デナリの思い出
石川 仁
「アラスカのデナリ峰に行こうと思うんだけど、隊員募集中です。」
そんな計画が、尚樹さんと馬詰さんから例会で発表されたのがすごく最近のような気がする。roomから海外遠征隊を出すことがここ数年途絶えていたのでとても新鮮だった。その計画を聞いた瞬間、自分の中でまず最初に感じたことは「俺も行ってみたいな。」というもの。それから次に、「まだ一年も山をやっていないのに何を考えているんだろう。まだまだ自分には早すぎる。」という当然とも言える想い。この時点で自分はまだ一年目。装備に関しても、ろくに自分の物は持っていなかった。しばらく考えた。が、決断を下すのにはそう時間はかからなかった。結局自分の本能のままに、ダメもとで隊に加わることになった。それから出発までの間、本当に色々な経験を積ませてもらった。
そして出発。何しろ日本を出るのもこれが初めてだったので、現地の町の中にいるだけでも精神的に消耗していった。早く山に入ってしまいたいと思うのだが、セスナが飛ばない。いざ入山という頃には、もう精神が病んでいた。でもいざ氷河に入ってしまうと、そんなものは吹っ飛んでしまった。周りの山々は全てでかく、雪崩は頻繁に起こり、景色を眺めていると自分の距離感覚がおかしくなってくる。全てが日常とはかけ離れ、また日本の山とも違っていた。ただただ毎日が感動の連続。
ふと、入部して間もなくの春合宿のことを思い出した。山になんてそれまで行ったことの無かった自分にとって、その時のことは全てが新鮮で感動を覚えたものだった。特に、日常から離れた独特の感覚を味わえるのがすごく良かった。(そのうち、日常から逃れるために山に行くのではないかと、今はとても不安なのだが・・・)それから一年、色々山に行き、自然の恐ろしさや素晴らしさ、自分の小ささなどいろいろ感じることができた。今では、山に行き自分を見つめ直すことが病みつきになっている。
そんな感動を思い出しながら、毎日毎日上へ上へと進んでいく。クレバスや雪崩には何度恐怖を覚えたものか。でもそれ以上に怖い(?)というより嫌だったのは、人間関係の悪化のように感じた。長い間共に山に入っていると、相手のいいところが分かる反面嫌なところも否応なしに分かってきてしまう。普段の週末山行に行っているだけではわからないものが見えてきてしまう。本当に気心の知れた仲間同士ならそんな心配は要らないのかもしれないが、今回のパーティーは全くの縦割りパーティー。途中でパーティー崩壊なんてことも可能性としては0%ではないと思っていた。
そんなときに、尚樹さんが高山病にかかった。一時はどうなる事かと思ったが、逆にこれで士気が高まったように思う。「絶対にピークに行ってやるぞ」と。
そうしてアタック当日。自分はもう何かに引き寄せられるかのように、歩いていた。空気の薄さで苦しいのだけれど、興奮して足が自然と前に出る。不思議な感覚だった。頂上に立ったとき、その興奮は最大となりぼろぼろ泣いてしまった。フォーレイカもハンターも自分から見下ろせる位置にある。ここまでに至った過程とこの眼下に広がる風景とを思うと、涙が止まらなかった。 帰り、氷河の中で虫を見つけた。ハエのような小さな虫だ。こんな雪と岩だらけのところでどうやって生きているのだろうと不思議に感じた。
ランディングポイントで余計な3停滞を費やした後、セスナで帰途に着いた。白と黒の世界から、徐々に青や緑が加わったとき何故だかほっとしている自分がいた。
今振り返ってみると、今回自分は『生きている』ということを誠に感じていた。日々の形式化した生活から脱して、「明日何が待ち受けているのだろう」といった一種の期待を込めて毎日を送っていた。ただ流れていく時間に身を任せているのではなく、自らがその時間の中で、もがき苦しみそして積極的に働きかけていく。そうしてひたむきに過ごした時間にこそ、『生きている』という実感が湧くのだろうとつくづく感じた。
エッセイ(馬詰) |
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