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18. トルキスタンへの道 エリック・タイクマン 神近市子訳 1940 岩波新書
原題:Journey to Turkistan/1935/Eric Teichman


Highslide JS
表紙
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行路図
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エリック・タイクマン(1884-1944) 外交官、東洋学者
 イギリスに商人の子として生れる。1906年ケンブリッジ大学卒業。1907年より英国北京大使館の中国語通訳官としてロシア旅行、その後同大使館外交官に昇格する。1919年、本国の外務省に転勤となるが、再び1922〜1936年、中国大使館に勤務。1936年退官後は、重慶の英国大使館アドヴァイザー。彼の外交官としての功績に対してナイトの称号が与えられた。1944年、ノーフォークの彼の庭園に不法に侵入した2人の米軍人に射殺された。
 タイクマンは、北京大使館在勤中に3度の大きな旅行を行い、そのたびに信頼度の高い旅行記を出版した。第1回は1916〜17年、中国西北辺境の蘭州を中心に青海省の境、安寧など六千キロを10ヶ月間かけて視察。第2回は1918年、東チベット旅行。康定を発し、揚子江、サルウィン、メコンの分水嶺を越え、その土地の風俗や地理を伝えた。第3回は1935年、ウルムチの省政府との交渉のためトラック2台で、北京からゴビを抜けてウルムチ、さらにカシュガルに到る。カシュガルからは馬でパミール高原を越えて、ギルギットに到る。(本書)

内容
 英国の外交官として30年間を中国に送った著者が、1935年、新疆の省政府と通商上の協議を行う為、自動車2台でゴビ砂漠を越え、ウルムチ、さらにカシュガルに到り、カシュガルからは馬でパミール、ヒマラヤを越えて、インド平原に出た旅行記である。岩波新書に収録されている本書について、翻訳者の神近市子は“はしがき”で次のように述べている。

「筆致は簡潔平易で、ともするとこの旅行の困難と冒険的性質を蔽ふうらみはあるが、その中に紹介されているトルキスタンの自然、社会、民俗、歴史の全貌は、全き近代政治関係の照明の下に描き出され、興味深い報告となっている。」

 従来の駱駝を使ったキャラバンに変わって、自動車でゴビ沙漠を突破して新疆地区へ入ろうとする試みは、1930年代からいよいよ本格的となって行った。すなわち、1931年のマリ・アールト率いるシトロエン・モーター・トラクター遠征隊によるユーラシヤ大陸横断旅行、1934年のスウェン・ヘディンによる北西自動車遠征隊(参照:29.「彷徨へる湖」)、そして本書のタイクマンによる1935年の北京〜カシュガルの自動車旅行である。
 当時、新疆地区は1928年の楊増新省長の暗殺以来、とって代わった金樹仁省長の圧制に反抗する種々の紛争、東干人馬仲英の反乱、盛世才将軍によるクーデターなど動乱が続いていた。1935年、英国政府は、イギリス及びインドの新疆地区での通商復活の為の特別使節としてタイクマンをウルムチへ派遣した。

 1935年9月14日、2台のフォードV8気筒トラックが北京からウルムチを目指して出発した。ラティモアの通った内モンゴルからカラホトを経てハミに到る道である(21.「新疆紀行」参照)。ゴビ砂漠に入ってすぐ、差動ギアが破損したりする事故があったが、以後は快調に飛ばして10月末、ウルムチに到着する。かつて、アールトやヘディンを悩ませた戦火はすっかり止み、秩序が回復されつつあった。  ウルムチでは新疆省当局との会談―新疆在住のイギリス商人の権益や国境越え貿易などの協定−を終え、11月13日、ウルムチを出発、トラックでカシュガルへ向った。トクスン峡谷で1台のトラックの差動ギアが破損、予備部品がなかったので、ついにその車を放棄する。しかし、カラシャルからは順調に走破して、11月24日、カシュガルに到着する。

 カシュガルからは馬でパミールを横断してフンザ峡谷を降り、1ヵ月後にギルギットへ出た。冬のパミール越えは烈しい寒風に苛まれ、難儀な旅であった。パミールに達した時の感懐をタイクマンは次のように述べている。

 「今やわれわれは支那パミールに着いたのである。それは、我々が旅行する予定でいた西蔵の高原地帯に似た平坦な谷間の土地で、平均高度一万二千呎、インド国境までさらに八日の行程である。私はパミールに関する話を沢山読んでいたので、遂にこの地を実地に見る機会を得たことを、大いに喜んだ。実の所、旅行者にして死ぬ前に一度、この余りにも有名な地域、アジアの屋根を訪れることを願わない者があろうか。ヒンズークシ、崑崙、カラコルムの諸山が相合し、支那、インド、ソ連およびアフガニスタンが合い接するこの地を。中央アジアのロマンスに富むこの地域を。その地名が、落ちくぼんだような高原、オヴィス・ボリ、未開の山男、キルギスの遊牧民、ロシアの陰謀、コサック、支那の官人などの様々の幻影を浮かび上がらせるこの地域を。」

 本書は12章と付録からなるが、第12章は「支那土耳其斯担(シナトルキスタン)の過去、現在、将来」について外交官としての見解を、付録は北京からカシュガルまでの自動車ルートについて詳細な役に立つ案内を載せている。これ以後の自動車旅行にはガイドブックとして大変に役に立ったと思われる。


山岳館所有の関連蔵書
  • 婦人記者の大陸潜行記−北京よりカシミールへ/エラ・マイアール/ 1938/創元社
  • 彷徨へる湖/ヘディン/岩村忍・矢崎秀雄訳/1943/筑摩書房
  • ゴビ沙漠横断記/ヘディン/隈田久尾訳/1943/鎌倉書房
  • 東チベット紀行(シリーズ中国辺境史の旅三)/タイクマン/1986/白水社
  • 中央アジア関係多数
 
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