13.山の人生 柳田國男/1925/郷土研究社/308頁
柳田國男(1875-1962)、民俗学者
兵庫県田原村(現福崎町)に生れる。1897(明治30)年、第一高等学校、1900(明治33)年東京帝大法科卒業。農商務省に勤めるなど官僚の職につく傍ら、「遠野物語」(1900年刊)などの民俗学への道となる書を著した。1913年、民俗学雑誌「郷土研究」を創刊、この頃、研究心のおもむくままに国内を旅行した。内閣書記官局記録課長、貴族院書記官長を歴任し、1919(大正8)年、官界を去る。翌年朝日新聞社客員となり、全国を調査旅行し、三部作「雪国の春」「秋風帖」「海南小記」を発表する。1921(大正10)年、新渡戸稲造の推挽によって国際連盟委任統治委員となり、1923(大正12)年までジュネーブに滞在、ヨーロッパ諸国を旅行した。1926(昭和元)年、財団法人日本エスペラント学会を設立し理事に就任。1949(昭和24)年、日本民族学会発足、初代会長。1962(昭和37)年に死去するまで民俗学に心血を注いだ。日本学士院会員、文化勲章受賞(昭和26年)
内容
「遠野物語」が発端となって、山人に対する柳田の関心が引き起こされ、「山人考」「山人外伝資料」「山の人生」を発表した。
冒頭の明治中頃に起こった二つの犯罪事件は、柳田が法制局参事官をしていた1902年〜1914年間に、調べた事実の中で衝撃を受けた事件を記した。一つは、飢餓の年に山に住む炭焼きが、働き口も売る物もなくなり、食べ物を探しに町へ出るが、得る物なく手ぶらで帰って来ると、悲惨な生活に耐えられなくなった二人の子供が、炭焼きに殺してくれとせがんだ。炭焼きも絶望から頭がくらくらして子供を殺してしまう。もう一つは九州山中に隠れ住む親子の無理心中事件である。
この家族のように、極度の貧しさから山で生涯を送る者、何らかの理由で村に居られなくなった者、フラフラと山へ入って行った者、世を捨てて山に隠れ住む者などが山人として登場する。「遠野物語」では、山人は村人にとって恐怖の対象であったが、「山の人生」に出てくる山人は、村人の仕事を進んで助け、その報酬に五平餅や握飯を与えられる。柳田が収集した山人の生活の実情を記録した本である。
山岳館所有の関連蔵書
Tweet| |
大雪山 登山法及び登山案内/小泉秀雄/1926 |