ログイン   :: お問い合せ :: サイトマップ :: 新着情報 :: おしらせ :: 
 
 
メニュー
 

切り抜き詳細

発行日時
2022-2-23 21:48
見出し
日本で初めてのイグルー1940年・宮沢弘幸氏の命日は2/22
リンクURL
https://igloosky.com/2022/02/23/the-first-igloo-in-japan/ 日本で初めてのイグルー1940年・宮沢弘幸氏の命日は2/22への外部リンク
記事詳細

こんにちは、イグルスキー米山です。

2月22日はネコの日だそうですが、イグルー愛好家として書いておきたい話があります。日本で初めてイグルーを山で実践した宮沢弘幸さんの命日でもあります。1947年でした。

北大のペテガリ遭難とマライーニ氏

1940年1月5日、北大山岳部は日高山脈のペテガリ岳冬季初登を目指した山行で雪崩事故に会い、8人が遭難死しました。このとき山岳部と交流していたイタリア人で北大医学部研修生フォスコ・マライーニ氏は遅れて入山して難を逃れ、その惨状を下界に伝え、大きく報道されました。マライーニ氏はアイヌの民俗学研究で留学していました。戦後は著名な登山家、写真家になります。イタリア隊の1958ガッシャブルムIV遠征にも参加しています。

マライーニ氏はイタリアの山岳雑誌で、モンブラン山頂のイグルーで一週間過ごしたフランス人登山家の記事を読んでいて、自宅の庭でイグルーを練習し、その年1月27日、札幌近郊の手稲山山頂で泊まった記録を北海タイムス朝刊に連載しました。その時一緒に登ったのが北大生の宮沢弘幸氏でした。宮沢氏は山岳部員ではなかったけれど、英語が堪能、旅行が好きで山も好きでした。マライーニ氏は、イグルーを使えば機動的な動きができ、たくさんの物資を運ぶ極地法的な山登りが持つリスクを減らせる、と考えたのだと思います。2月に芦別岳。3月には十勝岳からイグルーによる大雪山縦走を計画しましたが悪天で引き返しています。その快適なイグルー体験記を宮沢氏は3月に北海タイムスに寄稿しています。(参照・北海道の登山史研究・高澤光雄2011)

北海道の登山史探究
永年にわたり、北海道の山岳記録を探究し、執筆を重ねてきた著者の思い入れの深い16編を選んで収録。江戸期から昭和まで、北海

北大の冬季ペテガリ初登は、イグルーあっての成功だった

事実、1943年1月に、再度のペテガリ岳初登山行はイグルーを使って成功しました。このときコイカクシュサツナイ岳のイグルーから往復15時間で山頂を往復した今村昌耕氏によれば、マライーニ・宮沢のイグルーに大きく影響を受けたといいます。この時期には戦争が楽観視できなくなり、ペテガリ山行は物資不足や戦時社会的緊張感など多くの困難の中、ようやくささやかに実行できたのです。機動性あるイグルーでこそ成功したと言えます。戦時下のこの大成功に北大山岳部は、8人の岳友の弔いが叶い、静かに喜びを分かちました。

宮沢氏とマライーニ氏の戦時下の境遇

しかしその時、宮沢氏とマライーニ氏はどうしていたか。宮沢氏は、外国人教師や留学生との親交、旅行活動などを特高警察に目をつけられ、1941年12月8日真珠湾開戦の朝、スパイ容疑の冤罪で捕まり退学、戦後釈放されるまで獄中で虐待されました。

マライーニ氏は1943年9月イタリアの単独講和で内戦になり、日本当局からファシスト支持か民主政府支持かを問われ、家族もろとも名古屋郊外にあった外国人捕虜強制収容所で戦後釈放されるまで虐待されました。このとき幼女だった娘のダーチャは、現代イタリアを代表する作家の一人で、ノーベル文学賞候補とされています。宮沢氏は敗戦後釈放されましたが、獄中での病気がもとで1947年2月22日になくなりました。

宮沢氏の名誉回復は2015年になり妹と支援者の尽力によりようやく進みました。その活動については登山家山野井泰史氏との偶然の縁もあり。詳しくは関連書をご覧ください。

引き裂かれた青春 戦争と国家秘密
健朗快活な北大生・宮澤弘幸は、ある日突然スパイ容疑を着せられ、重罪を背負わされて、その将来と命を奪われた−。宮澤・レーン
ダーチャと日本の強制収容所 - 望月紀子 著|未來社
ダーチャと日本の強制収容所 ノーベル文学賞候補としてこれまで何度も名前があがっているイタリアの作家、詩人、劇作家であるダーチャ・マライーニ。

(関連書は、北大HPに私が過去に書評を書いてあるのですが、いまなぜか繋がりません。復旧次第リンクを張ります)

イグルーを日本で初めて実践した時代は、意見の違う人を閉じ込めて虐めるような時代でした。イグルーで雪山を自由に渡り歩きたいと願う、私と同じく北海道の山が好きな若者だった宮沢弘幸さんのことを忘れません。

今回の記事は、宮沢氏の名誉回復活動にずっと関わってきた登山家の寺沢玲子氏から、多くの資料を頂きました。

きょうはここまで。またね。

2013年3月号岳人のコラム(寺沢玲子氏より)

長年、北大に宮沢氏の名誉回復をもとめてきた活動。(寺沢玲子氏提供)

 
 
 
Copyright © 1996-2024 Academic Alpine Club of Hokkaido