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95ブニ-ゾム峰西面-West face of Buni-Zom »

「無 題」三瓶 修

 チトラールのマウンテン・インの中庭からティチミールを眺める。ヒマラヤに来たん だという気持ちが少しずつ実感となり始める。山が見えるばかりではない。たまたま同 宿となった韓国の登山隊が、その山で遭難を起こし引き上げて来ているせいだ。リーダ ーと思われる人以外は食事にも出てこず、部屋に引きこもっている様子である。リーダ ーは本国との連絡のためか、電話のそばでうなだれている。いいも悪いも、山が近くな ってきた。体の調子は悪くない。明日はいよいよブニ・ゾムが見られる。

 自分の1995年は、阪神大震災で始まった。朝まだ暗いうち、それは起きた。近所 の火災の現場に消火器を持って走ったり、バケツリレーをしたかと思うと、今度は山が 崩れて埋まった家のがれきを取り除きに行ったりした。自分の住んでいた寮はガス、水 道が止まり、いったん避難するという形になった。昨年から関学の教授として近くに来 られている白浜先生も無事だったようだ。会社と寮で、もめにもめた後、結局寮は廃止 されることとなり、引っ越し、その他慌ただしい日が続いた。本当なら体を作っておか なければならない冬から春にかけてを、そんなこんなですごし、ぼーっとしている間に パキスタンまで来てしまっていた。後はやるだけしかない。

 ジープの中からはるか高い位置に初めてブニ・ゾムを見上げる。だんだん気持ちが昔 に戻ってくる。一年目の頃、二年目の頃、確かにこういった気持ちで山を見上げていた ように思う。いつの頃か、忘れてしまっていた。でも今この時だけは、少しだけ思い出 したような気がする。きっと、また日本に帰れば、日常の慌ただしさの中ですべて忘れ 去ってしまうのだろう。

 ポーターを雇いキャラバンが始まる。今日は空身なら2時間位の行程だが、荷物を担 いでくれる彼らのペースで1日かけてのんびり歩く。30人ほどいる彼らは、下はまだ 小学生くらいから、60をこえていそうに見える人まで村中の男たちと言った印象だ。 一緒に歩いていると、何をくれ、あれをくれと話しかけてくる。あらためて、自分がな ぜ山に行くのか考えさせられる。今回アレンジしてくれた会社は、自分らのような人間 から金を取って、暮らしている。荷物を担いでいる彼らは現金収入を得ようとし、また 何かもらえないかいろいろねだってくる。自分は山に行くために会社に勤め、そこそこ に仕事をしながら週末を待っている。神戸の公園では、その仕事のために郊外に移れな い人達がいまだにテントで寝泊まりをしている。何が先で、何が後とか、結局は価値の 問題と片づけられてしまうのうのだろうが、考え込んでしまう。夢とそれに伴った意志 だけで走れるうちはいいが、夢も意志もどこかに置き忘れた今となってはなかなかに難 しい。ポーターの中の中学生か高校生ぐらいの子たちと、ボルダリングをする。彼らは 体が柔らかく、なかなかうまい。登れるととてもうれしそうだ。自分も登れればうれし い。そこには理屈はない。とりあえず今は、夏の夜の夢に身を任せるのである。

 斎藤と本多と3人でクラクマーリの滝を試登する。滝のすぐ左側は3級くらいの岩場 が延々と続いている感じだが、上部の様子はよく分からない。以前のパーティーの報告 では、ザイルが必要なのは1ピッチだけという話だから、ここがルートであるとは思え ないが様子を見にとりあえず上がってみよう、ザイルを出す。1ピッチ目、岩場自体は スニーカーで登れる容易なものだが、浮石が多く荷揚げのためのルートにはとてもなり そうもない。ザイルピッチも相当な長さになる。様子が分かるところまで上がろうとさ らにザイルを伸ばすが、見通しはたたず、ただアプザイレンのハーケンとシュリンゲだ けを無駄にして下降することにする。目的が違うが、この程度の易しい巨大な岩壁の中 を、ザイルを結んでルートを探し回るのは楽しい。日本にあれば、あみだくじのように ルートが交錯する中を正しいルートに導いてくれる残置ハーケンを目を皿のようにして 探す事になるだろう。この上に雪と岩の壁と、とがったピークがあれば最高だ。下降を しながら小さくなったベースキャンプを見おろす。いよいよ始まりである。  ベースキャンプに戻りながら、ルートを探す。滝よりだいぶ下の小さなかぶりぎみの ルンゼから急なガレ場へと続くラインがどうやら上へ抜けられそうな様子だ。ここでル ートが見つけられなければ、雪に触ることもできずに終わってしまう。明日は斎藤とシ ェイクでルート工作である。

 ルンゼの中に張られたフィックスをユマールで往復する。たかだか100メートルち ょっとだが、荷物のせいか、消耗する。自分に与えられているチャンスは休みの都合で 短いので、前半に出来ることは頑張っておかなければならない。上では、斎藤と辺見が そろそろC1に到着する頃だろう。みんなにここまで連れて来てもらった。体の調子も 悪くない。ハイライトも吸えるし、もう一往復しておこう。

 みんなでC1に入る。荷揚げで往復したガレの末端からフィックスを伝って急なガレ をつめる。左にはクラクマーリの滝が激しさを見せている。この水の元となっている氷 河がもうすぐ姿を見せるはずだ。そこがC1である。氷河の上を水がちょろちょろ流れ ている。生のまま飲める水がうまい。今日はあいにく雲が多いが、斎藤と辺見と偵察に 向かう。歩き易い氷河だ。アイゼンも要らない。小さなクレバスが幾つか開いているが 、特に問題になるような所はない。コラボルト・ゾムの尾根末端辺りから、もろい岩稜 を従えて目指すブニ・ゾムが姿を現した。西稜から南側は、黒く光った岩に、所々雪が バンド状にへばりついている。岩が硬ければ、なかなかのバリエーションができるだろ う。南峰は本峰からはほとんど独立していて、その間はキレットになっている。まだ予 定のルートは見えないがとがったピークは充分に魅力的だ。もう少し雲が避けてくれれ ばもっとよく見えるだろう。ピークについても雲のほうが高いに決まっているのだが、 高さへのあこがれは、やはり雲より高いところに上がりたいというところにあるような 気がする。飛行機でなく自分の足で。自分の足で行けるところで、雲より高い所なんて 現実には有り得ない。たとえ8000メートルまで登ってもやはりその上には雲がある 。その有り得ない存在を目指すのも山に登っている意味の一つなのかも知れないと思う 。ピッケルをぶらぶらさせ、うだうだとらちもないことを考えながら適当に帰る。

 C1からC2へ荷物をあげる。だるい登りだ。ほとんど何も考えていない。大した距 離ではないし、荷物特別重いわけじゃないが、ただひたすらだるい。広い氷河の上に点 々とみんなが見える。みんなきっと何も考えてないに違いない。いい加減いやになった 頃に、C2に到着する。懸垂氷河が正面に見える。コルからピークは幾つかの岩峰を抱 え、なかなか手ごわそうだ。韓国隊の命を奪ったティリチミールの姿が遠くに美しい。 どこから登っても難しそうに見えた。

 いよいよアタックである。懸垂氷河がようやく傾斜をおとしはじめたところに、雪を 削って作ったC3を斎藤、辺見と3人で出る。この高さに泊まるとさすがに少し頭が痛 い。階段状になった雪の上にアイゼンの歯をたてて登る。コルに出る。日高の稜線に出 るような感じか、初めて帯広の灯が見えたように、反対側の山々が望めた。コルから見 上げる本峰は鋭い雪稜と大きな岩稜を抱え、とてもノーザイルでは届きそうにない。斎 藤を先頭に進むがポコを一つ越えたくらいで、雪面が広い範囲で音をたてた。慌てて間 隔を取る。一人ずつゆっくりとポコの上に戻る。残念ながらこれ以上進むのは無理だ。 コルに戻って北峰に転進する。易しい稜線を進む。小さな岩を越えて6338メートル のピークに立った。そして自分のブニ・ゾム遠征は終了した。

 ベースキャンプで最後のアタックに向かう斎藤、本多、清水、辺見、シェイクを見送 る。見慣れたクラクマーリの滝も、もうこれで見納めになる。後はアタックの成功を祈 るだけだ。また来る事があるだろうか、これからの自分の山登りはどこに行くのだろう か。何か変わったのか。まだ何も分からない。

 
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