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2025-4-7 1:18
ヤマレコAACH
ホロホロ〜徳舜瞥山
ホロホロ〜徳舜瞥山(積雪期ピークハント/縦走/支笏・洞爺)日程:2025-01-25~2025-01-26メンバー: onodera22 misa2021 kaneko23 Tsurudomeコースタイム:感想:ホロホロ北尾根はぎりぎりスキーで行ける細さで楽しかった
2025-4-7 1:18
ヤマレコAACH
ニセイカウシュッペ
ニセイカウシュッペ(積雪期ピークハント/縦走/大雪山)日程:2025-03-01~2025-03-02メンバー: onodera22 misa2021 kaneko23 Tsurudomeコースタイム:コース状況/その他周辺情報:渡渉多数だが、スノーブリッジは発達していた写真:雪庇も判断は容易かっこいい石狩が見えるテンバ着感想:天気図通り2日目は悪天。ニセカウのピークに立ちたかったな。
2025-4-7 1:17
ヤマレコAACH
武華山
武華山(積雪期ピークハント/縦走/大雪山)日程:2025-02-24~2025-02-26メンバー: onodera22 misa2021 kaneko23 Tsurudomeコースタイム:写真:入山からテンション上がる滑り落ちても登るのみ感想:スキーで行くのならこのルートは最高だと思います!
2025-4-7 1:15
ヤマレコAACH
増毛縦走
増毛縦走(積雪期ピークハント/縦走/増毛・樺戸)日程:2025-03-12~2025-03-18メンバー: onodera22 misa2021 kaneko23 Tsurudomeコースタイム:写真:群別へは手前のコルからEPで奥徳富ピーク浜益御殿までは身軽♪雄冬に向かう途中で朝焼けを見れたこのメイン唯一の看板のあるピークでした凍ったイグルーを起き出でて…群別への朝浜益まで天気良いので、適当にトラバースゴールの橋奥徳富への稜線へ上がった。急な斜面で皆んな汗びっしょり。歩いてきた山々周りを一望できる察来ピーク。これから向かう知来岳は…霧の中明日は停滞なので、しっかりとテンバの準備20歳おめでとう知来岳の下り途中からスキー履ける北東コルへ降りる丸山のなんでもないピーク早めに硬くなり、EPで雄冬まで天狗にて知来岳への登り。雪庇あり。元気な人はスキー練習良い斜面そろそろお目覚め?ラストピークへ向けて…知来岳ピーク
2025-4-6 22:16
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2025.3.12-18(5-2) 春メイン1年班増毛メイン
~海への長い長い寄り道~ L小野寺(3 AL齋藤(4M金子(2竹下鶴留(1 <時間とルート> Day1(3/12):丸山登山道入り口(6:30)丸山(7:40)夏道分岐(9:40)?察来山(11:00)・581の台地辺 […]
2025-4-1 10:17
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二年班(プチ)メイン ピリカAt~トヨニ~野塚~オムシャ~十勝
二年班(プチ)メイン ピリカAt~トヨニ~野塚~オムシャ~十勝(積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2025-02-27~2025-03-04メンバー: shibabemaru Sugiyama_2022 watanabeka ichikawata00コースタイム:写真:
2025-4-1 10:15
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富良野北尾根~D尾根
富良野北尾根~D尾根(積雪期ピークハント/縦走/十勝連峰)日程:2025-01-25~2025-01-26メンバー: shibabemaru Sugiyama_2022 watanabeka ichikawata00コースタイム:写真:
2025-4-1 9:48
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三国峠~石狩岳 序盤で引き返し
三国峠~石狩岳 序盤で引き返し(積雪期ピークハント/縦走/大雪山)日程:2025-02-08~2025-02-09メンバー: shibabemaru Sugiyama_2022 watanabeka ichikawata00コースタイム:感想:石狩に行くとメインに行けないというジンクスがある気がする
2025-4-1 9:39
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群別南西尾根引き返し
群別南西尾根引き返し(雪山ハイキング/増毛・樺戸)日程:2025-02-01~2025-02-02メンバー: shibabemaru Sugiyama_2022 watanabeka ichikawata00コースタイム:コース状況/その他周辺情報:ワッフ音?たくさん感想:就活って大変なんだなと思いました。
2025-3-29 12:08
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芦別/野花南山群スキー縦走(近藤山~野花南岳~夕暎山)
芦別/野花南山群スキー縦走(近藤山~野花南岳~夕暎山)(山滑走/芦別・夕張)日程:2025-03-29(日帰り)メンバー: saito1987 Yanke1987 toda1977コースタイム:写真:近藤山への登り富芦トンネル坑口から稜線を忠実に辿ると細くて急な箇所も出てくるシーアイゼン有効次のターゲット次のターゲット近藤山近づく夕暎山から班渓幌内山地を望む夕暎山近づく野花南岳へ稜線北上野花南岳頂上布部岳や中天狗を望むついこないだまで通い慣れた山々夕暎山頂上で憩う夕暎山からの滑降西尾根を下る野花南岳北尾根の滑降夕暎山へ谷越えショートカット次のターゲット野花南岳から夕暎山近藤山から野花南岳近藤山頂上直下のトラバース富良野西岳と布部岳作業道(右岸)から林道(左岸)へ徒渉あり感想:以前から気になっていたマイナー山群のスキー踏破。斜面を繋いで谷越えショートカットなど、この時期ならではのルート取り。季節外れの低温で、粉雪滑走も楽しめた。
2025-3-27 5:55
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2年班冬メイン 神威岳~トヨニ岳
2年班冬メイン 神威岳~トヨニ岳 (積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2024-12-27~2025-01-02メンバー: onodera22 Sugiyama_2022 kaneko23 tamaki_2023コース状況/その他周辺情報:Day1:林道ゲート(8:00)神威山荘(15:00)=C1晴れ。暖かい。今までよりも大分手前で通行止めになっていた。(地図上でまだ黄色の道路のところ)ひたすら歩く。途中クマの足跡が続いており、スノーシューとサイズがちょうど合うため、くまさんよりラッセルごっつあん。この時期でも冬眠していないとはおそろしい。神威山荘まで。へばったLから小出しにするつもりだった鶏肉1kgが出てきて入山祝い。調理している途中で水野さんが来た。まさかのトヨニまでいっしょ。Day2:C1(6:30)Co1130(13:30)晴れ。風もなく-7℃くらい。暑い!渡渉は転石渡渉、問題ない。藪漕ぎ3.5hくらい。Co550くらいから獣道か踏み跡かがあった。そのあとのラッセルもしんどい。Co1130、急登直前でC2。明日のために主稜線までラッセルしてトレースつけてきた。登り1h強。尾根頭手前、急登終わりは整地すれば4人用でもテント張れそうだった。1,2人なら余裕。(カンバ帯)Day3:C2(5:30)中間尾根頭(6:30)神威岳(11:30~11:45) 1400ポコ(14:15)晴れ。風は並(風速5~10m程度か)。長時間行動なので、昨日つけたトレース使ってラテルネ出発。・1244付近は痩せている。スノーシューのままでは厳しそうな一箇所は日高側巻いた。神威手前で一瞬EPにしたがすぐズボズボになったので、またスノーシューに替えた。西尾根を登ってくる水野さんが見え必死にラッセルするも、残念ながら先を越されてしまった。神威岳で水野さんと合流したあと、ソエマツまでは現役に前行かせてくれた。感謝。神威からΩ3までは結構細い。ラッセルすね。Ω3は雪たくさん。Day4:Ω3(6:30)靴幅山(8:00)ソエマツ岳(13:45-14:00)ソエマツ東尾根Co1600(14:05)=Ω4晴れ。今日もラッセルがしんどい。靴幅リッジはじゃん勝ちALがトップ。状態よくあまり難しくなかった。OPのほうが細かった。ザイル出さなかったが、ブッシュも出ていて両端に太い木あったのでザイル出せる感じだった。ソエマツ西峰肩までの登りは岩でてて、EP。急で、凍った草付きやハイマツに刃を刺しながら登る感じだったが、ブッシュつかめるので難しくはない。ソエマツ西峰~東峰間は緊張。EP。細い岩稜。過去の記録でなんにも書いていなかったがちゃんと報告に残すべき難しさではあったので、雪が少ないとこうなるのかも。準山OPで十分対処できるレベルだが。ソエマツピークから少し下ろしたところで全イグルーよりのΩ4。カンバもちょこちょこ生えてて稜線上ではなく風下側ゆるい斜面途中に作ったので風もあまりなく穏やか。水野さんとはここで一旦さよなら。さらに進めていかれた。Day5:Ω4=Ω5低気圧通過のため停滞。トランプしたりしりとりしたり、最強のスパを作ったり充実した2024年最後の日。イグルー内常に5℃くらいありどんどん溶けていくし天井も下がっていく。高くつくっておいてよかった。6日の朝、寝る前においておいたコッヘルいっぱいに水がたまり溢れていた。冬山でここまで濡れたのははじめて。Day6:Ω5(6:30)ピリカ(12:00)・1512北2つ目のコル(14:30)=Ω6晴れ。風も穏やか。初日の出を眺めながらソエマツを下る。ピリカまでは問題ない。・1529はねぐった。途中で水野さんのトレース出てきて利用する。ピリカからの下りがズボるのでスノーシューで降りていると一箇所急なところで、小野寺が足を滑らす。手を雪に突っ込んで制動かけて止まる。固い斜面に昨日の新雪が乗っかっている悪い状態だった。これを踏まえEPに切り替えてしばらく歩くが、そのような場所はその後出てこなかったので、アイゼンでラッセルをするしんどい時間となった。そしてスノーシューピッケルに切り替えて予定テンバまで。雪が全然なくほぼ全イグルー。Day7:Ω6(6:30)トヨニ岳(9:00)野塚トンネル十勝側(11:00)晴れ。これまでと比べ雪がしまっているところ多く歩きやすい。風は並→トヨニ手前で気にならない風。これまでと比較すると細いと感じるところはなかった。下る尾根は思ったより急。ところどころシリセードで降りていく。尾根末端で水野さんと合流。野塚トンネル十勝側でゴール。車移動をしてくださった中札内村の方々に大変感謝。水野さんといっしょに、定番の中札内村の温泉に行き、帯広の魚べいで腹いっぱいお寿司を食べたのち札幌まで。<パーティ>貫徹!3年ぶりの2年班冬メイン。LsもMも頑張りました。写真:魚べいにて。恒例の藪こぎ。稜線に出る。ワクワク!岩がところどころ。笹とハイマツでなんちゃって正月飾り。思ったより手前でゲート出現。コンディションよく準山OP尾根よりはもっと幅あった。元旦朝はスパでなくおしるこに。ピリカピーク。巨大なイグルーコッヘルからあふれるほど雪解け水が滴る。初日の出とピリカヌプリ。靴幅リッジ。じゃん勝ちALがトップ。やっと小屋着。1日目は小屋まで少し歩くだけだからとパー食背負いすぎたLがやられる。大先輩水野さんとピー写。ソエマツピーク。感想:初めてのL。はじめての冬の2年班。無事に終わって本当によかった。いいパーティでした。天気が良く毎日楽しかった。※投稿遅くなってしまいすみません。
2025-3-25 10:35
ヤマレコAACH
狩勝峠から日勝峠まで
狩勝峠から日勝峠まで(積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2025-03-23~2025-03-24メンバー: zeniya1990 Yanke1987コースタイム:写真:・905左のポコから行く方向をみる最初の滑降オダッシュ山ピーク・1022からのシール外して、十勝連峰遠望オダッシュ山登り遠くに下ホロ、あそこから繋いできた十勝平野は天気よさげ・1022からの下り1憩い・1177からは山の様相が変わる国道が見えた、向こうにはペケレベツ豊富な枯れ木、適度な風辿る稜線日勝峠着、ビリビリオダッシュ山と道東道トンネル上のコル、風の通り道狩振山右の狩勝山と左の無名峰労山熊見山からの滑降翌日は快晴
2025-3-25 7:37
ヤマレコAACH
コチャモ
コチャモ(キャンプ等、その他/南アメリカ)日程:2025-01-21~2025-03-14メンバー: Nakagawa2019コース状況/その他周辺情報:渓谷の入り口に門番がいて渓谷内のキャンプ場の予約が1泊以上ないと入れない。我々のような長期滞在のクライマーは最初の数日だけキャンプ場に居てその後は渓谷をさらに詰めた岩小屋で生活している人が多い。写真:感想:南米のヨセミテことチリのコチャモ渓谷に遠征。一番遠くて一番デカい壁El Monstruo に「物怪(MONONOKE) 5.11b/C3/1300m」を開拓。強烈な歩荷、垂直の森の藪漕ぎ、沢登り、焚き火、爽やかな岩登り、ピークは雪。フリー?アルパイン?これってもしや極地法⁈よくわからないけど、ルームセンスを応用すれば地球上どこに行ってもいろいろ面白いことができそうなたしかな手応えを感じた。コチャモはこれから流行ってくるかも。気候的にもわりと日本人が適応しやすいと思う。欧米人はここでパイネやフィッツロイの好天周期を待ったりしているようだ。なお、下山後5日間ほどサンティアゴ在住のルームOB堤さん邸でお世話になった。大変良くしてくれるので南米遠征の際は連絡してみるとよいだろう。
2025-3-23 20:03
ヤマレコAACH
史上最悪イグルー@乗鞍岳
乗鞍岳・標高2640m、暴風域でのイグルー泊
春の気圧配置で、すごい風の日に乗鞍岳を独自ルートで山越えしました。相棒の長年の設計ラインで鋭鋒・烏帽子岳に直登する尾根です。美しい針葉樹林を10時間近くラッセルして山頂から火山台地に出たところで暴風域に入りました。テント(もっていないけど)ではぶっ飛ばされる事必定。
風で屋根が落とされてできない→スキーで屋根掛け
翌朝撮影。この暴風では隙間は塞げず吹き込んだ雪はツエルトとの間を流れ落ち、側面から溜まった。屋根にスキーの先端が見える。
スキーを引っこ抜いてもブロックはくっついていて屋根は落ちなかった
乗鞍スカイラインはアイススクリューが要るほどの青氷。吹き溜まりにノコギリの入る積雪を見つけ、そこにイグルー作製開始。ブロックは下一段は切り出せるがその下は青氷。広くブロック供給場を設けて運んで組んでいく。三段目くらいで長いブロックを屋根かけすると、眼を離した隙に風で落とされる。落ちて皆半分に折れてしまう。3回くらい繰り返し落とされて、スキーとストックを梁にする方法に切り替える。あっという間に屋根完成。
風上側に二重にブロックを積んで隙間ふさぎ
いつもみたいに悠長に隙間ふさぎをできないので、風上側にはもう一重外側に壁を載せて二重の厚さにする。それでもこの地吹雪の粉雪は、隙間から吹き込むやつだ。前に富士山でやられた感じだ。相棒は始めブロック取りに勤しんでいたが、そのうち顔面にシュカブラができてメガネがアウト。目潰しの雪つぶてで、風上を見られない。ツエルト被って待っていてもらう。そのツエルトもぶっ飛ばされないようにかぶるのがまたタイヘン。
内張りのツエルトはベルヌーイの定理でピシッと張り付く
中はやっぱり隙間から吹き込みまくりだ。でも中でツエルトを被ったら不思議なことが起こった。ツエルトが、固定もしないのに壁に張り付いて落ちて来ない。風で流速の早い外部はイグルー内よりも気圧が下がるせいだろう。飛行機の翼が上面の流速に吸われて浮き上がる「ベルヌーイの定理」である。中学生の頃から航空工学好きで知ってるんだ。ベルヌーイは翌朝まで続いた。でも風、弱まってほしかった・・。
イグルーの中は結局雪まみれ。でも風は音だけだ。
壁とツエルトの間に入り込んだ吹込み雪が、外側からずんずん攻めてきた。両側は雪がつもり、吹き込んだ雪が寝袋の上に積もり、やがて体の下にも落ちて体温で溶けて冷たい水たまりになり、一晩中ブルブルだ。でも死ぬほどじゃない。風は時折ドカンドカンとパンチのように壁を叩く。壊れたらどうするかシミュレーションはしてある。でも壊れなかった。
膝の上でストーブを焚き、ミルクティーを何杯も飲んで晩飯も朝飯も終わり。明るくなっても風は止まず。ドボドボに濡れた寝袋をザックに突っ込んで、樹林限界まで鼻をつまんで脱出した。視界があるってありがたい。強風晴天のなか、安全圏へ下る。計画は半分だったけどあの風では仕方ない。なんとかやり通せてきた満足が大きい。
風が強く積雪が少ない場所のイグルー
同じような状況は以前富士山で体験した。積雪が少ないので貧相なブロックの上、隙間から転がりまくったザラザラの雪粒が絶え間なく吹き込む。その時のメンツは「イグルー懲り懲り」に。今回は内側にツエルトで快適とまでは言えないがなんとか凌いだ。もっと大きいタープならば外側に被せて張る手もある。でも、固定する雪面が青氷なので、スクリューが要るしあの風ではちぎれて飛ばされそう。こういうところに泊まらないのがベストだけど、注文通りに行かないのが山だ。そうなったら手持ちでやりくりするしか無い。
山行記録: ほおのき平~烏帽子岳北西尾根~乗鞍岳スキー場
2025年03月20日(3日間) 槍・穂高・乗鞍, 積雪期ピークハント/縦走 / yoneyamaの山行記録
Igloo Night in the Storm Zone at Norikura-dake (Elevation 2,640m)
Crossing Norikura-dake on a Unique Route in Fierce Winds
During a spring weather pattern with intense winds, I traversed Norikura-dake via a unique route. My partner’s long-established route design follows a ridge leading directly up to the sharp peak of Eboshi-dake. We spent nearly ten hours breaking trail through beautiful coniferous forests before reaching the volcanic plateau at the summit, where we entered the storm zone. A tent (not that we had one) would have been blown away for sure.
Roof Collapsing in the Wind → Ski Roof Construction
The Norikura Skyline road was covered in blue ice, requiring ice screws for traction. We found a snowdrift with packable snow deep enough for a saw to cut through, and we began constructing our igloo there. The first row of blocks was easy to carve, but beneath that was solid blue ice. We widened the block supply area, transported them, and stacked them.
Around the third row, we attempted to place long blocks as a roof, but the wind knocked them down the moment we looked away. Every time they fell, they snapped in half. After this happened three times, we switched to using skis and poles as beams. That worked like a charm, and the roof was up in no time.
Double Layering the Windward Side to Seal Gaps
Unlike usual, I couldn’t afford to leisurely fill in the gaps. On the windward side, I added an extra exterior wall for a double-thickness defense. Even so, the powder snow carried by the ground blizzard kept infiltrating through the cracks?just like what happened to me on Mt. Fuji before.
My partner was busy collecting blocks at first, but soon, his face was covered in frost formations (sastrugi), and his glasses became useless. The wind-driven snow kept striking his eyes, blinding him from looking upwind. I had him wait under a bivy sack, though even that was a struggle to keep from being blown away.
Bivy sack Sticking to the Wall Thanks to Bernoulli’s Principle
Inside the igloo, snow was still blowing in from the gaps. But when we wrapped ourselves in a bivy sack, something curious happened?it clung to the walls without any support. The fast-moving wind outside created lower pressure compared to the inside, making the tarp stick to the surface. It was a real-life demonstration of Bernoulli’s principle?the same aerodynamic effect that makes an airplane wing generate lift. I’ve been interested in aeronautical engineering since middle school, so I recognized it immediately.
Bernoulli’s effect lasted until morning. But I sure wished the wind would die down sooner…
The Igloo Filled with Snow, but at Least the Wind Was Just Noise
The snow that blew in between the walls and the bivy sack kept creeping inside. Snow piled up on both sides, covered my sleeping bag, and eventually fell underneath me, melted from my body heat, and turned into a freezing puddle. I shivered all night, but it wasn’t life-threatening.
The wind occasionally slammed against the igloo like a powerful punch. I had simulated an emergency plan in case the walls collapsed, but fortunately, they held.
I lit my stove on my lap, drank multiple cups of milk tea, and finished both dinner and breakfast. By morning, the wind was still howling. I stuffed my soaking wet sleeping bag into my backpack, pinched my nose, and made a break for the treeline. The visibility was a blessing. Under clear but violently windy skies, we descended to safety. The trip was only half of what we planned, but given the conditions, that was inevitable. More than anything, I felt deeply satisfied that we managed to push through.
Building an Igloo in Strong Winds with Minimal Snow
I had encountered similar conditions before on Mt. Fuji. There, with little snow, we had to stack flimsy blocks while an endless stream of granular snow particles tumbled through the gaps. That time, my companions swore they were done with igloos for good.
This time, the bivy sack inside made it somewhat bearable, though certainly not comfortable. A larger tarp might have helped if we had stretched it over the exterior, but anchoring it on blue ice would have required screws, and the wind would likely have shredded it anyway.
Of course, the best option would be to avoid camping in such places. But mountains don’t always follow orders. When faced with the unexpected, you just have to make do with what you have.
https://www.youtube.com/watch?v=s3MojBBEFHg
2025-3-23 1:23
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ほおのき平~烏帽子岳北西尾根~乗鞍岳スキー場
ほおのき平~烏帽子岳北西尾根~乗鞍岳スキー場(積雪期ピークハント/縦走/槍・穂高・乗鞍)日程:2025-03-20~2025-03-22メンバー: yoneyama macchan90コースタイム:写真:イグルー内より外の支度ミルクティーが朝飯。背景は緑色ブロックに見えるが、外の強風に吸われて、ツエルトが張り付いて落ちて来ないのである相変わらずツエルトは張り付いたまま針葉樹林の上り信州側スカイラインもしばらく辿る。ここは完全埋没沢夕景の牛首松、シール落として拾ってきた。牛首コルまで往復朝になっても強風。膝の上でストーブ炊いてお茶を沸かす温まる上部は登りづらくなる鍋を忘れたので、トランギアに三度スパを作って食べ回す。右は絶壁。まだスキーの方が行けるほおの木スキー場、今年はまだやっている。県境広場の少し前。右奥は摩利支天不鮮明ながら乗鞍スカイライン地吹雪で雪粒が高速移動し、霧のような映像。屋根にスキーを挟んでかろうじて作ることができた長いものを梁にすると、簡単に屋根を塞げる巨木の森きょうは二人広めの、猫イグルー。めしを作るより水分取って脱出だスキー場のひなたでザックの上に横になり手足を伸ばすガスに巻かれ、強風がやってきた。このあとシビアで写真なし。赤スパ牛首から滑降して池之俣川三股にかかる神輿滝の下の段大黒岳の麓から左・烏帽子岳、右・大丹生岳。烏帽子のあの急斜面をホワイトアウトで下った1610mの尾根のテラスで泊まる特に張り綱も張らないのに、イグルー内部のツエルトは壁に張り付いている。外の強風が低圧になって吸い取るせいだ。ものすごい風が止まない飲水を作る入口を開けるイグルーと焚き火離れがたい暖かさ不鮮明ながら穂高連峰ベルトシールの団子をとる出発の朝イグルーと焚き火準備ベンチからはブンブン吹き込む。火を焚くので空けざるを得ない池之俣神輿滝右岸尾根を対岸に見る。牛首のコル。あそこまでシール探して登り返してご苦労さん池之俣神輿滝の左岸尾根末端は急。ゆるいところを探してゆるいラインを探ってトラバース網を置くと鍋が安定するイグルー内。こうして横長ブロックを量産する温かいラーメンを食べるこんな感じの三股感想:《サマリー》乗鞍岳は、巨大火山乘っこしが楽しかった以前の御嶽山に続いてぜひ乘っこしたい山。今回のラインは松が練り上げた「その尾根行くかヨ」尾根を登って鋭鋒・烏帽子岳に直撃し、最高点・剣ヶ峰を越えて気持ちの良さそうだけど「誰もこねえズラ」という国境ラインを信飛交流の歴史に埋もれた野麦峠から下山するという美しいもの。南岸高気圧と樺太低気圧に挟まれて、晴天ではあるが猛烈な風にイグルーで辛うじて耐え、3000m乘っこしを諦め緊急下山はしたが、もう腹いっぱいの充実山行になった。後半はまたいずれ。《1日目》晴れ&高曇り5年前に登ったほおの木スキー場から根子岳への尾根の一本南隣りの尾根から烏帽子岳へ。牛の背から一回谷に降りて、尾根下部の急傾斜帯に挑んでまでラインにこだわる。尾根下部は岩もあるがそこを避けて同コンタトラバースで比較的行けそうな沢型から尾根に上がる。多分これがベスト。谷底で松がシールを落としてきたのに気が付き捜索に。牛首のコルまで登り返して来た。傾斜が緩い1610で泊まる。イグルーは広々。枯れ枝があり火を熾す。https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2268543.html(5年前の記録↑)《2日目》ガス、最後はホワイトアウト強風標高差1100mを9時間かかった。重さ20kg越えのザックに足首〜膝の深雪ラッセル。入山日前日に積もったぶんが重い。喘ぎ喘ぎ、休み休み、かりんとうと柿の種とグラノラとヤマザキ食パンにマヨネーズつけて、水飲みながらがんばる。栂やシラビソの太い針葉樹林の景観は、誰にも見られない素晴らしいもの。こんな尾根、誰も来ないだろう?巨大な山のマイナールートには宝石のような森がある。2500mでタンネが消え、視界500mほどのガスになる。右手の絶壁が怖い急斜面だが潜るのでスキー。2600mで更に傾斜が増し、固く凍り始めてシートラ。視界5mほどに。風も猛烈に強く増してきた。ホワイトアウトの右絶壁歩きで最高点に着いた。下りも真っ白だが下降方向を丹念に確認して下る。急斜面で先が見えないからバックステップにもなる。スカイラインに載って先を目指すが猛烈な強風で台風だみだ。どこかではやくイグルーを作らなければ。もう午後4時になる。大丹生岳の北面なら風が避けられるかとそこの吹き溜まりにイグルーを作る。《嵐の夜》下一段掘ったらノコの入らない氷の層。イグルー周りにブロック取り場を広げ、広くから集める。時々吹き寄せる衝撃波のような強風で、せっかく屋根に載せた長いブロックが何度も落ちて折れてしまう。始めはブロック取りをしていた松はメガネと眉に巨大な氷のシュカブラが付いて朦朧としているのでツエルト被ってもらうが、そのツエルトもかぶるのに苦労するほどの強風だ。ブロックだけでは屋根ができないのですきーとストックを梁にして折れた山程のブロックを無造作に乗せて完成。風上側には二重のブロック補強をして、隙間ふさぎもかなりやって中へ。それでも隙間から粉雪がバンバン入る。イグルー内部でツエルトをかぶると外の流速が高いため圧力が減り、ツエルトが壁に吸われてピタリとくっつき、不思議なことに落ちてこない。飛行機の翼が浮く原理・ベルヌーイの定理だ。一晩中風が止まず、落ちてこなかった。急ごしらえなので中は狭かった。ツエルトの端を荷物で押さえ、荷物の上に寝る感じ。晩飯作る余裕はなく、温かいミルクティーを何杯も飲んで、疲れたので眠る。ツエルトと壁の間に吹き込んだ粉雪が両サイドからどんどん流れてきて、寝袋の上に拭きつもり、体の下にも周り、ずぶ濡れのヒエヒエだ。いつか風が止むだろうと期待してウトウトするが、明るくなっても風は止まなかった。ドカンドカンとイグルーをぶつ音が時折響く、壊れたらどうするかな!と考える。先日ボブ・ディランの伝記映画を見たのもありシェルター・フロム・ザ・ストームが脳内でくるくるする。《3日目》視界は無限、強風イグルーは壊れなかった。苦笑して起き、雪まみれの中また甘い甘いミルクティーで生き返る。脱出を試みる。強風は続いている。支度して、屋根からスキーを引っこ抜いて出発。氷点下7度くらい。指先が冷たく手袋から指を抜いてストックを脇に挟んで進む。爆風のためラッセルは無し。穂高連峰が地吹雪に霞んで見える。きょうは視界があるので助かる。気分が全然違う。強い風に時々ぶっ飛ばされそう。信州側に超えて風下のせいか、スカイラインが完全に埋没したあたりは急傾斜でアイゼンシートラに変える。強風に、アイゼンケースを持っていかれてた、痛恨。トラバースを終えて尾根に乗ると、位ヶ原を歩く登山者の群れが見えた。と同時に風が消え、嘘のように現世に戻った。嵐の山行が、夢のように終わった。予定変更でかみさんに乗鞍岳スキー場にお迎えを頼んで来てもらった。ありがとう!入山地点の松の車へも届けた。 今回登った乗鞍岳の「烏帽子尾根」は、私にとり積雪期にトレースしたい最後の一本だった。 我々が隣の御越尾根を2020年に登ると後追い記録が出て、その派生ルートとして御越尾根からの踏み換えで烏帽子尾根の上部を登る記録も出た。けれど、烏帽子尾根は登り返して最下部から辿らなければ私には意味のないラインとして残った。こういう拘りがなければ私は山になんか登っていない。地球沸騰化で寡雪の年が続き、機会を逃し続けたが沸騰化の揺り戻しか積雪に恵まれた本年、4年振りの雪山登山で遂にその機会を得て今回完登することができた。計画後半を放棄してしまったが、また別の機会にトレースしたい。パートナーは前回同様、積雪期登山で日本一頼りになる先輩、イグルスキー鍋忘ゥ~レ米山氏。入山前日の強風を経て天気周期は最高かと思いきや、、、、、。day?リフト終点から御越尾根を脛ラッセルして牛首まで。標高差170mを下降し御輿滝を観て尾根末端をトラバースして、いよいよ烏帽子尾根に取り付いた。沢型の弱点を上手く突いて標高1620mの地図でも顕著な平尾根にて宿る。風がそよとも吹かぬ中で、イグルー焚き火を楽しんだ。days?急傾斜の尾根を、時にスキーを脱いでシャクシャクと登高してゆく。尾根上や周囲を見渡すと、今我々は雪を纏った深い森に居ることが実感される。深い山登りを経てこんな巨木の森に身を置く幸福を、私は上手く表現することができない。ラッセルが続いて捗らないながらも、樹林限界が見えてきた。折しも視界不良の風雪が始まって、北杜夫の「白きたおやかな峰」のラストシーンが思い出された。右手の崖と雪庇を気に掛けつつ、雪稜を辿る。風雪強まる視界のない山頂で握手、感慨もそこそこに大丹生岳には向かわずスカイラインに下降した。イグルーを建造する頃には雪はまだしも風は益々強まって、雪つぶてを食らった私は初めて能面状態に陥った。こんな劣悪な環境でも一丁拵えてしまうのが日本一のイグルー男の面目躍如たる所以で、米山さんには借りを作ってしまった。風雪の収まらない中、内張りとして使ったツエルトが意外な効果を生み、最悪の事態は免れた。窮屈な体勢で、茶をシバいて寝る他無し。days?吹き込んだ雪の朝、風は止まない。雪塗れの装備をザックに押し込んで下山を開始する。野麦峠までの計画を放棄し、ドライブウェイ経由で東面へ予定外の下山をした。穂高連峰に巨大なレンズ雲を観た。ここでも身体ごと持って行かれそうなgewaltigな風に遭遇し、低温も相俟って手指が危なかった。我々二人だけだった西面に引き替え、こちら側は軽装の登山者がゾロリ繋がるように登っている。スキー場を下降して鈴蘭橋の駐車場で私の探検部時代の先輩である米山さんの奥様に迎えてもらって本山行も終了した。帰途の車中、思わず「やった!」の声が出た。
2025-3-15 12:23
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【北安曇・水内山地】南小谷 東山西尾根往復
【北安曇・水内山地】南小谷 東山西尾根往復(積雪期ピークハント/縦走/妙高・戸隠・雨飾)日程:2025-03-14~2025-03-15メンバー: yoneyama写真:正面玄関は小さい最終集落南岸低気圧迫る高曇りの白馬連峰天井餓鬼岳蓮華岳鍬の峰表面はスキー滑落しそうな硬さ、ツボ足だと胸まで潜る急斜面白馬村と小谷村大糸線 鹿島槍ようやく東山見えた。山頂はさらに奥。尾根が急すぎて、なかなか山頂が見えない大糸線車窓より最終人家 除雪終点姫川右岸山脈の南の連なりと、常念からこっち安曇山脈山仕事の祠切場の廊下から切場を広げて、屋根材をたくさん供給姫川右岸山脈稜線が見えた大糸線 常念と有明山きょうから特急あずさが南小谷まで来なくなるイグルーの外にブロック切場を求めて廊下を掘る主稜線を振り返る大渚山 雨飾山 頸城の山初めて見えた中西山への主稜線 細く段差連発で時間かかりそうだ。下りの尾根。急過ぎて尾根末端が見えない松美食堂看板山頂の私憩いのラーメン天井明星山と日本海 大渚山本体の脇に切場の廊下姫川を左岸に林道カーブミラーイグルーの中大糸線車窓より松美食堂外観 1964年から営業建設中急傾斜で段差連発の細い尾根妙高 高妻 戸隠 真ん中遥か遠くに見える鋭鋒が気になる山頂より行くて稜線。やっと堂津岳見えた。 後ろは雨飾 天狗原 頸城三山できました林道、上り区間はシールを貼るのもめんどくさいから。こうしてシーズリ怖気付いているところ白馬から小谷村へ 姫川右岸山脈朝、白馬連峰林道から姫川右岸山脈白馬連峰の残照塩久保への道林道の鏡林道の雪崩戸隠塩久保への道カモシカがこっちを見ている落差3mえぐる土石雪崩感想:白馬連峰の姫川向かい、右岸山脈のスキー縦走を思いついたのは、いつからだったか。戸隠と白馬連山に挟まれた地味だが断層地形の屏風のような山脈。信州百名山2つを含む。積雪期記録無く、あるかもしれないがあまり深く調べなかった。地形図から計画を作った。始めは信濃森上から取り付く全山計画だったが東山の南に悪そうな地形があったので東山の西尾根に変更。4日の飯・燃料で松本から鈍行で南小谷駅からシートラ入山。国鉄ダイヤ改正で南小谷特急あずさ最終日らしい。最終集落の塩ノ窪まで携帯ゴム長でシートラ、そこからシールスキーで尾根を上がって林道を進み、尾根末端から西尾根に取り付く。山頂まで一貫して急傾斜。加えて雪面が凍って硬く、スキーでは滑落の恐れあり、脱げば首までのラッセルという最悪雪質に当たってしまった。先々週の三峰山のパターンだ。せっかく雪に恵まれた年なのにな!細く急な尾根に緩急の段差が多く、その段差の通過にいちいち時間がかかる。20kgザックを置いてツボでラッセルして戻って登るという区間もあり。二度登る→wieder kommen→ビーコン。へとへとになって1440m付近の緩傾斜でイグルー。雪は豊富だが、下に二段掘ったあとは隣に雪取り場を作って長いやつで作った。対岸の八方、栂池、コルチナの盛況が夕暮れ時に煌々としている。三日間天気持つだろうか。静寂の寝ぐらで至福の豆板醤ラーメン。イグルーが崩壊して持ち物が全部100mくらい下に流される夢を見た。2日目PTボトル湯たんぽで足が快適だった。昨日の感じで、朝イチは雪が硬くてシートラアイゼンで行けると踏んだが、その通り。重いけど喘ぎに喘いで高度を上げる。山頂下数十mで初めて主稜線が見えてその難易度がわかり、びびる。ザイルこそ要らなそうだが地形図のみから想像していたよりはるかに悪い。断崖に挟まれた細い尾根に雪庇、その逆側はブッシュと絶壁。段差幾多あり。昨日今日の雪質ではスキーは全行程担ぐしか無く、苦戦は目に見えている。明日明後日は南岸低気圧で雨雪予報。堂津岳までには捕まりそうだ。それに未知の下降尾根も、この雪質ではスキーで楽勝とは期待薄だ。東山以北の稜線は高低差があまりないから、ここまで来ればもしかして飛ばせるか、と思っていたのでギャップが大きい。山頂までには怖気付いてしまった。山頂は雪庇の可能性が怖くて近づけず、南側を回ってようやく確認して登頂する。西の白馬連峰、北の頸城、それに濃い日本海。浅間山、南アルプスまで、見慣れない位置からの眺めを満喫する。せっかく山頂まで全装備背負い上げたけど、引き返す。雪の状態が違えば行けるかもしれない。昔だったら行ったかもしれない。でもわからない。かなり急で硬いので、ずっとシートラアイゼンで慎重に。スキーに替えたのは、登りで苦戦したザラメビーコンラッセルより下に降りてから。それでもカリカリで、横滑り主体だ。林道からはやはり硬いので、下りは特急、多少の登りはシーズリでひっぱる。塩の久保では無く、林道を滑り下る。圧雪スキー場みたいでプルークボーゲンだ。最終人家の除雪終点で携帯ゴム長に履き替えて徒歩一時間で南小谷駅まで。山麓集落では人に会えず。南小谷駅前のもつ焼き定食屋、松美食堂で1時間あまり、ご飯を食べる。8歳上のご主人と、山の話、地域の話、バイパス道路工事がなかなか終わらない話、キノコやタケノコの話、この地域に住む話、昔「イケノタ」スキー場があった時の話、村民8000人が今2000人になった話。アネキが東京に出て、ウドを山程送ったらもう要らんと言われた話、さまざま話した。ビールを2本もごっつあんになった。山麓の人の話をたっぷり聞けて、挫折感から立ち直った。南小谷から載った乗客は二人。徐々に増えて、松本駅まで。松本駅から家まではバスで帰った。高曇りの下、安曇山脈沿いにずっと車窓を見ていた。一本北の尾根から取り付いて北上するなら、可能性はある。
2025-3-10 4:56
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シール尻尾の剥がれ防止細工
低温時のシールトラブル
テーピングテープでシール剥がれを処置。数時間は持つ。赤いシリコンベルトは厚い手袋でも操作できてとても重宝。針金で固定する仕掛けを作ったけど、金属疲労で折れた。横ずれもして外れる。In cold temperatures, ski skins can cause issues. I use taping tape to secure peeling skins?it lasts for a few hours. The red silicone belt is extremely useful as it can be operated even with thick gloves. I once made a mechanism to secure the skins with wire, but the metal fatigued and broke. It also shifted sideways and detached.
糊式のシールは、氷点下15℃以下くらいの低温になると粉雪が糊面に張り付いて、板とくっつかなくなります。特に滑ったり登り返したりを繰り返すような山行では、その着脱スピードも問われますが、このくっつかなるシールが、パーティーの足並みを乱します。シールが効かないと少しの上りでも登れなくなります。テーピングテープやシリコンベルトを巻いたりして対処します。これを知らずに絶望して、救助要請電話を掛けた人がいたニュースを数年内に聞きました。
北大の学生時代(40年前)のシールは糊式ではなくベルト締め式だったので、この心配はなかったのですが、最近は糊式が主流でベルト締め式はほぼ手に入らないです。
止め金具が横ずれしないようにグラインダーで溝を切ったTo prevent the metal clip from shifting sideways, I used a grinder to carve a groove into the tail end of the ski.
糊式でもベルトが付いていればよいのですが、尻尾の部分は剥がれたら固定もできない詰めが甘い仕掛けのものが多いです。みんなどうしているのだろう。BCの人たちは一度シールを剥がして滑ったらもう貼って登ったりしないのか?あるいは厳冬期を想定していないのか?温暖化で低温日が減ったので知らないのか?
板の後ろを切って、シールの尻尾にゴムバンドつける
針金は耐久性が無いので丸ゴムにしてみた。Since wire lacks durability, I replaced it with an elastic cord.
昔、ベルト式シールのときやったようにスキーのテールに切込みを入れ、引掛け金具が横ずれしないようにして、マルゴムで引っ張ってシールが剥がれないように細工をしました。今は電動グラインダーがあるので板に切れ込み入れるのも楽なものです。マルゴムくらいでは駄目だったら自転車のチューブにでもします。前回は針金だったが、何度も着脱していたら金属疲労で折れました。それに切り込みがなかったので、横ずれしてすぐ取れました。
道具を改良し、なおすのは楽しいです。
Troubles with Ski Skins in Low Temperatures
When temperatures drop below around -15°C, adhesive skins stop sticking because fine powder snow adheres to the glue surface, preventing them from attaching to the skis. This is especially problematic during ski tours that involve repeated ascents and descents, as the ability to quickly attach and remove skins is crucial. If skins fail to stick, even a small uphill section becomes impassable. I wrap taping tape or a silicone belt around the skins to deal with this issue. A few years ago, I heard a news story about someone who panicked upon facing this problem and called for rescue, unaware of these countermeasures.
Back when I was a student at Hokkaido University (40 years ago), skins were belt-fastened rather than adhesive, so this issue didn’t exist. However, adhesive skins have become the mainstream, and belt-fastened skins are now almost impossible to find.
Even with adhesive skins, it would be ideal if they came with a belt. However, many skins have a poorly designed tail section that lacks a way to secure it once it starts peeling. I wonder how others handle this. Do backcountry skiers remove their skins after one descent and never reattach them? Or do they simply not expect to ski in extreme winter conditions? Maybe they’re unaware of the issue due to fewer extremely cold days caused by global warming.
I modified my skis by cutting the tail and attaching a rubber band to the skin’s tail.
I used to make similar modifications back when belt-fastened skins were common. I cut a notch into the ski tail to prevent the metal hook from shifting sideways, then secured the skins with round rubber to prevent peeling. Nowadays, electric grinders make cutting notches in skis much easier. If elastic cord isn’t strong enough, I’ll try using a bicycle inner tube. Last time, I used wire, but repeated use caused metal fatigue, leading it to snap. Additionally, without a notch, the clip shifted sideways and detached easily.
Modifying and improving gear is enjoyable.
2025-3-9 10:35
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極南日高/十勝岳・オムシャヌプリ
極南日高/十勝岳・オムシャヌプリ(積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2025-03-08(日帰り)メンバー: Yanke1987コースタイム:写真:稜線のラッセル十勝岳ピークオムシャヌプリ、正面に張り出す尾根を降りる予定十勝岳(右)と楽古岳東峰と十勝平野野塚岳への稜線、すぐ手前の岩までは数年前にツボ足で来た。南日高の山々彼方にアポイとピンネシリピークがどんどん近ずくオムシャヌプリを見下ろすオムシャのピークCo1100位から傾斜緩くなる十勝平野国道がすぐ近くに見える戻るひと登りすると十勝岳が顔を出す十勝ーオムシャ間の稜線左に野塚岳最後、渡渉する感想:・数年前に野塚からオムシャ手前で引き返した。今回これを片付ける。翠明橋から十勝岳を回って東峰も西峰も狙う。・登りはじめ昨晩はなかったトレースがあった。Co1000位で先行者に追いつく。トレースのお礼、ここから先行・アイゼンはいたのは十勝岳最後の登りとそこからの下り、あとはスノーシュー。終始ラッセル。時々雪が切れる、少々気持ち悪い、なるべく尖がったところをいく。・地吹雪気味、こういうのを’気になる風’というのか?・スノーシューに不慣れもあり急な下りに手こずる。スキーだったら一気の快調なのに・久々にヒラヒラになった。
2025-3-7 8:01
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少雪・寒冷地でのイグルーは外取り式で
今回は積雪60cm
先週はイグルー山行ニ連発。うちひとつは松本市の東山で標高2000m弱の山です。この山域は、積雪が多くはない上に寒冷地なので、新雪が溶ける機会が無く、上から重さで押される機会もないまま時間が経った感じです。積雪は多いところで60cmほどです。でも十分作れます。
いつも講習会では1.5m×1.5mの湯船の足元だけからブロックを切り出して積んでいきますが、これは積雪が十分あって使える層の厚さが30cm×2~3段の場所です。今回は積雪60cmでしたが、表面10cmはサラサラ層、下部10cmは地面の熱でザラメ化して笹や小枝が入っていてブロックにはならない層でしたから中間部の厚さ40cmがブロックに使えました。
ノコギリは刃が40cmです。ちょうど刃の後ろ部分の層が「かるかた雪」です。ここだけを使います。The saw blade is 40 cm long. The layer just behind the blade is the ideal “karukata snow.” We only use this part.
少雪地・寒冷地でのイグルーは外取り式で
一人用1.5×1.5だと、下の積雪が十分でない場合下一段で取り終わるので、上一段積んだらもう中からはブロックを取れません。イグルーの湯船の外に出入自由な廊下を伸ばして、ブロック供給場所を近接させて作ります。廊下を伸ばしながらブロックを取ります。そこが斜面ならば傾斜の上の方に供給地を作るほうが、切ったブロックを持ち運ぶのに楽です。たいてい入口は斜面下側に作るので、入口とは別に裏口を作るのが良いです。
また下が浅いということは、雪面下で拡げる余裕があまり無いので、あらかじめ1.5m×1.7~1.8mくらいに作っておかないと足が伸ばせなくなります。
良い層さえあれば、壁や天井に囲まれていないぶん、外の作業は非常にやりやすく、長くて丈夫なブロックがばんばん切り出せます。まとめて切って、運び込んで置いて、最後にまとめて屋根を組み立てるのもおすすめです。裏の「勝手口」は、大きいブロックさえあればあっという間に塞げます。
湯船から下一段切り出して、もう笹が出てきた。上一段目しかできていないので、切り出し場を求めて「廊下」を作り始めます。After cutting the first layer of blocks from the “bathtub” area, bamboo grass started appearing. With only the first layer completed, I needed another source for blocks, so I began extending a “hallway” to create a new cutting area.
イグルー側から見た廊下の先の「ブロック切り出し場」これまではサイコロ状を切り出し続け、最初の長細いブロックを切って転がしたところ。View from the igloo: The end of the hallway where blocks are cut. So far, I’ve been cutting cube-shaped blocks. Here, the first long block has been cut and rolled.
「切り出し場」からイグルーを「廊下」越しに見たところ。廊下を通って長いブロックを屋根として積む。View from the cutting area: Looking back at the igloo across the hallway. Long blocks are transported through the hallway and stacked as the roof.
手を使ってやさしく手前に転がした。スコップでやってはいけない。両脇がハの字に切れている。これを優しく立てて、ノコで縦切りRolling the block: Using hands to gently roll it forward. Never use a shovel for this step. The sides of the block are cut in a V-shape. Carefully stand it upright and cut it vertically with the saw.
おさらいです。大きな長いブロックの切り方
1 確実にノコで切れ目を合わせ、切り離したうえで
2 脇をハの字に切って、手前側に転がすように倒す。ショベルは指をいれる隙間に拡げるために使う。ショベルで力を使うとブロックが壊れる。必ず手で転がす。
3 慎重に立てる。重いので腰を落として体を寄せて慎重に
4 ノコで縦割りにする。切った時に倒れないように左手で両ブロックを抑える。
イグルー作りは12月~5月の時期に応じて、積雪状況に応じて、工夫がいろいろ変わります。奥が深いですね。
窓はもちろん富士山側にして、最後まで夕景を楽しむ。日が暮れたらサムいから、この隙間を埋めておしまい。Of course, the window faces Mount Fuji, so I can enjoy the sunset until the very end. Once the sun sets, it gets cold, so I’ll fill in this gap and call it a day.
This Time, the Snow Depth Was 60cm
Last week, I had two consecutive igloo expeditions. One of them was in the Higashiyama area of Matsumoto City, on a mountain with an altitude of just under 2000 meters. This region does not have heavy snowfall, and since it is a cold area, the fresh snow never gets a chance to melt. Over time, it also doesn’t get compacted by the weight of more snow from above. The deepest snow I found was about 60 cm. However, that was still enough to build an igloo.
In our usual training sessions, we cut blocks only from the foot area of a 1.5m × 1.5m “bathtub” space and stack them. This method works when there is sufficient snow depth, with a usable snow layer of 30 cm stacked in two or three layers.
This time, the snow depth was 60 cm, but the top 10 cm was a loose powder layer, and the bottom 10 cm had become granular due to ground heat, mixed with bamboo grass and small twigs, making it unsuitable for blocks. That left a 40 cm thick middle layer that was usable for cutting blocks.
External Block-Cutting Method for Igloos in Low-Snow and Cold-Snow Areas
For a one-person 1.5m × 1.5m igloo, if the snow depth is insufficient, the first layer of blocks will be exhausted quickly, and after stacking the second layer, there will be no way to cut more blocks from inside.
To solve this, we extend a hallway outside the “bathtub” area of the igloo, allowing free movement in and out and placing the block supply point nearby. The blocks are cut as we extend the hallway. If the location is on a slope, it’s easier to transport the cut blocks if the supply area is placed uphill. Since the entrance is usually made on the lower slope side, it’s a good idea to create a separate back entrance.
Additionally, when the snow depth is shallow, there isn’t much room to expand below the snow surface. To ensure enough legroom, the igloo should be built slightly larger in advance, around 1.5m × 1.7?1.8m.
As long as the snow layer is good, working outside is much easier since there are no walls or ceilings to restrict movement. Long and sturdy blocks can be cut one after another. A recommended approach is to cut and transport multiple blocks in one go, place them in position, and then assemble the roof all at once at the end. The back “service entrance” can be quickly sealed with just a few large blocks.
Review: How to Cut Large, Long Blocks
Ensure the saw cuts align properly and fully separate the block.
Cut the sides in a V-shape, then tilt the block forward to roll it out.
A shovel is only used to create space for inserting fingers.
Using force with a shovel can break the block. Always roll it by hand.
Stand it up carefully.
Since it is heavy, lower your stance and bring your body close for control.
Cut it vertically with the saw.
Hold both sides with your left hand to prevent it from falling after the cut.
Building igloos requires different techniques depending on the season (December to May) and the snow conditions. There’s always something new to learn?it’s a deep and fascinating process.
2025-3-2 3:43
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オロフレ山
オロフレ山(山滑走/支笏・洞爺)日程:2025-03-01(日帰り)メンバー: saito1987コースタイム:写真:登りの牧場から蟠渓山と下りの尾根オロフレ山頂上直下徳舜瞥のトンガリ蒼空にお化け雪庇蟠渓山頂上直下オロフレ山への稜線徳舜瞥とホロホロ山感想:久々のオロフレ参り。今回は唯一行ったことのない北の稜線から。晴れた頂上からコマツの尾根が見えた。カメラ―デンリードを捧げる。オロフレ北面から西面の緩やかな斜面は密な灌木とシュカブラの起伏から成り、スキーが快調とは言い難い。下りの尾根のポコ(1049m)が蟠渓山と呼ばれていることを知り、捲かないでピークとして踏んでおく。蟠渓山から先は東側が広くオープン斜面となっていて、スキーが快調そう。尾根上は午後の日差しで表面がクラストとした悪雪。北東側に捩れた700mの突起から樹林帯へ滑り込む。
2025-3-1 8:14
ヤマレコAACH
《筑摩山地》奈川【鎌ヶ峰】開田
《筑摩山地》奈川【鎌ヶ峰】開田(積雪期ピークハント/縦走/槍・穂高・乗鞍)日程:2025-02-28~2025-03-01メンバー: yoneyama ontakezassouコース状況/その他周辺情報:積雪充分。この季節が一番トレース無し下りの尾根もスキー快調写真:積雪充分ここから古道シートラしたりスキー履いたりの機転が問われる鎌ヶ岳見えた暗闇の峠越え。さすがにくたびれたねラーメン鎌ヶ岳山頂より木曽御嶽一本南の尾根は岩だらけ 白く見えるのは開田の西野急傾斜区間のラッセル尾根末端、傾斜が急になり針葉樹が密になるところで、右サイドのカラマツ林へ滑降峠で乗鞍岳送電線ピークから行手の国境稜線。一番奥が鎌ヶ峰。いくつも上り下りあるゲゲゲのコースだ乗鞍岳が時折見える名取さんは登山靴スキーでがんばる今日の窓もいい景色側壁に炊事スペース天井スキー手持ちで段差登りも幾多西野峠への脇道カラマツ植林名取さん到着出発またシートラをセット県境だズボズボ登りも幾多乗鞍岳がこんにちは奈川村野麦峠除雪終点に、かめさんに送ってもらった旧家ありニセピークから鎌ヶ岳スキー支度奥に鎌ヶ岳スキードバドバイグルー作る。地蔵群旧家あり御嶽山と夕暮れ黄昏最終人家 西野高坪でゴム長に履き替え波打ち急傾斜ラッセル降りの尾根。急傾斜だがスキー快調鎌ヶ岳山頂より木曽御嶽感想:久恋のマイナーピーク未踏峰、鎌ヶ峰へ。藪の埋まる季節は今だ。開田在住の旧友名取さんに声を掛けて、かめさんに車送りを頼んで段取る。どうしても山越え計画で行きたい。前日まで鉢伏山~三峰の十時間行動に続けて3日目。家でメシ食って完全に治った。野麦峠までは女工さんの哀史に浸ってラッセル登高。きっと当時はこんなにカラマツ植林ではなくて芝刈場だったか。国境稜線はひたすらスキーラッセル。シールに団子雪。叩き落としながら登る。昨日の山行で濡れたシールのせいかな。もういいやってあたりで二人用イグルー作る。50分。名取さんも隣に作る。しかしなかなか屋根はできない。粒状の雪が降ってきたので風上側の小穴を塞ぐ。朝まで暖かく過ごす。2日目快晴だ。槍も穂高も白山もなんでも見える。階段状に緩急を繰り返し、時にツボシートラ。アイゼンも一回つける。薮はそれほど濃すぎない。ニセピークを越えて到達。笊ヶ岳みたいだ。貴重な尖った2121m。水を飲み干したので、山頂で水作る。大きいPETボトル持ってくればよかった。下降尾根は記録無し地形図判断なので、少し緊張していたが、悪場もなく、急傾斜だがぶら下がるほどでもなくて、スキーで快適に下れた。名取さんは登山靴+ジルブレッタで、奮戦。ゆっくり着実に降る。私は2年前から足首固定の出来る兼用靴。靴に滑らせてもらっているのだと実感する。最大限後ろに荷重してテール制動しても転ばないのが凄い。林道はトレース等は無いがノルディック歩き出来る傾斜と雪質でやや助かる。最終人家からは携帯ゴム長に替えて、舗装路をシートラ。日暮れ前に峠下で名取さんの知り合いに会う。二つある西野峠、どっちが良いか聞いて北側にする。外人ツアーで最近この峠が人気とのこと。峠下でスキー履いてると、暗くなった。ライト付けて峠越え。登りは良いが降りはなかなかの夜行軍だ。こういうのは経験してなきゃ泣きたくなるだろうな。峠降りたらすぐ名取さんち。91歳のお母さんがご飯食べさしてくれた。何十年も前から度々お世話になっている。お互い仕事辞めて、自由に登れるトシになった。開田の風景は空が広くて、まるで道北のようだ。
2025-2-23 9:50
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関西支部2025年新年宴...
日時:2月8日(土) 13-15時
場所:名古屋駅新幹線口「本まぐろと名古屋飯 花かるた」
参加者:吉田勝(1957)、渡辺興(58)、高橋昭(59)、渡辺尚(59)、伏見(61)、須田(62)、名越(63)夫妻、岸本(65)、江島(79)、太田(80)、岡島(83)
近畿東海は小春日和が続いていたのに当日は冬本番、関ヶ原は本格的な降雪で私は新大阪からではなく、急遽難波から奈良を突っ切り近鉄で名古屋に向かうも伊勢湾側も雪。それでも参加者はお一人を除き何とか定刻に集まりビールで乾杯。
今回は東京から渡辺会長が、100周年記念事業の実行委員長として”お仕事の話”をするために参加された。100周年記念の通史について、
1)人物譚のうち関西支部関連の執筆、2)関西支部の支部史の執筆
をそれぞれ依頼された。また事業全般の内容、進捗具合、寄付集めなどを話していただき有意義でした。私(1965)より年下の会員は渡辺会長が関西支部で活動の頃のことは全く知りませんが、第三者的にこの会を眺めていると1970-80年代の支部の集まりの雰囲気が分かるような気がしました。
2025-2-5 11:25
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第97回ヘルヴェチア祭...
書き込み遅くなったが、11/9~10ヘルヴェチア祭り開催。
現役9名、OB6名の参加あり(右端は躯体調査の宮島ゲスト)。
以前は10月末だったが雪崩講習会が重なったり、最近の少雪傾向で冬山の準備山行もまだなのでこの時期となった。
初日は積雪のため道道入口の除雪からスタート。
気温は上がり作業にはちょうど良い日和。暗くなっても
煙突掃除等に励んだ後、夜の食事は現役女子が主導し、
予算オーバーながら食通OBもうならせる山の居酒屋的
贅沢メニューで好評だった。
焚火を囲んだ懇談の中では、豊富な経験あるOBの話が
現役の胸に響いたよう。
現役からは「春合宿やその前にOBによる1年目のスキー指導が
あると良い、氷や冬壁の登攀についてOBの指導を得たい、
小人数で2つの小屋管理は負担」等の声があった。
開催の2週前に無意根尻小屋が焼失してしまったことを受けて、
特に煙突まわりは重点的に掃除および外部突出部の補強。
昨年も煙突掃除は実施していたがかなり煤がたまっていたため、
やはり毎年の掃除が必要。
祭り当日は玄関ドア隙間埋め、不用品撤去、防腐剤塗布、掃除、
ワックスがけして最後に集合して部歌[山の四季」を合唱。
2025-1-30 20:06
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【読書備忘】未踏峰と...
著者・中村保氏は1934年生まれ。一橋大山岳部で1960年代にペルー、ボリビアアンデスで初登攀など実績を残したあと、1990年からは秘境、横断山脈の研究を続け、著書を連発してきたことで知られる。「ヒマラヤの東」「深い浸食の国」「チベットのアルプス」など。この地域の地理に関して世界で最も詳しい人ではないだろうか。若い頃は先端クライマーで、サラリーマンも勤め上げ、晩年からこの横断山脈未踏山域の研究踏査と、言う事無しの人生だと思う。
ナカニシヤ出版 2021年 8800円 226p
アルパインクライマーよ、世界最後の辺境にはこれだけの未踏峰が未だあるのだよ!と呼びかけているようだ。
交通インフラ的にも、国情的にも近づくだけで一苦労の山域のため、「クライミングに専念したい人」には高嶺の花というか、むしろ「面倒くさい地域」ではあるが、その反面、情報過疎、記録無しの未踏ルート、未踏山頂ににあふれている。これぞ探検魂を発火させるエリアなのだ。でも、鋭鋒ばかりでテクニカルにはヤバそうだ。だからクライミングに専念している人にこそ登ってほしい山ばかりなのだ。青い四角形の部分の詳細地図が掲載されている。
巻頭にある著者作の表では、6000m台の未踏峰は概算375峰で、5000mに目を向ければ無尽蔵とのこと。本は日本語英語の併記。英語読者にも向けられている。
空撮を含む写真はもちろん素晴らしいが、地形図が豊富だ。中国領がほとんどなので尾根型と谷記号のみで等高線まではないが、苦労して集めたものなのだろう。見ているだけでうっとりする。色鉛筆で模写して憶えたくなる図だ。
「三川山域」の紹介を私なりに概説すると、横断山脈とは、東から大河が南北に三本流れている。
●揚子江(長江)上流部名・金沙江(チンシャジャン)→東シナ海(上海)へ
●メコン川 上流部名・瀾滄江(ランツァンジャン)→南シナ海(ベトナム)へ
●サルウィン川 上流部名・怒江(ヌジャン)→インド洋(ミャンマー)へ
+更に1本の
●イラワジ(エーヤワディー)川支流の独龍江(ダロンジャン)→インド洋(ミャンマー)へ にギュギュッと圧縮され挟まれた山脈が東からタテに合計4本。地球上で最もしわくちゃな地域だ。
7000m峰の貢嗄山(ミニャコンカ)、6000m峰の梅里雪山(メイリシュエシャン・カワカブ)は日本隊も関わり知られているけれど、その他にもこんなにたくさん未踏の山頂もルートもある。 横断山脈に加えて、ヤルツァンポ川→ブラマプトラ川→ベンガル湾の大屈曲部周辺の山々の紹介もある。ここは7000m峰のナムチャバルワとギャラペリだけは日本隊にも縁があり知られているが、その他の山々、それにブータンヒマラヤのガンケルプンズムと周辺、チベット高原のニェンチェンタングラ山脈と、かなり広範囲が対象。
改革開放の80年代後半から90年代半ばにかけ、日中登山界は親しかった。私はNHKの番組取材で1991年ナムチャバルワ、1996年チョモラーリの登山隊に加わった。この時期は日本山岳会、ヒマラヤ協会を始め多くの登山隊がチベット未踏峰に向かったが、90年代終わりくらいからは尖閣諸島問題やチベット問題などもあり、また、日本の海外登山層の変化もあり、このエリアへの関心はそれ以来ずっと高まらないままの印象だ。
中村氏の集大成は
ヒマラヤの東 山岳地図帳
日本山岳会創立110周年記念出版 日英中国語ナカニシヤ出版
2016年刊 10000円
今回はそのよりぬきで写真セレクト版というかんじだろうか。前作は地図が主体で日中英3ヶ国語で文章豊富。今回の本は、文章は少なめで写真が大判。6000m未踏峰の一覧が特徴的。
日中英語の表記で、中国語音のアルファベット表記は少しクセがあり素直に読むと違う音の字がある。しかもチベット語に漢字を当てたその漢字音韻をアルファベット表記したものなので、かなりひっくり返っていて、とてもカタカナに表記する勇気がない。中国語(北京語)のカタカナ表記は、対応する日本語カナが無くていつも苦労する。と思えば有名峰や大きな山脈名以外の、個々の山頂名などは漢字化されず、チベット音そのままアルファベット表記も多い。漢族がまだ表記していないということかもしれない。
東チベット、念青唐古拉山東部(北東部)
p80 Pk5630m峰とPk5640m峰 Gonrpu Gl.Y'iong Tsangpo
p81 Hayungarpo6388m 北面 Nye Qu north of Y'iong village
東南チベット、カンリガルポ山群 280km東部
p112 Pk6350m峰北東面 Lhagu氷河中流より
p113 Pk5480m峰北面 Lhagu氷河中流より
東南チベット、カンリガルポ山群 280km東部
p116 Pk6726m峰 カンリガルポ山脈の第三高峰(後ろ)、Zyaddo峰6025m(手前)
p117 Lhagu氷河、Gongyada 6432m(左)、Zeh 6127m(右)
深い浸食の国Geuzong山塊(Dungri Garpo,Damyon)
p134 DungriGarpo6090m(左)、PK6070m峰(右) Markamの西から見た北東面
p135 DungriGarpo6090m北東面 Yu Qu盆地
深い浸食の国ー梅里雪山山群
p144 Holy Mianzim6054m(左)Jiajiren-an(Five Crown Peaks)5470m(右)梅里雪山 雲南西藏境
p145 Jiajiren-an(Five Crown Peaks)5470m 東面 梅里雪山
2025-1-21 15:35
AACH現役サイト
2024.12.27~1.2(6-1) 2年班冬メイン 南日高
~南日高の空に染まったよ、あと初日の出も見たよ~ L杉山AL小野寺(3M金子玉木(2 <時間とルート> Day1:林道ゲート(8:00)神威山荘(15:00)=C1 晴れ。暖かい。今までよりも大分手前で通行止めになってい […]
2025-1-21 15:33
AACH現役サイト
2024.12.28-2026.1.1(5-0) 1年班冬メイン 道北
~天塩から眺める初日の出の美しかったこと~ L柴部(5AL宮下(2020西園(3M渡邊(2竹下鶴留(1G市川(2 〈時間とルート〉 DAY1:上紋峠(9:00)?925南コル(10:30)?1094(14:00)=C1 […]
2024-12-30 9:07
山岳館
山岳館の場所
2024-12-26 1:23
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関西支部一杯のつもり...
報告が遅くなり申し訳ありませんが、2024年12月7日に博多駅前の居酒屋「金木犀」にて、「関西支部一杯のつもり会(博多バージョン)」を催しました。
参加者:加納(1965、山口)、岸本(1965、兵庫)、平岡(1974、福岡)、清水収(1979、宮崎)、岡島(1983、奈良)、小田島(2014、熊本)、神谷(2015、福岡)、井上(2017、福岡)
報告:神谷
普段交流の少ない九州在住の会員と親睦を深めることを目的に企画されたこの会。当日は奈良から宮崎まで、八名が博多に参集しました。
店に着き、乾杯を済ませ、先ずは年齢順に自己紹介と近況報告。
若手は元気に九州の山を満喫中です。
岸本さん岡島さんからは関西支部の状況と山岳部100周年に向けての動きについてご紹介。
若手会員不足を嘆いておられました。
はじめましての人が多く、会が盛り上がるかを心配していましたが、お酒が入ってしまえばこっちのもので、最近の山岳部の動向や若手OBの山行の話等で大いに盛り上がりました。
料理はというと、明太子・からし蓮根・さつま揚げの前菜から始まり、ゴマ鯖、イカの活造り、地鶏の炭火焼、天麩羅にかしわ飯もついて九州の幸を満喫できる大満足のメニューでした。
楽しい時間はあっという間に過ぎていき、最後は店前で集合写真を撮影。またの再会を誓って解散しました。
最後に若者へは100周年に向けて収集中の写真のレタッチや、AACHブログへの投稿等の宿題を課されました。
P.S 解散後神谷、井上、小田島の三名は佐賀に住む探検部OBと合流して博多駅で二次会。その後井上の住む九州大学井尻寮の庭で焚火を囲みながら三次会を行い、アルコールまみれの土曜日となりました。
2024-12-12 23:51
山岳館
蔵書目録
2024-11-29 14:49
山岳館
100周年記念事業準備委員会報告(2023)
2024-11-29 9:40
山岳館
100周年記念事業実行委員会報告 (2024)
2024-11-24 12:32
山岳館
絵画
2024-11-19 9:08
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関西支部活動再開、202...
関西支部では2019年以来、実に5年ぶりに琵琶湖周辺で月見の会を開催しました。
当初6名参加の予定でしたが、残念ながら神戸さんと田中さんが相次いで都合が悪くなり、4名での小じんまりした集いとなりました。しかし支部活動が再開できたことは大きく、以前と同様たき火を囲んでの雑談は何よりうれしいことでした。
今回の開催場所は琵琶湖の南ではどこからでも簡単に識別できる近江富士(三上山)の、その西面にある花緑公園。泊まったロッジは4人用(2段ベッド)で、空調、トイレ、シャワー付き、鍋や食器、wi-fiも完備。ロッジに付属して外には開放テントの覆い付きでバーベキュー用の炉があり、”たき火”もできて我々にとっては精神衛生上も落ち着きます。そこでコップ片手に肉や野菜を炙りながら時にしんみり、時に辛辣また破顔、延々と会が続き、喋り疲れ気が付けば午後10時過ぎ。杉木立の森の中、11月にしては風も柔な月見の会でした。
2024-11-3 13:49
記事
山の会会報
2024-10-7 18:20
AACH現役サイト
2024.8.13-19(7-0) 1年班夏メイン北日高
報告_2024.8.13-19(7-0) 一年班夏メイン北日高 幌尻岳~新冠川~エサオマントッタベツ岳~山スキー沢~札内岳~ピリカペタヌ~勝幌 L柴部(5AL小野寺(3M西園(3玉木(2竹下鶴留(1 〈時間とルート〉 D […]
2024-10-7 18:13
AACH現役サイト
2024.08.12-16(5-0)2年班夏メイン
報告_2024.08.12-16(5-0) 2年班沢メイン ショートカット ヌピナイ右股~ソエマツ南東面~ソエマツ岳~ソエマツ北面~神威北東面~神威岳~神威東面~添松林道 ~ツッパリ!羽虫と葉虫の猛襲~ L齋藤(4 AL […]
2024-6-3 23:15
山岳館
第16回 「私の登山に影響を与えた人たち」
2024-2-25 16:37
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2024年2月土曜日の午後...
ここ数年関西支部は冬眠中で、時々有志が互いの近況報告がてら3-5人で集まり京都駅前のビアレストランで一杯飲んでいましたが、今回は少し目を覚ましカシを変えて名古屋駅近の中華料理店に9人が集合し「遥か昔を語る」と題しひと時を過ごしました。 当日は遠方から参加予定の方がJR北陸線が不通になり参加不可となったり、地元在住なのに市内のど真ん中、名古屋駅前で迷子になって集合に遅れたりのいつものハプニングがありました。そんな皆様に昔語りのお題を出したのは失敗で、60年も昔の記憶など今や事実だったのかも定かではない。
2024-1-21 14:56
山岳館
第15回「厳冬期 日高山脈直登沢を登る」
2024-1-8 15:48
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【読書備忘】雪崩の掟...
1990年代に、バックカントリーという言葉が流行り始め、スキーエリア外遭難が増え、雪山登山者に加えてエリア外滑走愛好家に雪崩レスキューや弱層テスト講習などが盛んになった頃、新田(若林)さんに札幌で、信州で、何度もおあいした。1995年1月の千畳敷での雪崩遭難事故の際にも、いち早く現場に駆けつけていてお会いしたのを憶えている。その後、信州大の演習林での研究ぶりを学生たちから聞いていた。ゆっくりと穏やかに話をされる方だった。
松本の古書店で見つけた。1940年生まれ、2022年末亡くなった、新田改め若林隆三氏の2007年の刊。氏は北大山スキー部OBの雪崩研究者。50年近く雪崩研究の最前線に居続けた。雪崩とどう付き合うか?は登山愛好家にとって果てしのないテーマだ。
登山実践経験者が多い雪氷学界の中でも、極めて登山実践者的立場だったと思われる氏の、生涯通じた雪崩研究人生の総まとめ的な一冊に思える。親しみやすい文体で数々の雪崩事例を読ませる。長期間の研究人生を踏まえてはいながら、内容の殆どは2007年直前の大きな事例が解説されている。
▼富士山スラッシュ雪崩の「新発見」は、以前から伝えられていた富士山の「雪代」の実態を世に知らせた。デブリの融雪が早く、すぐに観察しなければその惨状の実態がよく伝わらなかった特殊なシャビシャビの雪崩のメカニズムについて。北大山岳部OBの安間荘氏らとの研究についてまとめられている。
▼重度の低体温症遭難者のレスキューでは要注意の「再加温ショック」について。2006年の救出時仮死状態から適切なケアを施されて4時間後に蘇生した手当の最先端の話。山スキー部OB船木上総氏の「凍る体(2002)」など、手足のマッサージなどは厳禁、という常識はこの頃からだったように思う。
▼2000年の大日岳雪庇崩落事故事例には雪庇断面の空隙やすべり面などの研究などを紹介、当地での現場検証も行った。「32mの雪庇」って意味が分からなかったけど、この解説を読んで了解した。氏は毎度、講習で雪庇断面を切って雪の層を着色し、自ら乗って雪庇崩しのデモを行っていた。
▼2006年岳沢雪崩についても詳述あり。雪崩に見舞われる他の山小屋の事例も多数。小屋が雪に埋まっていない、稜線には大雪が降った12月に小屋が全壊するような件が多いとのこと。
▼終章は栂池の雪崩が育む森林の新陳代謝の話。老木巨木は日を塞ぎ、若い木や下草が生えず、雪崩がこれを一掃してくれると。新田(若林)さんは、雪崩は美しいと折りに触れ話していた。
雪崩、低体温症、雪庇などに関しここ数十年でゆっくり認知されてきた意外な事実の、同時代的で先進的な視点がよくまとまっている。この本の終章でも、雪崩は不吉なだけのものではなく、希望や未来へつながる山の呼吸のひとつなのだと。人の都合だけで見るものではないのだと語っている。
亡くなったと知ってから読み返す著書は格別です。生き返って話を聞いているかのよう。
2023-12-19 21:25
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【読書備忘】ロバのス...
筆者は旅に魅入られた人。ヒッチハイク好きの北大生だったのも実にわかる。そして徒歩旅行、自転車旅行の延長に、ロバとの旅を思いつき実践する。イラン800km、トルコ1200km、モロッコ1500km。探検的使命や記録狙いでもない、目的地さえ無い。ただロバとの長期徒歩旅行を実践したかった。
私は以前満洲北部で初めてロバを見た。大きな耳、いつも何か食べている。目の周りの白い縁取りデザインがパンダみたいにどこかとぼけている。何故か日本には全く居ないし寓話の中でしか出てこないけれど、ロバは前々から非常に気になる存在で、徒歩旅行をするのに良い相手だと思っていた。以前、日本縦断徒歩旅行の友人が、うちに寄って数日食客をして旅立っていった際も、手記にロバのスピードについて書いていたのも印象的だった。本当にそんな寓話のような人が現在いて驚いた。
筆者のロバ愛文がよくて、そこがこの本最大の見せ場かも知れない。無心に草を食む表情、耳や目や、動き一つも描写し、ロバを見ているのが本当に好きなのが分かる。交尾未遂に終わったロバが未練がましく泣き叫ぶ姿の清々しさに感銘を受けるところも好きだ。しまいには糞の形状の芸術性まで書き込む。
イランやトルコの警察は鬱陶しい。アル中やヘンタイや憲兵もいる。やはり自由な人間はどこでも公権力に妬まれてしまうのだ。トルコも20年前くらいからロバはいなくなったと。やはり内燃機関が安上がりで、インフラができれば世は車に替わる。モロッコで今もロバが居るのはインフラが無いからだ。アトラス山脈の旧知の古老を訪ねる話が印象深い。
著者の「歩いていけばどこにでも行けるという実感」、登山愛好家の私は共感する。なぜ山登りや旅が好きかと言えば、百年前の車の無い時代のように体を使い、生きていることを実感するのが好きだからなのだ。
生きていることを実感する旅に、人間以外の相棒としてロバはぴったりだ。人の最高の教養の一つは、人以外の生きものとの意思疎通ではないだろうか。近代が捨てた大きな教養の一つだと思う。バックパックではなくロバと。ただの荷物持ちではなく盟友として。とても新鮮で清々しい。
以前北海道にいたとき、乗馬で弓を射る流鏑馬を少しかじったことがある。南米パタゴニアでは、馬の背に乗ってまる二日間、荒野を旅したことがある。馬に認められるまで付き合うしか無い。認めてくれれば、勝手に働いてくれる。
この百年、あれだけ地上に栄えた馬は一気に数を減らした。長くかけて築いた人馬共同の文化も技術も風前の灯火だ。数年前、信州で馬に犂を引かせて稲作する馬耕や木材を運ぶ馬搬を実践する数少ない継承者にあった。青森にいたときは背丈よりも積もる雪を除雪車で大がかりにどけるクルマ社会ではなく、馬橇と山スキーで暮らすような「馬文化実践特区」を作って、世界中の馬好きを集める地域の可能性を夢見た。馬よりも扱いやすいというロバなら、可能性が広がる気がする。ロバを沢山の人が連れて歩く日本。そんなすてきな未来を夢想している。
国境を越えるとき、いつもロバと別れる、別れのシーンも好きだ。ヒッチハイクと同じく、お礼を言ってさっと別れる。別れることに不器用になった時代だという気づきも印象的だった。私もこんな旅をする山登りをしたい。
2023-12-7 0:17
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第96回ヘルヴェチア祭...
10/21の前夜祭では焚火を囲みながら現役の自慢の料理を頂き、Y三さんが山の歌をいくつか用意してくれて歌唱指導。久しぶりに現役とたくさん歌を歌った。暗くなってかなりの降雪があった。次期ヴェチア委員長の勝亦君が引き継ぎの弁をしっかり語り、私の肩の荷もおろせた。
朝食。なかなか具の多いうどんメニュー。この変形している煙突は新品に交換。
10/22当日は薪割り、ワックスがけ、煙突掃除、外壁塗布などやってから祭り。ヴェチアの由来披露、山の四季を歌った。
最後に記念写真。朝4時頃まで元気だった2年目が記念写真にも現れず。
女子も半分近くいて1年目は9人が入ったが今は5人か6人。全員で12名位。リーダースタッフが少ないので若手OBの参加が必須。
2023-9-26 0:04
山岳館
第14回アフリカの現状と飢饉の克服
2023-6-13 18:15
山岳館
北大山岳館
2023-5-13 13:59
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【読書備忘】エスキモ...
日大山岳部員の北極探検隊員として犬ぞり習得のためにグリンランド最北の村に一年住み込みに行ったら、その暮らしに魅力を感じて、そのままエスキモーになった男の半生を書いた自叙伝。1972年から猟師になって、1989年の本。現在も80歳近くで続けていると思われる。
内容が稀な話である以上に、とにかく文章が上手く面白く、最後まで引き込まれた。自分の経験だけを書いていてこの面白さ。山野井泰史の自伝にも通じる、やっていること、生きる姿勢の凄さ自体が文体をおもしろくする典型か。表紙やグラビア写真がやけにキマってると思ったら和泉雅子氏だった。
現地の娘と結婚までして、なぜまたそんな人生を選んだのか。
「その日暮らしではあるが、生活していく上で人に命令されることもなければ、命令することもない。いっさいが自分の責任において自由に生きられる。とてつもないスケールの自然の中で猟をして、自分の手でとったその獲物を主食とし、衣類とする。生活の機構が単純で、自分の働きがそのまま生活に直結する。良くも悪くも、完全に自分が人生の主人公だ。」(p61)
山登りなんかより面白くなってしまったのだ。
エスキモーのいる北極圏は日本で言えば樹林限界以上の風雪地帯、夏でも高山植物かコケくらいしか生えない。ソリや住居に使う材木はどれも流木だ。そこを住処にする理由は、厳しい環境でも人は工夫をすれば慣れてしまうということ、それから何をおいても「極上のごちそう」があるからだと、本を読んでわかった。おカネがない世界では、ごちそうが獲れることの意味がとても大きい。この環境は苦界では無く、欲とか隠しあいの煩わしさを持たない真の喜びを知る世界なのだ。彼はそれをいち早く見抜いたのだ。
猟の方法の詳述が具体的で面白い。アザラシのフリをして「だるまさんごっこ」みたいにして近づいたり、アザラシのフリを演じてみたり。地上で最高の「ごちそう」海獣たちはこの厳しい環境なら捕食者が来ないと進化したが、「地上で最高にススんでる」エスキモーが、あの手この手で捕まえる。
見かけは最悪、味は極上の、鳥の発酵食品キビヤ。食に対する人の偏見と順応性についても知る話が多い。エスキモーは「生肉を食べる人」というお隣の先住民(森林系)による差別的な意味が語源というが、実はほとんどは生ではなく半解凍の生、ルイベのような状態で、ナイフで削いで口に運ぶらしい。なるほどと思う。ちなみに別の本で読んだけど18世紀にフォークができる前は欧州の王様でも右手にナイフ、左手は素手で肉塊を切って口に運んで食事していたそうだ。つい最近のこと。
海獣やトナカイのバラし方、分配法、各臓器の効能についても詳しく、おもしろい。シロクマの肝臓はビタミンAが豊富すぎて食べると具合が悪くなる話(p153)、とれたての海獣の胃袋には食べたてのおいしい海産物がたくさん入っていてこれも余禄になる話、更に村の古老が話す伝説やおとぎ話、不思議な霊的な話なども。伝聞や翻訳ではなくエスキモーの暮らしを日本語で直に読める最良の書だと思う。
大島氏が最初に最北の村シオラパルクに着いた日、数ヶ月前からやはり犬ゾリ習得のために住み込んでいた植村直己との交流があり、その人柄も書かれていて面白い。エスキモーたちはこの二人を歓迎してくれて嫁さんまで世話してくれた。結婚式の正装に、新品のシロクマのズボンとブーツ(カミック)っていうのがすごくいい。
イグルーに関しての記述は少しだけ。この地域ではイッドゥギアというらしい。冬の旅の猟のベースキャンプでつくるが「極北ではそれを造るのに適した雪はなかなか無いものだ」とのこと。やはり雪の質が鍵になる。「今でも冬の間に定着キャンプを定めてそこから猟に出かけるような場合、イッドゥギアを作ることもある。慣れた人はものの1時間で作り上げてしまう。マイナス三十度四十度でも、中で石油コンロひとつつけていれば充分暖かいのである」(p199)
猟とは人にとってなんだろうと考える。「私は猟が好きで漁師になった。ガイドをして歩くより好きな猟をしていたい。お金がなければ物質的な生活レベルを落とせばよい。」(p221)自分の人生の舵取りを自分で握り続けた満足感を感じる。
いま2023年、大島さんは、シオラパルクのエスキモーたちは、好きな猟を続けることができているのだろうか。温暖化と環境汚染の影響は極地地方に押し寄せる。
エスキモーになった日本人
大島育雄 1989 文藝春秋社
2023-4-26 22:39
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【読書備忘】What'...
1979年生まれの平出和也、2000年ころから名前を聞くようになったけれど、この本を読んで、その軌跡と考えがよくわかった。
競技者として体を作り込んだあと、山を知る。競技にない自由が山登りにはある。ヒマラヤの高山を求めて大学山岳部の登山隊に入る。誰にも登られないルートを求めて、カラコルムに山を見に行く。次々と脱皮していく。地形図や写真を研究して、美しい山の宝のルートを掘り当て、「夢のファイル」を貯めていく。パートナーと出会い、別れて、続けてきた。
幸運もあったけれど、美しいルートを見つけて自分の力との兼ね合いでギリギリ登ってくるセンスが彼には有るのだと思う。登る山がどれも美しく、憧れるような名峰ばかりだ。シブリン、ライラ、カメット、スパンティーク、ナムナニ、シスパーレ、ラカポシ・・・。ピオレドール三回も納得の軌跡だ。カッコいい山ばかりの未踏のルートばかりを。本の構成もうまく、ルート図入の写真もよく、山行記録集としても満腹の本。
アマダブラムの救助ヘリ墜落は痛恨だと思う。こんなつらい経験もしていたのか。
この本は先日、札幌で「山岳TV取材の30年」という演題で、私が講演をした際に、寺沢玲子さんに「ハイ、これ」と手渡されたもの。ちょうど買って読まなきゃと思っていたところだった。なんでレイコさんが平出さんのサイン本を?と思ったのだけど、読んでわかった。平出さんの初パキスタンの船出のときからのご縁だったのだ。若い人たちとの熱気あふれる懇親会で、レイコさんとあまり話せず残念だった。
私は1990年からTVカメラマンで、山岳部経験のおかげで8000m峰を含むヒマラヤ高峰登山取材に何度も携わった。カメラ8kg三脚8kg+酸素タンク8kgを担いでガッシャブルムIIの山頂にも立った。平出さんの15年前の私の世代はTVカメラが重く、小さなカメラの画質は悪かったので、あまり使えなかった時代だ。漬物石並みに重い電池の消耗も早く、単行本サイズのビデオテープも大きかった。この時代、高画質高額の撮影機材はTV局の独占物で、従って映像取材の機会も独占物だった。だから、山岳部出身の私程度の経験のカメラマンが行ける「冒険」の取材はできた。
よく言われるように「TVの登山シーンでは映っている人よりカメラマンのほうが一番大変でしょ」というのは本当だ。自分より登れる相手、自分のレベルからかけ離れたルートの取材番組はできない。私も、山野井泰史のホンキのクライミングを撮れるとは思えなかった。
小型カメラが高性能化し、電池と記録媒体の小型化、高性能化と価格低下が21世紀になり劇的に進んだ。2010年代には私自身もよく取材に使うようになった。猛吹雪で撮るものが無ければ自撮りもして、現場の状況も心象さえも伝えられる。
そして、これによって、山岳映像取材はTV局の独占を離れ、クライマー自らが撮ることができるようになった。平出さんはまさにその時代に現れたエクストリーム山岳カメラマンとなった。トレラン登山取材さえこなす体力も他者の追随を許さない。
ドローンが「夢の映像」を実現するようになってから、実は私自身はあまり山岳番組を見なくなった。低空俯瞰映像は完璧すぎてお手上げで、私の手を離れたな、と感じたせいだと思う。でも講演の前に「シスパーレ」の番組録画をようやく見た。クライマー自身が撮るしかないヤバい雪壁のクライミング。先のことは全く読めない山行ならではの筋書き不明の展開、と、見るものに迫る作品だった。このレベルのクライミングは、彼らにしか撮れない。そう思った。そして、私は一体これまで、何を撮りたかったのだろうか?と今も考えている。
自由について、パートナーについて、失敗について、未知について、準備について、「メモ帳から」とあるページの言葉が、すごく良かった。
人生の最高点は、山と違ってその時はわからないかもしれない、と今は思う。下り始めてから「あれ、おれ今もしかして下ってる?」とわかるのが山と違うところ。下りが難しくて危険が多く事故が多いのは、山と似ているかも。と、友人に言ったら、下ると危ないから、人生では下っちゃダメだね!と言われて、目からウロコだった。全くそのとおり。
平出さんには、この先K2未踏の西壁がある。
2023-4-11 21:13
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【読書備忘】天災か人...
30年以上前の雪崩事故裁判について、この3月、その一部始終をまとめたノンフィクションが出版された。私の登山人生の初期の頃と時代も人々もとてもかぶっている事件だったのに、この本を読むまでその裁判の詳細を知らなかった。そのことが読後感として大きなショックだ。登場人物のほとんどの人を知っていて、そのとき札幌から長野市にも転勤で住んでいて、報道にも携わっており、山にも登り込んでいたのに。
著者は泉康子氏、やはりそのころ「いまだ下山せず!」という自らの山岳会の遭難のノンフィクション作品で読んだ覚えがある。取材は判決後十数年経ってから、出版は更に十数年経ってからという。なぜ今?とも思うが、私にとっては大きな意味があった。今回、当事者の高校教諭そして同級生の、西牧岳哉氏から送ってもらった。
1989年3月、北アルプス遠見尾根のスキー場トップ近くの雪山登山講習会で雪山初心者の高校教諭酒井耕氏が亡くなる雪崩死亡事故があった。講習は長野県教育委員会主催で初心者の高校山岳部顧問と生徒が対象だった。「雪崩は天災」とする県に対し「 雪崩は予見できた人災」で、県はその過失責任を認めるよう1990年に犠牲者母の酒井三重氏が訴訟を起こした。5年間の裁判の末1995年11月原告側が勝訴。山のベテランの認識不足と準備不足を登山の素人の原告側が雪崩の学習をして論破していく経緯が書かれている。非常に画期的な判決だった。
県や組織の対応はお決まりで、訴訟しなければ泣き寝入りするしかない、これは今も同じだ。だがそういう話に加えて、当時の登山界のベテランたちでも、雪崩の最新の誘因などの知識に無知で、経験と勘だけに頼っていた。死亡事故は運が悪く、山での事故は共同責任であり、訴えるなんてとんでもないという時代だったことを思い出す。法廷で「経験者としてできることはやった」「そんなことを言ったら山なんか一歩も登れなくなる」という被告側の発言は、当時の私と大して変わらないし、今でも私の中にあるのではないか?
当時1980年代終わりくらいから雪崩は科学的な知識で見なければならないという新田隆三氏、中山建生氏の雪崩講習会を私自身取材した。北大の阿部幹雄、樋口和生、福沢卓也もそれ以前からの山仲間であり札幌で何度か講習会を取材した。雪崩学が急速に登山者の間に広がりはじめた境の時代だった。それほど雪崩事故防止の取り組みに関わっていたのに、なぜ私はこの裁判にあまり関わらなかったのだろう。
それは今から思うと、係争ごとに抵抗を感じ「山の素人たちに、安全管理のためとして、自由な山登り、リスクを受け入れた魅力ある山登りを制限されてしまうのでは無いか」と心のどこかで警戒していたのではないだろうか。もちろん、自主的な登山と、講習会での新人の安全確保とでは話は全く違うのだが。その点を今ほど区別して考えていなかったと思う。つまり当時の感覚として私は、雪崩の誘因に関しては最新知識を持っていたのに、責任論に関しては被告側と大差なかったのだと思う。今になってこの読書をしてそれを思い出し、恥ずべき過去の感覚を思い起こす。
亡くなった酒井耕さんも、ずっと裁判を支えてきた西牧さんも、私とは高校で同学年の仲だった。物静かで粘り強い彼は、ずっと母の酒井三重さんの訴訟を支えた。10代20代を通じた親友を失った西牧さんや、女手ひとつで育てた息子を理不尽に失った母親の気持ちなど、以前の私には正直わからなかった。私も山で多くの友人を亡くしていたけれど、それはいわば同志の死への思いであり、一緒にしてはいけない感覚なのだ。私は死んだ友人たちの両親に、不用意なことを口にしたりしなかっただろうか。今になってそんなことを思い出す。
西牧さんは今、我々のいた松本深志高校の山岳部顧問をしていて、毎年3月18日前後に、その雪崩現場前で現役高校生たちにその話を語り続けている。私は何年か前から西牧さんの講習会に、イグルー講師として参加している。今年は私の娘が山岳部員となって参加した。そんなふうに、自分の子供が大きくなってみて初めて、酒井三重さんの苦しんだ気持ちを想像することがようやくできるようになったと言っていい。
ずいぶん長いこと鈍感だったことを、気づかせる読書だった。
判決のあった1995年は阪神淡路の震災と地下鉄サリンの年だ。世の中のリスク管理や組織の安全管理責任意識などは、この頃から変わっていったと思う。山や冒険の危機管理は、私が密かに「恐れていた」社会になったのだろうか。わからない。だが一方でその後も危機管理されるべき初心者講習の事故は続いた。2000年大日岳雪庇崩落事故、2017年那須の雪崩事故。
裁判も傍聴していない、当時の取材も随分後からというのに臨場感あふれる裁判シーンなどノンフィクションの書き手としての力がすごい。三重氏や中島弁護士の若い頃からの育ちが詳しく書かれ、遠回りのようで意外にも重要だった。なぜこのような裁判を続けることができたのかという点に納得がいく。
新田隆三先生も亡くなってしまったけれど、本が世に出てよかったと思う。
天才か人災か?松本雪崩裁判の真実
泉康子 言視舎 2023.3
明らかな間違いあり。
p152 宮本氏が「1992年ナムチャバルワの登攀隊長」は間違い。1996年チョモラーリでは
p304 北大山岳部、登山部、山スキー部が混乱している。登山部は無い。確かにわかりにくいとは思う。
2023-4-8 18:18
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スキー登山 (消えゆ...
2023-3-22 13:35
山岳館
坂本直行の遺品
2023-3-7 11:21
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酔いどれクライマー永...
東大スキー山岳部が1984年に初登したk7の快挙は、私が同じ年に北大の山岳部に入部したから、なんとなく知っていた。でも、北大はこんな垂直岩壁の鋭鋒を登るようなセンスでは無く、ひたすら寒冷山地の長期山行を志すようなクラブだったので、あまり関心も無かったと思う。そのとき5年目のセンパイだった藤原章生さんが、K7を率いた永田東一郎氏が上野高校山岳部でのセンパイだったと知ったのは今回の評伝でだった。私の3年(部では4年)上が藤原さん、その3年上が永田さんという世代関係だ。
この本は凄い登山家の物語では無く、80年代の今から思えば自由な教育を受けた世代が生み出したハチャメチャな快挙と、魅力ある才にあふれた人物がいかに周りの人たちを吸引し、渦を作って行くのか、そして才あふれる永田氏が社会ではいかに遭難してしまったかを丹念に追った物語だ。たくさんの関係者のインタビューが登場し、著者によれば「群像劇」となっている。
著者自身の生い立ちも永田氏との関連で語られる。親の世代の持つもの、東京都東部の丘の上と下の町、目上の人に対する遠慮ない話しぶりなど。自由な校風の高校だった私にも覚えがある。でも未だにそれはやめられない。「十代から二十代にかけての成長期、人は変わる。というより、集団に染まる。」永田さんが上野高校山岳部と東大スキー山岳部で人格を作って行った過程をたくさんの資料から丹念に追っていく。ドウドウセン遡行、利尻のボブスレー滑落、滝谷の転落など、強運もある。
K7のあと、きっぱりと山をやめた永田さんを、和田城志氏が、「本当の山を知らずに終わったのではなかろうか?」と評している。山を競技の場、発表の場、スポーツの場として活動する傾向があるほど、長続きはしないと私も思う。北大には無縁だった重荷のシゴキやパワハラ関係が、今は凋落した大学山岳部の強い印象を残している。人目の多い本州の山だからこそ、屈折したシゴキが生まれたのでは無いだろうか?東大にはシゴキは無かったようだが、「他者との対抗」は、山では続かない動機だと思う。誰とも競わないことを憶えたとき、山は自分のものになる。
読んだ直後に著者藤原氏と一週間のイグルー山スキー山行に行き、酒も飲まずにこの本の話をたくさんした。本人設計の建物まで出かけ、フラれた女性にまで話をきく。人の評伝を書くことの果てしなさと面白さを思った。何よりこれだけの本を書かせるだけの魅力に永田さんがあふれていて、その様が本人を知らない私にも生き生きと感じられる。
評伝はおもしろい。丹念に山行記録をたどると、人生で初めての山と、最後の山がすぐ隣同士で日付も同じだったことを発見した驚きなど。著者以外は本人しか知らない心の中を知った喜びだ。これだけの評伝を書き終えれば、本人が親しかった人たちのための、とりわけ家族のための墓標になると思う。そして、すべての読者に問いかける。この限りある人生で、あなたは何をしたいのかと。
酔いどれクライマー永田東一郎物語
80年代ある東大生の輝き
藤原章生
2023.3 山と渓谷社
2023-2-9 15:06
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関西支部ー大げさなこ...
2023年松の内、いつもの連中(1965-1974年代)とコロナ禍のあだ花、ZOOMを使ってバーチャルで飲んでいた。忘年会は中止だが新年宴会を準備をしているだとか、正月スキーには誰が参加するだとか、忙しそうな話題の合間に誰かが、ところで関西支部はどうしてるのか、と心配よりもむしろしっかりせい、といったニュアンス。まあ大げさなことはしていないけど、、、
2022-11-26 10:02
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【読書備忘】攀友 50...
信州松本を代表する社会人山岳会、クライミング・メイト・クラブ、CMCの50周年記念誌を読んだ。
CMCは1970年創立。会報の「攀友」は年に数回発行して現在169号まで発行されている模様。山行記録一覧を見れば、ザイルを使うレベルの山行のみでほぼ毎週のように山行を行なっている。今回は1991年発行の20周年記念誌以来の大きなまとめ。
内容は91年以降の30年分の山行一覧。それから全会員氏名一覧。信州大学山岳会の憶えのある名前もいくつも見つかる。懐かしい人の名も故人もあり、私自身の名も、以前ご一緒した山行記録の欄に見つけて驚いた。山行回数が多いので、時間記録や天候などまでは無く、ルートもすべて詳細は無い簡単なものだ。
CMCの歴史を知りたい部外者の私が最も興味深かったのは、創立以来50年間会を引っ張ってきた百瀬尚幸氏による創立期の詳しい話だ。県山岳協会加盟の申請に赴いたときの気持ちや、90年代にチベット登山協会との交流山行にCMCがあまり関わっていなかった事情などが察せられた。百瀬氏はじめCMC創立メンバーは団塊世代ながら、それ以前からあった社会人山岳界とはほぼ無縁に、ほぼ自力で力を付け、人を集めたのだ。だから全国的に山岳会が凋落した2000年代にも衰えず、今も独自の実力を持ち魅力を放っていることが伺える。
ほぼ毎年のように行われた槍穂高連峰の冬季長期縦走記録の、百瀬氏を軸にした記録セレクション(といっても5本+23本も!)。30代の百瀬氏が70代になってもまだ続く記述が、この会の骨組みとなってきたことを示す。日本一の山域、槍穂高連峰の冬季長期山行を、毎年なのだ。
この背骨に加えて、草創期CMCを方向付けた有明山と赤沢岳という地元未踏岩壁の夏冬の初登記。「後立三部作」の針ノ木、スバリ、赤沢岳西面の三稜線への世代を越えた入れ込み様など、CMCならではのマイナーだけど歯ごたえ満点の羨ましい山行記が並ぶ。海外記録にはメルー・シャークスフィン、バフィン、トランゴタワー・・・。メンバーはそれぞれに高レベルで別の山域に向かう。統一感はないけど、ありきたりな山行をしないところが一貫している。他のどこのクラブにもない歴史と現在を作ったのはなんだろう。
私は松本出身で1984年に北大山岳部に渡り、その後90年代と2010年代に数年ずつ長野県に転勤して登山に関わってきた。この間のCMCの孤高性はずっと変わらない。登山界の変化は大きく社会人山岳会の状況は全国どの町でも次世代につながらず、50年回転している会は多くはなかった。
松本の場の引力にも一つの要因がありそうだ。山があり、町に魅力があり、他の土地から移り住む人が多い。山が好きで来る人もいるが、住んでから好きになる人もいる。信州大学の学生の多くは他県から来ていて、CMCの記録には、信大山岳会出身のピオレドール・クライマー3人の名もあった。この町を活気づけているのは間違いなくそんな人達で、私の知る会員も外から松本に来た人がほとんどだ。
そして地元の未知ルートを探究した独自の強みを持つ創設者たちは、自信故にその面々を尊重し自由にさせ、多様性を内包した。それが活気ある伝統として生きているのではないか。
攀じ友=ヨジトモ=climbing mate
記念誌を読んだだけの情報で、フカヨミをしてみました。
A4 297p
2022.11.19 発行
編集長 河竹康之
https://cmc-jp.net/
2022-10-24 15:39
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95周年ヘルヴェチア祭...
10/15~16開催。来週現役は北大で雪崩講習会があるというので例年より1週早い。
現役OB計20名が参加、前夜祭は赤岩帰りや小屋担当幹事が遅かったりで18時頃暗くなってスタート。
シェフT君(4年目)のメニューはポテトサラダ、ダッジオーブンで丸鶏香草ロースト、お好み焼き、炊き込み釜飯、おでん等、味もなかなかで皆満足。先週の下沢さん追悼会の残りの酒や食材、さらに参加OBの差し入れもあり豪華だった。
焚火を囲んで1年目とOBの自己紹介、そして夜遅くまで久しぶりに山の歌、寮歌を歌いまくった。1972のリコピーの手作り歌集や関西支部1993の歌集「山の四季」も年寄りが持ち込み「ぼくらの故郷」「かわらぬ恋」は2部合唱の指導も。小屋に入っては年寄りの自慢話や山や装備の情報交換。
翌朝も年寄りは早起き、朝食後は薪割り、掃除、ワックスがけに汗を流す
薪割挑戦の女子1年目
本祭は95周年を祝い山の四季を歌う。乾杯の代りにBerg Hile!と声を合わせ、締めは記念写真。
若手OBは3人が来てたが早朝に帰って写真には不在。紅葉はほとんど落ちてしまったが途中では真っ盛り、現役は来月に入れば準備山行が始まり冬山を目指す。頼もしい1年目が5人もいるがリーダースタッフになる上級生は女子の比率が多い、若手OBの協力が是非必要。
2022-10-21 18:36
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下沢さん追悼会 髙篠...
10/15越前谷さんの声掛けで、故下沢さんを偲ぶ追悼会に建設に関わった小舎会員と山行を共にした仲間が美国小舎に集まった。
1981年に下沢さん、越さんの呼びかけで有志手作りの小舎。翌年に会員のほとんどが隊員だったダウラギリ冬季登頂と小舎の完成を祝った。
小泉君の設計で積雪期の雪の多い場所ということもあって20年持つか?と思っていたが、昨年40周年を迎えた。設計と建築が素人でもここまで持った。
1954年入部のロタさんを筆頭に、ゲストにワンゲルOBでツルのマスターだった大内さん、東京からも5名の参加、一番若い志賀(1976年入)まで23名参加。
スライドショーでは参加者からの思い出の山行写真や動画が綴られ、若き日の山行姿や合宿の集合写真にコメントが添えられ懐かしんだ。
美酒と肴で焚火を囲んで語らい、そして久しぶりの山の語らいと歌で最後は2時まで。
やはり我々は焚火が命。コロナ禍で会えなかった3年分を取り返すように旧交も温める。焚火を囲んで下沢さんの魂も一緒に浸ったかも。山岳部の縦横の糸が交差した時間を過ごした。
差し入れを随分いただき下沢夫人や西元会長、カメ(74年入部)、チンパン(77年入部)の一升瓶、上野さんからもワイン1ダース、、、参加者その他の方々からも数々頂き、ありがとうございました。
朝。左から同期の宇一丸、鐙、山崎さんらと1年上の冷奴さん。
毛利君のドローンで空撮
下沢奥様にも来て欲しかったが同期のヘルスさんらが帰途追悼会の報告をされたと聞く。皆で見たスライド画像を後で届けるとしよう。
2022-7-14 5:09
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【読書備忘】ホハレ峠...
登山愛好家として美濃、越前国境のこの地域と伝統の暮らしに興味を持った。稜線は標高1000mほどだが日本海を背にして豪雪に見舞われ、大河揖斐川の広大な源流地帯はほとんど平地がなく、渓谷登攀者には静かで広い魅力ある山域だ。山間には、自動車道路が通る以前は数十軒ほどの規模の集落が点在していた。ここに1970年代から長時間かけて官僚たちがダムを造る計画を淡々と進めてきた。2006年日本最大の貯水量という徳山ダム完成。
ここにできれば死ぬまで暮らしたいと住んでいた、広瀬ゆきえさんの暮らしぶりを通して、揖斐川源流域の門入(かどにゅう)という集落の「現代化以前」の営み、たとえば栃の実の渋抜き法や山菜キノコマムシに、各種山仕事などを記している。
読み進むとそれにとどまらず、1918年生まれのゆきえさんの生涯を辿ることでわかる、何世代も続いてきた血族の持つ強さや、行動範囲の広さなど改めて知る。ダムが永遠に奪ったものの真価は、ここまで読まなければわからなかった。
14歳にして30キロ背負ってホハレ峠を越えて、鳥越峠も越えて長浜の高山まで繭の出荷。彦根まででかけて女工労働。門入の仲間となら、外に出るならば、北海道の真狩もパラグアイも同じなんだな。岐阜の柳ヶ瀬近くにあった徳山村連絡所の訪問もおもしろかった。
著者が30年間通い詰めた晩年、ついに追い出されるまでの門入での、誰もいなくなってしまったけどお金を使わなくて済む世界が、技ある人には自由な天国なんだな。朝から晩まで働きお金にはならないけど生きるための純粋な営みだ。若いときには遠くへ開拓に出て、農閑期の日雇いや出稼ぎもして現金を得て外食する楽しさも驚き知った、子供を遠い学校にやるための現金収入も要った。それだけ経た上で、子供の頃から身につけた、生きるための純粋な生活技術と行動技術を持つ自信と幸福。これが羨ましい。でもそんな晩年の天国も移住地に追われた。
移住者住宅に移った後、ゆきえさんがスーパーの特売ネギを買わなかった話が、凄くこたえた。
「わしは、たくさん人のためにネギも作ってきた農民や。自身を持って畑でネギを作って、みんなにくれてやったもんやが、その農民のわしが、なんで特価品の安いネギを買わなあかんのかなって考えてな。惨めなもんや。ちょっと情けなくなったんや。」
著者が長い時間をかけて関係を築き、徐々に理解しながら発見して気がついた話が盛り込まれた優れたノンフィクションです。
今はホハレ峠は足で越える人は絶えて久しいよう。渓谷登山愛好家として、ホハレ峠越えて門入を訪ねてみたい。病気の子供を背負ったり、60キロの栃の板を背負ったりして人々が越えた峠だ。
ホハレ峠ーダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡
2020年4月 彩流社
大西暢夫 写真・文
2022-1-24 0:06
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第94回ヘルヴェチア祭...
この投稿がうまくつながらなくて、だいぶレポートが遅くなったが、昨年晩秋のヴェチア祭り。コロナで私以外のOBは写ってません。女子が4名も
前夜祭。現役が料理をふるう
私はコロナを避けて乾杯後、小屋管理のアドバイスをして退散
翌朝私は再訪して祭りに参加。祭りといっても記念写真を撮るくらいだがヴェチアの歴史を少し語った
部歌の山の四季を歌ってヘルヴェチアの神様に献杯!だけはした
祭り後は大掃除に薪割り。女子もチャレンジ。今年の薪はトイレ脇の大きくなりすぎて、また小屋に傾いたキハダの木で夏に伐採したもの。
煙突掃除の後は床掃除とワックス磨き。他の北大小屋から比べると床が汚いので、ハッパをかけてしっかり磨いてもらう
2021-3-22 4:03
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Re: 【中部日高】ナナシ沢1823m峰南面直登沢→コイボクシュシビチャリ川
2017-7-3 14:46
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北海道新聞に式典の記事が掲載されました(2017年7月3日)
2017-1-29 17:43
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Re: これまでの部報紹介・3号(1931)上/(米山悟1984年入部)
2016-12-17 19:42
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Re: ペテガリ冬季初登・72年前の今村さんのゲートル 米山悟(1984年入部)
2016-9-9 22:58
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空沼小屋改装仕上げ作業のご案内(2016年10月1~3日)
2016-7-28 22:47
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Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました
2016-7-4 13:41
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Re: 医学部戦没同窓生追悼式のご案内
2016-6-17 9:54
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Re: 道新に今村昌耕会員の記事
2016-6-12 11:16
記事
空沼小屋修復工事いよいよ開始(2016/6/12)
2016-2-26 19:14
記事
北大・空沼小屋 修復保存工事決定と募金のお知らせ(2016年2月掲載)
2015-12-22 23:49
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Re: おくやみ・谷口けい 米山悟(1984年入部)やま
2014-12-9 9:53
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Re: 【書評】アルピニズムと死 山野井泰史 2014.11(米山悟1984年入部)
2014-10-26 21:04
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日高山脈の地名問題
2014-10-25 6:17
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Re: 【読書感想】七帝柔道記 米山悟(1984年入部)
2014-5-17 19:51
スケジュール
山岳館開館日
2012-6-21 12:49
海外遠征
パミール・レーニン峰(7134m)登頂
2012-5-24 9:42
記事
ダウラギリとその時代
2011-12-8 22:40
記事
リンク
2011-6-30 17:09
海外遠征
北大ネパールヒマラヤ学術調査隊1969
2011-6-30 16:34
海外遠征
スダルシャン・パルバート
2011-6-30 16:33
海外遠征
81-82年パタゴニア
2011-6-30 12:47
海外遠征
海外遠征の記録
2011-6-30 12:29
海外遠征
96ロルワリン・タンナ・リ峰遠征
2011-6-30 12:26
海外遠征
ヒムルンヒマール(7126m)初登頂