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49 山旅の素描 茨木猪之吉(いばらぎいのきち)/1940/三省堂/164頁


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表紙
表紙
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白馬頂上
白馬頂上
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上条嘉門次翁
上条嘉門次翁


茨木猪之吉(1888-1944) 山岳画家、登山家
 静岡県富士郡岩松村(現富士市)影山家に生れる。1891(明治24)年、横浜の茨木家の養子となる。浅井忠(1856-1907、洋画家、日本近代洋画界の先駆者)の門に入るが、のち小山正太郎塾(不同社)、中村不折に師事する。近所に住む小島烏水と知り合い、1909(明治42)年8月、烏水に誘われて高頭式、中村清太郎、三枝威之助、高野鷹三と、南アルプス西山温泉から赤石岳まで南ア核心部の初縦走に参加する(茨木は体調を悪くして途中下山)。1910(明治43)年より3年間図画教師として信州小諸小学校に勤務。ここで歌人若山牧水と交わったり、木曾方面に遊んでいる。また浅間山や北アルプスにも登り、小諸小学校退職後は広く各地を放浪、漂白する。絵の対象は山だけではなく、常に山麓の風物、山人の暮らしにも向けられていた。1912(大正元)年、日本山岳会入会、1936(昭和11)年、足立源一郎、中村清太郎、石井鶴三らと日本山岳画協会を設立。1944(昭和19)年10月、穂高・涸沢小屋より穂高山荘を経て、白出澤へ向かったまま消息を絶つ。

内容
 軽装、薄手の茨木が生前に取りまとめた唯一の画文集である。茨木は生来、野人型で無邪気な性格であったが、田部重治は「序」でその茨木の絵について次のように述べている。
「氏は絵を描くために山に入り始めたのが十代であり、その後、それが嘗て中断されたことが無い。恐らく氏は登山家としても最も古い一人ではあるまいかと思われる。 −中略― 氏の真面目は山岳画家として最もよく発揮されていること言ふまでもない。しかし氏の絵には、何人にも真似ることの出来ない野趣があり、特に、山と人生との入り組んでいる方面の描写に於て優れているように思われる。山を背景とした山村や街道の風貌、山を背景とせる寂れた裾野の人家人間など氏に最もふさはしい題材ではなかろうかと思われる。」
 本書に収録されている素描は、高山峻岳よりも山村や山の湯風景であったり、山案内人や岳人仲間の風貌であったりするものが圧倒的に多い。気取りの無い、優れた素描と個性のにじみ出た随想が楽しい。
 
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