アグルーカの行方 角幡唯介 2012
1845年に英国を出発したフランクリンの北西航路探検隊の海氷遭難、129人全員死亡の北極海の同ルートを徒歩で100日、直線でも1000キロあまりの記録。やってみたい探検行だ。実体験で無人境をトレースして彼らが何を見、何を感じたかを探検家の著者が考察する。2011年3月12日スタートの日付も良い。
飢餓、カロリー、肉食
スコット隊と同じ、日に1kg、5000kcalを補食してもこの低温環境でこの長期間だと我慢ならない飢餓感が募る(p142)。キングウイリアム島で麝香牛を仕留めて肉を食べる、子牛を殺すシーンはやった者でなくては書けない迫真さだ。死を覚悟した野生動物との睨み合いを書く下りは心に残る。
地図の意味について
地図を持つことの本当の意味は、見通しが立てられることであり、アグルーカたちにはそれがなかった(p163)。私達の親しんできた通常の登山手法は、地形図を手に「未知」の山域を踏査することだが、そもそも北西カナダヌナブット準州の「不毛地帯」の高低のあまりないツンドラにその日の射程内では地形図などあまり意味がない。それでも大縮尺の地形図があれば〇百キロ先には湖がある、川の方向がやがて西に曲がる、といった見通しは立つが、アグルーカたちにはそれさえもなかった。その絶望感と希望を著者は想像する。
「地図がない世界を旅していた人たちを私は純粋に尊敬する。地図がなければ、その先の地形の状態が分からず、先に見通しが立たない。(略)それは今という時間が未来から分断された世界を旅するということに他ならないのだ。土地が未踏であるということは、彼らの隔絶感をさらに高め、旅を不安なものにしていた。しかしだからこそ、いっそう魅力的なものに変えていたともいえる。」(p336)
なぜ何度も極地に向かう?
遭難したフランクリンや、その後も捜索に出かけた数々の極地探検家たちは、なぜこんなに厳しく危険な旅を何度も行ったのだろうか?その探検家の動機を問うことは、野暮で簡単で難しいのだが、探検家としての著者は爽やかな考察を試みる。
「彼らは北極の自然に囚われていた。人が命を懸けて何かをすることを説明するのに必要なものは、もしかして囚われてしまったという、心の片隅に突き刺さった小骨のような心情のひだを持ち出すだけで十分なのかもしれない。」(p396)。
彼らが体験した生還への旅を追うことで、彼らが感じただろう絶望や、絶景や、その感慨を追想する。170年経っても、地球温暖化以外は条件が変わらない無垢の土地なのだ。私はこんな山旅が好きだ。
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今月、日本絵本大賞を受賞した北極探検家の荻田泰栄氏がこの10年前の探検行のパートナー。荻田氏の本も読みすすめたい。
最近私は、イグルーを使った長期長距離山行の可能性を考えていて、彼らの使うソリや、フィールドとしての北極圏に興味を持って読んだ。積雪季のサハリン、カムチャツカ、アイスランド、グリンランドなどはどうだろうかと。やはり先人の探検記を読んだ上で臨んでみたい。
(Pは単行本版)