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切り抜き詳細

発行日時
2022-11-26 10:51
見出し
松本の山岳会CMC50年記念誌「攀友」
リンクURL
https://igloosky.com/2022/11/26/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%B1%B1%E5%B2%B3%E4%BC%9Acmc50%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E8%AA%8C%E3%80%8C%E6%94%80%E5%8F%8B%E3%80%8D/ 松本の山岳会CMC50年記念誌「攀友」への外部リンク
記事詳細

信州松本を代表する社会人山岳会、クライミング・メイト・クラブ、CMCの50周年記念誌「攀友」を読んだ。

CMCは1970年創立。会報の「攀友」は年に数回発行して現在169号まで発行されている模様。山行記録一覧を見れば、ザイルを使うレベルの山行のみでほぼ毎週のように山行を行なっている。今回は1991年発行の20周年記念誌以来の大きなまとめ。

内容は91年以降の30年分の山行一覧。それから全会員氏名一覧。信州大学山岳会の憶えのある名前もいくつも見つかる。懐かしい人の名も故人もあり、私自身の名も、以前ご一緒した山行記録の欄に見つけて驚いた。山行回数が多いので、時間記録や天候などまでは無く、ルートもすべて詳細は無い簡単なものだ。

はじめから手作り

CMCの歴史を知りたい部外者の私が最も興味深かったのは、創立以来50年間会を引っ張ってきた百瀬尚幸氏による創立期の詳しい話だ。県山岳協会加盟の申請に赴いたときの気持ちや、90年代にチベット登山協会との交流山行にCMCがあまり関わっていなかった事情などが察せられた。

百瀬氏はじめCMC創立メンバーは団塊世代ながら、それ以前からあった社会人山岳界とはほぼ無縁に、ほぼ自力で力を付け、人を集めたのだ。だから全国的に山岳会が凋落した2000年代にも衰えず、今も独自の活気を持ち魅力を放っていることが伺える。

CMCの独自性

ほぼ毎年のように行われた槍穂高連峰の冬季長期縦走記録の、百瀬氏を軸にした記録セレクション(といっても5本+23本も!)。30代の百瀬氏が70代になってもまだ続く記述が、この会の骨組みとなってきたことを示す。日本一の山域、槍穂高連峰の冬季長期山行を、毎年なのだ。

この背骨に加えて、草創期CMCを方向付けた有明山と赤沢岳という地元未踏岩壁の夏冬の初登記。「後立三部作」の針ノ木、スバリ、赤沢岳西面の三稜線への世代を越えた入れ込み様など、CMCならではのマイナーだけど歯ごたえ満点の羨ましい山行記が並ぶ。海外記録にはメルー・シャークスフィン、バフィン、トランゴタワー・・・。メンバーはそれぞれに高レベルで別の山域に向かう。統一感はないけど、ありきたりな山行をしないところが一貫している。他のどこのクラブにもない歴史と現在を作ったのはなんだろう。

独自性の要因はなんだろう

私は松本出身で1984年に北大山岳部に渡り、その後90年代と2010年代に数年ずつ長野県に転勤して登山に関わってきた。この間に聞くCMCの孤高性はずっと変わらない。登山界の変化は大きく社会人山岳会の状況は全国どの町でも次世代につながらず、50年回転している会は多くはなかった。

松本の場の引力にも一つの要因がありそうだ。山があり、町に魅力があり、他の土地から移り住む人が多い。山が好きで来る人もいるが、住んでから好きになる人もいる。信州大学の学生の多くは他県から来ていて、CMCの名簿には、信大山岳会出身のピオレドール・クライマー3人の名もあった。この町そしてこの会を活気づけている要因の一つは間違いなくそんな外からの人達で、私の知る会員も外から松本に来た人がほとんどだ。

そして地元の未知ルートを探求した独自の強みを持つ創設者たちは、自信故にその面々を尊重し自由にさせ、多様性を内包した。それが活気ある伝統として生きているのではないか。

攀じ友=ヨジトモ=climbing mate

記念誌を読んだだけの情報で、フカヨミをしてみました。

A4 297p
2022.11.19 発行
編集長 河竹康之
https://cmc-jp.net/

 
 
 
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