ログイン   :: お問い合せ :: サイトマップ :: 新着情報 :: おしらせ :: 
 
 
メニュー
前 次

31.北の山 伊藤秀五郎(いとうひでごろう)/1935/茗渓堂/211頁


Highslide JS
函と表紙
函と表紙
Highslide JS
1840米の朝焼(札内川八の澤合流より)坂本直行画
1840米の朝焼(札内川八の澤合流より)坂本直行画
Highslide JS
五月の十勝岳 坂本直行画
五月の十勝岳 坂本直行画


伊藤秀五郎(1905-1976) 詩人、生物学者、登山家
 横浜市に生れる。横浜一中卒業後、1922(大正11)年、北大予科入学、農学部動物学科に進み、1929(昭和4)年3月卒業。引き続き大学院に2年間学ぶ。この間、1926(昭和元)年に北大山岳部を主軸となって創立し、当時未開拓であった北海道山々に、夏冬にわたり歴史に残る多くの先駆的な登山をした。その主なものは、
1923年5月暑寒別山群縦走、1924年1月十勝岳、1925年5月旭岳スキー登山、同7月美生岳、ポロシリ岳、1926年1月暑寒別岳、同7月北千島アライト富士、1927年1月天塩岳、チトカニウシ、1928年2月石狩岳、1929年1月ポロシリ岳、トッタベツ岳、同8月チロロ川−北トッタベツ岳−トッタベツ岳−トッタベツ川の単独行
 この頃、大島亮吉、槙有恒、三田幸夫ら慶応の人々と親しく付き合うようになった。三田は横浜1中の先輩である。大学院終了後、東大解剖学教室副手、北大農学部講師を経て、1935(昭和10)年1月よりペンシルバニア大学大学院留学、2年半の米国滞在ののち、ヨーロッパ回りで帰国の途中、イタリア、スイスを巡遊、アルプスの空気にも接した。
 1940(昭和15)年、北大に戻り、北大予科教授となる、学生主事兼務。1940(昭和15)年〜1944(昭和19)年、山岳班班長。1944(昭和19)年、突然北大を辞し、名古屋の軍需工場へ赴く。戦後は、中日新聞論説委員、三重県人事委員を歴任。1948(昭和23)年より北海道学芸大学教授兼厚生指導部長、北海道教育長、北海道教育研究所長と戦後混乱期の北海道の教育事業に奉仕した。1960(昭和35)年より札幌医科大学教授兼進学部長、1972(昭和47)年より札幌静修短期大学学長。1960年〜62年山の会会長。日本山岳会名誉会員

内容
 先輩が残した北大山岳部関係者にはおなじみの名著である。著者30歳のときの出版である。冒頭に「この貧しき著書を私の最も敬愛する山の友 故大島亮吉君の霊に捧げる」とある。「序」は松方三郎が寄稿している。

 紀行編と感想小論随筆編に分かれる。紀行編の「日高の山旅」や「石狩岳とニペソツ」「トナシベツ川」「北千島の印象」などは、当時の雰囲気を分りやすい文体で伝えてくれる。感想小論随筆編は、著者の山に対する心境や対し方を著す。冒頭の「静観的とは」では、著者の持論である静観的登山について考えを明らかにし、それは山を遠くから静かに観照するという意味ではなく、困難な登山の中にあって、自己を大自然の中に投入し、渾然と融合することに喜びを見出すという態度であると説明する。「山と山登りとの関係について」では大島亮吉について、「あのようなタレントに恵まれた登山家は、今後と雖も極めて稀にしか現れないであろう」と評価している。

以下に山の会会報の追悼文から本書に関係のある部分を引用する。

「伊藤秀五郎岳兄の追憶」中野征紀(第44号)
 彼の「北の山」、この本は一個人伊藤秀五郎の代表作というよりも、我が国の代表的山の古典の一冊であり、伊藤の叙情文学は大島亮吉や尾崎喜八と並べて、バタくささもなく、ただの心象風景に終ることなく、日本的な雰囲気で気取りがなく、優しく、暖かく、ひたむきな素直さが満ちているように感じられるとも評価されている。
「伊藤秀五郎君の思い出」山口健児(第45号)
 秀の思い出はいろいろ尽きない。その昔、ひたむきに山を眺めていた頃が眼に浮かぶが、特に冬の石狩岳の登頂にかけた執念と、北千島のアライト富士への2ヶ月余に及ぶ遠征には頭の下がるものがあり、北海道における近代登山の黎明期における壮挙であった。‐‐‐‐その頃の北海道は、雪と氷に閉ざされた多くの未知の領域ばかりで、原始的な詩情溢れる自然の中へ飛び込んだ者は大勢いたけれども、秀のような感受性と、優れた文才を持ったものは1人もいなかった。雪の山や、藪だらけの深い渓を、登りまくり捏ね歩くだけの連中にとって、彼が薀蓄ある美文を持って書き留めてくれた記録は、真にありがたき極みであった。今でも北海道の山といえば、秀の名著「北の山」を思い起こす人が多い。この本を読んで津軽海峡をリュックサックに凭れ、船酔いに苦しみながら渡った人も多かっただろう。北海道の山の良さを、またその良さを堪能したわれわれの姿を、美しく日本中に広めてくれたのは、つくづく伊藤秀五郎の文才であったと、あらためて謝意を表する次第である。

山岳館所有の関連蔵書
詩集 風景を歩む/伊藤秀五郎/1928/厚生閣書店
草原随想/伊藤秀五郎/1971/新樹社
北の山続編/伊藤秀五郎/1976/茗渓堂
詩集 山の風物詩/伊藤秀五郎/1977/茗渓堂
北海道の山旅/伊藤秀五郎/1981/ぷやら新書34/沖積社
山 研究と随想/大島亮吉/1930/岩波書店
北大山岳部部報1−7号/1928-40/北大山岳部
山とスキー1−100号/1921-1930/山とスキーの会
北大山岳部五十周年記念誌/1979/北大山の会
北大山の会会報1−55号合本/1999/北大山の会
 
Tweet| |
前
わが山山/深田久弥/1934

次
先蹤者 アルプス登山者小伝/大島亮吉/1935
 
 
Copyright © 1996-2024 Academic Alpine Club of Hokkaido