2004年東京支部
ケブネカイセ峰登山報告
――速報――
北大山の会東京支部
木村俊郎
ケブネカイセ峰登山報告
――速報――
北大山の会東京支部
木村俊郎
2004年東京支部の標記の海外登山の結果は、下記の如くです。
結果
3月7日、第1回アタックは、時間切れのため目標のケブネカイセ峰の登頂を断念、前山のケブネチョッカに5名が登頂して撤退。
3月8日、第2回のアタックを行ない、ケブネカイセ主峰に1名が登頂。
以下、項目ごとに概要記すと、次の如くである。
目標の山と選定の経緯
ケブネカイセ(Kebnekaise)は、スウェーデン北部に位置し、北緯68°の北極圏にあり、標高2,117mの最高峰である。東京支部では数回の海外登山フォーラムにて魅力のある山を探っていたが、AACH創立50周年記念行事の一環として夏にラップランドを訪れたおりに、木村(ヤシ)や山口(健児)等が登ったこの山を冬に登ることを目標とした。冬は夜の北極圏、オーロラのメッカでもあるこの地でスキーを生かしてアプローチし、オーロラの下、アイゼンを利かせて稜線を登る。どれくらいの暗闇かも定かではない魅力のある計画となった。
隊員の構成
A班(出入り12日間)
A班(出入り12日間)
木村俊郎(隊長)、矢作栄一、小口洋右B班(8日間、行動はA班と同一で早期帰国)
早川晃正(アトラストレック社員、登はん力強化のため隊員としての参加を要請)
大村富士夫(登はん隊長)、内田敏子(東京支部岳友)以上のようなメンバーは、会員4名と会員外の友人4名となったが、これは山の会東京支部が立案・計画した山の魅力にひかれて集まった者による、東京支部の登山隊であることは明確である。
田村和彦(矢作隊員の友人で山歴豊富)、志賀嘉寿恵(東京支部岳友)
行動
3月3日
4日
5日
6日 晴
8日 晴後薄曇
9日 曇 風やや強し
10日 曇
11日
12日
13日
14日
3月3日
成田発、コペンハーゲン経由にてストックホルム泊
4日
ストックホルム発、午後終着スウェーデン、キルナのホテルに到着、1泊。
5日
迎えのガイドたちが運転するワゴン車3台に分乗、国道を1時間走りニカロクタに到着。ここで雪上車2台に乗り換え、19km先のフューラーステーション(ロッジ)に昼過ぎに着いた。このロッジは、前日からオープンしてくれていたもの。到着後ただちにスノーシューの練習に標高772mの裏山に登る、2時間ほどの運動。スノーシューはガイドが用意してあり、プラスチックス製の当地のもので、両サイドに30cm程の鋸歯を有する独特のもの。
このとき、当地は異常気象で、雪が極端に少なく、ロッジのあたりで1mを越えるという積雪は僅か10cm程、高山植物や石屑が露出し、所々ブルーアイスになっており、スキーが使える状態ではないことを知る。
6日 晴
ガイドによると天候は今日から好転し、明日はもっとよくなるだろうとのこと。2名のガイドによる誘導で全員のトレーニング。ハーネスをつけ、ピッケル、アイゼン、全装備に、借用の雪崩ビーコンを持って、スノーシューとアイゼンの履き替えの反復、ブルーアイス上の歩行、雪崩ビーコンによる埋没者の発見、発掘練習などにて1日を費やす。7日 晴
5時15分全員とガイド2名にて1回目のアタックに出発。キャップランプを点灯しているが、それほど暗くはない。満月の日に行動するのがよいというサジェスチョンが有効だったようだ。Jökelbäcken沢から入るルートをとり、歩きにくいデブリの脇を進むが気温も―2〜―5℃、風はなく気象条件は予想以上によい。木村は隊のスピード維持を考えて標高1,000mあたりで単独で戻ることにして、以後は大村をリーダーとすることを申し渡す。木村は単独で戻ろうとしたが、ガイドはそれを承知せず、ロッジまで1名が援護同行し、とって帰す。標高1,200mあたりで小口が不安を訴え、早川が同行して下る。標高1,600m付近まで進んだところで目標の山頂迄は時間切れと考えてケブネカイセの前山にあたるケブネチョッカ(Kebnetjakka)1,769mに11時15分に登頂し、ここから撤退。14時20分ロッジ帰着。B班は明日帰国の予定。
夕刻第2回アタック計画を行ない、方法はいくつかあるが、天気がよければスピードを生かせる早川隊員を単独行で頂上におくり、他はガイド共休みにして、B班を見送った後ロッジで待機するのが最善と考えた。
8日 晴後薄曇
早川隊員4時15分ロッジ出発。ケブネチョッカの西側の氷河を横ぎりルンゼを登って避難小屋付近に出てから尾根を登り、9時10分登頂という。頂上には何日か前のものと思われるアイゼンの跡があったが、登高した尾根には足跡やアイゼンの跡はまったく見当たらなかったという。ピッケルに登頂旗を結んで撮影。12時00分ロッジに帰着。
9日 曇 風やや強し
好天気は昨日まで、稜線には雪煙も見えていた。早川君は休みとし、木村、矢作、小口はガイドが探してくれた谷をスキーで登ってガイドとともに1日を過ごす。この谷はTarfalajakkaといい、シールをつけたスキーでガイドの先導で快適に登る。途中で昼食の後、沢頭の尾根筋を少し登ったところでシールを外し、帰途は滑降。山の歌なども歌いつつ休み。再びシールを貼って丈の低いブッシュの雪原を横断してロッジに戻る1日だった。
10日 曇
風は弱まったが、空はドンヨリとしている。スノーモービルの引く2台の台車に乗ってシンギチョッカ(Singitjakka)の南山麓をまき、西に拡がる、トナカイが放牧される数少ない大自然を探訪する。
11日
0時20分「オーロラだ」というガイドの声が外に出ると、巻雲のような数条の筋が薄く光っていた。色の無い白色のオーロラだった。午前2時半再び戸外に出ると、同様のオーロラは満天にかかり、かすかに脈動し少し渦巻いていた。
8時半頃、スノーモービルで出てワゴン車に乗り換え、往路をキルナに戻って泊る。
12日
近郊探訪
13日
キルナからストックホルム、コペンハーゲンを経て、
14日
成田空港に帰着。
蛇足
やっとオーロラは出たが白色で、予想していた幻想的な色彩とは程遠いものだった。「登頂したのはたった1人か」という外野の冷笑や雑音が聞こえても、この隊に参加して隊を成立させ、成功に導いたのがそれぞれの隊員であることに間違いはない。以上
厳冬の極北の地で、めいっぱいの力を注いだ者には、外野の雑音はむしろ美しいバックグラウンドミュージックとなって登高行のメモリーをひときわ輝かせ、ある日の山行として心に残ることであろう。
壮行会にて(2004年3月1日) 中島支部長から支部旗の授与
第1回アッタックの前日、全員でスノーシュー、アイゼン、雪崩ビーコン、ハーネスなど全装備で小手調べ