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記事・消息・ 2018年11月25日 (日)

日時:2018年11月10日(土)16:00〜
場所:琵琶湖畔 はなれ山水 大コテージ
参加者(敬称略、数字は入部年19** ):相田 58、内藤59、高橋 59、田中(英) 59、伏見 61、川道62、須田 62、岸本 65、米澤64ご夫妻、小泉74(ゲスト)、宮本 82、岡島 83 計13名

 今年の月見の会は、趣向を変え、琵琶湖畔の貸切りコテージで開催することとなった。また、小泉会長と、米澤ご夫妻に初めてご参加いただいた。

 開宴後、小泉会長から近況報告。北大山岳館の図書受入れ、空沼小屋の状況、北大山の会組織の今後の見通し等に関する説明があった。遠く離れた札幌で、山の会の運営に尽力されている方々のご苦労を察する。続いて、米澤さんからのご挨拶。仕事の関係で、長年、海外生活を送り山の会の活動に参加できなかったため、今後、山の会の活動にも参加していきたいとのこと。
 その後、日が暮れ、差し入れの鮒ずしや、焼肉、鍋もの等をつまみながら、いつものように話が盛り上がり夜は更けていく。

 今年は11月8日が新月であり、月見は期待できなかったが、それでも、細い三日月が見えた。これから満月に向けて新しく誕生した月を眺めるのも悪くはないが、次回は満月に近い日程での開催を目指したい。

 焚火がないのが寂しいのか、岡島君が松の枯葉を集めてきてバーベキューコンロに投入。すると、誰ともなく紙コップや、食材の運搬に使用した段ボールなどを燃やし始め、人の背丈ほどの焚火ができた。

 本格的な焚火なしでは寒い時期であり、また、近くのコテージに宿泊している数組の若い家族連れなどにも遠慮して、山の四季を歌うこともなく宴会はお開きになった。この点は次回の月見の会に向けた反省点である。

 その後、コテージに入っても、進化論の話や今後の山の会の運営に関する議論を深め、少し薄い布団で眠りについた。


 翌日は、スカッ晴れ。遠くの山々まで見通せる中、各自、寒い寒いと言いながら淹れたてのコーヒーをすすり、コテージの前で立ち話をしたり、散歩をしたりと自由に過ごす。

 その後、近くのパン屋の焼き立てパンやゆで卵などの簡単な朝食を食べながら各自近況報告。そして、別棟で宿泊していた米澤さんを加え集合写真。


 解散後、小泉会長を含む有志三名は、午後のフライトで帰札する小泉会長のスケジュールに合わせ、比良山系の堂満岳を往復。また、他のメンバーは最寄りのマキノ駅まで湖畔を歩き、三々五々帰路に就いた。





 余談ではあるが、火を見ると何でも燃やしたくなるルームの習性がひと騒動を引き起こす。コテージのチェックアウトの際、コテージの女性管理人に「燃えるゴミは持ち帰りしているか?」と聞かれ、燃えるゴミは、すべて燃やしたと回答。管理人は「そんなはずはない。通常このような大勢の宿泊の場合、大量のゴミが発生するはずだ。小さなバーベキューコンロで燃やせるはずはない」と言う。
 いくら燃やしたと言っても信じてもらえず、「コテージを確認するから一緒に立ち会え」と言う。結局、管理人と一緒にコテージに戻ったが、コテージは整然と後片付けされており、(恐らく管理人が想像していたのであろう)ゴミだらけの状態ではなかった。そして「山登りの人達は何でも燃やすのね」と一言。「いえいえ、我々だけですよ」と説明しようとしたが、先を急ぐので、誤解を解くことなく車を走らせた。

(記:宮本、写真:伏見、小泉、米澤婦人、宮本)

記事・消息・ 2018年10月30日 (火)

10/27〜28、OB8名、現役16名で計24名と現役がOBの2倍という
画期的な祭りとなった。
銭函峠越えは札幌に大雨警報が出てあきらめる。午後には回復して晴れ間も。
小樽内川は増水もしていなくきれい。せっかく現役4年目が峠越えに
参加と手を挙げたのに行けたかも。




17時過ぎ暗くなった頃スタート


今回年長のY三さんの挨拶と現役主任幹事の乾杯で前夜祭が始まる。
途中小雨もあったが月も出て焚火を囲む。自己紹介や近況を、酒が進むに
つれ日が変わるまで歌を歌って交流。




自己紹介や近況アピール
女子も増えて華やぐ





翌朝は9時前にようやく朝食。暗いうちから起きている元気な者もいた





具だくさんのうどんで酔いと目を覚ます


本祭は昨年90周年でそれなりにやったのでメイン行事は記念写真。
それでも昨年ロタさん渾身作の記念ボードを壁に飾る。




お決まりの集合写真
部旗は去年と同じ下絵デザイン
今年は旗を作るように現役に指示

3人が峠越えで帰る。残った者は薪割り、掃除、床磨きと外壁塗装して11時解散。
お疲れ様でした。

記事・消息・ 2018年2月8日 (木)

日時:2018年1月27日(土)16:00〜19:45
場所:温石 左近太郎 本店
参加者(敬称略、数字は入部年19**、または20** ):17名(吉田57、相田 58、高橋 59、内藤59、渡辺(尚)59、伏見 61、川道62、須田 62、名越 63、岸本 65、福本66、川井74、宮本 82、岡島 83、多田86、田中10、工藤12)

今年の新年会は、趣向を変えて、古い街並みを残す京都木屋町通り高瀬川沿いの料理屋で開催した。

関西支部長の川道さんの乾杯の挨拶の後、次々にフグ料理が運ばれる。そう、今年の新年会ではフグを満喫することになったのである。

残念ながら、福井県在住の田中さん(59入部)ご夫妻が、急遽、雪のため不参加となったが、今回、二人の若者が初めて参加することとなった。

大学卒業したばかりの田中君と工藤君である。



やはり、若者が参加すると会員諸氏の自己紹介にも熱が入る。各自の近況を交え、専門分野、社会貢献、登山の話等の新旧交えた話題を酒の肴に時間を忘れて宴会は進んでいく。

この間、会員たちは、飲み放題をいいことに、学生時代を彷彿させる量の京都の地酒を次々に飲み干した。

最後は、昨年の新年会で、関西から離れると告白していた伏見さんがご挨拶。今回は本当に関西を離れるとのこと。いつも写真を提供いただきありがとうございました。



締めは岡島君の前口上で山の四季を歌い4時間近くにも及んだ大宴会はお開きとなった。






その後、若い二人を含む有志数名は、先斗町の街並みに消えていった。







 余談になりますが、今回、新年会の案内を関西支部のみにアナウンスしました。しかし、このような集まりは広く山の会全体にお知らせすべきとの声が上がりましたので、今後は関西支部以外の方々にも開催案内を送るようにします。関西方面にいらっしゃる方がいましたら、積極的なご参加お待ちしています。

(記:宮本、写真:伏見、宮本)

記事・消息・ 2018年1月24日 (水)

薪ストーブが歪んできたので更新をお願いしていたもの。90周年の祭りには間に合わなかったが学生支援課から注文が来て雪の上を橇に載せて納品。

左が32年前の古いストーブでこれを作った三笠の船本工業という鉄工所に今回も作ってもらった。ほぼ同じ形で4mm厚の鉄板で手作りだ。


新しいストーブに点火式をする羽月君。曲がりも新調、他にデレッキやミニスコップ、蓋を引き上げるリフターもおまけに付けてもらった。これでまた30年位活躍してくれるでしょう。


12/14の積雪状況 書き込みが1か月も過ぎてしまったが、この時の積雪はようやくテラスのちょっと下の高さ。

記事・消息・ 2017年11月3日 (金)

日時:2017年10月28日(土)16:00〜22:00
場所:ヴェルドール琵琶湖102号室
参加者(敬称略、数字は入部年19** ):相田 58、高橋 59、田中(英) 59、渡辺(尚) 59、伏見 61、川道62、須田 62、名越 63、岸本 65、宮本 82、岡島 83 

今年の月見の会は、新支部長の川道さんが初めて参加されたが、残念ながら季節外れの台風が接近。いつものように琵琶湖畔での焚火は果たせなかったが、急遽、宿泊予定のリゾートマンションの一室で開催することとなった。





過去20数年の月見の会の歴史の中、屋内開催は初めてということ。やはり、地球温暖化の影響だろうか。しかし、賢明な幹事は、室内開催も予想して、焼肉用ホットプレートや鍋の材料を準備していたため、難なく宴会に突入。
 室内での開催だが、要は古い仲間と酒を飲み交わすことができれば問題はなく、ヘルヴェチアのあり方、空沼小屋の行く末について、それぞれ持論を展開。結論のない議論が続いた。


途中、相田さん着用の部章がプリントされた黄色いトレーナーを皆が欲しがり、高橋前支部長から関西支部でもTシャツを作ろうとの発案。もし、作ったら、「私は10着買う」「いやいや私は20着買う」「札幌でも販売しよう」と話がどんどん大きくなるが、来年また議論しようということになった。


 最後は寮歌や山の歌で大いに盛り上がり、山の四季、都ぞ弥生を歌って6時間にも及んだ大宴会はお開きとなった。
 翌日も台風通過の影響もあり、恒例の比良登山や山麓散策は行わず、徐々に強まる雨の中、来年1月の新年会での再会を約束して解散した。

(記:宮本、写真:伏見、宮本)

記事・消息・ 2017年10月30日 (月)

「ヴェチア幹事の坂口君の乾杯で前夜祭スタート」
今年も峠越えで歩いてきたのはOBばかり。現役は赤岩帰りとOBの車に便乗して、1人主任幹事のみチャリ。前田OBからは現役が最近峠を歩いて来ないのは怪しからんと激が飛ぶ。それでも昨年より5名多い参加でゲストと当日朝の参加を入れないと前夜祭は現役がOBの数を上回り、若さと賑やかさで嬉しい。


「夜食にピザづくり」
現役会費をタダにしてるのでOBは4000円会費。私のセンスで祭りでは手を抜かずに酒もメニューも上等に行こう、としているので現役比率が増えてかなりの負担。現役も少しは会費取ろうという意見や、昔は酒とおつまみ位しかなかったので贅沢では、という声もあり再検討が必要かも。私としてはこの時ばかりは現役も腕を振るってうまい料理を作るというのを続けたい。年金生活の歳寄りには厳しいものがあろうが、粗末な食生活で我慢している現役には振る舞いたい。


「朝のヴェチア」
現役は外に寝る者も数人。小屋の周りには雪が少し残っていたが、夜暖かく解けてしまった。朝今村(1956入)夫妻も美味しいリンゴパイやクッキー持参で現る。朝食と90周年式の前後では薪割り、外壁塗り、床磨き、煙突掃除、小屋までの道の補修などもしっかり作業。


「90周年式典 小泉会長挨拶」
85周年の時にはグブラー子息も呼んで大々的なセレモニーがあったので、今回は質素に。それでも挨拶では90年の流れを伝え、伊藤秀五郎大先輩の小屋の周りを読んだ詩を披露。歌は山の四季と森田君(1973入)が現役時代に作った「ヘルヴェチア乾杯の唄」を前夜祭で練習して、朝来た本人の前で披露。


「集合写真」
いつもは本祭りは記念写真だけで済ませていたが、何と佐々木ロタ(1955入)が昔の祭り写真にあった通りのドイツ語のひげ文字で看板を作ってくれた。それに女子の部員とゲスト(同志社大山岳部OG)がマツでリースを作ってくれて、紛失したらしい部旗を私が再現したものを壁に飾った。いつもより祭りらしくしてOBと現役との空沼小屋再開式に続く交流も深まった。

記事・消息・ 2017年5月28日 (日)

北大山岳部が伝説としてきた昭和18年冬期ペテガリ岳初登者、今村昌耕氏が4月に99歳でなくなりました。今日は東京でそのお別れ会があり、お弔いの人がたくさん集まりました。
北大山岳部にとってペテガリは、エヴェレストより崇高な頂です。90年間の全ての部員の憧れの山であり続けました。昭和15年の、8人遭難の雪崩事故を経て、亡国の予感漂う時代のギリギリの冬に、物量作戦ではない軽量速攻戦術でかろうじて成功させた冬期初登でした。その本人が生きて話を聞かせてくれるということは、例えていえば共同体にとってのナンセンやティルマンがまだ生きていて、語り合えている奇跡のようなものでしょうか。冬期のペテガリをコイカク山頂のイグルーから15時間かけて往復することの困難を、年齢差80年の現役学生まで含めて皆、体で知って共有しているからこその敬意でした。
氏は99歳だというのに最期まで思考も言葉も全て明晰でした。私たち含め現役学生たちとも、戦中の山登り事情や、その後徴兵され軍医として軍艦で重傷を負った話を始め様々な分野の話など語ってくれました。
復員後は山と関わらず、一貫して結核予防、治療の活動に身をささげました。医師として山谷の労働者の結核診療の活動を何十年も続けていました。宿無しで生きる、未来の望みを持たない患者の元に何十年も足繁く通い続けた活動も今日の会では紹介されました。
最後の晩御飯を全部食べて寝床に入ってそのまま亡くなったそうです。
死の準備を着々とこなし、為すべきことを成し、多くの人に慕われて最期を迎えました。偉業を成した人は、聞かれなければそんな話を自分からは決してせず、相手の話を上手に聞いてくれました。うちの中一娘もお弔いに行きたいと出かけてきました。
ここ十年ほど、氏の書いた様々な貴重な手記の数々の原稿を、会報編集担当として校正し手伝うことができたことがありがたかったです。歴史的仮名遣いや旧字体の原稿を読んで、旧制帝大学生のインテリジェンスを感じ得ることができました。
自分の老いていく姿の、かくありたいというロールモデルとしていつも見ていました。
2018年5月27日
https://aach.ees.hokudai.ac.jp/xc/modules/AACHBlog/details.php?bid=721

記事・消息・ 2017年3月10日 (金)

参加者:相田*、高橋(昭)*、伏見、内藤*、田中(英)*、名越、吉田(勝)、川道、須田*、渡辺(尚)、多田、川井、神戸、佐々木(正)*、宮本、岡島*、鹿島*、岸本*
(現役)羽月*、山崎*
(名前の後の*印は二次会参加)


毎年1月に開催している関西支部新年会だが、今年は特別。札幌から現役2名を招き、昨年のカムチャッカ遠征の報告をしてもらうことになっている。そのせいか今年は参加者が多い。

メインのカムチャッカ報告の前に伏見さんからプレゼンあり。OBの止まらない質問によりなかなかメインのイベントに進むことができないところなどはいつも通り。

いよいよ現役の報告。報告については報告書ベースで以前から知ってはいたが、彼らの報告を直に彼らから聞いていると、いかに充実した山行であったことが伝わってきた。長らく長期山行ができていない私にとっては、全く羨ましい限りであった。

気がつくとホテルの貸切時間が終了。短い時間であったが、有意義な会であった。

2次会は琵琶湖のほとりの相田さんの別荘へ。こちらでも持参されたプロジェクターによりスライドショーが繰り広げられる。
大量の酒を飲み交わし、山の話やら、怪しいお金の話やらと楽しい時間を過ごす。翌日は二日酔いのまま各自解散。

余談だが、現役の1人は暇を持て余し、散歩と称して比叡山に消えていった。

鹿島(2008年入部) 記

記事・消息・ 2017年1月20日 (金)

image 90周年関連の記事が毎日新聞夕刊全国版(1月14日)に掲載されました

記事・消息・ 2016年12月18日 (日)

90周年記念式典・祝賀会が「山と渓谷」新年号に掲載されました。
 
 
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