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記事・消息・ 2020年11月11日 (水)

今回はコロナ対策としてOBには案内は出さず現役のみで企画、開催。
ヴェチア幹事の佐藤君(4年目)からの報告を混ぜてレポートします。

参加者は現役13名、2013以降の若手OB7名 水産4年1名。指導のため特別参加のOBは井ノ上、石川部長と私。現役と若手OB2人は昼間は赤岩で登ってから到着。
17時頃から前夜祭。部長から挨拶と小屋生活や山行を通しての山仲間の意義を、私から作った小屋管理マニュアルの説明の後、幹事(オレンジ帽子)が乾杯。料理は2年目シェフ田中君により、豚汁、唐揚げ、大根の煮物、サラダ等。



現役と若手OBら。3年目がいないが1年目が4名いて全体で15名近くと何とか部員数は維持。若手OBに協力してもらって2年班のリーダースタッフをお願いしたい。



女子が3名も。焚き火を囲んで自己紹介、山の四季などを歌いお開き、一部の者は日付をまたいで話し込んでいた。
我々OB3名は19時頃に退座して帰ったが、その前に現役は山の四季含め、カメラーデンリートも知らないというので2〜3曲と、森田君(1973入)が現役2年目に作った「ヘルヴェチアコンパの歌」も歌唱指導してきた。部室には1993発行の歌集「山の四季も」あるというが、山と歌は我々には切っても切れないものなのだが〜OBの指導が必要か。



ヴェチア祭り記念集合写真、ロゴと国旗は佐々木ロタ(1955)の90周年の際の労作。本祭としてヴェチアの女神に祈りを捧げ、集合写真を撮り解散。



小屋大掃除での床ワックスがけ。以前より木目が浮き出てきた。




前日私が砂利を積んだダンプで小沢を越えて砂利敷き。山の会会計に了解を得ての作業でバイト代として現役にもカンパをしてきたが、途中でぬかるみにはまり動けず、結局レッカーを救助要請して高いものになってしまった。

記事・消息・ 2020年2月24日 (月)

日時:2020年1月25日(土)
場所:京都三条木屋町 温石 左近太郎 参加者(敬称略、入部年西暦下二桁):吉田(57)、相田(58)、神戸(59)、高橋(59)、田中英(59)ご夫妻、内藤(59)、渡邉(59)、川道(62)、須田(62)、岸本(65)、池上(70)、宮本(82)、岡島(83)、多田(86) 合計15名
報告:岡島(文)、宮本(写真)

 会場の「温石 左近太郎」は、典型的な京都の「ウナギの寝床」であり、3回続けて会場になったためか、慣れ親しんだルームを思い浮かべた。12:30開催で、実に4時間にわたり、30年の入部年度差にもかかわらず、あちこちで話が咲き続けた。会費もなく遭難対策もない、親睦の集まりであるが、最後は肩を組み山の四季で締めた。

「若いOBの参加をもっと呼び掛けるように。」との川道支部長の号令を受け、脈のありそうな数名に直接コンタクトを取るものの、皆々ご家庭の用事があるとの事で残念ながら「ご盛会をお祈りします。」とのご返事。新しい面子が得られない中で、池上宏一さんが久しぶりに関西支部の集まりに顔を出された。

 昨年10月の湖北合宿の報告に記した朝比奈英三先生と川道支部長とのアラスカ大学での件を池上さんが目にされ、1972年マッキンレーの下山後にアラスカ大学に川道さんを訪ねて行かれたことを懐かしむコメントをAACHのメール連絡に載せられた。私も30年近く前にデナリ公園でキャンプしたときにマッキンリーを北面から望んだことがあり、部報12号に掲載されているマッキンリー遠征のダイジェスト版を読み直した。

 カヒルトナ氷河からウェストバットレス経由で頂上アタックはノーマルルートを辿るが、登頂後の下山が他所では考えられない行程となっている。詳細は「寒冷の系譜」にも記されており、越前谷さん達が語っている様にルームのセンスに徹した「3年班」と位置づけている。また東晃先生がこの長いワンデリングを褒めておられた事も嬉しい。まさに冬山メイン山行で、十勝川からトムラウシを登って石狩川に乗越すスタイルをアラスカで実践されたのだと思った。

 池上さんは1980年のバルンツェにも登頂されている。この時の装備開発と気象研究が2年後の冬期8000m峰につながった経緯が「寒冷の系譜」に詳しく報告されている。 そして更に、越前谷さんが「池上の作った膨大な事務局ファイルというのは、全部記録として残っている。このファイルはAACHが初めて立派な登山報告書を作る上に貢献した。」と評価されている。その談の通り池上さんは、1本締めのアタックザックに収めたマッキンリー遠征のアルバムと地図を持参して下さった。

 アルバムには写真とスケッチが丁寧に整理されており、報告書で見た覚えのあるチロリアンブリッジでクレバスを越える写真が、何故か目に焼き付いている。
 さて、関西支部の報告というよりも池上さんを巡る“寒冷の系譜”を断片的に追った内容になったが、関西支部の常連メンバーは益々ご健勝につき詳細報告は割愛させて頂きたく。終わりに、今回欠席の連絡を頂いた窪田さん、伏見さん、福本さん、米澤さん、石松さん、川井さん、中谷さん、鈴井さん、三瓶さん、またの機会にお会いしましょう。

記事・消息・ 2020年2月6日 (木)

2018年9月20日に京都駅前のビアホールで「甚暑祓い/豊穣祈願」の飲み会を開いた。この年の関西は梅雨時から尋常ではない暑さが続き、関西支部の先輩の何人かは、参ったと弱音を吐いておられたので、少し涼しくなったら顔を合わせ気分転換をはかるのも良いのではと急遽集合を設定したもの。(飲み会参加者:安間、相田、高橋(昭)、田中(英)、内藤、伏見、川道、岸本)

勿論皆様お元気でいつものようにジョッキ片手に近況雑談で盛り上がりました。席上、安間さんから空沼小屋の現状を話していただき、胆振東部地震がありスタートが遅れたがこれから北大当局を説得し、空沼小屋及びヘルベチア小屋を有形文化財として登録申請するように進めてゆくとのこと。

記事・消息・ 2020年1月14日 (火)

現役のヴェチア幹事岡崎君から第92回ヘルヴェチア祭りが10/27に催され、写真とレポートが来たので遅くなったが編集しました。



OBは川道(1962入)、小野寺(65)、高橋(66)、安藤(70)、岩間(70)、中村(88)の6名、 現役は15名、若手OB2名他2名で計26名。峠越えは若手OB神谷(2015)1人のみ。主任幹事の笠井(4)の挨拶で前夜祭スタート。現役は今年は1年目6人が入部し将来は明るい。途中小雨もあったが焚き火を囲む。OBからの酒や料理の差し入れが例年より多くありがたい。例年の現役ワンコイン、OBからは3000円の会費で間に合う。メニューは生ハムにクラッカー、ラーメンサラダ、鍋、ポテトサラダ、牛丼、とりわさ等。
朝は昨晩の鍋にうどんを入れて朝食。11時ごろまで小屋の掃除や薪割り、煙突掃除など。手こずった薪割り用の切株数個残して記念撮影。11時半ごろ解散。




北海道新聞20200112別冊

道新記者が当日取材しにきて、丁度1/12日曜版別冊に山小屋の鎖という題で2面に渡り特集を組んでくれた。




ヴェチア幹事の岡崎君や小泉前会長、空沼小屋の保存を考える会の安間会長のコメントもあり、なかなかの小屋PR記事になっている。14年前理学部博物館で催された山小屋展の再現ともいえる記事。写真入りのインタビュー記事の在田氏は山スキー部OBで当時の館長。

記事・消息・ 2019年11月2日 (土)

日時:2019年10月19〜20日
場所:奥琵琶湖キャンプ場
参加者(敬称略、入部年西暦下二桁):吉田(57)、相田(58)、高橋(59)、田中英(59)、内藤(59)、川道(62)、須田(62)、米澤(69)、奥様タップティムさん、石松(73)、宮本(82)、岡島(83) 合計12名

記録的短時間大雨情報が千葉県に発表されるなど、10月19日土曜日は関西地方も天候が不安定。今夜は外でのBBQは無理かなと思案しながらJR湖西線の安曇川駅に向かい宮本さんと合流する。天候は回復に向かい12時過ぎに駅に着く頃には雨は上がった。
安曇川は琵琶湖に流れ込む二番目に大きな河川で、比良山系の雪解け水が流れ出す春先には、「琵琶湖の深呼吸」と呼ばれる全層循環を引き起こす要因の一つであると、以前の月見の会で伏見さんがレクチャーされた事を思い出す。
我々先発隊は先ず、淡水魚専門の養殖場でイワナを仕入れる。養殖池にはニジマスやビワマス、鮎やコイがたくさん泳いでいた。次のスーパーで酒や肉、野菜の買い出し中に石松さんと遭遇。石松さんに永原駅での須田さんの迎えをお願いし、宮本号は今回のベースキャンプとなる奥琵琶湖キャンプ場へと直行する。

ここ湖北の西浅井町は、柴田勝家と羽柴秀吉の合戦となった賤ヶ岳が直ぐ東にあり、西方は鯖街道など御食国の若狭から朝廷に水産物を貢いだ街道も多い。また今回のベースの最寄りの集落である永原は、隣町の塩津と合わせて古代から琵琶湖の水運の要衝であった。更に、北方の山並みの向こうは越の国となり、敦賀・舞鶴からは小樽行きの船便(北前船)が蝦夷ヶ島に通っている。現代は塩サバに代わって、大飯・高浜の原子炉から赤坂山を越えて高圧送電線を電気が送られて来る。ちなみにこの辺りは関西では貴重な山スキーのエリアである。

今回の会場は薪ストーブ、キッチン、冷蔵庫、ベッド、風呂、ウォシュレットトイレ付の別荘風の2階建てのコテージ。玄関前のバルコニーを宴会場として、テーブルと椅子を並べ、夕食や炭起こしの準備をしている間に12名全員が集合し、午後4時に開宴となった。イワナの塩焼き、焼肉、鳥鍋、鯖寿司、マス寿司と饗宴が続き、米澤奥様のタップティムさんが華を添えて、インターナショナルな会話が弾んだ。

雲も晴れ、月も望めた9時過ぎに山の四季を歌い屋内へ移動。その後、高橋さんが準備された空沼小屋とヘルべチアヒュッテを巡るスライドショーの上演となった。またこの会に先立って芦峅寺の佐伯トンコのご長男である高男氏を訪問され、関西支部の山小屋に置かれていたヒュッテン・ブッフやアルバムを持参された。小屋ノートの緒言は吉田さんで始まり、途中には富山での雪氷学会の折に立ち寄られた木崎ジミーの筆跡もあり、最後は高橋さんの文で終わっていた。

 高橋さんが探されていた物の一つは、芦峅寺の山小屋「北大山の会関西支部ヒュッテ」に掛けられていた伊吹良太郎さんの墨跡の看板でした。しかし残念ながら見つからなかったとのこと。確か30年ぐらい前の山の会会報に看板が写った写真付きの記事が載っていた記憶がある。「関西支部の名越ら悪童たちがまた今年もやって来た・・・」と記した恐らくトンコの寄せ書きだったと思う。私の手元にはこの会報は見当たらなかったが、平成11年に編纂された北大山の会会報の総集編を捲ると、昭和53年12月第46号「中野征紀前会長追悼号」10頁(p472)に「芦峅寺の山小屋」の題で関西支部の一文がある。

また、平成7年に編集された「芦峅の自然児・トンコ−佐伯富男追悼集−」に寄せられた思い出話しも芦峅寺の山小屋での場面であったのかも知れない。また別の機会に、芦峅寺のトンコの山小屋の資料が公開されることを期待したい。その他の話題として、伊吹さんが編纂された「行手は北山その彼方−京都一中山岳部85年の歩み」(2003年12月発行)の資料の紹介もあった。

伊吹さんの京都一中時代の貴重な写真をはじめ北大に関する章もあり、一行を紹介します。「当時は一中から三高へ進むのが一般的なコースであった。しかし、『謀反』を起こして北を目指す人たちがいたのだ。その中で、最初にブランキスト線−津軽海峡を越えたのは加納一郎(大正5年)ではないだろうか。・・・」このような会話が盛り上がる中、夜は更け11時過ぎ、7時間にも及んだ大宴会はお開きとなった。

翌朝はパンとサラダ付きベーコンエッグ、スープとコーヒーの朝食で始まる。合宿なので自炊である。朝食の後、皆さんの近況と今後の抱負を語って頂いた。
吉田:学生のヒマラヤでのフィールドワークを企画しています。ゴンドワナ地質環境研究所まで。
相田:六甲山を越えて有馬温泉に通っています。
田中:クルージングの海外旅行を楽しんでいます。同期会が段々と閉会し、世代を超えた山の会の集まりは大切な時間です。

内藤:家内と孫の世話をしています。若い人向けの料理も作って食べさせています。
川道:大学院生の海外での学会発表の支援をしています。川道国際学術交流協会まで。
ムササビの写真集を米国で出版するための編集中です
須田:自給自足の農業を営んでいます。
米澤:タイと日本の季節の渡りをしています。

タップティム:タイにいらしたときはぜひ遊びに来てください。
石松:定年後で余裕が出てきたので出席しました。アルバイトで足腰を鍛えています。
宮本:災害情報に関するインフラ整備の事業を立ち上げています。
岡島:冬山は雄山東尾根を考えています。
湖畔のベースキャンプを10時に撤収し、永原の駅前で散会となった。吉田さん、相田さん、内藤さん、川道さん、須田さん達と湖西線の客車のコンパートメントに二班に分かれて座り、車窓から琵琶湖の向うの横山岳、伊吹山、鈴鹿山脈を眺めながら話に花が咲いた。

川道さんの50年来の秀岳荘のアタックザックの話に始まり、51年ぶりにロシアとジョージアの国境にあるウシュバ南峰(カフカス山脈)下の氷河で見つかった小林年さんのザックの話に発展。ネンさんがザックを落とした理由として、秀岳荘のザックなら背負い紐が切れたのではなく、バックルの留め金のピンが革バンドの穴から外れたのではないか?

 「ネンさんの岩登りの上手さは特別だ。」と川道さんが回想。その後は、写真家の星野道夫さんと朝比奈先生との交流の話も出た。「旅をする木」に記されている内容ですが、動物研究者でアラスカ大学に学んだという共通項で繋がった川道さんの話を聞くと、星野道夫と朝比奈先生の繋がりがぐっとリアルに感じられた。(注:低温研の朝比奈先生はアラスカ大学北極生物研究所のアドバイサリー・コミッティの一員として、留学中の川道とお会いしました)。合宿帰りの汽車の中の様な、ゆったりとした時間が流れた。
まだ陽も高いので、私は途中の叡山坂本で下車し、比叡山延暦寺を越えてキララ坂を下って修学院離宮の側に降りた。明後日の10月22日は即位礼。風水害が治まりますよう鎮護国家を祈念しながら帰路に就いた。
(文:岡島、写真:高橋、宮本)

記事・消息・ 2019年10月14日 (月)

2019年10月14日(月・祝)に、東京・蒲田の大田区産業プラザで開催された北大寮歌祭に、AACHから9名が参加し、山岳部部歌「山の四季」を披露しました。

左から、中村(1979)、土田(1973)、清野(1979)、竹田(1968)、清原(1986)、 石村(1953)、山森(1986)、大村(1965)、山森娘(小6) 今年はAACHで1テーブルを専有し、世代を超えて交流を深めました。

壇上では、山スキー部、ワンゲルをはじめ大勢の「山の四季」ファンの方々の 応援をもらいました。「山の四季」が幅広く愛されていることを実感しました。

来年は、「2020年9月27日(日)、於:大田区産業プラザ」の予定です。 皆様、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
北大寮歌祭サイト
http://www.ryoukasai.org/
北大寮歌祭動画配信サイト
https://www.youtube.com/user/ryoukasai
スマホ用の寮歌集アプリ
http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~mkuriki/phone/ryoka/list_ryoka.html

山森聡(1986入部)

記事・消息・ 2019年9月27日 (金)

51年前のザック・氷河で発見(小林年さんのザック)北海道新聞9月26日夕刊より

記事・消息・ 2019年2月2日 (土)

関西支部新年会
日時:2019年1月26(土)13:00−16:00
場所:京都三条木屋町 左近太郎

 鴨川と高瀬川に挟まれたウナギの寝床の様な京家にて、昨年に引き続き新年会を催しました。
 周辺には角倉了以邸跡や佐久間象山遭難之碑、大村益次郎、桂小五郎、山縣有朋の寓居跡や別荘跡の碑が建っていて、島津製作所資料館が創業当時の姿で残っています。
 江戸から明治にかけての事物が雑多に混ざった街角で、平成最後の関西支部のイベントを行いました。


 先ずは川道支部長のご発声で、皆さんのご健勝と再会を祝して乾杯。
 続いて岸本さんから、酔っぱらう前に、「北大山の会-関西-変遷史」編集の提題がありました。
 関西支部の発足は昭和37年チャムラン遠征の募金活動や、坂本直行さんの大阪での個展開催(昭和39年)に遡ります。これら事業の応援に関西在住OBが参集したことが支部発足の契機です。その発足当時の資料を収集、編纂して記録に残すべく活動について出席者の賛同いただきました。参加者の年齢を考えますと、今こそ資料を収集する時期と思います。発足当時の記録や写真をお持ちの方は岸本さんまで情報提供をお願いします。


 さて、宴のメニューは京料理の小鉢に始まって、太刀魚や寒ブリの刺身、メインはテッサ、唐揚げ、てっちりとフグのフルコース。宮本幹事の計らいにより京の地酒の飲み放題。月桂冠の大吟醸をはじめとする一升瓶をテーブルに三本並べてセルフで徳利に分注するところは、札幌の北18条界隈の安酒場のスタイルと変わっていません。


 皆さんの近況報告や、登頂を断念した三浦雄一郎氏の話などで盛会の中、時折激しく降る雪を格子戸の向うに眺めながら札幌の冬に想いを巡らせました。


 実は、昨年の新年会当日も激しい降雪で、田中夫妻は福井から参加できませんでした。今年もか、と憂慮していましたが、無事参加いただきました。田中さんの奥様の着物姿が京都の古い屋敷のたたずまいに溶け込んでいました(奥様は踊りの名取だそうです)。
 奥様は、帰りの地下鉄からJRの駅に向かう途中も、上機嫌な田中さんの右手を肩で受けながら仲良く寄り添って歩かれて行きました。


「さあ、帰って全豪オープン・テニスを見よう。」という神戸さんの潮時を告げるコール。
 肩を組んでの「山の四季」に続いて、応援団出身の窪田さんによる前口上で明治45年寮歌「都ぞ弥生」を高唱して平成の宴はお開きとなりました。


 楽しく懐かしい時はすぐに過ぎ去ってしまいました。また秋に観月の宴でお会いしましょう。
 若手OBの参加をうながす努力・秘策を探し求めています。


参加者(敬称は僭越ながら略、数字は入部年19xx)
窪田58、相田 58、高橋 59、田中ご夫妻 、内藤 59、渡辺(尚) 59、神戸59、伏見 61、川道62、須田 62、岸本 65、宮本 82、岡島 83、多田86 



文:岡島、写真:伏見、宮本


 

記事・消息・ 2018年11月25日 (日)

日時:2018年11月10日(土)16:00〜
場所:琵琶湖畔 はなれ山水 大コテージ
参加者(敬称略、数字は入部年19** ):相田 58、内藤59、高橋 59、田中(英) 59、伏見 61、川道62、須田 62、岸本 65、米澤64ご夫妻、小泉74(ゲスト)、宮本 82、岡島 83 計13名

 今年の月見の会は、趣向を変え、琵琶湖畔の貸切りコテージで開催することとなった。また、小泉会長と、米澤ご夫妻に初めてご参加いただいた。

 開宴後、小泉会長から近況報告。北大山岳館の図書受入れ、空沼小屋の状況、北大山の会組織の今後の見通し等に関する説明があった。遠く離れた札幌で、山の会の運営に尽力されている方々のご苦労を察する。続いて、米澤さんからのご挨拶。仕事の関係で、長年、海外生活を送り山の会の活動に参加できなかったため、今後、山の会の活動にも参加していきたいとのこと。
 その後、日が暮れ、差し入れの鮒ずしや、焼肉、鍋もの等をつまみながら、いつものように話が盛り上がり夜は更けていく。

 今年は11月8日が新月であり、月見は期待できなかったが、それでも、細い三日月が見えた。これから満月に向けて新しく誕生した月を眺めるのも悪くはないが、次回は満月に近い日程での開催を目指したい。

 焚火がないのが寂しいのか、岡島君が松の枯葉を集めてきてバーベキューコンロに投入。すると、誰ともなく紙コップや、食材の運搬に使用した段ボールなどを燃やし始め、人の背丈ほどの焚火ができた。

 本格的な焚火なしでは寒い時期であり、また、近くのコテージに宿泊している数組の若い家族連れなどにも遠慮して、山の四季を歌うこともなく宴会はお開きになった。この点は次回の月見の会に向けた反省点である。

 その後、コテージに入っても、進化論の話や今後の山の会の運営に関する議論を深め、少し薄い布団で眠りについた。


 翌日は、スカッ晴れ。遠くの山々まで見通せる中、各自、寒い寒いと言いながら淹れたてのコーヒーをすすり、コテージの前で立ち話をしたり、散歩をしたりと自由に過ごす。

 その後、近くのパン屋の焼き立てパンやゆで卵などの簡単な朝食を食べながら各自近況報告。そして、別棟で宿泊していた米澤さんを加え集合写真。


 解散後、小泉会長を含む有志三名は、午後のフライトで帰札する小泉会長のスケジュールに合わせ、比良山系の堂満岳を往復。また、他のメンバーは最寄りのマキノ駅まで湖畔を歩き、三々五々帰路に就いた。
余談ではあるが、火を見ると何でも燃やしたくなるルームの習性がひと騒動を引き起こす。コテージのチェックアウトの際、コテージの女性管理人に「燃えるゴミは持ち帰りしているか?」と聞かれ、燃えるゴミは、すべて燃やしたと回答。


 管理人は「そんなはずはない。通常このような大勢の宿泊の場合、大量のゴミが発生するはずだ。小さなバーベキューコンロで燃やせるはずはない」と言う。いくら燃やしたと言っても信じてもらえず、「コテージを確認するから一緒に立ち会え」と言う。結局、管理人と一緒にコテージに戻ったが、コテージは整然と後片付けされており、(恐らく管理人が想像していたのであろう)ゴミだらけの状態ではなかった。そして「山登りの人達は何でも燃やすのね」と一言。「いえいえ、我々だけですよ」と説明しようとしたが、先を急ぐので、誤解を解くことなく車を走らせた。

(記:宮本、写真:伏見、小泉、米澤婦人、宮本)

記事・消息・ 2018年10月30日 (火)

10/27〜28、OB8名、現役16名で計24名と現役がOBの2倍という
画期的な祭りとなった。
銭函峠越えは札幌に大雨警報が出てあきらめる。午後には回復して晴れ間も。
小樽内川は増水もしていなくきれい。せっかく現役4年目が峠越えに
参加と手を挙げたのに行けたかも。




17時過ぎ暗くなった頃スタート


今回年長のY三さんの挨拶と現役主任幹事の乾杯で前夜祭が始まる。
途中小雨もあったが月も出て焚火を囲む。自己紹介や近況を、酒が進むに
つれ日が変わるまで歌を歌って交流。




自己紹介や近況アピール
女子も増えて華やぐ





翌朝は9時前にようやく朝食。暗いうちから起きている元気な者もいた





具だくさんのうどんで酔いと目を覚ます


本祭は昨年90周年でそれなりにやったのでメイン行事は記念写真。
それでも昨年ロタさん渾身作の記念ボードを壁に飾る。




お決まりの集合写真
部旗は去年と同じ下絵デザイン
今年は旗を作るように現役に指示

3人が峠越えで帰る。残った者は薪割り、掃除、床磨きと外壁塗装して11時解散。
お疲れ様でした。
 
 
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