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    Re: 【中部日高】ナナシ沢1823m峰南面直登沢→コイボクシュシビチャリ川...北陵高校山岳部OB
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    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...米山
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    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...さわがき
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    Re: 【書評】アルピニズムと死 山野井泰史 2014.11(米山悟1984年入部)...まっちゃん
  • 14年10月25日
    Re: 【読書感想】七帝柔道記 米山悟(1984年入部)...米山

記事・消息・ 2024年2月25日 (日)

ここ数年関西支部は冬眠中で、時々有志が互いの近況報告がてら3−5人で集まり京都駅前のビアレストランで一杯飲んでいましたが、今回は少し目を覚ましカシを変えて名古屋駅近の中華料理店に9人が集合し「遥か昔を語る」と題しひと時を過ごしました。

当日は遠方から参加予定の方がJR北陸線が不通になり参加不可となったり、地元在住なのに市内のど真ん中、名古屋駅前で迷子になって集合に遅れたりのいつものハプニングがありました。そんな皆様に昔語りのお題を出したのは失敗で、60年も昔の記憶など今や事実だったのかも定かではない。

記事・消息・ 2024年1月8日 (月)


1990年代に、バックカントリーという言葉が流行り始め、スキーエリア外遭難が増え、雪山登山者に加えてエリア外滑走愛好家に雪崩レスキューや弱層テスト講習などが盛んになった頃、新田(若林)さんに札幌で、信州で、何度もおあいした。1995年1月の千畳敷での雪崩遭難事故の際にも、いち早く現場に駆けつけていてお会いしたのを憶えている。その後、信州大の演習林での研究ぶりを学生たちから聞いていた。ゆっくりと穏やかに話をされる方だった。


松本の古書店で見つけた。1940年生まれ、2022年末亡くなった、新田改め若林隆三氏の2007年の刊。氏は北大山スキー部OBの雪崩研究者。50年近く雪崩研究の最前線に居続けた。雪崩とどう付き合うか?は登山愛好家にとって果てしのないテーマだ。

登山実践経験者が多い雪氷学界の中でも、極めて登山実践者的立場だったと思われる氏の、生涯通じた雪崩研究人生の総まとめ的な一冊に思える。親しみやすい文体で数々の雪崩事例を読ませる。長期間の研究人生を踏まえてはいながら、内容の殆どは2007年直前の大きな事例が解説されている。



▼富士山スラッシュ雪崩の「新発見」は、以前から伝えられていた富士山の「雪代」の実態を世に知らせた。デブリの融雪が早く、すぐに観察しなければその惨状の実態がよく伝わらなかった特殊なシャビシャビの雪崩のメカニズムについて。北大山岳部OBの安間荘氏らとの研究についてまとめられている。

▼重度の低体温症遭難者のレスキューでは要注意の「再加温ショック」について。2006年の救出時仮死状態から適切なケアを施されて4時間後に蘇生した手当の最先端の話。山スキー部OB船木上総氏の「凍る体(2002)」など、手足のマッサージなどは厳禁、という常識はこの頃からだったように思う。

▼2000年の大日岳雪庇崩落事故事例には雪庇断面の空隙やすべり面などの研究などを紹介、当地での現場検証も行った。「32mの雪庇」って意味が分からなかったけど、この解説を読んで了解した。氏は毎度、講習で雪庇断面を切って雪の層を着色し、自ら乗って雪庇崩しのデモを行っていた。
▼2006年岳沢雪崩についても詳述あり。雪崩に見舞われる他の山小屋の事例も多数。小屋が雪に埋まっていない、稜線には大雪が降った12月に小屋が全壊するような件が多いとのこと。
▼終章は栂池の雪崩が育む森林の新陳代謝の話。老木巨木は日を塞ぎ、若い木や下草が生えず、雪崩がこれを一掃してくれると。新田(若林)さんは、雪崩は美しいと折りに触れ話していた。

雪崩、低体温症、雪庇などに関しここ数十年でゆっくり認知されてきた意外な事実の、同時代的で先進的な視点がよくまとまっている。この本の終章でも、雪崩は不吉なだけのものではなく、希望や未来へつながる山の呼吸のひとつなのだと。人の都合だけで見るものではないのだと語っている。

亡くなったと知ってから読み返す著書は格別です。生き返って話を聞いているかのよう。

記事・消息・ 2023年12月7日 (木)


10/21の前夜祭では焚火を囲みながら現役の自慢の料理を頂き、Y三さんが山の歌をいくつか用意してくれて歌唱指導。久しぶりに現役とたくさん歌を歌った。暗くなってかなりの降雪があった。次期ヴェチア委員長の勝亦君が引き継ぎの弁をしっかり語り、私の肩の荷もおろせた。




朝食。なかなか具の多いうどんメニュー。この変形している煙突は新品に交換。




10/22当日は薪割り、ワックスがけ、煙突掃除、外壁塗布などやってから祭り。ヴェチアの由来披露、山の四季を歌った。




最後に記念写真。朝4時頃まで元気だった2年目が記念写真にも現れず。
女子も半分近くいて1年目は9人が入ったが今は5人か6人だとか。全員で12名位らしくリーダースタッフが少ないので若手OBの参加が必須。

記事・消息・ 2023年4月8日 (土)

記事・消息・ 2023年2月9日 (木)

2023年松の内、いつもの連中(1965-1974年代)とコロナ禍のあだ花、ZOOMを使ってバーチャルで飲んでいた。忘年会は中止だが新年宴会を準備をしているだとか、正月スキーには誰が参加するだとか、忙しそうな話題の合間に誰かが、ところで関西支部はどうしてるのか、と心配よりもむしろしっかりせい、といったニュアンス。まあ大げさなことはしていないけど、、、

記事・消息・ 2022年10月24日 (月)


10/15〜16開催。来週現役は北大で雪崩講習会があるというので例年より1週早い。
現役OB計20名が参加、前夜祭は赤岩帰りや小屋担当幹事が遅かったりで18時頃暗くなってスタート。




シェフT君(4年目)のメニューはポテトサラダ、ダッジオーブンで丸鶏香草ロースト、お好み焼き、炊き込み釜飯、おでん等、味もなかなかで皆満足。先週の下沢さん追悼会の残りの酒や食材、さらに参加OBの差し入れもあり豪華だった。



焚火を囲んで1年目とOBの自己紹介、そして夜遅くまで久しぶりに山の歌、寮歌を歌いまくった。1972のリコピーの手作り歌集や関西支部1993の歌集「山の四季」も年寄りが持ち込み「ぼくらの故郷」「かわらぬ恋」は2部合唱の指導も。小屋に入っては年寄りの自慢話や山や装備の情報交換。




翌朝も年寄りは早起き、朝食後は薪割り、掃除、ワックスがけに汗を流す




薪割挑戦の女子1年目




本祭は95周年を祝い山の四季を歌う。乾杯の代りにBerg Hile!と声を合わせ、締めは記念写真。



若手OBは3人が来てたが早朝に帰って写真には不在。紅葉はほとんど落ちてしまったが途中では真っ盛り、現役は来月に入れば準備山行が始まり冬山を目指す。頼もしい1年目が5人もいるがリーダースタッフになる上級生も女子の比率が多く少し不安、若手OBの協力が是非必要。

記事・消息・ 2022年10月21日 (金)

10/15越前谷さんの声掛けで、故下沢さんを偲ぶ追悼会に建設に関わった小舎会員と山行を共にした仲間が美国小舎に集まった。

1981年に下沢さん、越さんの呼びかけで有志手作りの小舎。翌年に会員のほとんどが隊員だったダウラギリ冬季登頂と小舎の完成を祝った。

小泉君の設計で積雪期の雪の多い場所ということもあって20年持つか?と思っていたが、昨年40周年を迎えた。設計と建築が素人でもここまで持った。


1954年入部のロタさんを筆頭に、ゲストにワンゲルOBでツルのマスターだった大内さん、東京からも5名の参加、一番若い志賀(1976年入)まで23名参加。

スライドショーでは参加者からの思い出の山行写真や動画が綴られ、若き日の山行姿や合宿の集合写真にコメントが添えられ懐かしんだ。


美酒と肴で焚火を囲んで語らい、そして久しぶりの山の語らいと歌で最後は2時まで。


やはり我々は焚火が命。コロナ禍で会えなかった3年分を取り返すように旧交も温める。焚火を囲んで下沢さんの魂も一緒に浸ったかも。山岳部の縦横の糸が交差した時間を過ごした。
差し入れを随分いただき下沢夫人や西元会長、カメ(74年入部)、チンパン(77年入部)の一升瓶、上野さんからもワイン1ダース、、、参加者その他の方々からも数々頂き、ありがとうございました。



朝。左から同期の宇一丸、鐙、山崎さんらと1年上の冷奴さん。


毛利君のドローンで空撮


下沢奥様にも来て欲しかったが同期のヘルスさんらが帰途追悼会の報告をされたと聞く。皆で見たスライド画像を後で届けるとしよう。

記事・消息・ 2022年1月24日 (月)


この投稿がうまくつながらなくて、だいぶレポートが遅くなったが、昨年晩秋のヴェチア祭り。コロナで私以外のOBは写ってません。女子が4名も




前夜祭。現役が料理をふるう




私はコロナを避けて乾杯後、小屋管理のアドバイスをして退散




翌朝私は再訪して祭りに参加。祭りといっても記念写真を撮るくらいだがヴェチアの歴史を少し語った




部歌の山の四季を歌ってヘルヴェチアの神様に献杯!だけはした




祭り後は大掃除に薪割り。女子もチャレンジ。今年の薪はトイレ脇の大きくなりすぎて、また小屋に傾いたキハダの木で夏に伐採したもの。




煙突掃除の後は床掃除とワックス磨き。他の北大小屋から比べると床が汚いので、ハッパをかけてしっかり磨いてもらう

記事・消息・ 2020年11月11日 (水)

今回はコロナ対策としてOBには案内は出さず現役のみで企画、開催。
ヴェチア幹事の佐藤君(4年目)からの報告を混ぜてレポートします。

参加者は現役13名、2013以降の若手OB7名 水産4年1名。指導のため特別参加のOBは井ノ上、石川部長と私。現役と若手OB2人は昼間は赤岩で登ってから到着。
17時頃から前夜祭。部長から挨拶と小屋生活や山行を通しての山仲間の意義を、私から作った小屋管理マニュアルの説明の後、幹事(オレンジ帽子)が乾杯。料理は2年目シェフ田中君により、豚汁、唐揚げ、大根の煮物、サラダ等。



現役と若手OBら。3年目がいないが1年目が4名いて全体で15名近くと何とか部員数は維持。若手OBに協力してもらって2年班のリーダースタッフをお願いしたい。



女子が3名も。焚き火を囲んで自己紹介、山の四季などを歌いお開き、一部の者は日付をまたいで話し込んでいた。
我々OB3名は19時頃に退座して帰ったが、その前に現役は山の四季含め、カメラーデンリートも知らないというので2〜3曲と、森田君(1973入)が現役2年目に作った「ヘルヴェチアコンパの歌」も歌唱指導してきた。部室には1993発行の歌集「山の四季も」あるというが、山と歌は我々には切っても切れないものなのだが〜OBの指導が必要か。



ヴェチア祭り記念集合写真、ロゴと国旗は佐々木ロタ(1955)の90周年の際の労作。本祭としてヴェチアの女神に祈りを捧げ、集合写真を撮り解散。



小屋大掃除での床ワックスがけ。以前より木目が浮き出てきた。




前日私が砂利を積んだダンプで小沢を越えて砂利敷き。山の会会計に了解を得ての作業でバイト代として現役にもカンパをしてきたが、途中でぬかるみにはまり動けず、結局レッカーを救助要請して高いものになってしまった。

記事・消息・ 2020年2月24日 (月)

日時:2020年1月25日(土)
場所:京都三条木屋町 温石 左近太郎 参加者(敬称略、入部年西暦下二桁):吉田(57)、相田(58)、神戸(59)、高橋(59)、田中英(59)ご夫妻、内藤(59)、渡邉(59)、川道(62)、須田(62)、岸本(65)、池上(70)、宮本(82)、岡島(83)、多田(86) 合計15名
報告:岡島(文)、宮本(写真)

 会場の「温石 左近太郎」は、典型的な京都の「ウナギの寝床」であり、3回続けて会場になったためか、慣れ親しんだルームを思い浮かべた。12:30開催で、実に4時間にわたり、30年の入部年度差にもかかわらず、あちこちで話が咲き続けた。会費もなく遭難対策もない、親睦の集まりであるが、最後は肩を組み山の四季で締めた。

「若いOBの参加をもっと呼び掛けるように。」との川道支部長の号令を受け、脈のありそうな数名に直接コンタクトを取るものの、皆々ご家庭の用事があるとの事で残念ながら「ご盛会をお祈りします。」とのご返事。新しい面子が得られない中で、池上宏一さんが久しぶりに関西支部の集まりに顔を出された。

 昨年10月の湖北合宿の報告に記した朝比奈英三先生と川道支部長とのアラスカ大学での件を池上さんが目にされ、1972年マッキンレーの下山後にアラスカ大学に川道さんを訪ねて行かれたことを懐かしむコメントをAACHのメール連絡に載せられた。私も30年近く前にデナリ公園でキャンプしたときにマッキンリーを北面から望んだことがあり、部報12号に掲載されているマッキンリー遠征のダイジェスト版を読み直した。

 カヒルトナ氷河からウェストバットレス経由で頂上アタックはノーマルルートを辿るが、登頂後の下山が他所では考えられない行程となっている。詳細は「寒冷の系譜」にも記されており、越前谷さん達が語っている様にルームのセンスに徹した「3年班」と位置づけている。また東晃先生がこの長いワンデリングを褒めておられた事も嬉しい。まさに冬山メイン山行で、十勝川からトムラウシを登って石狩川に乗越すスタイルをアラスカで実践されたのだと思った。

 池上さんは1980年のバルンツェにも登頂されている。この時の装備開発と気象研究が2年後の冬期8000m峰につながった経緯が「寒冷の系譜」に詳しく報告されている。 そして更に、越前谷さんが「池上の作った膨大な事務局ファイルというのは、全部記録として残っている。このファイルはAACHが初めて立派な登山報告書を作る上に貢献した。」と評価されている。その談の通り池上さんは、1本締めのアタックザックに収めたマッキンリー遠征のアルバムと地図を持参して下さった。

 アルバムには写真とスケッチが丁寧に整理されており、報告書で見た覚えのあるチロリアンブリッジでクレバスを越える写真が、何故か目に焼き付いている。
 さて、関西支部の報告というよりも池上さんを巡る“寒冷の系譜”を断片的に追った内容になったが、関西支部の常連メンバーは益々ご健勝につき詳細報告は割愛させて頂きたく。終わりに、今回欠席の連絡を頂いた窪田さん、伏見さん、福本さん、米澤さん、石松さん、川井さん、中谷さん、鈴井さん、三瓶さん、またの機会にお会いしましょう。
 
 
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