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12.スウィス日記 辻村伊助(つじむらいすけ)/1930/梓書房/408頁


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函と表紙
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グロース・シュレックホルン(4078m)
グロース・シュレックホルン(4078m)


辻村伊助(1887-1923) 植物学者、登山家、紀行作家
 神奈川県小田原に生れる。少年の頃から箱根の山々を歩き、19歳の時、日本山岳会会員となる。第1高校を経て、1912(明治45)年、東大農芸化学科卒業、在学中に北アルプスのめぼしい峰々のほとんどに足跡を印した。1910(明治43)年、大町から高瀬川を遡行、水俣から東鎌を越えて上高地へ出るなど、意欲的な登山を行い、1911(明治44)年4月には登山者としてはじめて積雪期の上高地へ入山した。1913(大正2)年秋から翌年10月まで、スイスを中心にヨーロッパを周遊する。旅行中の1914年8月、友人及びガイド2人と登ったスイス・アルプスのグロース・シュレックホルン(4078m)で雪崩に巻き込まれて遭難、全員が九死に一生を得る。治療のため1ヵ月半の病院生活の送り、その後スイス婦人と結婚し帰国する。1923(大正12)年、関東大震災の際、決壊した上流の貯水池の泥流に埋まり、夫人、子供3人共々一家全員が遭難死した。地理・地質学者で登山家の辻村太郎(1890-1983)は、伊助の従弟。

内容
 辻村が「山岳」誌上に発表し、それをまとめて1922(大正11)年に出版された「スウィス日記」は、アルプスの美が日本で始めて紹介されたもので登山界に大きな反響を呼んだ。
 本書は既刊の「スウィス日記」を辻村の遭難死後、友人らが再編成して刊行したもので、題名も同じ「スウィス日記」とした。遭難した邸跡から泥まみれになった原稿が発掘されたが、これは巻末に「続スウィス日記」として付されている。この原稿は「山岳」に寄稿する予定で書いたものであった。
 武田久吉の「追憶」、高野鷹蔵の「純情の人、伊助」を巻頭に、著者撮影の35葉の写真を挿入、巻末の小島烏水「スウィス日記の由来」を加えて408頁の大部である。
 1913(大正2)年秋、シベリア経由でヨーロッパへ渡った辻村は、翌年1月下旬、ガイドとユングフラウとメンヒに登る。日本人が始めて経験する冬のアルプス4000m峯であった。8月には友人近藤茂吉とグロース・シュレックホルン(4078m)を登攀、帰路クーロアール下降中に雪崩に巻き込まれる。遭難に至る経過とその後については「グロース・シュレックホルンの頂上」「クーロアール」「アバランシュ」「遭難の夜」に書かれている。いずれもソフトなタッチで描く自然が素晴らしい紀行文である。

山岳館所有の関連蔵書
ハイランド 辻村伊助/1930/梓書房
山 辻村太郎/1940/岩波書店
 
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