切り抜き詳細
- 発行日時
- 2024-5-3 4:13
- 見出し
- 《上信国境》横手山 志賀山 赤石山 大高山 野反湖
- 記事詳細
- 《上信国境》横手山 志賀山 赤石山 大高山 野反湖(積雪期ピークハント/縦走/志賀・草津・四阿山・浅間)日程:2024-04-25〜2024-04-27メンバー: yoneyamaコースタイム:写真:夜中に起きたらイグルーがやせ細っていた。午前二時崩落。ダム湖堤体の上赤石山の最後の標高差100m、雪も硬いのでせっかく持っているジュラアイゼンで登ると楽に行ける。しかしシートラは重いな!南望。横手山の魅惑的な東斜面の彼方に浅間山、榛名山、赤城山。素敵な山々高沢山山頂直下より浅間山、草津白根火山群、横手山草津峠付近より鉢山を見上げるのぞき分岐から、スキー場を離れていくあたり。雪はあるといえばある。山頂には岩峰が剥き出していて展望よし。赤石山、意外に良い。雪渓と、笹の中の夏道を選択しながら、スキーを着脱しながらの行程山頂標識は樹林内沢地形を行く。雪がつながっていると良い横手山から四十八池〜沢形地形と、来た行程を振り返るガスが野反湖を隠す道ではシートラだ。シートラ、スキー履きを100回くらいやった。半融けの沼をスキーで渡る高沢山山頂四十八池から志賀山と裏志賀山。ここを横切って真ん中の谷から遡行したい。無人境なり横手山北面。一面の針葉樹林。噴火したのははるかはるか昔鉢山北東コルに戻り、イグルー作る。1時間かかった。雪が重くてくたびれた味噌納豆玄米雑炊樹林の間に天狗平が見えた。無人境。昭和37年まで走っていた草軽鉄道の展示志賀山の最高点ダム湖春ランマン三壁山山頂上り下りもシールスキーで快調だ降雪はご無沙汰という雰囲気の割と滑りやすい雪面の森。志賀山頂き付近でダイダイ色の蓋の午後ティーボトル拾った。湯たんぽに使おう。トーシバのトランジスタラジオは1987年3月萩町商店街の鬼頭電器店で購入。左奥は浅間山ここも往年のツアースキーコースがあったみたいだな。青森の山を思い出すよ。今よりも人々が山を滑っていた時代の名残のサクラカラー行程中ずっと格好良かった寺子屋峰を遠望。右の高まりは本日のメインピーク赤石山山頂に小さく岩峰が見える何かの散策施設こんな傾斜になる。朝は硬い。もうこの時間帯は重荷でかなり苦しい。群馬県境トレイルというので道を整備しているよう。後半はこの道に助けられた。「警告」ってことは事故があってたくさん人が苦労したんだろうなカモシカ平へ降りる道、正面は高沢山稜線の雪は意外と多くスキーで進むのに最適。風下側の南斜面に積雪が多いのが意外。三壁山へ。右に白砂山が見えているキャンプ場バンガロー村横手山山頂の祠。奥は浅間山と白くなくなった草津白根火山。横手山は百名山の草津白根より高いけど白くない。豊かな森が載っている。横手山最高点へ、スキー場の左脇を登る行程最高峰に到着隙間だらけだけど、風もないし気温も高いのでそのままにした野反湖が見えた草津峠は渋峠が危険なため明治に作られたとある。横手山の南面の急斜面が危険だったのかな?群馬側はどこへ行くのかな?続きが読みたい。朝日を浴びて志賀山中腹の秘めたる沼。横手山の北面にはスキーコースのZ字が見える。浅間山は煙が立ち上がり始めたスカルパF1の足の甲締めつまみがヤブに持っていかれてしまった横手山きょうは1.8リットル飲みきってしまったので明日は3リットル作る。昨日開通の渋峠自動車道沿いの県境レストラン、バスでいきなり標高2150mその右側、魚野(ようの)川をはさんで彼方には苗場山、佐武流山、白砂山が見えてんじゃん!!! と・遠いワオッタテ峰西のコルあたりは風が弱まるのか太い樹齢あるタンネが多い。トラバースと直登を選びながらルートどりするここに来て初めて大沼が見えた。厳冬期にも良いな。向かいの飯縄山の麓は善光寺平のあたり北軽井沢のバス乗り換え30分で、旧北軽井沢駅舎の展示室に群馬県立体模型が!ついにオッタテ峠付近で笹原出現。この程度の丈30センチの笹ならスキー履いたまま進める。写真中央に道が横切っているのを視認して進む大高山を見上げる。笹原上部に道の刈分けを視認。ルートファインドが重要おおたか沼と裏志賀山高沢山登り途中より南望 浅間山、草津白根火山群、横手山大高山を超えた緩いコルで泊まることにする。イグルー作に1時間。雪重い。もう限界時期。北北西には寺子屋峰への稜線が続く。北軽井沢のバス乗り換え30分で、旧北軽井沢駅舎の展示室に群馬県立体模型が!カモシカ平には分岐があって中高沢へと刈分けがあったけど、どこへ行くのだろう中はほぼ加牟那塚古墳。夕日を浴びているけど、窓、閉めちゃった。感想:定年退職記念山行で、志賀高原〜苗場山までの53.5km、行動5日予備3日の計画だったが、後半の残雪がだめそうだったのと、30kgでの野反湖登り返しのパワーが沸かなかった。あと二週間早く行けばよかった。でも、スキー向きのよい山域を発見した。一日目 ガスのち晴れたった2500圓で長野駅から標高2000mの渋峠まで。フォーリン客の殆どは雪猿公園で降り、峠までは一人だけ。バスは昨日から運行。運転手に「いい日に来たね」と祝福される。昨日は雨で出発やめた。今朝も家を出る10分前に決断した。退職したので自由だ。車やバイクの喧騒峠を後に、スキー場の左の樹林内を最高点目指す。最高点はスキーコースから離れた静かな場所だ。南側展望が良く、浅間や富士山まで見える。草津白根はここより低い。志賀高原の最高峰は裏岩菅山だけど、横手山は善光寺平からも目立つし、山容も良い。スキー場になっちゃっているから名山リストに入らないけど、褒めてあげたいいい山だ。この山の東側の長大な無人スロープに興味がある。スキー場から早く離れたくてほぼ県境の北西急斜尾根を下ろうと思ったら、傾斜も強く立ち木も多く、それにいわゆる「スキー場コース外滑走」にあたりそうなので、スキーコースを下る。横手山北面の夏道記号は、スキーコースだった。2170で分かれて樹林帯へ。尾根上は少し融けて道が出ているところもあったが、概ね雪の樹林帯は快調で、重荷のシールスキーでもターンして樹林の山旅を始める。今回は20年はいたボリエールの二重靴をやめ、昨年買ったスカルパF1という兼用靴で、しかもヤブコギシートラ予測の130cm板+ジルブレッタ300という初の組み合わせ。滑りで靴がいいので楽に滑りやすい。歩きでもこの靴で十分だ。鉢山の北東コルにザックを置いて、空身で志賀山を往復。かるい〜〜〜。四十八池まで軽やかに滑り、湖上を横断、志賀山と裏志賀山の間の沢型地形から攻める。途中清流をガブガブ水を飲み、笹の上もシールで登行して、直下の硬い急雪面もシール登行。シール自在だ。先日再読した信州百名山で、著者清水氏が、徴兵で教職を離れる朝見た志賀山のことを書いていた。離任のあいさつのとき山を見たら何も言えなくなったと。個人的なストーリーが込められた山行記録を読むのが好きだ。観光開発地としての志賀高原の名は志賀山からとったという。大小の湖沼に囲まれ喧騒のないこの季節は最高だ。雪にノコは入るが重い。本ギッシリ詰めた宅急便の箱クラス。風あるが雪面下部分にいると感じない。明け方、煌々と明るい月あり。二日目 快晴赤石山までの東西稜線は快適に飛ばす。シールスキーで十分機動性あり。片方のシールのテールがプラプラ。ノリがほとんど薄々だったところに、湖沼の横断で濡れてくっつかなくなってしまい復活せず、テーピングで固定した。これで一日弱切れずに持つ。厳冬期はこうはいかない。気温高く快晴。赤石山の最後のあたりは傾斜があるのでスキーを担ぐ。せっかく持ってきたジュラルミンアイゼンもあるのでつけると楽に上がれる。山頂は、岩が立っていて展望が360°良い。北アから富士山まで。それに行く手の苗場山までの長大稜線も。果たして雪はつながっているのか。北につながる寺子屋峰の存在感が良い。志賀エリアはスキー場だらけだが、少し外れれば冬季の魅力ある山に満ちている。小地形を地形図見ながらスキーで進むのは楽しい。樹林の中には、遠目にはわからないが日陰だから雪が多く残っている。ただ、東に進むにつれて笹原の露出が多くなる。笹原は樹林がないため日があたり、雪解けが早い。尾根の下りは、雪につられて方角を間違えやすい。雪がきれた場合を考え、夏道からあまり離れないようにする。1937の降りはうっかり間違え登り返す。五三郎小屋跡のコルは完全に笹原草原だ。樹林がないと雪解けも早い。雪と笹と道を見分け、スキー着脱を繰り返しそのたびに30kgの荷物を下ろし、背負う。繰り返し今回は百回くらいしたのではないか。大高山の登りではかなり速度も落ちて、休み時間も長くなる。大高山の山頂では大高くんの顔を思い浮かべる。この前能登地震で久しぶりに会ったとき、子供ができたってすごく喜んでいたな。1.8リットルの水を全部飲んでしまった。倒木だらけのコルで泊まることにする。イグルー作り1時間。もう暖かいし、ゴロ寝でもよい。と思っていたら、午前0時にイグルーの屋根ブロックがスカスカに細くなっていて、午前2時に崩落した。春を感じる、イグルー季節の終わり。三日目 高曇り屋根なしイグルーを腰を上げずに片付けた後、しばらくそのまま寝ていて、お茶を飲んでラーメン食べて出発。カモシカ平までの樹林はだいたい快調に滑れた。が、コルに降りるあたりから雪が切れてシートラ。シートラは重い。高沢山への登りも休み休みだった。午前のうちからパワーが出ない。イノシシの掘り返しや、トレースが目立つ。くまのうんこも何度か。彼らもこの夏道を頼りにしているのか。雪渓に覆われても道を大きく失わないのはヤマレコGPSの威力で助かる。紙の地図だけだと、行ったり来たりは増えるだろうな。高沢山の山頂では前歯の欠けた高校生の頃の高沢君の顔を思い出す。今頃どこに住んでいるのかな。三壁山までの行程で、野反湖下山を決めた。すごく迷ったけど、この先は夏道が無い区間に残雪が乏しいとかなりきつい。シートラで30kgのヤブコギになる。野反湖道路が開通してしまっているのもちょっと大きい。三壁山の下りも、残雪と夏道のトラップに注意して下る。スキーの着脱を繰り返すより、シートラのほうが楽になった。キャンプ場ビジターセンターは営業準備中、ちらほら連休の車がやってきて、写真を撮っては帰っていく。ここまでは電話が通じたのに、対岸右岸側のダム上では不通になっていた。腰をおろして休んでいると湖岸ハイキング中の若い夫婦が話しかけてくれて、なんと散策を終えたら野反湖南岸のコル1561に駐車してある車でお迎えに来てくれることに!嬉しい!花敷温泉のバス停まで徒歩4〜5時間かタクシーかというところだったのだけど。花敷温泉までのつもりだったけど長野原草津口まで載せてもらった。沢登りをするとのことで成瀬さんや大西さんの話やNHKのドキュメンタリの話に。とても楽しかった。幸運な出会いで、ツいてる。予期せぬ下山路だったので、どこをどう帰るか長野原の駅で調べると、高崎にでる電車よりも、北軽井沢のりかえ経由のバス路線が魅力あり、これを行く。この上信高原山麓に、昭和37年まで草軽鉄道が走っていたのを、バス乗り換え30分の北軽井沢郷土館で知った。乗客はたった一人だったのに軽井沢に近づくに連れ連休観光の人で満席に。乗り降りの支払いで到着が遅れ、軽井沢での新幹線はドアの閉まる3秒前に駆け込んだ。出発20秒前に券売機から切符が出てきたので駄目かと思った。高速鉄道で長野に連れて行かれ、篠ノ井線も特急しなので松本へ。あの浅間山麓のお客ガラガラの貸し切りバスで山と花をみながらウトウトした下山路、よかったな。先週ラジオで聞いたA Woman to left lonely (ジャニス・ジョップリン)が、山行中ずっと脳内で流れていた。