隊長のほか、西堀栄三郎ら12名で、隊員のほとんどは以後の世界におけるAACKの学術探検に、大きな貢献をした人たちである。
 今西は白頭山遠征の意味について「白頭山遠征について」の中で次のように述べている。
「白頭山遠征を以ってヒマラヤに対する1つの準備と解しても別段誤っているわけでないと共に、この遠征はそれ自身において1つの試練であり、独自の経験を提供するものであったと我々は解している。この解釈がヒマラヤを低く評価しているものでは無いにしても、少なくともヒマラヤで無くてはならないという至上命令の重圧から我々を自由にするものがなかろうか。白頭山でなくてはならなくなった故に我々が白頭山遠征を決行せる如く、ヒマラヤでなくてはならなくなった場合にはヒマラヤ遠征を文句なしに実行するのみである。」

山岳館所有の関連蔵書
大興安嶺遠征報告/京都帝大旅行部/1936/京都帝大旅行部
雪のホロンバイより大興安嶺/京都帝大旅行部/1936/京都帝大旅行部
ポナペ島/今西錦司/1944/彰考書院
アンナプルナ日記/AACK/1969/茗渓堂
チョゴリザ/AACK編/1959/朝日新聞社
チョゴリザ登頂/桑原武夫/1959/文芸春秋社
ノシャック登頂/AACK編/1961/朝日新聞社
サルトロカンリ/AACK編/1964/朝日新聞社
ヤルンカン/ AACK編/1975/朝日新聞社
追悼 ヤルンカンに逝く/井川他/1976/私家本
残照のヤルンカン/上田豊/1979/中央公論社
大興安嶺探検/今西錦司編/1975/講談社
カンペンチン/ AACK編/1983/毎日新聞社
ナムナニ/日中友好ナムナニ峰合同登山隊/1986/毎日新聞社
ヒマラヤへの道-京都大学学士山岳会の五十年/今西錦司/1988/中央公論社
梅里雪山/AACK編/1992/ AACK
梅里雪山事故調査報告書/ AACK編/1992/ AACK
インドラサン登頂/京大山岳部/1964/河出書房
K12峰遠征記/1976/岩坪五郎/中央公論社
初登頂-花嫁の峰から天帝の峰へ/平井一正/1986/ナカニシヤ出版
その他
白頭山登頂記/今井通子+カモシカ同人会/1987/朝日新聞社
 
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先蹤者 アルプス登山者小伝/大島亮吉/1935

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