5.ウム・デン・カンチ バウアー 慶応山岳部部員有志訳 1936年 登高会
原題:Um den Kantsch/1933/Paul Bauer
パウル・バウアー(1896-1990) 公証人、登山家
ライン河畔クーゼルに生れる。若い頃からアルプスの山々に親しむが、第1次世界大戦に従軍し、イギリスで捕虜生活を送ったのち、応召から5年後の1919年帰国する。敗戦による精神的な痛手を癒す為、アルプスの高峰に仲間と共に積極的に立ち向かう。1928〜29年、ティルマンら友人3人とカフカズに遠征し、シハラ(5068m)、ディフタウ(5198m)に登頂、ゲストラ(4860m)〜リアルバー(4355m)の縦走を行う。カフカズでの経験に力を得て、翌1929年、ババリア出身の登山仲間8人を率いてカンチェンジュンガに北東稜から挑戦するが、悪天候に阻まれて7,200mで撤退。1931年、再度北東稜から挑戦し、隊員のハーマン・シャラーとポーターが墜落死するも果敢に登攀を継続、結局北東稜の急なリッジを越えられずに7,750mで撤退した。1932年、オリンピック・ロスアンゼルス大会芸術競技の文学部門で、1931年のカンチェンジュンガ遠征の記録“Um den Kangtsch”により金メダルを獲得する。1936年、ナンガ・パルバット遠征の訓練を目的の1つに、カルロ・ヴィーンらを率いてシッキムへ入り、シニオルチュー(6,887m)に初登攀、ネパール・ピーク(7,168m)にも登頂した。1937年、ドイツのナンガ・パルバート第3次遠征隊カルロ・ヴィーン隊長以下隊員7名、シェルパ9名の遭難の救援に飛行機で赴く。1938年、ナンガ・パルバット第4次隊を編成して遠征、C4(6,180m)に飛行機で物資を投下するという新作戦を展開するが、悪天候に阻まれて7,300mで撤退した。
第2次大戦中、バウアーはアルプス山岳部隊の将校、そして1943年からは山岳部隊2,000名の先頭に立って戦った。
内容
パウル・バウアー率いる2回目のカンチェンジュンガ遠征(1931年)の記録である。第1回目(1929年)のバウアーの遠征記録(4.「ヒマラヤに挑戦して」参照)が、京大学生の翻訳で、書店発行の堂々たる装丁であるが、本書は46版、ホチキス止め簡易製本の私家本である。「序」によれば、慶應山岳部部員有志が夏休みを利用して、それぞれ分担して翻訳、部の研究会で詳細を話し合った。そして部内誌「登高会会報」に載せる予定であったがその機を得ず、翻訳から3年後の1936年、単行本としての体裁を整えて部内誌として出版したとある。
文章が直訳に近く、決して読みやすいとは言えないが、学生達がヒマラヤ研究の為に一生懸命翻訳した書であることを考えると、止むを得ないと納得できる。原著は素晴らしい写真が多く挿入されているが、本書には図面2葉のみが掲載されている。
前回の切り詰めた隊と比べて今回は、ドイツ山岳会、ロンドンタイムス他多数の団体や個人からの寄附を受け、装備も食料も潤沢であった。隊員は前回の隊員のうち5名が参加、これに何れも実力のある新人4名を加えた強力な隊であった。前回同様、ゼム氷河から北東稜に次々とキャンプを進めたが、C7(5,660m)の通称「鷲ノ巣」の上部で、登攀中のヘルマン・シャラーとシェルパがゼム氷河へ墜落して死亡した。隊は登攀を一時中止して遺体を収容、ゼム氷河のほとりにその墓を作った。
埋葬が終ると再び登攀を開始した。暖気の為前回よりも状態が悪い北東稜を懸命に登った。8月24日、C8を建設、BC設営以来2ヶ月近くが経っていた。9月17日、C11(7,360m)の雪洞から出発した隊員2名が7,750mの北東稜最高点に到達した。北東稜はここから70m切れ落ち、さらに150m登って北稜へと続いていた。ここからはもはや技術的に困難な部分はなかった。翌日、隊員3名が鞍部まで下ってC12の雪洞を掘るべく出発した。しかし、北稜への雪の斜面は雪崩の危険が極めて大きく、バウアー隊長は前回に引き続き、またもや勇気ある撤退を決断せざるを得なかった。撤退は19日に始まり、27日には全員がゼム氷河に降りた。
ドイツはこの後、国家的威信をかけるかのように、ひたすらナンガ・パルバットに力を向け(6.「ヒマラヤに挑戦して」、9.「ヒマラヤ探査行」参照)、シニオルチュー(6,887m)登頂の為の小パーティーを送った以外、カンチェンジュンガには2度と姿を見せることはなかった。初登頂は、1955年、ヤルン氷河からチャールス・エヴァンス隊長率いるイギリス隊によって成された。
山岳館所有の関連蔵書
バウアーの著作その他関連図書
- Im Kamph um den Himalaja/1929/ドイツ
- Um den Kantsch! /1933/スイス
- ヒマラヤに挑戦して パウル・バウアー/伊藤愿訳/1931年/黒百合社
- ヒマラヤ探査行 ナンガ・パルバット攻略/小池新二訳/1938/河出書房
- ウム・デン・カンチ/慶応山岳部有志訳/登高会/1936
- カンチェンジュンガ登攀記/長井一男訳/1943/博文堂
- カンチェンジュンガをめざして/田中主計・望月達夫訳/1957/実業之日本社
- ナンガ・パルバット登攀史(ヒマラヤ名著全集)/横川文雄訳/1969/あかね書房
- Kangchenjunga The Untrodden Peak/C.Evans/1956/イギリス
- The Kangchenjunga Adventure/F.S.Smythe/1930/イギリス
- Kanchenjunga/John Tucker/1955/ロンドン
- Round Kantschenjunga/D.W.Freshfield/1979/ネパール
- カンチェンジュンガ登頂/G.O.ディーレンフルト/横川文雄訳/1956/朋文堂
- カンチェンジュンガ その成功の記録/C.エヴァンス/島田巽訳/1957/朝日新聞社
- カンチェンジュンガ縦走/日本山岳会カンチェンジュンガ縦走隊/茗渓堂/1986
- カンチェンジュンガ西・東/山森欣一編/日本ヒマラヤ協会/1993
- カンチェンジュンガ北壁・無酸素登頂の記録/山学同士会/1980
- カンチェンジュンガ一周(ヒマラヤ名著全集)/フレッシュフィールド/薬師義美訳/1969/あかね書房
- ヤルンカン/京都大学学士山岳会/1975/朝日新聞社
- ヤルンカン遠征隊報告書/京都大学学士山岳会/1973/朝日新聞社
- 残照のヤルンカン/上田豊/1979/中公新書
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4. ヒマラヤに挑戦して/バウアー/1931 |
6. ヒマラヤに挑戦して-ナンガ・パルバット1934年登攀/ベヒトールト/1937年 |