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第3章 “遥かなる山ペテガリ”への挑戦1936年 〜1945年
第4章 戦後再出発と山脈縦走登山1945年〜1957年
第5章 直登沢、集中登山、そして海外遠征 1957年〜1969年
第6章 厳冬期ヒマラヤ8000m峰登頂 1969年〜1982年
第7章 新しい山旅を求めて 1983年〜1995年
第8章 創立100周年へ向けて 1996年〜
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第4章 戦後再出発と山脈縦走登山
昭和20年〜昭和32年
解説
1944(昭和19)年夏日高以後、終戦まで登山は中断された。しかしながら早くも終戦の年(昭和20年)12月にはあらゆる物資が不足する中で、部員の非常な努力により先輩、部員14名が参加して例年どおり十勝岳で冬山合宿が行われた。
翌昭和21年からは山岳部の再出発が積極かつ意欲的に図られ、先輩達を講師に招いての講習会や山行準備会などを通じて懸命な努力がなされた。そして同年夏には早くも北日高へ5班12名、中央高地へ1班3名が入山し、12月の十勝合宿には先輩を含む26名が参加した。
1948(昭和23)年1月奥村敬次郎先生らによるイドンナップ岳初登、同年2月橋本誠二らによるナメワッカ岳初登、昭和24年1月山崎英雄らによる北トッタベツ岳初登など、戦前に匹敵する実力を持つまでになった。
中央高地、日高山脈に未踏峰が無くなった時、次に部員達が情熱を燃やしたのは縦走登山であった。この形式の登山は、1949(昭和24)年1月の橋本誠二らがピリカペタン沢に設営したBCから主稜線にキャンプを出して、札内岳からカムイエクウチカウシ山を往復したのを皮切りに毎年のように試みられた。
雪氷技術と幕営技術(雪洞、イグルー)が向上したことが、過酷な稜線上での行動を可能にした。この成果の延長として1951(昭和26)年冬に十勝岳大雪山縦走、1956(昭和31)年冬に日高山脈全山縦走が成功したのである。
1954(昭和29)年、新学制への切り替えが完了し、当然の結果として在部年数は旧制6年から新制の4年に短縮した。その為、12月の冬山合宿の他に5月の連休を利用した十勝春合宿、11月芦別合宿を行い、部員のスキーと雪氷技術の向上に努めた。
この年1月に行われたトッタベツ川から幌尻岳、カムイエクウチカウシ山への極地法による縦走の成功は、新制で育った部員に部の運営方法に自信を与えた。
この間、山崎英雄と橋本誠二OBの日本山岳会マナスル登山隊への参加、山岳部が主体となった北大極地研究グループの犬ぞり研究、中野征紀、菊池徹、佐伯富男、小林年の第1次南極観測隊への参加があり、部員にとって海外遠征が身近に感じられるようになった。
戦後初の冬山は、ポロシリ岳、余市岳、恵庭岳、旭岳に各1パーティが、羊蹄山に2パーティーが入山した。
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