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発行日時
2024-9-11 5:33
見出し
笊ヶ岳 雨畑川奥沢谷北のタル沢
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笊ヶ岳 雨畑川奥沢谷北のタル沢(沢登り/塩見・赤石・聖)日程:2024-09-09〜2024-09-10メンバー: yoneyamaコースタイム:写真:石組と民家あと遠くに続々右岸まいたら行手にすごい滝30mマンガみたいなきのこ右岸、倒木の左に取り付いて見てくるところ最後の連瀑帯始まる切り通しが通じている。多分1950年代の林業あと広河原で釣り巻き終わり振り返る多分、1997年に古元さんが落ちて死んだ所。この先の数メートルのトラバースが悪いまずは小笊をアタック下りの尾根は長かったプール付き滑り台の滝連瀑帯始まり最終民家あと喉(ゴルジュ)というか食道ビビンバ、行者ニンニク餃子20コ、富士宮焼そば大盛り右岸巻く弱点探して這い登るC1朝狭いとこ、右岸ルンゼ登って巻く左岸を巻いたりして進む左岸を巻く登っても登っても現れる素敵な天場適地懸垂して降りる。行くてに続々見えるけど、降りてみないとわからん杉植林の登山道北タルの沢、出だし、ガスのような晴れのような見通せないほど巨岩帯源頭の長いガレを抜けて多少木の生えたコル付近まだまだ続く細い滝堰堤みたいな30m滝狭いとこ見えてる越えた向こうは良心的、の函滝米山の足元右岸の緩いリッジから小さく巻く。トラロープの朽ちたのあり一番奥のやつ巻き終わってガマガエルの祝福ここからしばらく単調な河原日陰で支度数えきれない滝の嵐吊り橋小滝現れ両岸狭まる取り付いてみると細かいスタンスありこの水流に落ちて溺死したとのこと。この下流側も一段トイ状滝が続いているルート見極める巻きの途上で横に見る巨岩帯で、消耗笊ヶ岳老平の駐車場看板水際を行くおお、笊ヶ岳がチラ見え感想:山岳部の6年目、この春日高の全山単独縦走して、今は小川山山麓でクライミング修行中の中川さんから本州の沢登りっぽいところいきましょうとお誘いがあり、未踏の気になる沢と山頂を選んだら、結果、日高みたいな沢になってしまった。笊ヶ岳の雨畑川奥沢谷は、記録があまりWebにはなく、登山体系を読んだが、全く状況は変わっていた。50年も経ったら沢は変わるのだ。行きたいと思っていた甲府在住のころはもう10年も前だ。白根南嶺の要のピーク。甲府の町からいつも眺めていた山。広河原までの登山道は岸壁に穿った道で、おそらく1950年代までの林業の軌道あとではないだろうか。下降尾根のジグザグ道も多分林業作業用の名残だろう。あんなマイナー山にあんな根気よく道を作る理由がないから。広河原から中川さんが釣りを試みてから入渓。両岸が狭まると始めからゴルジュ状が連続して、微妙に行ける滝もあるがエグいのもある。初日はロープ2回だして巻き、懸垂を一回。右岸から左岸から、巻き自体は怠らなければそれほどエグくはない。ただ、ほんの数メートルの悪いところが最後にあったりする。標高1170にある数段組のすべすべゴルジュの奥の4mほどの滝の左岸側、滝の落ち口の手前数mが悪い。ここで1997年に東京の山岳会の友人が落ちて水流で死んだとのこと。その前の数年間にパソコン通信でやり取りして知り合った。白鳥山でイグルー×スキー山行をしたこともあった。記録をすごく書く人で、短歌もうまくて、生きていたら今頃ヤマレコであえたことだろう。ずっと挨拶したかったのが叶った。中川さんはクライミング修行中とあって、ルーファイが的確で、見ていて安心だ。巻きの判断も早い。後続に対する配慮も完璧。同じ育ちの山岳部は、行動の呼吸が同じだから初めての山行でも安心して行動できる。1170を過ぎると巨岩の群れではーはー言いながらよじ登る。北ダル、南ダル分岐の二股の真ん中に一段高いテラスがあり泊まる。中川さんがロープをピンピンに張って快適にタープを張ってくれた。う〜む美しい。薪は豊富。食事は伝統食の晩カレー雑炊、朝棒ラーメン。【二日目】明け方軽く降雨だったが止み、霧の中出発。天場の1260二股から1650mくらいまではまたまたゴルジュと急な滝が連続して巻いたり登ったりを繰り返す。右岸を巻いたら行く手に落差30mの直瀑が現れ、そのまま薪続けようかと思ったけど途中には急で幅のあるガレルンゼがあるため、一旦降りてそのガレルンゼの左岸あたりに、大滝との間の巻きルートを見出す。この30mを超えると普通の河原が続く。小笊の右と左に上がる沢の二股2030mから、左股を選んで登ると細い連瀑で始まる。いきなり行けず。右俣に少し入って右岸ルンゼから左俣の左岸のヤブ尾根を並行して巻いていく。降りたりまた上がったり。ここでも一箇所最後のトラバースに落ちたら水流に揉まれそうなヤバい箇所あり、横着せずに巻き上がる判断。2370で突然水流が膨大なガレの下に消える。ここから上は見渡す限りガレガレの景観。足を置けば崩れて流れ、ラッセルしているかのよう。小尾根上に草や木が生えているところを辿ってコルまで。空身で小笊をアタックして笊ヶ岳へ。視界は時々七面山や北のほうがチラリと見えるくらいで、地味な山頂である。ここからは夏道だ。とはいえ道だってトラップみたいなポイントがいっぱい有って、外さないよう要注意だ。布引山経由で延々下るこの登山道は、いかにも南アらしいというか、樹林の中をひたすらジグザグ下る。途中大規模なワイヤー・ケーブル廃墟あり。やはり往年はこの稜線のシラビソをバンバン切って運び出し、その後の細いシラビソ密林になっているようだ。これのために切った道だったのだ。C1二股の上にも架線が3本残置されていた。尾根末端の広河原で17時。水をガブガブ飲んで脱水を脱出。ここで足はヨレヨレになっていたけど、泊まらずに帰ろうかってことになる。2日で済んだけど、3日とってあるから、早く帰って下山連絡入れなきゃまずいっていう焦りが無いのが本当に幸せだった。やはり山の日程はキツキツだといけない。長く暗い登山道+林道は結構危ない崖もあるので慎重に帰る。中川さんは最後まで問題箇所の通過では振り向いて光を当てて待ってくれていた。できるリーダーである。身延町の「うまいもん屋」という店が遅くまでやっていて、身延ギョウジャニンニク入り餃子20個+富士宮やきそば大盛り+石焼きビビンバを食べて満足。まだ将来どんなことになるのか、本人にも、まして周りにもわからない状態の若い人とあれこれ話すのが楽しかった。山登りという経糸を伝って世代が進んでいく。
 
 
 
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