残雪でヤブが埋まる国境稜線をシールスキーとイグルーで長距離山行、という計画がたくさん。いくつもある候補から今回はこれを行こうと、昨日のうちに一週間分の食糧をザックに詰め、計画書も「コンパス」に送り、妻にはGPS通信によるトレースの手配も。
今朝は早起きして玄米飯も平らげ、さて靴を履いて玄関を出るだけという段になって、今日はやめようという気になった。気まぐれではなく、昨夜床についてからずっとのしかかってきた「山行前の重い気分」がずっと取れなかったのである。
発行日時 | 見出し |
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2024-8-7 2:13 |
メナシュンベツ~十勝楽古
メナシュンベツ(沢登り/日高山脈)日程:2024-08-03〜2024-08-04メンバー: shibabemaru onodera22 tamaki_2023コースタイム:感想:高度感あって良い。一年目成長したな。
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2024-8-5 7:30 |
余別51点沢〜珊内岳往復
余別51点沢〜珊内岳往復(沢登り/積丹・ニセコ・羊蹄山)日程:2024-07-27〜2024-07-28メンバー: misa2021 Sugiyama_2022 kaneko23 watanabekaコース状況/その他周辺情報:Day1:林道ゲート(4:30)51点沢出合(7:30)Co380(10:15)珊内岳(14:15)=C1[曇りのち小雨]広場の左へ伸びる踏み跡を辿ってすぐに入渓。防寒対策しっかりしてきたので余別川を楽しく進める。函は巻いたりへつったり。地図読み迷うことなく51点沢に入る。F1 直登。F2の3m+3mの二段Fは直登。お助け出した。F3桶上の2mFは丸太登りか左岸直登。F4丸太の滝は右岸側壁を登る。F5、6mF、右岸直登。F6の6mFも右岸直登。Co380二股は左。Co390のねじれた8mFはLだけ右岸へつって取り付き水流を直登。他の人は右岸巻き。Co400二股は左で51点沢左股に入る。Co500の二段40m大滝は市川トップで巻く。右岸ルンゼから小尾根を登り滝の落ち口すぐ近くに降りる。もう少し大きく巻いたらab必要だったので良いRf。Co720二股は左。ここからピリ辛滑滝が連続する。一つ微妙でALがシュリンゲ垂らした。Co830二股で水を汲む。ピーク泊予定だったのにプラティパスが2つしかなくて悲しむ。Co900を右股。結構上まで沢型あった。積丹藪を漕いでピークまで。ピークは笹やらを刈ってタープを張り寝る。小さな焚き火もする。夜は悪天だったが周りが笹に囲われており吹き込みが少ない。気温も高く極いというほどではなかった。夜中に鍋を置いてタープ水を手に入れた。Day2:C1(6:00)Co380(10:00)51点沢出合(13:30)林道ゲート(19:30)[小雨のち曇り]雨が弱まってから行動。藪を漕いで51点沢に入る。沢型に入った時点で水がジャバジャバ。Co900二股、Co830二股で昨日との水量の違いにビビる。濁って足元が見えずに慎重に下る。Co800~Co720の滑滝群はまとめて左岸尾根を巻く。Co500の40m大滝は来た道。Co390の8mFは左岸小テラスからab、支点は木に捨て縄巻いた。Co320の25mFは左岸小テラスからab。6個くらいの残置ハーケンと新しい残置シュリンゲをお借りした。自分達のシュリンゲも残置した。F6は左岸cd。F5はほぼ垂直な右岸を慎重にcd。お助け出した。F4は来た道。F3は左岸cd。F2は右岸巻き。F1はcd。どの滝も釜が大荒れで怖かった。51点沢出合いまでもいくつか渡渉が難しい場面があったが、どれも都合よくブッシュが伸びていて危なくはなかった。49点沢出合いまでは均一に浅くて流れも遅く安全に下れた。流れながら移動や流れながら渡渉する箇所があった。49点沢出合いからのCo190〜Co160あたりが今回の核心。深くて流れの強い渡渉箇所が避けられず何度か流された。精神削られる。3回ザイル出した。ALがフィジカル強く、渡渉のロープの出し方も学んでいて本当に助かった。Co150あたりの狭い地形は右岸を高巻く。Co140以降も渡渉が大変そうな河原。これ以上渡渉したくないため左岸を大きく巻くことにする。斜面を高く登っていくと謎の快適踏み跡が現れる。神に感謝した。急にテンポ上がってCo100の二股まで。その後は踏み跡見つからなかったが薮の中を歩く。日が暮れてきたのでGPSを確認し林道を見つけた。暗く不明瞭な林道はラテルネとコールで進む。都合よく林道終点とゲートだけ電波が入り、下山遅れの連絡と下山連絡ができた。精神的に酷く疲れた。多くの方に大変なご心配ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。<進め方について>過去の記録から小雨ならそこまで増水しないと考えていた。入山前の天気確認はウェザーニュースと天気.jpなどで確認し、夜中に1〜2mm/hの雨が降ると予想していた。夜中に雨が降るのでC1は珊内岳ピークではなく122点の途中まで下ろすことを目指し行動することにした。ピークで電波をとると天気予報が悪化しており、どの沢を降りるか考え直さなければならずとりあえずピークで泊まることにした。電波が入ったのでネットで記録を見ながら話し合い、珊内川も良くはなく、行きで様子のわかっている51点沢を下降することに決める。夜中も大雨が降り、朝起きて予報を見るとさらに悪化していた。食料がなく月曜も雨なのでできる限り今日中に下りたいと話し合った。余別川の函地形の大巻きや渡渉にどれくらい時間がかかるか見当もつかなかったが、時間をかけてでも安全に下ることにした。下連担当とLINEをして現状を共有した。時間をかけてでも安全に下降することともし下山時刻遅れになっても余別川のどこかでビバークをしている可能性が高いということを確認した。その旨をメーリスに流してもらうことになった。進められるだけ進めようと考えて行動を開始する。運よく明るいうちに林道に上がり下山することができた。写真:Co170あたり。杉山はここを渡ったんかここ楽しかった小滝。基本Mがトップを行く。Co500あたりの40mFの巻き。余別の函足元見えないが意外と下れる51点出合い〜49点沢出合いは平和F8(こんなに細かったんだな)F8は左岸立木で懸垂滑滝たくさんF2Co720~800あたりの滑滝。金子がトップを行く。F5、cd怖かった寝ると顔面スレスレのタープ左岸ルンゼ余別川流れてなかった上部のガレでがっつり水流あってビビる。そこらの夏道より歩きやすい謎の道が現れるみんなお腹ぺこぺこF4ザイル出してもらえて助かった高巻きの支点木があって助かった25m大滝F7の25m大滝は左岸小テラスから懸垂cdかわいいAL左岸ルンゼ渡渉点選びが大事F3感想:ご心配ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。
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2024-8-5 1:28 |
楽古川B沢→A沢
楽古川B沢→A沢(沢登り/日高山脈)日程:2024-07-20〜2024-07-21メンバー: Sugiyama_2022 watanabekaコース状況/その他周辺情報:Day1 :車止め(12:00)B沢出合(14:30)林道歩いて・306付近まで。そこからあとは林道跡分かりにくく、林道跡歩いたり河原歩いたり。B沢出合でC1。増水耐えられる場所あるが不快そうなので、天気いいため増水微妙の砂地で泊まった。A沢少し詰めると快適天場あるので、悪天時はそこがよい。パー食たくさんでわいわいキャンプ。チーズナン作り、摘んできた野イチゴで作ったジャムとともにいただく。美味い! Day2:C1(4:00)十勝岳(8:30ー50)C1(11:10-40)車止め(14:00)B沢入ってすぐの10mFは右岸直登。ザイル出す。上部核心で、大きなムーブ決めたあと傾斜ゆるいがホールド皆無箇所。核心前でハーケン打とうとしたが決まらずランナー0で超えた。怖すぎた。下で時間かけて支点とればよかった。ホールド皆無は怖くていけなかったので、手から1m先の左側笹めざすことに。一枚岩を滑りながら笹キャッチで抜けた。二度とやらない。後続プルージック。Mは大したことなかったらしい。ネット記録見ても大したことないらしいので、単にビビりandルーファイミスったっぽい。渡邊いわくもっと水流際登ったほうがよかったらしい。反省。対処30分強。その後は快適に直登できる滝が連続。1か所渡邊に腰がらみでザイル出したとこと、左岸巻いた滝あった。Co720のFは、直登できそうな感じだったので、ザイル出して取り付く。が、結局登れずcdで敗退。20分ロス。右岸明瞭な巻道使った。その後の滝は渡邊トップで抜けたが良くないということだったので、右岸小さく巻いた。巻きもそんな良くなかった。その後の滝は右岸巻く。悪い。お助け出した。屈曲部Fは踏み跡たどりルンゼ状に入ったあと、すこし登って木と笹使いながら巻く。これで核心終了。あとは小滝ちょこちょことガレ。Co1200過ぎまで水あった。泥水だったので出普段は水流れていないのかも。崩落地すぎたら踏み跡使って稜線まで。稜線上も踏み跡あり、ピークまで。渡邊から桃ごっつあん。明瞭な踏み跡使いA沢入る。原頭部は泥と草。水出てきてガレののち、ナメとナメ滝。ぬめるので注意。cdムズそうなところは笹か踏み跡使って簡単に巻ける。特になんにもなくC1まで。ゆっくり休み、あとは、河原歩きと林道で。野いちご収穫したり、荷物置いて泳いだりしながらゆっくり帰った。写真:生地をこねる!敗退した滝豚串野菜炒め(レタス、玉ねぎ、豚肉)A沢大きく巻く。踏み跡あり容易。ももごっつあん水流突破も敗退林道で野イチゴ収穫収穫した野イチゴを使った手作りジャムでいただく滝が続くチーズナンF1、怖かった。滝が続くピー写!感想:沢は怖い。自分の力のなさを思い知る、、、F1でしくじってしまったが、全体としてはL1人で2年目連れて行かねばならぬことになったときにちょうどいい沢だと思う。テン場から行きと同じ道使って帰るのはでちょっとだるいけど。一日目3hしか動かないので、パー食たくさんでキャンプするのが楽しい。
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2024-7-28 2:46 |
芦別/槙柏山東面ダイレクト(右沢)
芦別/槙柏山東面ダイレクト(右沢)(沢登り/芦別・夕張)日程:2024-07-27(日帰り)メンバー: saito1987 zeniya1990コースタイム:写真:直登不可で左岸から捲く(枯滝スラブ状→急な灌木リッジ→一枚岩フェイス5.8、捲きの下部で計3p出した)下降は南面ルンゼの強線に吸い込まれるようやく頂上がγルンゼ左股奥壁50mの懸垂下降4回で夫婦沢に降り立つ出合いの滝の奥シャワークライムをあきらめ右岸から上るこのルンゼは登っても面白そう一枚岩フェイスの核心を抜ける夫婦岩上部の草付きスラブ帯へ槙柏山頂上槙柏の香り麗しスラブ帯旧道から出合いの滝右岸容易夫婦沢に下りて一安心あなどれない傾斜が続くナメ滝下部取付きCS滝左岸(ザイル1p)ナメ滝上部枯れ滝の捲きはじめ捲き終わって右沢に入るナメ滝中間部東面沢640二股から直登沢へ下部はガレしばらく行くと岩壁帯と100m超のナメ滝が見えてくる感想:ユーフレ川支流から未踏?の岩壁へ。弱線を繋ぐ1本のライン。水量は少ないが途中100m超のナメ滝は圧巻。塊状の緑色岩なので、ハーケン打つリスに乏しく、おまけにヌルっている。直登は無理か。100m滝の上部も傾斜のあるナメが延々と続く。ノーザイルでは無理そう。詰めはスラブ状の谷。灌木を頼りに熊のように這い上がる。このダイレクトルートは左沢が本筋だが、未確認。後進に期待。
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2024-7-27 10:38 |
丹沢 中川川水系 悪沢
丹沢 中川川水系 悪沢(沢登り/丹沢)日程:2024-07-27(日帰り)メンバー: nikonikoaokazu mizushu2016コースタイム:写真:F5F1 上から登り返しの要領で熊がいます精神安定剤の残置歯槽膿漏ハーケンカエルが沢山F2F1 ブレた25mFって言ってるやつ?F4上から感想:悪沢というか、カエル天国沢です。滝登り目的としては「良い沢」。ちゃんとした作業道がついている謎。
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2024-7-26 4:06 |
千代志別川~浜益御殿
千代志別川~浜益御殿(沢登り/増毛・樺戸)日程:2024-07-20(日帰り)メンバー: shibabemaru onodera22コースタイム:写真:To the seaTo the summitピークにサモエドちゃん3匹いた!Sea感想:海きらきらだった
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2024-7-22 11:14 |
小室川谷
小室川谷(沢登り/奥多摩・高尾)日程:2024-07-20〜2024-07-21メンバー: Takeuchi_2016 nikonikoaokazu mizushu2016 yumepporoコースタイム:写真:石門ノ滝、左岸トライ中2段目小室ノ淵MT 2/2台上から四段の滑滝沢に行く意味稜線石門S字峡の入口?右岸上から最初の滝感想:サワーランドがだめなら、サマーランドに転戦すればいいじゃない。仲間たちと焚火を囲むために沢に登るのかもしれない。
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2024-7-18 1:47 |
黄金沢~群別
黄金沢~群別(沢登り/増毛・樺戸)日程:2024-07-13〜2024-07-14メンバー: shibabemaru onodera22 tamaki_2023コースタイム:写真:橋。車種によっては渡れそう滑F1上より。下にいた時は緊張してて撮れなかった感想:自転車がなくなって悲しい。鍵をかけておけばよかった。行方を知ってる方いたら教えてください。C1で携帯電話が行方不明になったので2日目の写真何も撮ってなかった。下山後シュラフの中で発見。沢は楽しかった。滝は適度な難しさ。虫もそれほどはいなかった。
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2024-7-16 11:52 |
円山 シナノキの花、桂の葉の裏の薫り
円山 シナノキの花、桂の葉の裏の薫り(無雪期ピークハント/縦走/札幌近郊)日程:2024-07-06(日帰り)メンバー: yoneyamaコース状況/その他周辺情報:八十八箇所お地蔵さんルート登り、動物園裏下降ルート写真:山岳館の直行画かつらの甘い芳香小樽駅まで歩く途上山頂体操のひとたち小樽駅まで歩く途上これはシナノキの花 これは香る弘法大師空海を祀るドアーシナノキの花がよく香る桑園駅から農場へ。このポプラ並木、昭和期には無かったよ山岳部棟、ボロいまま森にうずもれる山岳館のヘルベチアお地蔵ロード不動明王ありわかる建物はほとんどなかった大正時代のお地蔵ロードかぁ兵隊さんは、多分中国戦線で死んだ小樽駅まで歩く途上山麓の神社小樽駅まで歩く途上新歓立て看板小樽駅まで歩く途上円山公園にも巨木ヤチダモ。この幹はいい。窪みに小さい一本あり。おお、40年ぶりの並木書店。ヌタック創刊号+2号を発見。森にうずもれる恵迪円山は北海道一のスピリチュアル山かも札幌らしいぷりぷりの黄色い麺。札医大近く。ちょうど今日だ懐かしや小樽駅まで歩く途上山岳館の直行画北海道神宮の名は、1964年から。それまで札幌神社だったのかァこの山がお地蔵山だと初めて知った降りも巨木玄米塩握り小樽駅まで歩く途上カツラの巨木とお地蔵世代ま引き継がれているよう前より整っている多分初めて北海道神宮来た時間の経過を知る小樽駅まで歩く途上あざれあ小樽に接岸円山公園40年ぶり。カツラ巨木化している森の中の寮感想:小樽港四時半上陸。徒歩旅行者はボクだけ。小樽駅方向に進む。1990年以降は多分来ていないはず。6時35分のバスで札幌へ。午後までの空き時間に円山を登る。学生の時一回恋人と登った事がある。円山は原生林とされ、桂やシナノキ、楡などの巨木に埋もれている。この数十年でさらに太くなった。八十八箇所信仰のお地蔵が、かなり多く道脇に続く。記憶になかった。シナノキの花と桂の葉の裏から、甘い甘い香りが、山全体に漂っていた。昔は木の事も知らず、何も見ていなかった。山頂から見る札幌には、知っている建物はほとんど見つけられなかった。TV塔も、高層ビルにうずもれて見えない。北大の緑の広がりしかわからなかった。都市の横の高い山。アイヌはこちらをモヤトンケと呼んだのではなかったかな。降りに若いアベックが爽やかにのぼつてきた。学生かな。動物園のウラコースから元の円山公園へ。北海道神宮は、多分初めて。円山公園駅のバスターミナルは人が多くて驚く。縁日でもあるの?と聞いてみたが、通常風景らしい。コインロッカーでザック回収して札医大近くのラーメン屋により、桑園駅経由で北大農場を横断し、山岳館の集まりに到達した。懐かしき人々に会う。
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2024-7-16 11:52 |
空沼岳 北大空沼小屋35年ぶり泊
空沼岳 北大空沼小屋35年ぶり泊(無雪期ピークハント/縦走/札幌近郊)日程:2024-07-08〜2024-07-09メンバー: yoneyama写真:笹の刈り分け道。あのエゾ松は樹齢250年扉と二階への階段落書きはほとんど1970年代以前の部外者宿泊者ですね。こういう時代の日本だったねえ支笏湖方面空沼二股でバスを待つ国立公園だったの?万計山荘 まだ入ったことがない。こちらも2000年ころ修復工事した暮れ行く沼いい感じの窓辺扉と二階への階段ストーブに火を入れ宴会の残りのパンとチーズを食べた棒ラーメン納豆粉のせ真簾沼大きい砕石場40年前と変わらず沼を見る懐かしい〜いい感じの窓辺キノコと若葉パンケ沼は霧で見えず、空沼小屋への架け橋を渡る室内近郊らしい、道がなければ笹漕ぎだ前はなかったと思う朝もボーラーメンと宴会余りのチーズハムパン真簾沼大きい真簾沼大きい沼側外観生まれ変わった北大空沼小屋万計沼に戻る湖上の霧が移動する窓際万計山荘前からの万計沼これが出るとすぐパンケ沼玄関と二階屋外山頂ガスで視界100m空沼小屋外観みずみずしい真駒内川壁面、良いデザイン北大山岳館書庫魚だし醤油。麺の締りも好み。おばちゃんとおじちゃんの布陣と簡素な店内レイアウトも好み。室内火を入れた窓際北大山岳館書庫鎧戸を開く国立公園だったの?雨の森北大山岳館書庫沼の上の霧が晴れた湖畔の木が増えた北大山岳館書庫これで来てこれで帰る室内昆虫のしわざ北12条。むかし、まこと屋食堂があったあたりだと思う。感想:北大空沼小屋は1928年建設。同じく北大のヘルベチアヒュッテ1927と並ぶ最古の山小屋だ。 2017年に老朽化した土台を引き屋工事して直した。卒業前の冬1989年に5年目の時、一年斑のリーダースタッフで泊まったのが最後と思う。35年前と変わらない佇まい。快適にささやかに復活していた。うれしい。沼の水をグイグイ飲んでいると、それまでの霧が晴れて懐かしい風景が現れた。今日の北大構内と同じで樹林が猛然と伸びて、小屋が埋もれそう。ダケカンバも更に太い!貸切なので、午後はずっと何もしないで、水面の風のなぜる白い模様や、湖面の霧や陽だまりを見たり鳥の声を聞いていた。日が暮れれば火を見て、現役の書いているルームノートなんか読んでいた。むかしからここに一人で来ると、いろいろ書いた。山のこと、部員とのこと、夢や希望や何でもかんでも。若い人たちのノートを読んでいたら、自分の夢や焦燥や、当時の恋人とこの小屋にきて沼と森を見ていた時間も思い出したよ。明るくなって起きて、昨日と同じ棒ラーメンとパンとチーズ食べて掃除して出る。薪はちょうど燃え尽きる量で灰になった。山頂へは弁当と水で行ってくる。真簾沼を過ぎると霧ションの雨。山頂もそんな感じだった。雨の森は素敵だ。5,6人のパーティーといくつもすれ違った。小屋で荷物を回収してバス停まで。懐かしいような、見覚えのないような登山道だ。昨日の北大構内もだけど、木々は太く長く茂り、日本の山の森は40年前よりかなり盛り上がったんだな、と感じた。昔は採石場まで来ていたバスも今は二股までだが、来るだけありがたい。よくこんなところまで来てくれるなあ、バスよ!完全にセンチメンタルイモーショナル山行だった。樹林は伸び茂り、山岳部員はどんどん流れてきて流れていく。北大山岳部はまるで、大きな100年の水をためた万計沼のようだ。そのまま北12条のラーメン屋でまたラーメン摂取して、北大の山岳館まで行って調べもの。ここは山資料の宝庫で、札幌に住んでいれば毎日でも通いたい素敵なところなのだ。あっという間に数時間経過した。ううっ!当時の空沼小屋ノートもあった!こわごわめくってみた。いいこと書いてある。夜もラーメンだな。
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2024-7-16 3:41 |
ヤオロマップ右沢~左沢
ヤオロマップ右沢~左沢(沢登り/日高山脈)日程:2024-07-13〜2024-07-15メンバー: misa2021 Sugiyama_2022 kaneko23 watanabekaコース状況/その他周辺情報:報告_2024.07.13-15(3-0)ヤオロマップ右沢~ヤオロマップ左沢L齋藤(4 AL杉山(3 M金子渡邉(2 <時間とルート>Day1: 橋(4:30)Co579(8:30)Co610二股(9:00)Co1070三股(14:00)=C1[晴れ]ニノ沢にかかる橋の脇に1台だけ置けるスペースがあった。ニノ沢乗越しはネットの記録で何もないと書かれている割にしっかり沢登りだった。ぬるぬるの小滝もあり、ガレの詰めも朝一ではしんどい急登だった。コルに正しく出ると下降がガレ場になってしまうのでコルの少し西に出る。下りはガレの脇の笹薮を使った。滝を4つほどCdして・579まで。Co610二股は右。今日は稜線上のテンバまで行ける読みで進めることにする。Co750まで広くて何もない河原のパート。Co750の二股からCo1070三股までの区間だけ小滝が連続する。ザイルは出さなかったがシュリンゲ垂らしたり空身にしたりした。高めのへつりでALがスリップしLが咄嗟にキャッチする一幕あり。Co800あたりの10mFは左岸直登、一応お助けだした。右岸巻きの滝もあった。その後もM金子トップで小滝を登りCo1070の三股まで。泊まれそうなので今日はここまでにする。中洲といえば中洲だがすごく広いガレ場で安全そう。雪渓の残骸があった。夜は金子のおかげでアルファ米をいただく。朝もプチっとうどん味。苦痛0の食事。 Day2: C1(3:45)Co1560コル(6:00)⇄コイカクAT(8:00)ヤオロ(9:30)Co610二股(12:30)=C2[晴れ]皆よく眠れたらしく焚き火もすぐ着いて準備が早い。明るくなるのを待って出発。左股に入る。Co1300の滝で二股になっており、あまり考えず登りやすい右へ行った。左へ行くと詰めの上部で長いガレを通るという山谷ルートだったと思う。少しは立ち止まるべきだったか。Co1350あたりで50mほどの滝が出てきた。滝の下部は簡単。上部はツルツルなので右岸灌木へトラバースした。難しくはないが高度感あって怖いのでLがお助けだした。ここはM金子がトップを行ったが安定していた。灌木から滝の落ち口へ行くときもALトップでお助け出した。そこからすぐに水が枯れ、ほぼ藪漕ぎなくコルまで。コルの直下はよくあるザレ場だがM渡邊がRfミスって難しい所に行く。Lが手でスタンス作って耐えた。コルで空身にしてコイカク夏道AT。夏道登山者が沢山いたがそれが信じられないほど薮々で脛アザだらけ。ヤオロまでも夏道。ヤオロピークすぐ横からヤオロマップ左沢に下る。Co1400から滝が5つほど出てくるが全てCdでいける。Co1200の10m滝は右岸巻いた。ここからひたすらガレ歩き。Co700あたりから水を歩けるようになる。いい釜があれば積極的にWS。Co610二股の右岸台地で快適C2。テンバ着いてから近くの深い釜で泳いで遊んだ。焚き火を囲んでパー食食べてホゲホゲ。プチメインみたいな気分。 Day3: C2(4:00)Co579(4:30)コル(6:20)橋(7:45)[晴れ]また二の沢を乗越さなければ帰れない。行きの様子から藪漕ぎを避けて進むと急なガレ登りを強いられた。浮石の多い岩と細い灌木を繋いで登る。長くて怖かった。コルからは草の斜面をぽくぽく歩いて橋まで。下山後は中札内村の温泉エアポートスパそらに入らせていただいた。自然を感じた。 <パーティ>2024夏メイン2年班南日 準山2回目(M市川不在) 滝の登り、乗越しタープ忘れ杉山 スリップ金子 ラジオ濡らし <ルート>下降で得られるものが少ない。写真:しゃばい?星が綺麗だった小滝前から夏道歩きで人生を悟る小滝50m滝の上部から二の沢乗越の急登Co1070三股で泊まる小滝上からピー写2ヤオロ左沢のガレ4時間かかってやっと始まるニノ沢のガレ肉系パー食が被るなかなか歴舟川につかない小滝Co610二股プールで遊ぶピー写1ここも快適テンバ
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2024-7-15 11:47 |
狩場山(千走川南東面直登沢〜本流下降)
狩場山(千走川南東面直登沢〜本流下降)(沢登り/道南)日程:2024-07-15(日帰り)メンバー: saito1987 zeniya1990コースタイム:写真:上から滝もいくつかザイルを出した滝(25m)左岸カンテ横にルート有り残置ピンありダイブ頂上着二ホンザリガニピンボケ須築川の源頭部南東面直登沢入渓ナメをひたひたと中間部のナメ延々どんどん高度を稼ぐ水が枯れて実は泳げないことが判明したZ氏源頭の草原へ登攀滝終了点から千走川本流下部の函滝群左岸を捲いた滝夏道を降りて千走川本流の源頭へフモンナイ最後ぬるぬるの滝は懸垂で感想:K氏衝撃の沢靴忘れで増毛から転進。南東面直登沢はナメ有り登攀滝有りの楽しい沢。詰めは草原となり、ほぼヤブ漕ぎ無しで頂上近くの夏道に飛び出る。爽やか系。2年班の準備山行にちょうど良い感じ。千走川本流は上部何もない河原が続いてうんざりするが、下部に函滝が連続。下りなので全て水線上を飛び込み、滑り落ち、プカプカと浮いていく。50過ぎのオヤジ達がキャアキャア言いながらはしゃいでいる姿が不気味。
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2024-7-8 9:52 |
下二股川 熊追山
下二股川 熊追山(沢登り/道南)日程:2024-06-30(日帰り)メンバー: misa2021 Sugiyama_2022 kaneko23コース状況/その他周辺情報:報告_2024.06.30(1-0)下二股川L齋藤(4 AL杉山(3 M市川金子渡邊(2<時間とルート>Day1:林道ゲート(5:15)F1(7:10-10:00)土管(13:15-13:30)林道ゲート(17:00)[晴れ] 綺麗な林道を歩いていると右手に藪に覆われた林道が見つかるのでそちらへ行く。入渓点にはコンクリートの橋があった。伏流した河原を進むと迫力あるF1(20m+20m)が現れる。1段目はLリードで右岸直登。初めは直上しようとしたが難しく、水流際へトラバースしたらギリギリ行けた。条件良かったのか水量やヌメりは気にならなかった。中間は残置2、トライカム2、カム、ハーケン、びびって取れるだけ取った。終了点はハーケン2とトライカム。後続はプルージック、ゴボウして登る。渡邉はフリクションで足場を作る登り返しの方法で核心を超えた。2段目はALリードで右岸巻き。一応1ピッチだけザイル出した。F1の上に大きな雪渓が2つ。安定していて乗れた。その後は小滝がたくさん出てきてMがトップで楽しく登る。1つだけ右岸巻いた。Co510の15mFはALリードで左岸直登、後続プルージック。上部はおたまじゃくし天国。ヌメって歩きにくい。Co620二股は左。その後は水量の多い方を詰めていくと土管に着く。作業道はほぼ藪漕ぎ。特にツタみたいな植物が絡んだときは思わず声が出る。道の横に溝がありそれに沿って行けば迷わない。まだこの道は使えそう。<パーティ>2024夏2年班 準山1.5回目 滝の登り齋藤 地図落とし(回収)杉山 ハーケンの細引渡邉 登り返しのセットできない写真:核心の滝水流へのトラバースが難しかったザイル出した滝
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2024-7-7 5:18 |
伊佐内~我呂ノ沢
伊佐内~我呂ノ沢(沢登り/積丹・ニセコ・羊蹄山)日程:2024-06-29〜2024-06-30メンバー: shibabemaru onodera22 tamaki_2023コースタイム:写真:藪の中ちょっとした雪渓1番有名なとこ。廃林道林道探しはまた藪漕ぎ。探せばピンクテープあったのかな…日の出階段Co355F苔系の河原滝がいっぱい出てくる。湿原から穏やか系になる玉木のパー食美味しかった!DAY2、朝焼け。かえる西園トップ。下部一箇所難しめ?お花畑下りも藪漕ぎCo450二股F。ぬめるのでロープ出す左岸巻いた滝だった気がするかたつむり。感想:要素多くて楽しかった。一年目は初めての準山で長時間行動なのに頑張って歩いてくれた。
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2024-7-2 7:13 |
飛生川
飛生川(沢登り/支笏・洞爺)日程:2024-06-29(日帰り)メンバー: Sugiyama_2022 kaneko23コース状況/その他周辺情報:〈時間とルート〉林道ゲート(7:50)飛生橋(8:00)Co280F(12:00)林道ゲート(14:00)晴れ。ゲート閉まっていたので歩く。小走りで橋まで10分程度で着いた。橋から入渓。きれいなナメに感動していると、巨石の滝に着く。Lトップ。信頼ならないトラロープを使いトラバースして滝の中段まで。水圧に流されないよう、慎重に足の置き場探しながら、進め、滝の中央あたりを登った。登りは容易だがふっとばされそうな水圧に緊張した。後続腰がらみゴボウ。合わせて30分。後続はトップのルートよりも左岸登るのがおすすめ。そのあとはゴルジュ。遊園地。楽しいし超きれい。出てくる滝はできるだけ直登して遊んだ。1箇所だけ巻く。お助け1回だけ出した。Co280Fで林道に上がり、歩いてゲートまで。夏道で橋まで行こうとするが、作業道無数に入っててわかりにくく、結局戻って林道歩いた。15分ロス。写真:とにかくきれい。いっぱい泳いだ。へつって中段まで。頑張るAL。ここはむずかった。Mは巻いた。出でくる小滝?段差?も面白い。最初の滝。アブミあるやつ。水流くぐって中央を行く。ナメがきれい。この滝だけ登れず巻いた。感想:6月なのに泳ぎの沢を楽しめる。今年の北海道暑い。
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2024-7-1 12:02 |
湯の沢
湯の沢(沢登り/札幌近郊)日程:2024-06-22〜2024-06-23メンバー: shibabemaru onodera22 Sugiyama_2022 tamaki_2023コースタイム:写真:5mF手前これぬめる。Gちょっとした函飲み物を冷やす終わりG5mF林道上がったヘビとった。15mF下。下り。懸垂支点5mF入渓5mF上から。cd 緊張した。車いっぱい
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2024-6-30 12:01 |
室蘭岳裏沢
室蘭岳裏沢(沢登り/道南)日程:2024-06-30(日帰り)メンバー: saito1987 zeniya1990コースタイム:写真:火山礫にフリクション利かせて登る梶川鉄夫の住む室蘭の街と噴火湾を一望する縁あってSAITOも来年から頻繁に通う事になるだろう容易なナメ滝がいくつか下流部は綺麗な渓相三股の中股を選び水流のほとんど無い急なナメ滝をザイル出して登る(残置支点あり)林道ゲートから15分程歩いて入渓凝灰岩のナメが続く上流は急激に水量減り岩盤の沢にザイルを出した滝の上部に直登不可能なハング滝があり右岸から捲きそのまま急なヤブ斜面を詰めると頂上看板の裏に飛び出た頂上から誤って北尾根を降りかけるが修正しカムイヌプリへの夏道を辿り最低鞍部から滝沢へ感想:今年度の沢はじめ。
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2024-6-20 10:49 |
三重の沢
三重の沢(沢登り/支笏・洞爺)日程:2024-06-16(日帰り)メンバー: shibabemaru onodera22 tamaki_2023コースタイム:写真:白老川に入ったとこ入渓点まで行ったけど、なんか天気悪いので沢を眺めて帰った。三重の沢F1。綺麗な滝だ。大星沢入ろうと思って林道入り口に停めた。入渓点付近。なんか天気悪い。感想:雨だったけどあまり寒くなかった。初めてなのに1年目がすたすた歩いていたし滝もスムーズに登れたのですごいと思った。
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2024-6-17 9:16 |
平田内川~浄瑠璃川
平田内川~浄瑠璃川(沢登り/道南)日程:2024-06-15〜2024-06-16メンバー: misa2021 Sugiyama_2022 kaneko23コース状況/その他周辺情報:報告_2024.6.15-16(2-0)L齋藤(4 AL杉山(3 M市川金子渡辺(2<時間とルート>Day1: 平田内温泉駐車場(10:40)Co620二股(15:10)= C1晴れ。天気予報と違って函沢日和。砂防ダムを越えて入渓。Co430の7mFはALリードで右岸直登。途中ハーケンとトライカム×2で支点とった。Ⅲ+くらいの高度感ある滝の登りで今山行のハイライト。Co450の釜持ち10mFは右岸巻き。泥壁登るときはLトップで後続プルージック、そこからのトラバースはノーザイルで微妙な踏み跡を辿った。ここから函や小滝が連続して楽しい。泳ぎが必要な箇所もわいわい頑張った。Co520の7mFは右岸直登、ノーザイル。以降何もなくテンバまで。Co620二股は左股に少し入って中間尾根の台地を切り開いたら5人寝られた。薪と虫が豊富な河原で焚き火。 Day2: C1(4:00)冷水岳コル(6:20)門(7:45)橋(11:00)晴れのち大雨。引き続き平田内川を登る。途中雪渓の残骸があった。順調だったがLがなんでもない河原で尻餅をついたときに腰につけていたバイルの先が背中に突き刺さる。20分ほど怪我の確認や荷分けを行う。平田内を下るよりは浄瑠璃や夏道の方がいいのでそのまま進む。詰めはほぼ最後まで沢型あり。みんなで話し合いながら入り組む沢型を進むと10分ほどの藪漕ぎでコルの夏道上に出る。夏道は藪々。天気予報を確認してからコンパス見て東へ下る。上部で新しい熊糞と岩に水の足跡を発見し震える。Co550の門(F5)は左岸cd。F4は左岸巻き。F3はMがトップで右岸巻き。F2の30m大滝は40mロープを使って左岸の立木からab。回収用が動きにくく計1時間かかった。程よい難易度の小滝がありcd。F1は右岸空中懸垂。以降雷雨の中、単調な河原を歩いて橋まで。ジャン負けALが2時間かけて車回収してくれた。 <パーティ>2024夏メイン2年班 準山1回目 パーティ把握齋藤 負傷して荷分けしてもらう市川 地図落とし(回収)金子 コンパスセット失くし、コンパス予備忘れ、体力◯渡辺 救急セット少し不足 <怪我> バイルの刃が背中の骨盤の上くらいの位置に刺さった。血はあまり出なかったが動くと痛んだ。一応医療講座の紙を見て確認し傷口にガーゼを当てる対処をした。大事な痛みに気づかなかったら怖いので鎮痛剤は飲まなかった。 翌日整形外科で診てもらったら被害があったのは肉だけだった。穴の深さは1センチで筋膜が見えていたが筋膜に穴は空いていなかった。大した怪我ではなかったみたいで感染症への対策だけしてもらった。ご迷惑おかけし申し訳無かったです。以後バイルは他の場所につけます。写真:雪渓壊れててよかったCo450の10mF橋の下で雨を避けれた、魚も釣れたらしいabした滝今年も夏が始まったテンバ30m大滝をab元気に泳ぐ沢日和門熊糞と足跡Co450の10mF、右岸巻き門平和な事故現場Co420の7mF、ALナイスクライミング
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2024-6-11 7:07 |
湯内川
湯内川(沢登り/積丹・ニセコ・羊蹄山)日程:2024-06-08(日帰り)メンバー: shibabemaru Sugiyama_2022 kaneko23 tamaki_2023コース状況/その他周辺情報:〈時間とルート〉 駐車場(9:40)F1下(10:00)F1上(12:00) F8下(14:40)朝日温泉(16:00)駐車場(17:00)晴れ。ザイル忘れたことに気づき、ニセコのNACで入手しようとするがなかった。13mお助けと車にあった10mザイル(使えるレベルであること確認)を持って、F1まで行ってみて、中間テラスでピッチ分けられるか検討する方針で行った。海岸のへつりは落ちたら海底にぶち当たるので西園と玉木は泳ぐ。冷たいが凪。他はへつる。F1はザイル2本使って、ピッチ分ければ行けそうだったかつその後の滝はお助けで長さ足りるので取り付く。途中のテラスにハーケンで終了点とり10mザイルfix、後続はゴボウ。テラスからはL杉山がお助けでリード。杉山のリード時、手のホールドが欠けバランス崩しそうになったので、5️0センチほどだが飛び降りてテラスに着地。ラインを左に少しずらし登った。ホールドもろく、またどこもかしこも砂が大量にかぶっていて足が滑りそうでひりついた。砂を払い落としながら登った。中間支点、終了点ともにハーケン打った。後続はプルージック。人によっては、部分的にゴボウ。F2は右岸からへつり。一ヶ所少し悪くハーケンでA0支点作ったが必要なかったか。F3は右岸直登。最初ザイル出さなかったが、市川が浮石踏んで2mくらい滑り落ちたのでその後お助けfixでゴボウ。F4は右岸直登。上部滑るので上部のみゴボウ。必要なかった。F5は右岸の泥壁を捲く。一ヶ所木でA0作った。が、必要なかった。F6は市川が空身で突破。後続も空身で、杉山金子はフリーで、その他ショルダー、シュリンゲなど使って登った。F7は金子トップで右岸直登。F8は杉山リードで右岸直登。容易ではあるがヌメるので、ザイル出してよかった。後続プルージック。F8の対処に1時間以上。やはり人数多く、ザイル出すと時間かかる。終了点はハーケン。あとは温泉に入り林道歩いて下山。途中に地図にない林道(入口は赤に白の⇒の看板で塞がれていた)の分かれ道あり、確かに間違えそう。左に曲がらず真っ直ぐ30秒進んだ先の貯水場(確か)のところを曲がるのが正解。写真:F1。シーカヤックで外国人グループが来て、ギャラリーたくさんだった。温泉。F6。シャワークライム。落ちてもドボンなので安心。感想:シーズン初めだからか、沢でのリードはじめてだからか、砂大量&もろい岩だからかF1は普通に怖かった。その後はF6含めさほど難しくはなく、メンバーの力量分からなかったのでお助けたくさんだしたが多くは不要だった。半日で行ける楽しい沢。
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2024-5-26 6:32 |
三角山
三角山(雪山ハイキング/札幌近郊)日程:2024-03-07〜2024-03-08メンバー: kaneko23 tamaki_2023コースタイム:写真:三角山ピークテンバでスキー練習遠くには羊蹄山ジャンボ唐揚げ
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2024-5-13 10:59 |
奈良井【鳥居峠・神坂峠・姥神峠】羽渕→奈良井川源流
奈良井【鳥居峠・神坂峠・姥神峠】羽渕→奈良井川源流(無雪期ピークハント/縦走/甲信越)日程:2024-05-10(日帰り)メンバー: yoneyamaコースタイム:写真:整備されてます奈良井宿早朝ニリンソウ咲く杉の小道案内板まであった鳥居峠取り付き御嶽山は藪越し藪原集落と神谷峠、遠くに木曽駒ヶ岳の西尾根短い烏帽子の男拝殿奥の石仏群神谷の最奥、堰堤の巻道と思ったら5本くらい固め打ちだニリンソウいっぱいの峠道廃れかかっている神谷峠への道峠の水場藪原宿の町。昭和っぽいレトロ。姥神峠は木曽郡と筑摩郡の郡境だ。三笠山の刀利天は御嶽山の三笠山の神サマあるじなき家鳥居峠に戻り、木曽側に下ると、いろいろ設置されている。峠山から奈良井ダムと源流部が見えた。白いのは伊那前岳あたり?ここから道細い。石垣あり藪原集落を見下ろす尾張藩鷹匠番の詰め所跡奈良井川源流部に向かう菊池寛賞の菊池さん、小説を書いていたのか御嶽信仰の碑姥神峠は木がない頃、御嶽山が見えていたのだろうかニリンソウいっぱいの峠道奈良井宿から鳥居峠への神社前すごく見事な栃の木だお不動さま?こちらは測量三角点か笑いをこらえる観音石垣の峠道とヒノキの並木御嶽山見えるのかな姥神峠御嶽山見えた!でも小さいナー宿場つなぎの峠越えは手頃でよい姥神峠の石仏群行者さま神谷峠並木と峠道峠から降りてきた道新品だが数百年持つのが石のすごいところ日陰のヤマブキの色は薄ぼんやりしてよい覚明上人か?神谷集落に降りてきた一里塚このあたりか鳥居山山頂にNHKの三角点が木曽の関門なり奈良井宿よい松水場とヤマブキ集落のメインストリートシカ対策の杉林岩雪崩のデブリ集落はずれの祠羽渕集落に降りてきたこれが木曽義元がオガサワラ軍を撃退戦勝祈願成就の鳥居(の末裔)かあ!姥神峠への登り腹には御嶽講のエンブレム新緑歩道にツツジ権兵衛峠線沿いの神谷岩雪崩のトラバース藪原集落を見下ろす尾張藩鷹匠番の詰め所跡ニリンソウいっぱいの峠道奈良井川最奥集落の一つ武田軍兵500名の屍累々の葬り沢だったのか。木曽側義昌も人質全員殺されてしまった。峠下の沢型渡渉点整備されている一里塚このあたりか祠の跡か炭焼き窯の跡か感想:木曽の鳥居峠は木曽川と奈良井川(→犀川→千曲川→信濃川)の分水嶺で、中山道の最難所で、信濃と尾張の緩衝地帯木曽郡の境。これは歩いて越えなくては、との思いは以前からあり、カレンダーレッドマン(毎日日曜日男)としては翌日の週末山行の待ち合わせにノコノコ行くわけには行かず、兼ねてから気になっていた木曽川源流と奈良井川源流の山間集落を峠越えする行程で向かった。われながら美しすぎる計画。【鳥居峠越え】江戸期中山道宿場町の風情の保存に力を入れている長屋町。ドイツやニュージランドから何十万圓もかけて来て、編笠を被って峠越えする人々が年々増えている鳥居峠越えは、とても手頃に満喫できる良いコース。松本から電車賃590圓で降り立つ。「景観」という資産にたいする配慮が、やはり行き届いている。たとえいにしえを再現した幻の世界とはいえ、景観は貴重だ。その場のもつ力は再現し得るものなのかもしれない。人々の世代は変わっていくのだから。欧米人旅行者数十人と会い、国内の人は二人だけ会った。この峠は武田家滅亡戦争の時と、小笠原家返り咲き戦争の二度、戦場と化している。国境の峠なのだ。木曽国は古来、信濃と尾張の間で難しい政治を強いられてきた。どちらかに付けばどちらかに攻められる。そうした説明が現地に書いてあるのはありがたいが、どうか英語でも表記してほしいと思う。峠から、峠山を往復する。車道は遠回りなので藪を行ってもそれほど濃くない。山頂は通信施設などが林立している。今回のテーマ奈良井ダムが思いがけず見えた。御嶽山遥拝所からの御嶽山は、前山の後ろにちょっぴり。こんな感じでも祠と鳥居と石仏群が。新緑とツツジが良い季節だ。藪原宿は、奈良井ほど江戸景観に復元に熱心ではないが、昭和っぽいレトロ景観がこれはこれで気取らず良い雰囲気だ。若い人がパンを売っていたので買い求め、かじりながら先を急ぐ。腹ごしらえをやぶはら食堂で、と考えていたが「臨時休業中」とのこと。残念。道の駅では観光色強すぎてあまり魅力のある食はなく、自販機のアイスを舐めるに留めて次の峠道に突撃する。【神谷峠】神谷峠はあまり歩かれてなさそうだったのでヤブコギ必定かと思っていたが、まあまあ道の痕跡は辿れた。途中には石垣や杉並木もあり。ただし、地形図にある軌道とはちょっと違ったふうについていた。峠の杉林も神谷側の杉林も、多少の手入れはされていた。さすがは木曽谷である。下りには岩雪崩崩壊地があり横断箇所は不明瞭。神谷の集落は数件。住んでいる家もあるようだけれど、住人にお会いすることはなかった。すぐ近くに権兵衛峠に行くループ橋その下にお薬師様のお堂があって少々気の毒。【姥神峠】そこから神谷の谷をずっと車道を歩いて進むと、終点近くに人家が数件。遠くから犬の吠える家あり。堰堤を右岸から巻いて峠への道はもう何年も通っていなさそう。自動車道路やトンネルもあるし。沢から傾斜のある斜面に入る辺りと峠直下の傾斜の増す当たりは、道が不明瞭で、地図読みと、踏み跡獣道辿りの経験が少々要る。峠の雰囲気はとても良く、昔は幾多の人がここを越えて生業をし、人生の分岐点を越えたのを想像できる。せっかく峠を超えるのだから手ぶらなことはなく、山程荷物を背負ったであろうな。御嶽山信仰の石仏もおどろくほどたくさんあって、良い表情だった。下りの道はなだらかな上にニリンソウの絨毯で、夢のような小道だった。羽淵の集落も10軒ほど。何件かには住人がいるのかもしれない。軒下には美しい花が咲き、山からの澄んだ水は水場に溢れていた。羽渕から旧道に降りたところで通りがかりのバンの運転席の男と目があって、4年ほど前取材した御嶽山画家の山口さんであることに気づいてお互いに驚く。なんでこんなところに!?近況話してヒッチはせず、本日の集合場所、奈良井川本流の車止め行き止まりの栃洞橋まで更に1時間、徒歩で目指す。山間集落の、傾斜地を工面して暮らしている佇まいが好きだ。石垣を組んで、畑に上がる小道を刻んで、小さな水の流れを作ってきた営みを堪能する。もちろん、どこも高齢化でここ10年、どんどん人はいなくなっているけれど、見ておきたいのだ。
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2024-5-12 1:46 |
小樽赤岩
小樽赤岩(アルパインクライミング/札幌近郊)日程:2024-05-11(日帰り)メンバー: saito1987 zeniya1990コースタイム:写真:感想:3級中心に登りこみ。沢の準備。
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2024-5-12 1:10 |
奈良井川本流【茶臼山・将棊頭山】小黒川〜奈良井川
奈良井川本流【茶臼山・将棊頭山】小黒川〜奈良井川(沢登り/中央アルプス)日程:2024-05-10〜2024-05-11メンバー: yoneyama macchan90コースタイム:写真:右は小笹、左は苔の樹林結構な傾斜で、下りだと怖い感じ。将棋頭より駒ケ岳孤高の御嶽山 茶臼山より右岸草付きを慎重にヘツリ降りる。10mを超える滝が連発塩尻宗賀のドライブイン水も冷たい避難小屋無事に道に合流稜線に到着伊那谷と、八ヶ岳連峰堰堤クライミング小滝も手頃だ谷の様相、まだまだ巻きは容易だこれも右岸をへつって降りる。太陽に南無阿弥陀仏、ああ寒かった。。何が出るのか、記録は見かけない駒ケ岳北面藪越し駒ケ岳一応evernewの刻印が入っていたどうやら下は快適な滑床のようだ茶臼山に向かうこのヒノキ急斜面を登って尾根に脱出することにするあとあと雪渓登りがあるので足をあまり濡らしたくない試しに履いてみる真北に伸びる谷の空は浅間山更に大きな滝を見下ろす石室内部日向に行きたい行者岩と茶臼山雪渓が連続し始めて、フェルト底をスパイク地下足袋に替える手製かと思うほどの重い簡易鉄アイゼン茶臼山山頂 右手はグンソク将棋頭山近くから下降路を見る浅間山と八ヶ岳。中央は分水嶺山脈両岸が迫るこちらは男一匹現場調達嘉門次ピッケルとスパイク地下足袋で西駒山荘賜り物のヘルメット雪渓が出始める右手はグンソク手袋木曽駒ヶ岳北面ナメ滝。傾斜はそれほどない乗鞍岳と北アルプス 茶臼山より将棋頭山こんなことがあったのかあ、1975年に。花崗岩に黄色い藻で滑るのでフェルト地下足袋奈良井川源流部に日が当たる小黒川源流を下降黒川林道のデポ地にもどるその内部感想:初日は仕事半日で奈良井源流まで来た松と、トリプル峠越えで木曽路山間集落を巡って36000歩あるいた末に合流、更に1時間歩いて(44000歩)河原で焚き火して寝る。あったまる。身軽に支度して奈良井川源流部に突入。堰堤をいくつか越えてスパイク地下足袋をフェルト地下足袋に履き替え今年初の渓流遡行。まだちょっと寒い。いくつも小滝を越えて標高2080mで雪渓ベッタリになったので底の厚いスパジカに履き替える。標高2300mで最近手に入れた骨董品の忍者道具みたいな土踏まず四本爪アイゼンをつけて登ってみる。雪渓はアイゼンいるほど固くないし、ズルズル滑る柔らかさなのでなくても同じだったが、時折崩壊雪渓を巻く泥壁とか草付きでの威力が強く、結構重宝した。岩の上でも、登りならそれほどじゃまにならない。松は、いつもの嘉門次ピッケルを丹念に作りステップを丁寧に切って登行する。下りに取ったら結構怖い傾斜だ。一歩では滑る。2、3回キックして足場を進める。常識的にはアイゼンピッケル硬い靴でくれば、かなり早い登行路だ。ただし、少し長い林道歩きと、下部の沢登りの心得が要るので誰も来ないルート。あっという間に稜線に着き、ザックを置いて茶臼山を往復。見かけは地味な山だが、世に数多ある茶臼山の最高峰はここだ。展望も文句なし。360ドだよ。最近こんな展望の高山久しぶりだな。何より故郷奈良井川の源流最高峰だ。松本は、経ヶ岳のカゲで見えない。楽しい話をしながら下ってうっかり道を間違える。山ではこれがすごくある。下降時に確認しなければ40年登っていても関係ない。100m登り返し茶臼に二度登る。将棋頭までは夏道。この山もロープウエイ山域と距離を置いて独特の魅力を放つ。天候は穏やかに澄んでいる。富士山も、池口岳も白山も頸木も志賀高原も良く見える。1913年の箕輪の小学校の遭難現場の西駒山荘も初でまみえた。ここからが松の主戦場で、2002年小黒川中途敗退の先を今回は下ってつなげようというもの。https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-21295.htmlいざ雪渓べったりの真っ白な源頭に地下足袋で躍り込む。先の沢より傾斜は優しく、地下足袋の踵のキックも決まる柔らかさなので安心して地下足袋グリセードも決めてあっという間に雪渓の末端まで。沢でもスパジカのまま下り降りる。黄色く藻の生えたすべすべ花崗岩では滑るが草付き泥壁ではフェルトより効く。道具は何でも一長一短なのだ。今回、冷たい雪渓ではフェルト地下足袋では厳しいが少し底の厚いスパイク地下足袋ではネオプレン靴下なら凌げた。フェルトの出番は多くなかった。松はスパジカ+装着型フェルトわらじという組み合わせ。これもこの時期はフェルトの出番が少ないので良い。地下足袋本来のスパイクピンはふたりともほぼ消失していた。鋼鉄カンジキは、あれが必要な場面なら12本爪が必要だ、と思った。やがて10m前後の大きな滝が連発して現れる。側面の草付きや岩岩を立ち木を掴んでクライムダウンなどしていくつか越えていくが、地形図上はこの先もこれが連発しそうだとの判断で、無理に22年前のポイントまで降りるのはあっさり諦める。左岸の急斜面を夏道目指してエスケープする。帰りの行程が長いので時間切れだ。22年前と線は繋がらなかったけれどまあまあ満足した。藪漕ぎもC級で助かった。よく整備された道を分岐まで下り、再び奈良井川源流への地味な夏道をたどる。この道も人気なさそうで整備はあてにしていなかったが、あるだけありがたい。案の定末端部分は地形図の位置と違い、林業作業道に導かれて大幅に上流側に出た。下りならわかるけど、登りでは登山口がわかりにくいと思う。長い林道を歩いて、黒川二俣で泊まり装備を回収し、車止めまで歩く。よく歩く。周囲の林地の仕事ぶりなどを林業家の松に聞きながら。13時間行動、いやあよく歩いた。帰りに贄川のSS食堂といきたかったが、あいにく4/29以降料理人の高齢化引退で休業になっているのはマチのウワサになっている。宗賀の気になる「お風呂入れます」看板のある食堂に飛び込むと、ウチの親といい勝負(90歳前後)のじじばばがやっている店で、とんかつ定食と肉入り野菜炒め定食。お風呂はもうやってないとのこと。木曽路は高速道路が無いため、70年代ドライブイン文化がほそぼそと生き残っているのだが、高齢化でもうあと何年も無いだろうと思う。壁には何十枚もの国粋系団体のステッカーと名刺があり、寄る辺としていた頃があった模様。松本の自宅近所の日帰り温泉で禊をして松と帰宅、ビール一本飲んでクラクラと落眠。翌昼は餌差町の山山食堂で角煮やサバ定食で見送る。長いこと課題だった山行線を伸ばした。
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2024-5-9 5:34 |
春合宿・美瑛
春合宿・美瑛(雪山ハイキング/十勝連峰)日程:2024-05-03〜2024-05-05メンバー: shibabemaru onodera22 Sugiyama_2022 kaneko23 tamaki_2023コース状況/その他周辺情報:<時間とルート>Day1:美瑛富士登山道ゲート(6:00)美瑛富士避難小屋=C1(14:00)くもり。ツボで林道歩き登山口まで。雪ほぼない。夏道沿いに進み、Co 1150 あたりで雪で夏道分からなくなったので、コンパス見ながらコル目指す。少し進むと視界ありコル見えるので、コンパス見るのやめてそのまま進む。雪あるところ繋ぎながら進むが、東に進むのに藪漕ぎ複数。Co1300くらいで部分的に固いのでEストック。Co1400あたりでツボに戻す&気にならない風強。尾根東に1本超えたら風大分和らいだので、そのまま進む。避難小屋まで。一安心。Day2:小屋(6:50)美瑛岳(9:45)美瑛岳肩(10:00)晴れ。ツボで夏道沿いに進む。美瑛富士南東側の雪面でEストックに変える。美瑛岳の登りは岩と雪。鶴留時間かかる。美瑛の肩からはカチコチ。EPに。1年目連れて行こうとしたら厳しそうだったのですぐ引き返した。玉木と1年目待機で、2年目以上でさくっとAt。1.5年班。2年班:美瑛岳肩(10:00)引き返し(11:15)小屋=C2(13:40)美瑛岳の肩の十勝側にGap3mあり。空身でcd。2級。シュリンゲで荷物受け渡し。少し進んで雪なくなったのでツボに変える。美瑛十勝間最低コルより十勝側に少し進んだところ、ときより振られる風。ポンピ沢から突き上げる風が強烈。敗退。来た道戻る。1年班:美瑛岳肩(10:00)美瑛富士(12:00) 美瑛富士避難小屋=C2(13:30)2年班と分かれて美瑛富士に向かう。下り始めは硬めのところもあり、一年目もいて気を遣う。裾でE外す。美瑛富士までは歩きやすい夏道。来た道戻り、安全な場所で滑停練習した。帰りはズボズボでE不要。滑停練習したDay3:美瑛富士避難小屋(5:00)オプタテシケ(7:15-30)小屋(10:15-10:45)ゲート(14:10)晴れ。夏道進む。コルからオプタテまでの登りは夏道崖側で雪ありだったので、反対側岩の上進む。ピークで電波拾い明日雨予報なので今日中に下山することを決める。来た道戻り小屋まで。小屋からEストックにしたが、ツボでもよかった。自分たちとは別のトレース辿っていく。スキー組はザラメの尾根を飛ばしていく。楽しそう。廃林道みたいなところに降りて少し西に進むと夏道合流。あとは林道入口まで。写真:オプタテピー写。林道は雪ほぼなし。美瑛岳ピー写。1年目ごめん!山部ドライブイン敗退。オムカレーも2店舗敗退し、3年連続安心の小玉家。オプタテよりトムラウシ方面。雪がない、、、Gap。下から夏道使って巻けたがせっかくなので。藪漕ぎポンピ沢より爆風。感想:GW前半の記録見て、雪なさすぎるので急遽計画変更し、6月山行的な春合宿に。新入生2名、上級生6名、計8名と穏やかな春合宿。スキー履けなかったのは残念だが、風と藪漕ぎと岩稜歩きと、まあ新歓として1年目はいい経験ができたと思う。
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2024-5-7 1:50 |
北アルプス・オートルート/飛越トンネルから室堂まで
北アルプスオートルート/飛越トンネルから室堂まで(山滑走/剱・立山)日程:2024-05-07(日帰り)メンバー: saito1987 Yanke1987 babaa1986コースタイム:写真:笠ヶ岳がお出迎え稜線にはスキー背負って登る滑降、やや硬い越中沢岳ピーク昨日迷い込んだ斜面薬師岳山頂からから北方を見る、劔が立派・2338の天場、アーベンロードザラ峠から獅子岳への登りの斜面、つづら折り登山道がついている獅子岳ピークからこれまで辿ったルートを振り返る。ここからは山々は白くみえる。北上したのが正解だったね。北薬師を超え、2832から滑降越中沢岳の登り北ノ俣岳ピークにて北ノ俣避難小屋と北ノ俣岳、雪すくないS氏のダイナミックな滑降2日目、シーアイゼンで薬師を目指す薬師岳方面寺地山で一休み稜線に出る、ガスが時々切れて後立の峰々が見えた。アイゼンつけて通過南側の展望、はるか彼方に槍の穂先B氏の華麗な滑り金作谷カール、身軽であれば滑ってみたい五色ヶ原、小屋を捲くようにトラバーススゴ乗越頭にて薬師を振り返る、北向き斜面にはそれなりに雪残る薬師がでかい感想:入山前日、メンバーが札幌、東京、大阪から富山に集合。久しぶりの再会を祝って富山の地酒で入山コンパ5/2:一番列車で高山線の猪谷まで、そこから予約していたタクシー。和佐府から林道を歩く覚悟だったがゲートなく飛越トンネルまで車で行けた。スキー背負って運動靴で入山。Co1700位で雪繋がりはじめスキー履くがCo2350あたりからルート上雪消え再びシートラ。今年は全般に雪少なく、先が思いやられる。稜線に出て北ノ俣を空身で往復。分岐から太郎平に向かって滑降を開始するがガスで視界なく・2589の北向き尾根に迷い込んでしまった。正規のルートに戻りツボ足のトレースを確認しながら慎重に下る。5/3:太郎小屋を超え、薬師峠からシーアイゼン。快調に登り今回のメインピークである薬師岳に。ピークから少しシール滑降したのち夏道をツボ足で歩いて・2832まで。ここからスゴ乗越小屋まではフィルムクラストのド快調斜面だった。少し時間が早かったがスゴ乗越頭を越えたコルでC2。赤牛岳を見ながらウダウダと物干し大会。5/4:朝方少し風がある。初めてジャンパーを着た。朝一からアイゼンシートラで歩き始める。越中沢岳のピーク近くで急な雪面のトラバース。今山行で唯一ピッケルを使った場所。その後、南向き斜面はシートラツボ足、北向き斜面は滑降といったサイクルが続く。まさに「苦あれば楽あり」。ザラ峠からの登りを見上げると気が重くなったが、歩いてみると案外歩きやすい夏道だった。最後のピーク獅子岳で握手したのち御山谷に向かって急なルンゼを滑降する。御山谷の登りは氷河の上を歩いているようだった。疲れた体に鞭打って一ノ越まで。5/5:観光客の足跡でデコボコになったカチカチ雪面を滑ってバス停に下山、今山行で一番難しい滑降。始発バスで美女平に。富山電鉄の車窓からは、田んぼの水面に映る残雪の北アルプスが印象的だった。
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2024-5-3 4:13 |
《上信国境》横手山 志賀山 赤石山 大高山 野反湖
《上信国境》横手山 志賀山 赤石山 大高山 野反湖(積雪期ピークハント/縦走/志賀・草津・四阿山・浅間)日程:2024-04-25〜2024-04-27メンバー: yoneyamaコースタイム:写真:夜中に起きたらイグルーがやせ細っていた。午前二時崩落。ダム湖堤体の上赤石山の最後の標高差100m、雪も硬いのでせっかく持っているジュラアイゼンで登ると楽に行ける。しかしシートラは重いな!南望。横手山の魅惑的な東斜面の彼方に浅間山、榛名山、赤城山。素敵な山々高沢山山頂直下より浅間山、草津白根火山群、横手山草津峠付近より鉢山を見上げるのぞき分岐から、スキー場を離れていくあたり。雪はあるといえばある。山頂には岩峰が剥き出していて展望よし。赤石山、意外に良い。雪渓と、笹の中の夏道を選択しながら、スキーを着脱しながらの行程山頂標識は樹林内沢地形を行く。雪がつながっていると良い横手山から四十八池〜沢形地形と、来た行程を振り返るガスが野反湖を隠す道ではシートラだ。シートラ、スキー履きを100回くらいやった。半融けの沼をスキーで渡る高沢山山頂四十八池から志賀山と裏志賀山。ここを横切って真ん中の谷から遡行したい。無人境なり横手山北面。一面の針葉樹林。噴火したのははるかはるか昔鉢山北東コルに戻り、イグルー作る。1時間かかった。雪が重くてくたびれた味噌納豆玄米雑炊樹林の間に天狗平が見えた。無人境。昭和37年まで走っていた草軽鉄道の展示志賀山の最高点ダム湖春ランマン三壁山山頂上り下りもシールスキーで快調だ降雪はご無沙汰という雰囲気の割と滑りやすい雪面の森。志賀山頂き付近でダイダイ色の蓋の午後ティーボトル拾った。湯たんぽに使おう。トーシバのトランジスタラジオは1987年3月萩町商店街の鬼頭電器店で購入。左奥は浅間山ここも往年のツアースキーコースがあったみたいだな。青森の山を思い出すよ。今よりも人々が山を滑っていた時代の名残のサクラカラー行程中ずっと格好良かった寺子屋峰を遠望。右の高まりは本日のメインピーク赤石山山頂に小さく岩峰が見える何かの散策施設こんな傾斜になる。朝は硬い。もうこの時間帯は重荷でかなり苦しい。群馬県境トレイルというので道を整備しているよう。後半はこの道に助けられた。「警告」ってことは事故があってたくさん人が苦労したんだろうなカモシカ平へ降りる道、正面は高沢山稜線の雪は意外と多くスキーで進むのに最適。風下側の南斜面に積雪が多いのが意外。三壁山へ。右に白砂山が見えているキャンプ場バンガロー村横手山山頂の祠。奥は浅間山と白くなくなった草津白根火山。横手山は百名山の草津白根より高いけど白くない。豊かな森が載っている。横手山最高点へ、スキー場の左脇を登る行程最高峰に到着隙間だらけだけど、風もないし気温も高いのでそのままにした野反湖が見えた草津峠は渋峠が危険なため明治に作られたとある。横手山の南面の急斜面が危険だったのかな?群馬側はどこへ行くのかな?続きが読みたい。朝日を浴びて志賀山中腹の秘めたる沼。横手山の北面にはスキーコースのZ字が見える。浅間山は煙が立ち上がり始めたスカルパF1の足の甲締めつまみがヤブに持っていかれてしまった横手山きょうは1.8リットル飲みきってしまったので明日は3リットル作る。昨日開通の渋峠自動車道沿いの県境レストラン、バスでいきなり標高2150mその右側、魚野(ようの)川をはさんで彼方には苗場山、佐武流山、白砂山が見えてんじゃん!!! と・遠いワオッタテ峰西のコルあたりは風が弱まるのか太い樹齢あるタンネが多い。トラバースと直登を選びながらルートどりするここに来て初めて大沼が見えた。厳冬期にも良いな。向かいの飯縄山の麓は善光寺平のあたり北軽井沢のバス乗り換え30分で、旧北軽井沢駅舎の展示室に群馬県立体模型が!ついにオッタテ峠付近で笹原出現。この程度の丈30センチの笹ならスキー履いたまま進める。写真中央に道が横切っているのを視認して進む大高山を見上げる。笹原上部に道の刈分けを視認。ルートファインドが重要おおたか沼と裏志賀山高沢山登り途中より南望 浅間山、草津白根火山群、横手山大高山を超えた緩いコルで泊まることにする。イグルー作に1時間。雪重い。もう限界時期。北北西には寺子屋峰への稜線が続く。北軽井沢のバス乗り換え30分で、旧北軽井沢駅舎の展示室に群馬県立体模型が!カモシカ平には分岐があって中高沢へと刈分けがあったけど、どこへ行くのだろう中はほぼ加牟那塚古墳。夕日を浴びているけど、窓、閉めちゃった。感想:定年退職記念山行で、志賀高原〜苗場山までの53.5km、行動5日予備3日の計画だったが、後半の残雪がだめそうだったのと、30kgでの野反湖登り返しのパワーが沸かなかった。あと二週間早く行けばよかった。でも、スキー向きのよい山域を発見した。一日目 ガスのち晴れたった2500圓で長野駅から標高2000mの渋峠まで。フォーリン客の殆どは雪猿公園で降り、峠までは一人だけ。バスは昨日から運行。運転手に「いい日に来たね」と祝福される。昨日は雨で出発やめた。今朝も家を出る10分前に決断した。退職したので自由だ。車やバイクの喧騒峠を後に、スキー場の左の樹林内を最高点目指す。最高点はスキーコースから離れた静かな場所だ。南側展望が良く、浅間や富士山まで見える。草津白根はここより低い。志賀高原の最高峰は裏岩菅山だけど、横手山は善光寺平からも目立つし、山容も良い。スキー場になっちゃっているから名山リストに入らないけど、褒めてあげたいいい山だ。この山の東側の長大な無人スロープに興味がある。スキー場から早く離れたくてほぼ県境の北西急斜尾根を下ろうと思ったら、傾斜も強く立ち木も多く、それにいわゆる「スキー場コース外滑走」にあたりそうなので、スキーコースを下る。横手山北面の夏道記号は、スキーコースだった。2170で分かれて樹林帯へ。尾根上は少し融けて道が出ているところもあったが、概ね雪の樹林帯は快調で、重荷のシールスキーでもターンして樹林の山旅を始める。今回は20年はいたボリエールの二重靴をやめ、昨年買ったスカルパF1という兼用靴で、しかもヤブコギシートラ予測の130cm板+ジルブレッタ300という初の組み合わせ。滑りで靴がいいので楽に滑りやすい。歩きでもこの靴で十分だ。鉢山の北東コルにザックを置いて、空身で志賀山を往復。かるい〜〜〜。四十八池まで軽やかに滑り、湖上を横断、志賀山と裏志賀山の間の沢型地形から攻める。途中清流をガブガブ水を飲み、笹の上もシールで登行して、直下の硬い急雪面もシール登行。シール自在だ。先日再読した信州百名山で、著者清水氏が、徴兵で教職を離れる朝見た志賀山のことを書いていた。離任のあいさつのとき山を見たら何も言えなくなったと。個人的なストーリーが込められた山行記録を読むのが好きだ。観光開発地としての志賀高原の名は志賀山からとったという。大小の湖沼に囲まれ喧騒のないこの季節は最高だ。雪にノコは入るが重い。本ギッシリ詰めた宅急便の箱クラス。風あるが雪面下部分にいると感じない。明け方、煌々と明るい月あり。二日目 快晴赤石山までの東西稜線は快適に飛ばす。シールスキーで十分機動性あり。片方のシールのテールがプラプラ。ノリがほとんど薄々だったところに、湖沼の横断で濡れてくっつかなくなってしまい復活せず、テーピングで固定した。これで一日弱切れずに持つ。厳冬期はこうはいかない。気温高く快晴。赤石山の最後のあたりは傾斜があるのでスキーを担ぐ。せっかく持ってきたジュラルミンアイゼンもあるのでつけると楽に上がれる。山頂は、岩が立っていて展望が360°良い。北アから富士山まで。それに行く手の苗場山までの長大稜線も。果たして雪はつながっているのか。北につながる寺子屋峰の存在感が良い。志賀エリアはスキー場だらけだが、少し外れれば冬季の魅力ある山に満ちている。小地形を地形図見ながらスキーで進むのは楽しい。樹林の中には、遠目にはわからないが日陰だから雪が多く残っている。ただ、東に進むにつれて笹原の露出が多くなる。笹原は樹林がないため日があたり、雪解けが早い。尾根の下りは、雪につられて方角を間違えやすい。雪がきれた場合を考え、夏道からあまり離れないようにする。1937の降りはうっかり間違え登り返す。五三郎小屋跡のコルは完全に笹原草原だ。樹林がないと雪解けも早い。雪と笹と道を見分け、スキー着脱を繰り返しそのたびに30kgの荷物を下ろし、背負う。繰り返し今回は百回くらいしたのではないか。大高山の登りではかなり速度も落ちて、休み時間も長くなる。大高山の山頂では大高くんの顔を思い浮かべる。この前能登地震で久しぶりに会ったとき、子供ができたってすごく喜んでいたな。1.8リットルの水を全部飲んでしまった。倒木だらけのコルで泊まることにする。イグルー作り1時間。もう暖かいし、ゴロ寝でもよい。と思っていたら、午前0時にイグルーの屋根ブロックがスカスカに細くなっていて、午前2時に崩落した。春を感じる、イグルー季節の終わり。三日目 高曇り屋根なしイグルーを腰を上げずに片付けた後、しばらくそのまま寝ていて、お茶を飲んでラーメン食べて出発。カモシカ平までの樹林はだいたい快調に滑れた。が、コルに降りるあたりから雪が切れてシートラ。シートラは重い。高沢山への登りも休み休みだった。午前のうちからパワーが出ない。イノシシの掘り返しや、トレースが目立つ。くまのうんこも何度か。彼らもこの夏道を頼りにしているのか。雪渓に覆われても道を大きく失わないのはヤマレコGPSの威力で助かる。紙の地図だけだと、行ったり来たりは増えるだろうな。高沢山の山頂では前歯の欠けた高校生の頃の高沢君の顔を思い出す。今頃どこに住んでいるのかな。三壁山までの行程で、野反湖下山を決めた。すごく迷ったけど、この先は夏道が無い区間に残雪が乏しいとかなりきつい。シートラで30kgのヤブコギになる。野反湖道路が開通してしまっているのもちょっと大きい。三壁山の下りも、残雪と夏道のトラップに注意して下る。スキーの着脱を繰り返すより、シートラのほうが楽になった。キャンプ場ビジターセンターは営業準備中、ちらほら連休の車がやってきて、写真を撮っては帰っていく。ここまでは電話が通じたのに、対岸右岸側のダム上では不通になっていた。腰をおろして休んでいると湖岸ハイキング中の若い夫婦が話しかけてくれて、なんと散策を終えたら野反湖南岸のコル1561に駐車してある車でお迎えに来てくれることに!嬉しい!花敷温泉のバス停まで徒歩4〜5時間かタクシーかというところだったのだけど。花敷温泉までのつもりだったけど長野原草津口まで載せてもらった。沢登りをするとのことで成瀬さんや大西さんの話やNHKのドキュメンタリの話に。とても楽しかった。幸運な出会いで、ツいてる。予期せぬ下山路だったので、どこをどう帰るか長野原の駅で調べると、高崎にでる電車よりも、北軽井沢のりかえ経由のバス路線が魅力あり、これを行く。この上信高原山麓に、昭和37年まで草軽鉄道が走っていたのを、バス乗り換え30分の北軽井沢郷土館で知った。乗客はたった一人だったのに軽井沢に近づくに連れ連休観光の人で満席に。乗り降りの支払いで到着が遅れ、軽井沢での新幹線はドアの閉まる3秒前に駆け込んだ。出発20秒前に券売機から切符が出てきたので駄目かと思った。高速鉄道で長野に連れて行かれ、篠ノ井線も特急しなので松本へ。あの浅間山麓のお客ガラガラの貸し切りバスで山と花をみながらウトウトした下山路、よかったな。先週ラジオで聞いたA Woman to left lonely (ジャニス・ジョップリン)が、山行中ずっと脳内で流れていた。
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2024-4-24 15:52 |
今日は長期山行気が乗らず、入山延期しました
北極圏のイグルー作りの動画を見て、ぼーっとしています。
今日は延期残雪でヤブが埋まる国境稜線をシールスキーとイグルーで長距離山行、という計画がたくさん。いくつもある候補から今回はこれを行こうと、昨日のうちに一週間分の食糧をザックに詰め、計画書も「コンパス」に送り、妻にはGPS通信によるトレースの手配も。 今朝は早起きして玄米飯も平らげ、さて靴を履いて玄関を出るだけという段になって、今日はやめようという気になった。気まぐれではなく、昨夜床についてからずっとのしかかってきた「山行前の重い気分」がずっと取れなかったのである。 自由であること人と約束していたり、貴重な週末の限られた時間だったり、飛行機の切符を予約でもしていたら、仕方がないから出かけたかもしれない。しかし今の自分は自由なのだ。明日に替えたところで計画書の日付を訂正するだけですむ。 列島南岸に伸びた前線のせいか、東の山裾の雲が低い。昨日もずっと雲が厚くて暗かった。天気のせいでもあるかもしれない。入山日の雨くらい、長い山行ならどうってことないはずなのだが。 延期を決めた後の家族との会話は、運命の分岐を超えた後の世界であり、さりげない話が面白い。もしかしたら聞いていなかったはずの、交わされなかったはずの話。とても楽しい。それに、山行に行く行かないを決めた自由を感じる。ぽっかり浮いた時間の自由も魅力だ。 しかしまた一晩、山行前の緊張を味わうのか。まあ出かけてしまえば楽しいばかりなのだけれども。いや、前の晩からウキウキするような時にこそ入山をするべきだろうな。いつまでも勤め人時代の、時間の限られた遊びなんかの習慣に縛られてはいけないな。人生はこれからなのだ。 I’m watching a video on building igloos in the Arctic Circle and feeling a bit spaced out. Today’s postponed.There were plenty of plans to traverse the border ridge buried in lingering snow using seal skis and igloos for a long-distance mountain hike. From several options, I decided on this one yesterday, packed a week’s worth of rations into my backpack, sent the plan to “Compass,” and arranged for GPS tracking with my wife. This morning, after an early start and finishing a bowl of brown rice, I got to the point of just needing to put on my shoes and step out the door when I felt like calling it off. It wasn’t a whim; it was the heavy feeling of “pre-mountaineering” that had been weighing on me since last night and just wouldn’t lift. To be free.If I had commitments with others, or if it were a precious weekend with limited time, or if I had already booked a flight ticket, I might have gone anyway. But right now, I am free. If I postpone it to tomorrow, all I need to do is correct the date on the plan. Perhaps it’s because of the front stretching along the southern coast of the archipelago, but the clouds in the eastern mountain foothills are low. The clouds were thick and dark all day yesterday too. It might be because of the weather. A little rain on the day of entry shouldn’t be a big deal for a long mountain hike. Conversations with my family after deciding to postpone feel like entering a world beyond the crossroads of fate, where casual conversations become interesting. Maybe stories that weren’t supposed to be heard or exchanged. It’s very enjoyable. And I feel the freedom of deciding whether or not to go mountain hiking. The freedom of the vacuum left behind by the postponement is also appealing. But will I experience the pre-mountaineering tension again for another night? Well, once I’m out there, it’s all fun. No, I should embark on the hike when I’m excited from the night before. I shouldn’t be bound by the habits of limited-time play from my days as an employee forever. Life is ahead of me.
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2024-4-18 22:03 |
ブロックが重くて硬い暖かい時期の心得 ノコギリの基本
つまづきのほとんどは、ノコギリの使い方ですいいブロックが切れないです!というケースのほとんどは、姿勢の問題が多いです。残雪期のブロック切り出しは力の使い方を間違えると、特に筋肉の少ない人はすぐ疲れてやる気が減退します。腱鞘炎にもなります、腰痛もきます。ノコギリに限らず何事も重要なのは、「大事な仕事はヘソの前20cmでやること」です。字を上手に書くときも、包丁で魚をおろすときも、合気道の技をかけるときも同じです。腕ではなく指先にエネルギーを集中できるからです。 ブロックを切るときの体の立ち位置ヘソの前20cm以内に手首があるとなぜ楽なのか?体の重心に近いから、全エネルギをノコギリに費やせるからです。脇を開き、腕を伸ばした先でノコギリに力をいれるのは無理です。距離20cmにするには、切りたい場所に「自分の身体を寄せる」しかありません。足場を進め、膝を曲げ、腰を落としたりしながら、ヘソを作業ポイントに近づけてください。そうすると、少ない力で楽にノコギリを動かせます。 切り出したブロックを持ち上げるときもヘソから20cm以内また重いブロックを運ぶときにもブロックをヘソの前10cmに近づけてから持ち上げます。これも重要です。この季節は気温が高く、宅急便大のブロックもかなりの重さになります。力があるからと、理に沿わない姿勢でブロックの切り出しを続ければいつか腰が痛くなるし、山行中なのに無駄なエネルギーも使います。ぜひ最小限の力技を覚えてください。 ブロックの前に足首を立てて正座して、ヘソをブロックになるべく近づけ、抱きかかえるようにして、自分のヘソの上に乗せるぐらい引き出してから立ち上がります。 抱きかかえるので上着全面のファスナーは上まで閉めておきましょう。懐に雪が入ると、融けて後で腹回りが濡れて寒い思いをします。 ショベルは指をいれる隙間を作るためだけの道具ブロック取り出すとき力任せにショベルを使うと、安い製品だと首が簡単に折れてしまいます。ブロックはノコギリだけで切り離し、ショベルはそのブロックを2センチ動かすのに使うだけです。2cm隙間が空いたらそこに指を入れて、ブロックを手前側に転がして取り出します。ショベルを軽く刺し入れてもブロックがコトコト動かなければ、切れ目が奥でつながっていません。もう一度ノコギリで切れ目を合わせてください。コトコト動くのに出てこないときは、ハの字切りに問題があって引っかかっています。もう一度、表開き、上開きの方向に切れ目を入れ直してください。 気温高く落ちやすいので屋根材は厚いものをこの季節は午後の高温時間帯に、せっかく作った屋根が融けて落ちることがあります。屋根のブロックも20〜30cmの厚みのある大きなものを使えば、融けずに済みます。気温の低い時期は薄いブロックを乗せただけでも大丈夫なのですが。大きく重いブロックは不安定ですが、案外ブロック同士のくっつきが良く、大胆に内側にせり出しても、安定しています。サイコロ型のものだけでも屋根を塞げたりします。 今週は、みなイグルーを仕上げたあとは気温も高く風もないので、外にテーブル席を掘ってビールと鍋、月と星を楽しみました。最後にそれぞれ個室に戻って、戸締まりもおろそかに就寝。一人は外でゴロ寝しました。寒くなったら入ろうと作っておいた大集会室イグルーは作ったけど使いませんでした。 Most stumbling blocks come from improper sawing techniqueMany cases of ‘can’t cut good blocks!’ stem from posture issues. Cutting blocks during the lingering snow season can quickly exhaust those with less muscle, leading to decreased motivation. It can also cause tendonitis and back pain. Whether it’s using a saw, writing neatly, filleting a fish, or executing an Aikido technique, the key is always the same: ‘Do important work within the first 20cm below the navel.’ This allows you to focus energy on your fingertips rather than relying solely on your arms.” Body Position When Cutting BlocksThe reason it’s easier to have your wrists within the first 20cm below your navel is that it’s closer to your body’s center of gravity, allowing you to expend all your energy efficiently on the saw. It’s impossible to exert force on the saw effectively by extending your arms outward. To bring your position within 20cm, you have to “bring your body closer to the work area.” Advance your foothold, bend your knees, lower your hips, and get your navel as close to the work point as possible. By doing so, you can move the saw with minimal effort. When lifting the cut block, keep it within 20cm from your navel.Similarly, when carrying heavy blocks, bring them within 20cm in front of your navel before lifting. This is also crucial. During this season, with the temperature high, even a block the size of a parcel delivery box can become quite heavy. Continuing to cut blocks with improper posture, relying solely on strength, will eventually lead to back pain and wasted energy during mountain trips. Be sure to learn minimal-effort techniques. Sit in seiza (sitting on your heels) with your ankles in front of the block, bring the block as close to your navel as possible, and lift it as if hugging it, then pull it out and stand up. Make sure to zip up your jacket completely to prevent snow from getting into your pockets, as it will melt and make your waist area wet and cold. The shovel is only a tool to create space for your fingersWhen extracting a block, using the shovel forcefully can easily break the neck, especially with cheaper products. Use the saw to detach the block, and use the shovel only to move it 2cm. Once there’s a 2cm gap, insert your fingers there, roll the block forward, and remove it. If the block doesn’t budge even after lightly inserting the shovel, the cut is not deep enough. Realign the cut with the saw. If it still doesn’t move smoothly, there may be a problem with the notch. Realign the cut in the direction of the tab. Since the temperature is high and prone to melting, use thick roofing materialDuring this season, there’s a risk of the roof you’ve carefully crafted melting and collapsing during the warm afternoon hours. If you use blocks for the roof that are 20-30cm thick, they won’t melt. During colder times, even thin blocks are sufficient. Large and heavy blocks may seem unstable, but they surprisingly stick together well and are stable even when protruding boldly inward. Even dice-shaped blocks can be used to cover the roof. This week, after everyone finished their igloos, the temperature was high and there was no wind, so we dug outdoor table seats and enjoyed beer, hot pot, the moon, and the stars. Finally, everyone returned to their individual rooms, neglecting to secure the doors and went to sleep. One person slept outside. Although we made a large meeting room igloo just in case it got cold, we didn’t use it. |
2024-4-17 11:15 |
甲府岳心会とイグルー講習@遠見尾根
遠見尾根・地蔵の頭は雪山練習の人気場所今期最後のイグルー講習会は、遠見尾根地蔵の頭でした。ここはリフトを降りて5分で行ける講習適地。先月も来たときも、別のチームが雪崩捜索訓練や冬山宿泊練習をしていました。1989年の雪崩事故も、ここのすぐ脇の小さな沢の対岸の急斜面でした。長野県の山岳連盟や山岳会がよく使うし、よくテント泊するところです。 イグルー講習をやるなら無垢の積雪地がよいので、平らなコルから少し離して急斜面に上がり始める傾斜地で行いました。前に人が掘ったりした後だったりすると、ブロックがきれいに切れないからです。傾斜地だろうと雪稜だろうとイグルーはできるのです。 8年ぶり岳心会とイグルー前回講習をしたときの隊長・今村さんと、今回はゲンキなヤングが+5人。そのうち一人は北大山岳部の8年目OBで、クライマー巡業中の竹中源弥さん。来週からデナリ・カシンリッジに行くってことで、「里にいてもキンチョーなので」来たとのこと。この春から甲府にやってきたのだそう。一昨年はペルーアンデスの難峰タウイラフの細い雪稜でイグルーに泊まってクライミングしてますよ。 山梨大山岳部3年の八木さんが参加。10年前イグルスキーの甲府在住時代、山梨大山岳部員とよくイグルー山行をしました。富士山でイグルーはキツいなあ!と知ったのもこの頃です。雪少なすぎ、風強すぎで、作れるけど隙間から粉雪ぶち込まれまくりなんですよね。 コロナ禍の3年間で部員活動が制限され、山梨大では先輩とのつながりは絶えてしまっていて、いま孤独に部の再興を一からやり直しているとのことです。また梨大にイグルー山行仕込みたい。対象的に北大山岳部は、大学当局や世間の自粛ムードをなんとか乗り切って、山に行き続けていた模様。人に会わない北海道の山、コロナだからって行かない理由にならない。このコロナの乗り切りの件は、来たる100年記念誌でも振り返りたいテーマです。 はじめ大きく作りすぎたけど、後半逆転勝利ゆかこさんのイグルーははじめちょっと大きく作りすぎ、しかも二段目くらいから大きなブロックが取れず、形の悪い小さいのばっかりでした。本人も半ば諦めてました。 しかし深さ30cmのトレンチの掘り方をちゃんとやって見せるとコツを掴み、後半は特大イグルーがバンバン取れるようになりました。時間はかかったけど、ブレイクスルーを見ました。 放射状イグルー団地を設計一人一つづつイグルーを作り、それを中央の大きな集会用イグルーにトンネルでつなぐという計画でやりました。まずイグルスキーが一人用個室を40分でデモ。その後みんなが個室を放射状に作る真ん中に、イグルスキーが再度大きなイグルーを作ります。積雪は1.5mくらいだったので、下部に1mは掘れる見込み。傾斜地なので上のイグルーはちょっと高いところからこんにちはとなります。実際は夜暖かく、外のテーブル席で遅くまで広々談話したので、そのまま個室に入ったので、大きなイグルーは使いませんでした。寒い時期はここに入りこんでみんなで体育座りで談笑です。 翌日もみな一個ずつ作って技を確認し、山の話や世間話に大いに盛り上がり下山しました。スキー場の雪はかろうじて下までつながっていました。 次回は暖かい時期特有のイグルー作りポイントをまとめまて書きます。 Tohmi Ridge, Jizo no Kashira, a Popular Spot for Snow Mountain TrainingThe last igloo building training session of the season took place at Jizo no Kashira col on the Tohmi Ridge in Hakuba. This is a training site accessible with a 5-minute horizontal walk from the lift.Last month, another team was conducting avalanche search training and winter mountain camping practice here. The site of the 1989 avalanche incident was on the steep slope just across a small stream from here. It’s a place frequently used by the Nagano Mountain Federation and mountain clubs, and it’s also common for tent camping. For igloo building training, it’s best to have untouched snow, so we conducted the training on a steep slope slightly away from the flat col. This is because if the snow has been previously disturbed by someone else digging, the blocks won’t cut cleanly. Whether on a slope or a snow ridge, you can still build an igloo. Igloo Building with Gakujin-kai after 8 YearsThe leader from the previous training session, Mr. Imamura, was joined by energetic young participants plus five others. One of them is Genya Takenaka, an 8th-year alumnus of the Hokkaido University Mountaineering Club, currently immersed in alpine climbing and striving to conquer challenging walls.He mentioned feeling nervous even in civilization because he’s heading to Denali’s Cassin Ridge next week. He just arrived in Kofu this spring. Two years ago, he camped in an igloo on the narrow snow ridge of the challenging peak Taulliraju in the Peruvian Andes. Mr. Yagi, a third-year member of the Yamanashi University Mountain Club, also participated. Ten years ago, during my time in Kofu, I frequently went on igloo camping trips with members of the Yamanashi University Mountain Club. That’s when I realized how tough it is to build an igloo on Mt. Fuji! There’s either too little snow or too much wind, so even though you can build it, you end up with powder snow blowing in through the gaps. Over the past three years of the pandemic, club activities have been restricted, and there has been a loss of connection with the seniors at Yamanashi University.? He mentioned that he’s currently working alone to rebuild the club from scratch. I also want to organize igloo camping trips for Yamanashi University again. In contrast, it seems that the Hokkaido University Mountain Club has managed to continue going to the mountains despite the university’s restrictions and the societal mood for self-restraint. They have found ways to overcome the challenges posed by the pandemic. This overcoming of the pandemic challenges could be an interesting theme to reflect on in the upcoming 100th anniversary publication. Yukako’s Big Igloo Comeback VictoryYukako initially made her igloo a bit too big, and she had trouble removing large blocks from the second tier, resulting in small, misshapen blocks. She was about to give up. However, after demonstrating the proper technique for digging a 30cm deep trench, she grasped the method and was able to remove extra-large blocks easily in the latter half. It took some time, but she had a breakthrough. Designing a radial igloo colonyI proceeded with a plan to individually construct igloos, each connected to a central large assembly igloo via tunnels. First, I demonstrated building a single-person igloo in 40 minutes. Then everyone made their own individual igloos radiating from the center, and? I built the large center igloo again. Since the snow was about 1.5m deep, we estimated that we could dig about 1m down. Because of the slope, the upper igloos ended up being a bit higher. In reality, it was warm at night, and we had lively conversations at the outdoor table seats until late, so we ended up not using the large igloo. During the cold season, we could all huddle in there and chat while sitting on the ground. The next day, everyone made one igloo each to confirm their skills, and we had lively conversations about mountains and worldly matters before descending. The snow on the ski slope barely reached the bottom. Next time, I’ll summarize the points of igloo building specific to warm weather.
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2024-4-14 12:16 |
ニセコアンププリ北面
ニセコアンププリ北面(山滑走/積丹・ニセコ・羊蹄山)日程:2024-04-14(日帰り)メンバー: saito1987コースタイム:写真:五色温泉から浅い沢型から夏道の1010mコルに上がる北面滑るイワオヌプリとワイスザラメの滑降頂上羊蹄900〜800mあたりで北面からトラバース気味に峠へ戻る感想:ザラメ雪を滑りに。まだまだ雪あります。
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2024-4-9 12:21 |
《筑摩山地》渕東駅〜鉢盛山(北尾根から)〜烏帽子岳〜御馬越
《筑摩山地》渕東駅〜鉢盛山(北尾根から)〜烏帽子岳〜御馬越(積雪期ピークハント/縦走/槍・穂高・乗鞍)日程:2024-04-05〜2024-04-07メンバー: yoneyamaコースタイム:コース状況/その他周辺情報:雪は標高1700m以上。あとはヤブのシートラ写真:霧の中、道といえば道だ。結局なんとなくヤブに覆われてはいなかった。昭和8年の雪崩災害 被害人数は不明雪、全くなし。シートラして地下足袋登行。20kg+スキー1941はトラバースしようとして笹薮にドハマリする。コルまで来て振り返ると、なんだ雪の廊下続いているんじゃん!これはこれですべりにくいけど 巨大なサルノコシカケのようなもの以前は学校ができるくらい人が多かった産業があったということだ。常念岳がチラリ入口を壁で埋めてふさいだところ乗鞍岳だ案内は整備されている花束のような春の小枝一人用なので狭い古い感じのお地蔵山形村最高点のところ。木曽からの峠越えルートなんだな。鉢盛峠。600m降りた。奈良井川、木曽川乗っこし峠足りない分は右後ろから運んできた。1830年代って人口賄うために米作増産時代なのだ。鍋冠山でも見た。この越境水路計画寝坊した朝これから向かう2020と烏帽子岳。その後ろの波々の山並みがすごく美しい。天井田村堂大きなダケカンバありハト峰南側斜面は日当たりもよく笹だらけ。笹の上を荷物20kgの横滑りスキーで敢行する。後半あきらめシートラサルオガセかなり凝った祠朝、町に行く便しかないかあ40年前の記憶にある、プレハブの小屋。まだ在ったのですか!中央アルプスと経ヶ岳樹間から見えるのは、塩尻から広丘のあたりかな。白くでかいのはエプソン工場ではないかなほとんど山城でござる。一番上に白山堂、その取り付きが田村堂完成本堂のあたり力を振り絞って山頂へ、御嶽山が。その後ろは杉の木立だったようだ足が冷たくて登山靴に履き替える木曽義仲公ここにも?あの峠を超えるのかな。2月28日の鉢盛山御岳までの森林帯も課題ウサギ頭忽然と現わるる山小屋。△2064には北面から林道が伸びてきているのでここまで車で来ちゃうんだろうか。もう疲れ果てた。ここらでイグルー作りたい、浅間山だって見えるじゃないか穂高や常念や焼岳も。なんとなくブル道っぽい鉢盛山を振り返る2022峰はオンダシ峰っていうのか。コロナイヤーだ。盆地全域が見えている南アルプスと八ヶ岳若沢寺滅亡後の散逸した寺宝あり40年前からある反射板。高校生の時、タケイが登った。いよいよ若沢寺への山道へ最上段、田村堂ブロック供給場所乗鞍岳が見えるようにカラマツが刈ってある。見えたのはここだけ。若沢寺の名残2064から上はシラビソとコメツガの針葉樹林にガラリと変わる。これまでは延々カラマツだった。隙間から夕暮れよる、雨予報だったのでタープかけといたけどたいして降らなかったそろそろ登るのが嫌になった頃、吹き溜まりを見つけてイグルーつくる。3.28の鉢盛山若沢寺とは美しい立体のオニグルミ烏帽子岳と、結局下ることになった下降尾根庚申塚スキーは履いたり担いだり。下から二段目の郭雪は出てきた、少しだけとても良い斜面だがころんだ。こういう狭くて硬い急斜面を20kg背負って横滑り朝ご飯。40分でできた。積雪30センチでもできる。坂上田村麻呂様の田村山頂烏帽子岳1952m。松本からもよく目立つ三角の峰白山山頂祠のみ面倒くさいからスキーで落ち葉を登るこんな感じの残雪です石垣笹が増えてきたサルオガセ穂高翳っちゃった笹と雪のミックス斜面寝坊した朝こういう感じだが雪はかろうじてつながっているさーはいろうはいろう一番下の郭ハト峰から東のみ見える。カラマツ三本が伸びてきている。左が八ヶ岳、右が南アルプス2022からの斜面は割とスキー快適。カンバまばらで雪も少し融けた。松本盆地南部のあたりが見える落ち葉などがトレースに貯まるのはなぜ?ダケカンバの皮が1000円札に見える。焚き火のとき必要町石説明コルまで降りた河岸段丘、上の段にある田村堂の仁王くぐり誘うポスター仁王像は若沢寺ではなく西光寺とのこと標高1450m石碑にしては字がない。何かの標識か。また撮影南無阿弥陀仏上高地線渕東駅(えんどう)坂上田村麻呂様の田村奥に見えるのは経ヶ岳と坊主山かな。あっちも雪は終わっているかなんとなく続く道風はそよ風その右側。経ヶ岳の手前のくろぐろした山並み、雪なさそうだ。本当はあれ全部歩いて奈良井宿までの予定よく働いた明治4年、廃仏毀釈のため滅亡そこからの眺めかかとの靴擦れも痛いし、足首も空が干渉して痛い。自由な地下足袋に履き替えると、生きかえった気分。ザックは重くなる。雪も絶えいよいよシートラを覚悟 標高1700m鉢盛峠。600m降りた。奈良井川、木曽川乗っこし峠。ここからまた登る。寝坊した朝そろそろ下る若沢寺の名残感想:一日目 曇り・ガス ●若澤寺から入山上高地線・渕東(えんどう)、超無人駅、初めて降りた。スキー担いで地下足袋で。駅周辺は田畑だが、河岸段丘一段上には古い集落。雀脅し付きのお屋敷も多数あり。田村堂にて、明治4年の廃仏毀釈の嵐で滅亡した古刹、若沢寺(にゃくたくじ)の名残を見学。そのままスタスタ歩いて若澤寺古蹟へ。奈良時代からの古刹で中世には修験、近世以降は武将、藩主の庇護で「信濃日光」と大いに栄えたが、明治4年の革命の嵐で哀れ滅亡した幻の大伽藍建造物群の跡地。ほとんど山城だ。栄枯盛衰。松本藩の廃仏令は藩主自ら菩提寺を叩き壊してその木材で開智学校を作った。●白山から清水分岐若澤寺の最上部田村堂から白山へは道といえば道かもしれない程度の杉林を地下足袋めり込まして急斜面をシートラ登行する。温暖化で、こういう入山が増えた。白山は、下で見た絵図では大きな社が描かれていたが今は石の祠一個。依然雪はないが、湿った地面で濡れた地下足袋の指先が冷たくて、登山靴に履き替えた。最近、趾が冷えやすくていけない。当初ここから先は雪を期待していたが、もう無い。それでも笹薮もそうひどくなく、なんとなくの踏み跡もあり延々進んでいく。松本市内から見上げたあの長大で緩やかな尾根の上を進みゆく。濃霧の上に樹林は絶えず、展望はなし。もう少しで清水分岐というあたりで、良い吹き溜まりを見つけ、イグルーを作る。積雪は周囲20cm、そこだけ30〜50cmって感じだが、一人分なら作っちゃうよ。宅急便大のブロックだけでゴンゴン積んで作る。こういう季節は高温で溶けるし雨も降るので、薄いブロックは駄目だ。厚いから重くて、長いのはできないけどくっつきやすいから内傾は容易。昔よく作ったタイプだ。二日目 雲海 晴れ ハト峰と鉢盛山ハト峰まで登り始めてすぐ清水分岐。鉢盛山って山形村朝日村方面だけど、山形村の最高点はここで、村内には顕著なピークがないんだ。ここからはカラマツ林を切り開いて、乗鞍岳方面だけが見える窓のようになっていた。こういうの、いいと思うよ。傾斜は強まらず、延々カラマツ林をスキー摺り足で進む。還暦定年退職向きのロングコースだ。幽玄なサルオガセの森をとおる。晴れて遠くの山も雲海の上のようだが、樹林で見えない。ハト峰山頂は東側の木が刈ってあり、雲海の上にヤツ、甲斐駒仙丈ヶ岳が見える。遠くて緩い良い山。●南面の雪は無いハト南面の急傾斜は、雪が融けて笹薮。笹薮横滑りスキーは得意技だが、完全にヤブコギに。後半はシートラして降りる。コルから次の1941は西側を迂回してズルしようとしたらやはり南面急斜面の笹薮をトラバースする羽目になりこりた。素直に上を行けば南面も東のヘリだけは雪がつながっていた。コルから振り返ったら気づく。●控えめな展望樹間からときおり、松本盆地南部の様子が垣間見える。その向こうには高ボッチやヤツ、浅間山と、盆地の底では見えない遠い世界が多層的に見える。これが見たくてこういう山行をするのだ。△2064の下の斜面は、それまでのカラマツが消え、急にダケカンバの疎林に。展望も良くなり穂高や常念が見え始めて、ここらでイグルーでも作ろうか、と思ったころに避難小屋現る。裏側の林道が通じていたのだ。簡素な作りだ。積雪期は想定外みたい。もう少し先に行くか。そこから山頂まではシラビソやコメツガの気持ちの良い針葉樹林に。これがこの山の本来の植生か。イグルーは展望の良いところがいいと、少しずつ進める。40年前に見覚えのあるプレハブの小屋も過ぎ、その上の急斜面を過ぎ、結局山頂の反射板の脇まで。穂高も常念も乗鞍も御岳山も見えるのはここだけだった。積雪は1mほどあり、楽勝で棺桶型を作って眠る。きょうは湯たんぽを象足の中に入れたので朝まで安眠した。深さが雪面下90cmなので隙間が空いていても風は上を抜け、横になっていると全然寒くない。三日目 晴れ●分水尾根で意外とスキーイグルーを出て奈良井川・木曽川の中央分水尾根を下る。樹林だし、結構方角決めが難しい。急斜面でかなり硬いのでスキーを担ぐ、念の為持参のクランポンもつける。狭くて傾斜のある尾根を少し下ると標高のせいと時間のせいで潜るようになり、スキーに替える。笹半分、硬い雪半分の傾斜ある狭い尾根で、横滑り多用で結構厄介。半分位から下は、尾根直下の北側面を突いて滑り、あっという間にコルへ滑り下ることができた。こんなとこ滑る人、いないだろ。2022への登り返しは傾斜もゆるく雪もかろうじてつながっていて孤独で自由な深い山を味わう。2022からのスキーも案外楽しく滑った。期待していなかった楽しいスキーの場面は、とてもラッキーに感じる。烏帽子岳は、松本から見ると鉢盛に次ぐ特徴的な山頂だ。ぜひこの稜線を歩いてみたかった。登りも降りも今山行中、最大の傾斜でおっ立っている。●行程半分で下山を決める烏帽子岳で最終判断。計画ではここから延々標高を下げて奈良井宿までだが、きょうのペースだとあと1.5日はかかりそう。飯も時間もあるが、この先は雪が消え、シートラヤブコギになりそう。このルートは行きたいがあくまで雪を踏んで行きたい。今年は3月に来られなかったのが敗因だろう。ここに来て電波が通じ、エスケープの北尾根から御馬越に下山する旨を伝える。下降尾根の東側面の真っ白な斜面をスキーで下る。登山靴のグラグラ足首と、ザブザブの雪質はかなりハイレベルだが、それなりに愉快に降った。尾根と脇の側面を乗ったり逸れたりしながらスキーで降り、ヤブ6割くらいになったあたり1700mでシートラに。1550mで地下足袋に替える。登山靴は20年ものだけど、かかとの内側の内装が剥がれ、必ず靴擦れができる。今回も500円玉大の皮が破れた。もう買い替えかな。地下足袋で地面を踏みしめると、生き返った気分だ。背中は重くなるけど。ザックの後ろに立てに挿したストックが50回くらい枝に引っかかり、角持った鹿の気分だったが、どこかで一本ヤブに持っていかれてなくしてしまった。自作の竹ストックだ。痛恨。道は踏み跡程度だが、迷いやすい広い尾根には目印テープが的確にある。●御馬越(おんまご)尾根末端には木曽義仲由来の祠があった。ここは、あの峠越えルートで木曽の味噌川との直結ルートだ。中世には重要だったのだろう。調べてみたい。御馬越という地名も義仲起源に違いないだろう。タクシー呼んで、歩き始め、スキー場近くで出会う。洗馬を通って塩尻駅まで。このあたりは初めて通る。塩尻は段丘の取り残された桔梗ヶ原台地の上だ。水は乏しかろう。そこが近代に都市にならなかった理由かもしれない。駅で立ち食いそば。42年前、高校二年の冬、御馬越まであったバスで来て、一人野俣沢林道から鉢盛山に向かった。誰にも雪山登山を教わらず完全に一人で始めた。丸一日、膝までのラッセルがきつくて、行こうか帰ろうかずっと考えて、林道半ばで引き返した。夕方の最終バスにかろうじて乗って帰り、翌朝熱を出した。その後、鉢盛山は何度か登ったけれど、町から鉢盛を見るたびその時を思い出す。もうバスもとっくにないし、授業をサボって山に行くのを放っておいてくれた担任の先生も、この前亡くなった。
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2024-4-8 9:59 |
十勝と日高を繋ぐ/D尾根から狩勝峠まで
十勝と日高を繋ぐ/D尾根から狩勝峠まで(積雪期ピークハント/縦走/十勝連峰)日程:2024-04-05〜2024-04-08メンバー: zeniya1990 Yanke1987コースタイム:写真:しばし、休憩いったん登り返し翌朝、快晴気温上がり雪緩む、ザラメの滑降こっちは(左から)東大雪、石狩、二ペソツ、丸山、ウペペが並ぶ4日目朝、狩勝国道と雲海の十勝平野(ピンぼけ)D尾根、化物岩、風強い境山の白い南斜面とコルの湿原樹間からオプタテガリガリ斜面を滑降芦別方面D尾根下部登る本峰をバックに太麓山とトウヤウスベ十勝連峰方面を振り返るシーズン終了したサホロスキー場特急十勝で札幌に帰るタクシー待ち椎空知山近ずくこれから向かう方向をのぞむ、てっぺんが白い椎空知山と佐幌岳、彼方に日高が霞む林道に出た、下ホロを南から見る下ホロ南斜面の白い一本の縦筋が印象的下ホロが見えてきた崖尾根小屋着シーデポに戻る尾根型がはっきりしてきた三峰ーH(上富良野岳)間コルから広がる大斜面その右方、前富良野と富良野岳時折視界が開けるここからだと山名の同定困難、芽室、オダッシュ、狩振はわかる3日目の朝椎空知山についた、向こうのより高いポコを越えなければならない佐幌方面に向かう、ここより高い無名峰下りの尾根、日高らしく細くなってきた、下ホロ登る1下ホロピーク135度斜滑降の途中、下ホロの東斜面狩勝峠まで最後の滑降(左から)美瑛、オプタテ、トムラウシ下ホロ登る2感想:D尾根から始まり下ホロ、椎空知山を経て狩勝峠まで歩く。初日のD尾根は視界なくツェルトで時間待ち、八つ手のコル少し下くらいまでスキー(シーアイゼン)で行けた。主稜線は体がふらつくほどの爆風。三峰から原始ヶ原への滑降は真っ白な大斜面の中、時折視界がなくなると滑っているのか止まっているのかわからなかった。2日目は良い天気、境山とのコルを経由して下ホロに、1480くらいまでスキーで行けた。ピークには空身で往復。これまで遠くからまたいろんな方向から見ていた下ホロにようやく立てた。シーデポから時計回り135度の円弧状斜滑降、三点鎖線を超えたあたりから斜面を滑る。林道を少し歩いたあと、目印のない平坦な尾根をひたすら南に磁石をきって進む。今夜も焚火、お湯をガンガン作り喉を潤す。3日目も快晴、椎谷空知が近ずくと尾根がはっきりしてきて磁石を見る回数が減る。今日も暑い、ペットボトルに入れた焚火で作った水を飲むが焚火臭い。よく見ると茶色に濁っていて細かいゴミもいっぱい。こんなもの飲んでいたのか。佐幌岳まで2,3回シール外した。小屋は薪ストーブがあり快適、異臭のないお湯を飲みまくる。4日目、狩勝峠に向けてガリガリ斜面を滑るが時間がたつと雪緩みザラメとなる。峠の自販機でペットボトルを飲むと、もういいやという気になり下山。当初は新得まで歩く予定だった。
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2024-4-3 12:33 |
スバリ岳中尾根単独
スバリ岳中尾根単独(アルパインクライミング/白馬・鹿島槍・五竜)日程:2024-03-30〜2024-03-31メンバー: nrtk7写真:核心中尾根は真ん中のやつ核心ピッチ核心ピークここのトラバース悪かったちゃんと冬ちょい悪M5くらい?感想: 最近またソロが面白くなってきたので、去年赤沢岳大スバリ沢奥壁を登りに行ったときに見えて気になっていたスバリ岳中尾根にひとりで行くことにした。Day1 今日はアプローチなのでゆっくり起きて4時間ドライブで大町へ。日向山ゲートに駐車して何気に通い慣れた道路歩きで扇沢ゲートへ。去年の同時期より雪は多い気がする。気温高すぎてズボズボの尾根を登る。スノーシュー持ってきてよかった。稜線直下のテンバ適地にザックを置いて中尾根を見に行く。稜線は風強い。テンバに戻ってブロック積んでテント張ってC1。しかし夜中は風が強くテントが顔をはたいてきてあんまり眠れなかった。イグルーにするべきだったか。Day2 朝方は爆風に加えガスガス、雪も降っていたのでテントで待機。これは敗退か?と思ったが6時ごろ視界出たので出発。しかし風は強い。適当なところから沢型をトラバース気味に下降して中尾根に取り付く。あまり情報がなくどこを登るのかは現地判断で楽しい。最初は?〜?級なのでフリーソロ。たまに?級くらいのところが出てきたのでカムにセルフかけながら登った。ガスガスビュービューなので壁はベルグラ張ったりしていて結構冬コンディションでいい感じだが、たまに爆風にあおられそうになって緊張した。積み木みたいなところをトラバースしたのも痺れた。5ピッチ分ぐらい進むと核心っぽい岩塔。流石にロープ出す。氷交じりの凹角を登って被り気味の右トラバースをすると垂壁。登ってハングに頭を抑えられたところをジャミングとカチとリスフッキングで左トラバース、そのままのっこして終了。結構面白い。これを越えると簡単な歩きでピーク。時間あったので針ノ木岳まで行こうかとも思ったけど天気悪いのでやめた。下り始めると右膝が痛くなってきた。ゆっくり下りてテンバで荷物を回収、足を引きずりながら下山した。埼玉までのドライブはクソ長かった。
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2024-4-3 1:58 |
甲斐駒ケ岳赤石沢奥壁中央稜
甲斐駒ケ岳赤石沢奥壁中央稜(アルパインクライミング/甲斐駒・北岳)日程:2024-03-09〜2024-03-10メンバー: nrtk7写真:中は快適いい天気だねえ1p目岩小屋完全に埋まってた。3p目。なんか崩壊してる?奥壁感想: 赤石沢奥壁左ルンゼに行きたかったがパートナーが見つからなかったので中央稜をソロで行くことにした。Day1 実家にC0して出発。黒戸尾根をえっちらおっちら登る。途中でクライマー2人を抜いた。ルート被ったらいやだなとか思ってたら知り合いのIさんとYさんだった。左ルンゼに行くとのことで安心。特に急ぐ理由も無いので世間話をしながら一緒にまったり登った。しばらくして上から降りてきた登山者とすれ違ったと思ったら♯上だった。ウケる。その後花谷さんにも会った。知り合いばっかだな。七丈小屋以降はトレースなく、膝ラッセル。3人で交代しながら進む。正直1人だったら諦めてどっかで泊まってた。八合目に着くが岩小屋が見当たらない。3人で探すがよくわからない。最終的にI田さんが夏に泊まったときの風景からここら辺じゃね、と推定したところは完全な雪。掘ってみたら洞窟が出てきた。これはオンサイト不可能。I田さんたちはテント泊予定らしいが僕はテント持って来てなかったので見つけられなかったらつらい夜になるところだった。Day2 岩小屋は快適だった。横断バンドすこし行って雉撃ちしてたらI田さんたちも来た。彼らは爆風でほとんど眠れなかったらしい。トラバースして彼らと別れて登攀開始。 最初は簡単そうだったのでロープ出さずに行くが、10m程登ると細かくなってきたのでカムにセルフかけながら登った。トポ上の1p目を登ってから2p目をフリーソロ。3p目は流石にロープ出して行く。この時期は少し雪で埋まっているので1月とかよりも核心の出だしが高くなっていて簡単な気がする。あとなんか最近崩壊したっぽい見た目だった。快適に登って懸垂で下りているとYさんが。左ルンゼはコンディション悪く転戦してきたそう。何かぜんぜんソロっぽくなくなっちゃった。4p目のワイドはキャメ3番までしか持って来てなかったので全くプロテクションがとれずモジモジしてたらYさんたちに追いつかれた。待たせるのもあれなのでクライムダウンして先を譲った。そのときムーブ見てしまったのもあり普通に登れた。その後は雪壁。全部I田さんがトップを行き、僕はYさんとのんびりお話をしながら登った。ソロとは。流石にずっとついていくのもあれなので途中で抜いて尾根にトップアウト。ピーク踏んで3人でおしゃべりしながら下山。黒戸尾根はやはり長い。実家に泊まって翌朝帰宅。思っていたのと全然違う山行になったけど楽しかったのでヨシ!
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2024-4-1 0:49 |
イグルーにタープ、ツエルト、テントを組み合わせる
18泊の日高全山縦走でのイグルーは4泊。あとは?前回紹介した先週の北大山岳部OB中川凌祐さんの全山縦走山行でイグルー泊は3ヶ所4泊でした。中川さんはイグルー作りは慣れていて、すぐに作ってしまいます。なのになぜテントを持って行ったのか訊いたところ、丁寧にこたえてくれました。 山行記録: 日高山脈主稜全山縦走(芽室岳~楽古岳~襟裳岬) 2024年03月06日(19日間) 日高山脈, 積雪期ピークハント/縦走 / Nakagawa2019の山行記録 www.yamareco.com ?イグルーでは濡れが乾かないイグルーだと製作時にウェアが濡れ、寝てる時に吹き込みによりシュラフカバー等装備がどうしても少し濡れてしまいます。長期戦を考えると濡れものは重くなるし不快なのでそれらをしっかり乾かしてから進みたいのですが、冷えにくいけど暖まりにくいイグルーだとストーブを炊いても乾きにくく、ガスが勿体無いと考えました。テントの場合濡れは行動中に生じるもののみで、ウェアは炊事しながらの着干し、グローブやソックスは上に洗濯バサミで吊るしておけばほぼ乾きました。 確かにそのとおりです。イグルーは、ストーブをたいてもテント内が暖まるようにはなりません。吹き込む粉雪も、不評です。この「濡れ」をどう受け入れるかですね。 ?風の弱い支尾根に降りてテントを張る選択肢悪天や緊急時に風下の支尾根に逃げ込んでテントを張るという選択肢を持っておきたかったという点です。実際降ろすかどうかは別にして、そのような状況下で様々な選択肢を持っておくのは単独行において精神的に良いと感じました。今回、C6=C7,C9はそのような使い方でした。支尾根に下ろしてイグルーよりテントを使うのは1つ目の理由が大きいです。 選択肢を多くするため。これもわかります。 ?キツい行程の最後にイグルー作るのが辛いときもある30kg以上の荷を背負い10時間を超えるような行動をした後イグルーを作るというのを連日やるのは身体的に厳しい気がしたからです。特に腰が怖いです。勝亦さん*も全山の際、腰を痛めイグルー製作を断念した日があったようです。 重いブロックを扱う作業です。たしかに重心の配り方を誤ると痛くなります。私も講習会で一日に5つも6つも作って見せるときなどは腰に不安を感じます。単独の長期山行ならではのリスク想定です。*北大山岳部で2015年に日高全山縦走をした勝亦浩希 重さ・雪壁作り・朝のテント撤収のデメリットそれらのメリットとデメリットを天秤にかけて最終的にテントを持っていく判断をしました。再挑戦を考え始めたのは昨年の8月くらいだったと思いますが、そのタイミングでテントを持っていくのは決めてました。なので多少重くなっても背負える身体を作り、入山したら朝はイグルーの時より睡眠時間を少し削って解決しました。 イグルーといえども強風の場所では徐々に壁が削られます。特に強風のために積雪が無いくらいハイマツや地面が近くに見えているような所は、今はイグルーを作れる積雪があっても多少風向きが変わると、雪が削り取られる可能性があります。 強風地帯の3ヶ所はイグルーが頼りだった去年はイグルーが目的になってしまっていた感が否めませんでしたが、今年は前進のための武器として使えたと考えてます。今回イグルーを採用したタイミングは、吹きさらしで強風地帯のカムエク手前、ナナシの吹上の1823峰、2つ玉低気圧襲来で停滞した神威手前でしたが、どれもイグルーを作る労力を費やす価値のある局面だったと思います。 暴風雪でのテント泊はブロック壁で風を防いでもテントへの雪の吹きだまりは避けられず、積雪で押しつぶされないよう夜中でも除雪しなければなりません。イグルーはこの点が非常に優れています。中川さんはイグルー経験を自信にして、この強風帯を進めることができたといいます。 イグルー+テントイグルー内テントうまくいきました。動機はせっかくテント持っているしイグルーと組み合わせて双方のメリットを組み合わせた快適空間で停滞し身体を休めたかったからです。結果としてテントは一切風に煽られず、内部はポカポカ、ちょっと入ってくる吹き込みはテント膜が遮断という思い描いた通りになりました。黒部横断で雪洞テントがよくやられるそうですが、それやるならイグルーテントの方が積雪少なくても可、短時間で作れる、生き埋めや酸欠の心配は少ないといったように有効なんじゃないかと思いました。 イグルスキーも初期の頃、イグルー+テントやりました。4人用エスパースだったので、巨大イグルーになりました。いまは、テント持って行くほどの動機がないのでやっていませんが、確かにテントを持って行っているのならハイブリットで最強です。 イグルー+タープイグルスキーが最近やるのは、タープをイグルーの外側にかぶせて、四隅の紐をピッケルやストックやハイマツに縛って固定する方法です。隙間からの吹き込みが無く、気温の特に低い夜は暖かく過ごせます。 イグルー+ツエルトイグルー内にツエルトを張る方法を考えました。ツエルトは必携品だから、憶えておきましょう。8割ほどイグルーを作ったら、ストックを、ツエルトのベンチレーターに通した後、ストック2本をバンドなどで2ヶ所で縛り、長い梁を作ります。梁を、イグルーの入り口方向に向けて壁にかけ、残りの屋根を塞ぎます。前後の張り綱はストックに沿って外に出しておきます。梁があるから、屋根も塞ぎやすくなります。イグルーが完成したら、中でツエルトを広げ、梁綱をブロックの隙間から外に出して、周りの雪の中にハイマツの枝などに絡めて埋めて固定します。ツエルトの側面の梁綱も、ブロックの隙間から外に出して張ります。こうすると、イグルー内ツエルトが張れて、ストーブを焚けば暖かく、隙間からの吹き込みも防げるハイブリッドイグルーができます。 |
2024-3-31 10:39 |
濃昼三山スキー縦走(濃昼岳〜円錐峰〜幌内山)
濃昼三山スキー縦走(濃昼岳〜円錐峰〜幌内山)(山滑走/増毛・樺戸)日程:2024-03-30(日帰り)メンバー: saito1987 Yanke1987コースタイム:写真:一気に沢底まで明日行く幌内山方面濃昼川〜中ノ沢川沿いに続く林道を経由して濃昼岳南西の尾根へ取付く幌内山の北スキーの快調そうな尾根を滑る円錐峰から濃昼岳このあたり東向き斜面にはオープン斜面が多くみられる群別岳が顔を出した安瀬山幌内山から北の稜線は東側が切れ落ちている巨大雪庇崩壊の跡円錐峰の取付き尾根へ厚田川の左股川を渡渉水量多く渡渉時期に注意幌内山を振り返る円錐峰頂上スキー山行の醍醐味円錐峰を振り返る幌内山手前のポコ標高はこちらの方が高いまずは濃昼岳頂上からの滑降円錐峰への取付き尾根の下部林道上にC1増毛の海が見えてきた幌内山頂上着円錐峰から滑降濃昼岳南面は灌木の密度が濃くスキーに不向き円錐峰への登り気持ちよく下山尾根上からオープン斜面へ平らな濃昼岳頂上重いパウダーだが充分逆川の林道に出る感想:標高が低く地味な印象の山域だが、東向き斜面には谷底までのオープン斜面がいくつも存在する。札幌からも近く、もっと滑られて良い山域だと思う。稜線沿いよりも今回のように斜面〜谷〜斜面とつなぐほうが面白い。まだまだ魅力的なラインがありそうだ。
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2024-3-29 8:48 |
北大若手がイグルーで日高全山単独縦走貫徹
痛恨の遭難救助からのやりなおし北大山岳部の若手のOB中川凌佑さん(2019年入部)が、日高山脈の全山縦走をやってのけました。記録も一気に書いてくれました。19日間187キロ。万感の襟裳岬です。 彼は、昨年も日高全山に挑戦していたのですが、戸蔦別岳付近の事故でヘリで救助されるという痛恨の体験がありました。それでも挫折せず、この冬にはペテガリ岳の東西稜線単独縦走を成し遂げたうえでの復活でした。そして再び挑戦での貫徹です。 山行記録: 日高山脈主稜全山縦走(芽室岳~楽古岳~襟裳岬) 2024年03月06日(19日間) 日高山脈, 積雪期ピークハント/縦走 / Nakagawa2019の山行記録 www.yamareco.com 昨年の事故の概要昨年の事故の概要です。2023 年 3/20から行動 14 日予備 9 日の計画で臨んだ日高単独全山積雪期縦走の途上、戸蔦別岳付近でイグルー製作中、完成した屋根ドームの下の狭い出入り穴に体を入れた際、肩の付近がスタックした。イグルー内部の上半身で運良く手に届いたショベルを使い周りの雪を崩そうと3 時間あまり脱出を試みたが果たせず、下半身は積雪で埋まっていまい、低体温症を自覚し始めたため、運良く胸ポケットにあった携帯電話でヘリ救助を要請した。運良く天候もよく2時間後救出された。搬送時の深部体温 は28°Cで意識不明、筋肉損傷もあり深刻な容態だったとのこと。 聞いたこともない、予測も困難なレアな事例ではあるが、単独リスクの貴重な事例として記憶に残したい。狭すぎる穴は、自力脱出できないことが起こり得る。 でも今回の彼は、イグルーをうまく使い、悪天を迎え撃つ場面ではイグルーを作れるということを大きな自信にして望んだといいます。 後輩の長期山行記録を読んで、やる気出すこの山行記録を読んで、イグルスキーもファイトが燃えてきた!俺達はパウダーとか、ワンデーとかじゃなくて、長距離無人ルートが大好きなんだ。 20日もかけるようなパワーは今のところ湧いてないけど、10日くらいの計画ならいくらでもストックがあるんだ。ヤブが積雪で覆われているこれからの季節こそ、長距離ラインをイグルーで通り抜けたい。信州の国境ラインや、松本盆地を囲むすべての空と山の境界線を歩きたい。 今年は、2月は雪がなくてもう駄目かと思ったけど、3月には降り続いて、いまも結構ありそうだ。今週前半の雨も山の上では白く積もっていた。尾根末端のヤブさえシートラでクリアできれば、標高1500m以上ならなんとか短いシールスキーでバンバン行けそうな気がする。 ちょっと特殊な山スキー山行だし、体力もシール技術もいる。なかなか誰でも誘えるでもない。一人で行くことになりそうだ。昨年は付き合ってくれたありがたいセンパイは、今年はアフリカの長期旅行中。 でも一人でも行くのだ。若い後輩の記録が、強いやる気を充填してくれる。同じ日高に青春を捧げたゲマインシャフトなのだ。 Young Hokkaido University Climber Accomplish Solo Traverse of Entire Hidaka Mountain Range Using Igloo“A Redemption Journey from a Regrettable Mountain RescueRyosuke Nakagawa, a former member of the Hokkaido University Mountaineering Club (joined in 2019), successfully completed a solo traverse of the entire Hidaka Mountain Range. He diligently documented his journey, covering a distance of 187 kilometers over 19 days, culminating in the heartfelt achievement at Cape Erimo. Last year, he attempted a traverse of the entire Hidaka Range but encountered a regrettable accident near Mount Tottabatsu. Despite being rescued by helicopter, he did not let this setback deter him. This winter, after achieving a solo traverse of the east-west ridge of Mount Petegari, he made a triumphant comeback. Now, he has once again challenged himself and succeeded. Details of Last Year’s AccidentHere are the details of last year’s accident: During a solo snow-season traverse of the entire Hidaka Range, planned for 14 days with a 9-day reserve starting on March 20, 2023, Nakagawa became stuck near Mount Tottabetsu while constructing an igloo. After completing the roof dome, he attempted to enter the narrow exit hole and became wedged near the shoulder area. Despite using a shovel within reach to try to dig himself out for over three hours, he remained trapped. With his lower body buried in snow and beginning to experience hypothermia, he used the mobile phone in his chest pocket to request helicopter rescue. Fortunately, he was rescued two hours later under favorable weather conditions. At the time of transport, his core body temperature was 28°C, and he was unconscious with severe muscle damage. Although this is an unprecedented and unforeseeable rare case, it serves as a valuable example of solo risks that should be remembered. It highlights the possibility of becoming trapped in an overly narrow space. However, this time, Nakagawa’s confidence in constructing and utilizing igloos helped him confront adverse weather conditions. Drawing Inspiration from Junior Colleagues’ Extended Mountain RecordsReading Nakagawa’s mountain record has reignited my motivation as the igloo sky! We don’t like just about powder or one-day trips; we love long-distance routes where you hardly encounter anyone. While I may not currently have the energy to sustain a 20-day endeavor, I have plenty of stamina for a 10-day plan. As the upcoming season covers the shrubs with snow, I aim to traverse long-distance routes using igloos. I want to walk along the borders of the sky and mountains surrounding the Matsumoto Basin and the boundary lines of Shinshu’s mountainous terrain. This year, I was worried in February when there was no snow, but it has been steadily falling since March, and it seems like there’s still plenty. Even the rain earlier this week turned into snow on the mountain tops. If I can clear the shrubs at the end of the ridges by carrying ski on back, I feel confident that I can navigate the slopes easily with short seal skins as long as it’s above 1500 meters. It’s a somewhat unique skiing and mountain trek, requiring both physical fitness and seal skin technique. It’s not something everyone can join easily. It seems like I’ll be going alone. Last year, I was fortunate to have a supportive senior accompany me, but this year, he is on a long-term trip to Africa. Nevertheless, I’ll go alone. The records of my young junior colleagues fill me with strong motivation. We are a community that has dedicated our youth to Hidaka Mountains.
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2024-3-27 2:57 |
日高山脈主稜全山縦走(芽室岳〜楽古岳〜襟裳岬)
日高山脈主稜全山縦走(芽室岳〜楽古岳〜襟裳岬)(積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2024-03-06〜2024-03-24メンバー: Nakagawa2019コースタイム:写真:装備たち火ってのは素晴らしい自分探しの旅に終わりはない初見パートへ入る15日目に恵んでいただいた食料たち。なんという僥倖。カムエクのお膝元でΩ5C18ロケーション重視のC16ピラトコミが素敵に見えるC6=C7靴幅山より神威岳1823峰ピークにて朝焼けのピリカヌプリガスが晴れると背後にカムエク好きな風景お決まりのやつ食料たち。人間これで19日間暮らせる。ずいぶん削られたカムエク北面が神々しい芽室岳より進む稜線を眺める17日目、最終ピーク靴幅リッジ暗闇を神威岳へ向かう奥に39も見えてきた神威岳より北望シュンベツ岳周辺の岩稜。かなりアカンかった。1807峰より降る。ドキドキ。さあ日高に入ろうC4より残照のエサオマンと幌尻カムイ〜エサオマンへの長い稜線ルベツネとペテガリ23とのコル付近は全力日高体操北トッタよりトッタベツと幌尻はじめてのカムエクトッタベツはひょこっとしてる雪崩れてもうたピリカより南望。左右の海が迫ってきた。朝焼けの似合う山C111940峰から長い核心部が始まるこいつに落ちまくるイグルー内にテントを張り停滞C10よりペテガリ岳ブロック積みに性格が出る1823峰より南望七つ沼カールと幌尻感想:はじめに私は昨シーズン3月、日高全山縦走中に遭難事故を起こしました。山岳救助隊の方々をはじめ、多くの人たちの尽力のおかげで九死に一生を得、幸いにも大きな後遺症なく今に至ります。また、私がこうして再び山に戻れたのは、精神的に支え、尚且つ刺激を与えてくれる北大山岳部関係者をはじめとした周りの人たちのおかげです。恐ろしい思いをさせてしまったにも関わらず、私の山登りに理解を示してくれる両親の存在も大きかったと感じています。今回、単独行というカタチにはなりましたが、決して1人では成し得なかった山行だったと思います。私を山に向かわせてくれた全てに感謝します。2024.03.06-24(17-2) 日高山脈主稜全山縦走燃え尽きて灰になったっていいんだだからもう一度、もう一度だけDay0(3/5)[曇り]帯広へ向かうバスから見る空は灰色だ。中札内に着いてもなんだかナーバス。ダメならまたくればいいと言う人もいるが、モチベーション的に今回、というか明日がラストチャンスであることは自分が一番よくわかっている。止めるなら今だとも思うが、やるなら今しかないというのも確かだ。入山してしまえばなんとかなると信じて寝る。Day1(3/6)[晴]除雪終点(5:00)尾根末端(8:00)尾根頭(15:50)=C1今回始点を日勝峠にしようかとも思ったが、やはり平らなところからゆっくりと山に入って行きたかったので芽室岳からにした。除雪は思ったより手前で終わっている。そして一歩目から脛ラッセル。ズッと沈むたび20日分の荷物にのしかかられる。時間はあるので焦りはないが苦しい。何度も吠える。尾根に取り付いても状況変わらず、最後は空身ラッセルも敢行。どうにか主稜線に出たところのカンバパヤパヤ帯でC1。初日からなんかガスストーブの調子悪いし、乾かしてた手ぬぐいが炎上し慌ててテントから投げ出す一幕もあり。ドタバタ珍道中のはじまりはじまり。Day2(3/7)[晴→曇→雪]C1(5:20)芽室岳(5:40)雪盛山(10:30)ルベシベ分岐(13:30)1696手前コル(15:00)=C2朝起きたらストーブの火をつける前にシュラフカバーをひっくり返し内側の結露をコッヘルで剥ぎ取る。丁寧な暮らしってやつだ。冷えた空気の中を芽室岳に登り、これから進む果てしなき山稜を眺める。山に入った。もう大丈夫だ。芽室以降ずっとズボズボ。稜線の地味さも相まって楽しくはない。今日も何度も吠えた。この2日間まるで修行のようだと気付く。山岳信仰ってやつだろうか。Day3(3/8)[晴→曇り]C2(5:00)ピパイロ分岐(9:30)1940峰(11:00)北トッタベツ岳(14:00)トッタベツ岳(15:45)1803西コル(16:30)=C3ピパイロ分岐直下まで相変わらずのズボズボ。ラッセルに励む。分岐から足はアイゼン手は片手ストック片手ピッケルの山野井スタイル。1940峰直下は突然傾斜60度のガチガチ氷雪壁となり恐怖する。これはロープ付けてダブルアックスでやるもんだ。1940先の岩場は、前回は日高側を捲いたが最近のコンディションでは雪崩そうなので極力上を行く。そこを越えればしばらくは締まった快適な稜線となる。去年墓穴を掘った場所を通過するときはゾッと寒気を感じた。二週間前に来たときはカチカチで滑落を恐れた中間ポコの捲きは、雪がもっさりで腰まで埋まり今回は雪崩が怖かった。ヨレヨレになってメインで目をつけておいたC3に入る。何はともあれ去年の自分は超えた。Day4(3/9)[晴→曇り]C3(5:30)カムイ岳(11:00)エサオマントッタベツ岳(16:15)札内JP(17:00)=C4朝起き上がるのが辛いほど体幹がヨレている。朝一歩目から膝ラッセル。やばい予感がする。二週間前にアイゼンで駆け抜けた稜線とはとても思えない。しかも気温が上がってくると稜線上のシュルンドにズドンズドンとハマる。リアルに胸くらいまで落ちるので脚怖いし心臓にもよくない。もうここで泊まってしまおうという場面が何度もあったがギリギリ耐えに耐えて前進を続ける。エサオマンへの急な登りに差し掛かるとようやく硬くなり、疲れた体に鞭打って札内JPまで行きC4。夕焼けに染まる北日高がご褒美だ。Day5(3/10)[晴→曇り]C4(5:30)ナメワッカ分岐(7:30)シュンベツ岳(9:00)1917峰(11:30)カムエク手前コル(14:30)=Ω5いよいよ初見の稜線に入る。ナメワッカ分岐までは広く、アイゼンを快適に軋ませ歩く。分岐からシュンベツ岳までが厳つい岩稜となっており今山行で最もテクニカルなセクションだった。グローブで岩を保持したり前爪を丁寧に岩の突起に置いたりして慎重に進む。この重荷で息の詰まるようなムーブをすると全身がパンプし、しばらくゼーハーしないと回復せず大変だ。シュンベツ岳から1917峰までも岩稜だがこちらは岩の迷路といった感じで幾分マイルド。楽しくルーファイし進んでいく。1917峰からの下りは急でよく分からずひたすらバックステップで降りていく。カムエク手前のコルに良い吹き溜まりがありイグルーを掘る。今日は終日EPでの行動となり前爪を蹴り込みすぎて膝が痛くなってしまった。Day6(3/11)[ガス→雪]Ω5(5:00)カムイエクウチカウシ山(6:00)1807峰(8:30)八の沢右岸尾根Co1700(9:00)=C6昼から低気圧が接近するらしい。前面で天気が持っているうちにカムエクだけでも乗越そうと出る。明日は停滞日にするつもりだ。まだまだ続く長い道のりを考えるとカムエクを越せてるかどうかで心理的にかなり異なり、停滞の質が左右されそうなので覚悟を決める。とりあえずピラミッドとのコルまではなんとしても行かねば。Ω出ると視界100気にならない風。上部は白く躊躇するがこれまで積み重ねてきたものを信じラインを越える。ピークはガスガスビュービューですぐさま退散。まさかはじめてのカムエクが全山になるとは。地図コンパス勘を頼りにピラミッド方向へ降りていく。絶対にミスが許されないので緊張する局面だ。ビンゴ。理不尽な斜度でそそり立つピラミッド峰を凍ったまつ毛を引っこ抜きながらがむしゃらに登って降りる。まだ天気は持っている。集中力は最高潮だ。1807峰への登りもナイフリッジなどあり風に煽られないよう進む。1807峰より八の沢右岸尾根をCo1700まで降ろしてブロック積みC6。短いが今日できる最大限のことはした。ずっと言ってみたかったセリフをもう言っても良いだろう。夜はとっても寒エク。Day7(3/12)[雪]C6=C7ザーザーと雪が降り続く。3回除雪に出た。くたびれてきた装備と身体のメンテナンスをし1日を過ごす。停滞日は粗食でつらい。ふと腹をさすると、自分のものとは思えぬほどペラペラでビビった。Day8(3/13)[ガス→晴]C7(5:15)1807峰(5:40)1823峰(11:45)南東コル(12:30)=Ω8明日はガス濃く、明るくなってから出発。50cmほど積雪あったようで1807峰までもすごいラッセル。このドカ雪にこのあとしばらく悩まされることになる。主稜線に出ると視界100くらいありルーファイ可能なので進む。1807峰からの岩稜帯は捲くと雪崩リスク高そうで、降り切るまで緊張感のある行動が続いた。コルまで降りるとズボズボ地獄。スノーシューにしてもズボズボ。天気も悪いのでテンションは上がらない。雪庇が大きく張り出しているのでカンバジャングルに突入し捲いて行くが埋まるし荷物引っかかるしでストレスフル。極めつけはピッケル突き刺した瞬間、目の前で雪崩発生。規模は小さいしブッシュに捕まってたのでセーフだった。雪庇が向こう側に落ちていく図ばかりイメージしていたのに、まさかのこっちに雪崩が落ちて来て面食らった。どうにかこうにか1823峰に着き一安心。ピークに着く頃にはガスも晴れ、カムエクや1839峰がよく見えて歓喜。ドカ雪が降ると稜線のコンディションは悪くなるけど山並みは白化粧して美しさを増しますな。ここからはRP区間なので少し気が楽だ。記念撮影しコルに降りていく。しかしこの下りから日射による昇温で雪の不安定感に拍車がかかった感じがする。一抹の不安を抱きながらコルまで降り、ピラトコミ分岐への登りを見るとやけに白くて急に見える。しばし行ったり来たりして逡巡し、結局ここで行動を打ち切ることに。場所が場所なのでイグルーを掘る。今日は第六感に忠実に行動できた自分を褒めてあげたい。Day9(3/14)[晴→ガス]Ω8(5:15)コイカク(9:00)夏尾根Co1550(9:15)=C9風の音が大きいがコイカクまでは進もうと意を決して出る。雪は昨日より安定して不安感は薄まった。コイカクの登りに差し掛かるとみるみる天候が悪化。視界50時折振られる風。目出帽オバテハンガロンのルーム最強装備でコイカク岩稜に取り付く。強風下での行動にはトラウマがあるが、通い慣れた場所なので突っ込めると判断する。ナナシの吹上げにボコボコにされながらなんとか登り切った。上にあがると風は弱まったが視界さらに悪化しほぼホワイトアウト。夏尾根頭のあの棒を見つけた時の安心感と言ったらもう。迷いなく逃げ込む。これを下り切っちゃえば楽になるのになとか考えてしまうがCo1550で踏みとどまりC9。単独での悪天行動は精神的消耗が激しく短時間でもドッと疲れがくる。気が緩んだのかテントポールを一本沢に流してしまい本山行一敗退が近づくが、たまたま30mくらい下で木に引っかかって止まった。まだ見放されてないみたいだ。なにはともあれ気持ち的には半分来た。明日からまた頑張るべや。Day10(3/15)[ガス→曇り→雪]C9(4:15)夏尾根頭(5:00)ヤオロマップ岳(8:00)1599峰(13:00)ルベツネ山手前1688南東尾根頭(16:45)=C10ラテルネで出る。頭に出ると風視界ともに昨日よりマシ。と言っても視界は100くらいか。たまにガスが飛んで視界が出るのでそこでガーっとルーファイして進むセンス。ヤオロピーク近くまで来るとガスが一気に晴れ、短い間だったが雪煙を巻き上げる1839峰が見えた。あの山にもいろいろとお世話になったので近くで挨拶できてよかった。ヤオロを乗越すと低気圧の前面か天候が一時回復。どデカい雪庇の出た稜線を1599峰まで。リンゴ畑は1823峰手前の地獄みたいなのに比べればかわいいものだったが、もはや根本的な持久力が低下しているらしく終盤はひどいシャリバテ。過去に泊まった記録を見ていたので勝手に期待していた1688南東尾根頭にたどり着くが、あんまりパッとしない感じで結局氷混じりの斜面を開削して無理やり泊まる。あー疲れた。でも明日はいよいよペテガリだ。Day11(3/16)[晴→ガス→晴]C10(5:30)ルベツネ山(6:30)ペテガリ岳(10:00)1469(13:40)1314先北西尾根頭(15:15)=C11凍ったテントを起き出でて、朝焼けに染まる山並みを横目に歩き出す。身体中に血が巡り、ここでしか会えない強い自分が目を覚ます。山をやっていて良かったと思う瞬間だ。ペテガリ。様々な意味で日高の"核"を成す山だと思う。そして僕にとって一番大事な山だ。ピークからはどの方向を見ても様々な思い出が浮かぶ。強風の中のピークだったが来るのは今日が最後になるだろうと悟り、しばし感慨に耽った。まだ旅は続くが自分の中で大きな何かが終わった気がした。さて、気持ちを新たに南下を始めると一気に平均コンタが下がり南日高に来たなという感じだ。そしてズボズボだ。1573〜1469間が最悪で、細く大きな雪庇が出ているのでやむなく日高側を腰まで埋まりながら進む。天候も悪化して来て修行模様。その後徐々に天気回復したが中ノ岳を越える気力は無くペテガリの展望台のようなテンバでC11。Day12(3/17)[曇り→ガス]C11(4:00)中ノ岳(6:00)ニシュオマナイ岳(10:15)1224北西コル(11:15)=Ω12中ノ岳までは稜線広いので暗いうちから出る。ラッセルは相変わらずだが素直な稜線なので快調。小八剣やその後のニシュオマナイ岳までの細い稜線は手も足もこまめに換装して慎重に進む。ニシュオマナイ岳で低気圧に追いつかれガス。翌日にかけての悪天に備え1224北西コルでイグルー。時間あるので大きめに作って中にテントを張り、濡れ物を乾かした。超快適。Day13(3/18)[雪?]Ω12=Ω13シュラフからすらほとんど出ないのでよくわからないが天気図的には悪天だったんだろう。連日の緊張感&ラッセルで明らかに疲れが溜まっているので終日停滞。終盤戦に向け回復を図る。これから出番の増えそうなスノーシューの爪も研いでおく。残りの行程と物資を整理して作戦を練るがちょっと食料が心許ないか。ここまで来たんだ、不足分は身を削って凌ごう。Day14(3/19)[晴→曇り]Ω13(4:50)神威岳(7:40)靴幅山(10:40)ソエマツ東峰(14:10)=C14ついに2週間か。もはや山での生活が日常になっているので長いという感覚は無い。イグルーの出口はかなり埋まっていた。またラッセル増えたかと恐る恐る出るが、なんと停滞前より締まっており嬉しい。神威岳ピークに着くと、北は1839峰より先でガス、南は全見えという冬型お決まりのパターン。靴幅リッジはやじろべえとなり慎重に通過。神威岳は靴幅山から見るのが一番だと思う。ソエマツ岳の登りに差し掛かると次の低気圧に追いつかれたか今日も微妙な天気になりテンション下がる。そして足が痛い。ずっと耐えて来たがいよいよ本当に痛い。泣きそうになりながらソエマツピークに着き、以前泊まったことのある直下のチョロカンバ帯でC14。明日でカタがつきそうだ。焦らず大事に行こう。Day15(3/20)[快晴]C14(4:50)ピリカヌプリ(8:30)トヨニ岳(13:50)1254(15:00)=C15寒い夜だった。バリバリとテントを出ると、かすかに色づいた海に漁火が輝く。The Dayだ。ソエマツピリカ間は前来た時はあまり印象に残らなかったが、雪が豊富な今回は岩と雪庇がダイナミックな稜線を成しており素晴らしい雰囲気。息を切らしてピリカへ登り南を見れば、視界の左右に海、真ん中に楽古岳でいよいよここまで来たかという感じだ。ピリカ南面の急斜面をバックステップで下り、厄介な雪稜を処理すれば日高の核心は終わった。一息ついていると南の方からピリカアタックに向かう単独行者がやって来て、15日ぶりにヒトとの遭遇を果たす。どこから?と聞かれたので芽室岳からですと答えると握手を求められてしまった。照れますなあ。トヨニ岳への長い稜線を足の痛みに悶えながら進み、トヨニ先の少々面倒なナイフリッジと岩稜を処理した先1251にて、風をうまくかわせそうな地形がありC15とする。テンバ整備しているとさっきの方が戻って来て、なんと余った行動食をくださるという。すれ違った時からひそかにこの展開を期待していたのはここだけの秘密だ。ノンサポートにあんまりこだわりはないし、そもそも行動後の空腹絶頂期なので断るはずもなくありがたく受け取る。思った以上にいろいろ貰っちゃった。大事に食べます、と言ったのに持ち運ぶのも重いからと自分に言い訳して大消費祭。ここまで15日間同じものしか食べてなかったので不意に新しい味が入って来て体内がカーニバル状態だ。Day16(3/21)[ガス→曇り]C15(5:45)1268手前コル(6:30-10:30)野塚岳(13:10)オムシャヌプリ(16:00)オムシャヌプリ東峰先岩陰(16:30)=C16朝起きるも風の音が大きく二度寝。いまいち収まらないがここで停滞ってのもなと思い出発。しかし、ぼーっと歩き出してしばらくして気がついたのだが結構ヤバい風。振られまくってどうしようもないので適当なコルのカンバ帯に逃げ込みテントを張り時間待ち。貴重なカロリーを浪費してしまった感がすごい。まあクヨクヨしてても仕方ないのでシュラフにくるまり昼寝。起きると風収まってたので再び出発。が、歩き出して身体の異常に気付く。朝ふらついたのは風のせいだろうと思っていたが風がなくてもなんだかフラフラする。いくら行動食を食べても身体に力を込めることができない。登りは超スローペース、下りは踏ん張れずコケまくる始末。昨日まではなんだかんだやって来たが核心を超えた安心感でガクッとギアが落ちてしまったようだ。天馬街道が見えてしまうのも気持ちが削がれてよくない。とりあえず、もう多少ふらついても問題ないゾーンなのでピヨピヨになりながらも野塚岳とオムシャヌプリを乗越す。電波ないのでイマイチわからないがたぶん天候は安定してるだろうという楽観的観測、というか半ばヤケクソでロケーションのいい岩陰にテントをポンと置きC16。さて、考えるべきは明日からの行動だ。もはや身体は疲労を通り越し限界が近いのは明らか。ここまで来たんだから一般に日高全山の端点とされる楽古岳までは這ってでも行くとして、問題はその後。僕の中ではこの旅は襟裳岬まで行かないと終わらない。岬に行くには楽古岳からさらに稜線を1日分南下して猿留川林道に降りるのが一番合理的なラインだと思うし僕もそのつもりで来たのだが、もはやあと2日間山を歩けるとは思えなかった。というわけで、楽古岳で主稜線を離れ山を下り、あとは道路を歩いて本当の限界が来るまで岬を目指すことにした。そうと決まれば明日の最後の稜線行動に備えて夕飯を2日分かき込み寝る。Day17(3/22)[ガス→晴]C16(4:20)十勝岳(6:30)楽古岳(10:15-45)楽古山荘(14:00)=C17朝、垂れ流しているラジオから聞こえてきた欧陽菲菲"ラブイズオーバー"がバチ効きする。朝飯も2日分食べる。もう行くしかない。終わりにしようキリがないから。ガスガスで何が何だかよくわからないまま十勝岳ピーク。この山にも大事な思い出がある。ガス濃いし意外と稜線白いしで楽古方面への降り口がよくわからない。視界がないとどんどん弱気になる。身体が弱ると精神も弱るんだろう。稜線と空間の微妙なコントラストを探り、雪庇を踏み抜かないギリギリのラインを経験から弾き出して進む。楽古岳への登りにかかると今日も身体がストライキ発動。でもここまで来れば逃げ切れる。休み休み登って最後の絶頂へ。ピークに着く頃に一気にガスが飛び、まるで祝福されているようだった。背伸びしてもジャンプしても始点の芽室岳は見えないが、17日間一歩一歩刻み続けたトレースが果てしなく遠くまで続いていると思うと誇らしい。しばらくホゲホゲして主稜線に別れを告げ楽古山荘へ向かう。夏道尾根をツボと尻滑りで快調に降りていくが、今度はヒザの爆弾が起動。なんとか大爆発する前に山荘に辿り着きギリギリセーフだった。快適な山荘でストーブの炎を見つめ、本当に歩いちゃったんだなあとしみじみ思う。大きすぎてうまく捉えられなかった憧れが現実のものとなりつつあることに興奮し、寝付きの悪い夜だった。Day18(3/23)[晴]C17(4:00)道路(6:30)海(12:00)コトニ川河口(16:00)=C18満月に照らされた林道を歩く。「陽春橋」といういかにも暖かそうな名前の橋を渡ると道路に出て、足元から完全に雪がなくなった。擦り寄ってくる馬たちと戯れながら天馬街道を海へ。硬い路面と冬靴の相性が最悪でヒザが痛すぎるので思い切ってインナーブーツだけで歩いてみたら改善された。様似の集落を過ぎ、コトニ川の河口にいろいろと素晴らしい適地を発見しC18。海に沈む夕陽を眺めながら焚き火でいろんなものを燃やし、波の音を枕にごろ寝。日高全山を思い立った時から夢想していた最後の夜、そのものだった。Day19(3/24)[晴]C18(5:30)襟裳岬(15:00)車に轢かれそうなので十分明るくなってから歩き出す。足の負担を少しは軽減できるかと、インナーブーツの上からテントシューズを履いてみた。見てくれは最悪でアホ丸出しだが僕は本気だ。最後に残った非常食のα米2袋を大事に食べながら岬へ。陸地が、日高山脈が海に沈んでいる。自分の中に区切りをつけるには十分すぎる光景だ。分かっちゃいたが、感動や達成感は特に無い。暖かい解放感と一番見たい笑顔がそこにあった。
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2024-3-24 11:19 |
層雲峡/新大函ノ沢から屏風岳
層雲峡/新大函ノ沢から屏風岳(山滑走/大雪山)日程:2024-03-23(日帰り)メンバー: saito1987 Yanke1987コースタイム:写真:大函に満月ニセイチャロマップ川林道から北西尾根から屏風の肩へ新大函ノ沢から屏風岳の肩西面の沢を詰めていく北向き斜面はパウダー南向き斜面はベタ雪奥が三角点頂上新大函ノ沢を橋で渡る重いパウダーの西面沢を滑降新大函ノ沢林道へ東大雪をバックに北西尾根へは西面の沢筋から取付く雲霧山と武利岳北方の稜線私の好きなクマネシリ山群360°眺望のピークを後にこちら方面から東大雪感想:天気にも恵まれ、頂上からは360°の眺め。大雪山カムイミンタラの全貌、道北の山からオホーツクの流氷、知床まで見えた。積雪期屏風岳を登るのによく使われているのは南西尾根のようだが、この西面沢〜北西尾根ルートの方がはるかに登りやすいと思う。スキーは屏風の肩まで使える(スキーアイゼン着けて)。西面沢の滑降は南向き斜面がベタ雪、北向き斜面がパウダーとなって苦労した。
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2024-3-24 6:43 |
40cm細身ノコの紹介・BDショベルの柄にピタリ
細くて長いノコこの細いノコギリはなんと40cm。ノコギリの長さは最低30cm とイグルスキーが常々言っているのは、それより短いと小さいブロックしか作れず、小さいブロックではイグルー作りは苦労するからです。この40cmは、大きいブロック切りに大変有利。ノコギリは長ければ長いほど、イグルー作りが楽です。そして細くて困ることは特にありません。糸鋸みたいに、切りながら90度方向を変えて切ることも出来ます。 シルキーツルギ 万能目400 | 世界一の切れ味を目指して 鋸メーカー シルキー(silky) ユーエム工業 | のこぎり ノコギリ 高枝 万能 両刃 世界に誇る切れ味『シルキー』鋸 メーカーのユーエム工業 www.silky.jp この40cm、これからあたらしくイグルーにノコを買いたい人には、おすすめです。 粗目(赤い柄)と万能目(黄色い柄)があるようですが、粗目は売り切れていました。 運命のようなノコとショベルの出会いしかも、更に嬉しいニュース。北海道のイグルー愛好家からの情報で、このノコがイグルスキー愛用の30年前のブラックダイアモンド社ショベルの柄にぴったり収まるというタレコミがありまして、買ってみたら正にシンデレラフィットでした。 イグルー愛好家にあまねくおすすめしたいけど、残念ながらこのショベル自体がもう生産されていないのです。30年冬山やっている人が持っているのは時折見かけます。前々回のイグルー講習会で、これをメルカリで手に入れて持ってきていた人もいました。 イグルー作りに理想のショベルとは一般的な雪山登山用スコップは、デブリの掘り起こしとかテント周りの雪かきに使うものなので、皿の部分はあまり平らではなく、両脇は雪がこぼれないように少し反り返っています。 しかしイグルー製作で望ましいショベルは、ノコギリで切った隙間にそっと差し込み、コトコト慎重に動かして、手をいれる隙間に広げるための道具なので、この反り返り部分はなるべく小さい方が、ブロックを傷つけないのです。また、先端は「真っ直ぐ」より丸くカーブした「剣先」型のほうが、その作業には向いているかも。したがって現在手に入るショベルではこれといっておすすめが無いのです。「反り返り」が、せっかくのブロックに切り傷を入れてしまうのですね。もちろんこれで作れないことはありません。理想を言えばの話です。持っている道具でがんばりましょう。 数年後にもっとイグルーが広まったら、イグルーに適したショベルをエキスパートオブジャパンとかで特注で作りたいものです。30年前のブラックダイアモンドのパクリで良いのですが。 Allow me to introduce the 40cm slim saw, which fits snugly into the handle of the Black Diamond shovel (BD shovel).Thin and Long SawThis slender saw measures an impressive 40cm. Iglooskiy constantly emphasizes that the minimum length for a saw should be 30cm, as anything shorter can only produce small blocks, making igloo construction challenging. This 40cm length is highly advantageous for cutting larger blocks. The longer the saw, the easier it is to build an igloo. Plus, there are no particular difficulties with its slender build. Similar to a coping saw, it can change direction while cutting, even at 90-degree angles. シルキーツルギ 万能目400 | 世界一の切れ味を目指して 鋸メーカー シルキー(silky) ユーエム工業 | のこぎり ノコギリ 高枝 万能 両刃 世界に誇る切れ味『シルキー』鋸 メーカーのユーエム工業 www.silky.jp For those who are looking to purchase a new saw for igloo building, this 40cm one comes highly recommended. Although there seem to be options between coarse (red handle) and versatile (yellow handle) saws, the coarse type was sold out. The fateful encounter of a saw and shovel.Furthermore, there’s even more good news. From information shared by igloo enthusiasts in Hokkaido, it seems that this saw perfectly fits the handle of the Black Diamond shovel used by Igloosky 30 years. Upon trying it out, it was indeed a perfect fit, like a Cinderella moment. While it’s something I’d recommend to all igloo enthusiasts, unfortunately, this shovel itself is no longer in production. You might occasionally spot someone who has been doing winter mountaineering for 30 years with one. In the last igloo workshop, there was even someone who had acquired it from Mercari. The ideal shovel for igloo makingTypical snow shovels for mountain climbing are designed for digging out debris or shoveling snow around tents, so their scoops aren’t particularly flat, and both sides are slightly curved to prevent snow spillage. However, for making igloos, the ideal shovel is one that can gently slide into gaps cut by the saw, carefully maneuvered to spread apart the gap for inserting hands. Therefore, a shovel with minimal curvature on the sides is preferable to avoid damaging the blocks. Additionally, a shovel with a rounded, curved tip may be more suitable for this task. Hence, there isn’t a specific shovel currently available that’s highly recommended. The curvature could inadvertently leave marks on the blocks. Of course, it’s still possible to build with what you have. Let’s do our best with the tools we have. In a few years, if igloo making becomes even more widespread, it would be great to have shovels specifically tailored for igloo construction, perhaps custom-made by “experts of Japan”. Even if they’re replicas of the Black Diamond shovel from 30 years ago, that would be fine. |
2024-3-21 13:00 |
緊急時のイグルー・ビバークの可能性
先週の雪崩事故、救助までの一晩先週の2024年3月14日に長野県・白馬連峰の小日向山北東斜面で発生した雪崩事故について、関係者からの聞き取りを行って書いたという日本雪崩ネットワークのweb記事で、雪崩事故のあと、骨折で動けないメンバーと救助を待つ一晩、イグルーを作りかけたとの記事がありました。
「P2は痛みにより、まったく動けなかったため、周辺の木、スキー、雪を使い、イグルーを作成。その後、雪洞に移動し、お湯を沸かし、夜を明かす。」
とありました。当日は連絡はついたものの、ヘリ救助には厳しい天候のため、翌朝のフライトまで一晩過ごしたとのことです。骨折した負傷者は寒いでしょうから、長時間安静にできる場が絶対に必要なんです。手持ちの道具と材料で、その場でできることをやってみる、そのためのヒントになることは頭に入れておく。これが山登りで最も大切な点で、奥深い魅力でもあると思います。
これだけの文面から、以下は私の想像ですおそらくノコギリが無かったので屋根を塞げるきちっとしたブロックまでは切り出せず、雪の壁の上にスキーや木の枝をかぶせてブロックを載せようと試みたのではないかな。隙間風などで寒く、あまり快適ではなかったので、周辺で雪洞を作れる十分な積雪と時間が十分あり、作った経験のある雪洞に結果的に切り替えたのでしょう。 というのも、ノコギリさえあれば隙間風なく屋根のあるイグルーは何とか作れただろうし、イグルー経験があればノコギリは持っていただろうと思うからです。でも、イグルーを作ってみよう!と思い至った経過は、とてもうれしいです。
ノコギリはたいして重くないし、焚火も各段にやりやすいし、負傷者の寝床にノコで集めた針葉樹の葉の茂った小枝を敷き詰めれば快適なベッドもできます。日帰りならマットもなくて尻が冷たかったと思います。写真ではこの現場には針葉樹は無かったようですが。
日帰りの山スキー山行でノコなんか持って行かないよ、という人は、今は多数派でしょう。でも、ビーコンもプローブもなかった頃から北大の山岳部ではスコップとともに持っていきました。4000〜5000円で買えるし、一生ものです。ぜひ一本どうぞ。夏も活躍します。
“The possibility of using an igloo for emergency bivouacking.”The night until rescue following last week’s avalanche accidentIn a web article by the Japan Avalanche Network, based on interviews with involved parties, it was reported that following last week’s avalanche incident on March 14, 2024, on the northeast slope of Mt. Kohinata in the Hakuba Range, Nagano Prefecture, one member, unable to move due to a fracture, spent the night awaiting rescue, attempting to construct an igloo. “Using nearby trees, skis, and snow, P2 created the structure but later moved into a snow cave, where they boiled water to spend the night.” Although contact was established that day, harsh weather conditions prevented helicopter rescue until the following morning. It was essential to provide a place for the injured with a fracture to remain immobile for an extended period, considering the cold. The importance of being prepared to improvise with available tools and materials in such situations cannot be overstated. This epitomizes the essence and profound allure of mountaineering. Based on this text alone, the following is my speculationFrom this account, it seems likely that due to the absence of a saw, they couldn’t create tightly fitting blocks for the roof, so they attempted to cover blocks placed atop the snow wall with skis or tree branches. However, due to drafts and discomfort, they ultimately switched to a snow cave, benefiting from ample snow and time. If they had a saw, they might have managed to construct a more comfortable igloo with a draft-free roof. However, the decision to attempt building an igloo was still commendable. A saw is not particularly heavy, and it greatly facilitates tasks like making a fire. Additionally, laying pine boughs collected with a saw as a bed for the injured person would provide comfort. Those on day trips for skiing or mountaineering might not typically carry a saw, but in Hokkaido University’s mountain club, we have always carried one alongside a shovel, even before the days of beacons and probes. They are affordable at around ?4000-?5000 and are a lifelong investment. I highly recommend having one, as they are useful not only in winter but also during summer outings.” 今回から英訳をつけました。 |
2024-3-17 8:24 |
岳都まつもとフォーラム@乗鞍岳、2024二回目
乗鞍は別天地今年の冬は2月くらいまでは雪少ねえ!ってかんじでしたが、3月に2回ほど南岸低気圧ドカ雪が松本にあり、その間に温暖化の氷化した層を挟んでいました。でもまあトータルの積雪量は十分あり、スキー場トップ近くのタンネの森の中の練習場で30個築城しました。このあたりでは今年三回目ですが、毎度数百m場所を変えてやっています。 参加者のホンキ度に焦げ付きそういつも通り40分くらいでイグルスキーのデモを作って見せて、その後各自で築城。今回は、昨年の松本フォーラム講習のとき大雪で、イグルスキーが名古屋から松本入りできなかったとき憂き目にあった人も多く、しかも中にはこの一年、イグルスキー動画を何度も何度も何度も見てシミュレーションしてきたという熱心な人もいて嬉しい限り。募集して数日で満員になっただけあって、参加者のホンキ度に焦げ付きそうでした。遠い街から延々運転してきてくれた参加者も多かったのですが、地元の県内の人も多く、中には山好きで神戸・徳島から松本に移住してきたっていう若い夫婦がいて、イグルスキーはすごく感動しました。みんな、もっと移住してこいよ!子供が出来たら、子どもとイグルー合宿しようぜ! 今回、イグルスキーの気づきは、○細かいブロックしか取れない人は、トレンチの深さが甘い。30?ノコの目一杯を切り出せる「深さ30cm」のトレンチを丁寧に掘ろう。 イグルー作るのは楽しくて多くの人からブログやヤマレコや著書を熟読してくれていた感想をきいて本当にうれしかった。あんな地味な本でも誰かの心に届いていたことが。それに、出来ても苦労しても、みんなイグルーを楽しそうに作っていた。 朝出発前に、先月栂池で講習した雷鳥写真集団とグーゼン邂逅。きょうは位ヶ原でイグルー泊するとのこと。講習で身につけて、どんどん皆自分の山行に取り入れてくれる。講習ではできるってことを知って、自信を持ってもらえるまでで良い。その先は各々工夫して、自分のものにしてもらえれば良い。 有志7〜8人が、作ったイグルーで泊まっていました。 山行記録: イグルー講習@乗鞍・岳都まつもとフォーラム 2024年03月16日(日帰り) 槍・穂高・乗鞍, 講習/トレーニング / yoneyamaの山行記録 www.yamareco.com |
2024-3-11 7:54 |
北アルプス/小日向山(Co1550mまで)
北アルプス/小日向山(Co1550mまで)(山滑走/白馬・鹿島槍・五竜)日程:2024-03-09(日帰り)メンバー: Yanke1987 babaa1986コースタイム:写真:感想:前日、名古屋を発ち中山道歩きを経て松本のビジネスホテルに泊まる。東京に在住するババア氏とここで早朝に合流した。出張合間の週末で忙しいにも関わらずお付き合いいただき感謝です。この時期にしては異常なドカ雪、各地で大雪・雪崩警報が出ている中、行けそうなところをチョイス。車道脇に車を停め準備していると早速降りてきたパーティがいた。彼らがつけたトレースを辿り小日向山を目指す。上部に行くにつれトレースが不明瞭になる。ザラメを想定し細板できたことを大いに後悔する。標高1550m位で、雪がスパスパ切れたり、破断面が出てきたので引き返し。滑降は細板でも楽しめた。地酒買って来馬温泉に泊まる。
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2024-3-11 7:49 |
北アルプス/蒲原山
北アルプス/蒲原山(積雪期ピークハント/縦走/白馬・鹿島槍・五竜)日程:2024-03-10(日帰り)メンバー: Yanke1987 babaa1986コースタイム:写真:ババア氏現る今年還暦、山頂にてピークを後にウッヒョー!華麗なる滑降ブナの森を登る晴れた、ここでシールオフ平らな一難場山頚城方面が見えた感想:昨日よりは天気よさそう。横前倉山と迷ったが、雪崩の危険性が低そうな蒲原山に行くことにした。湯原の国道脇駐車場からスキー担いで歩き始める。今日も先行者のおかげで楽をさせていただく。ブナ林を快調に登ると標高1000m位で先行者に追いつき、トレースのお礼をする。ババア氏の知り合いの知り合いだそうだ。1264標高点を過ぎると尾根が細くなる。2回ほど雪庇を崩落させた。蒲原山山頂が近ずくと天気が回復してきた。今回断念した頚城方面も遠望できた。1420mの東斜面はブナ林のパウダー斜面を絶叫滑降。その後トラバース気味に登ってトレースに合流したのち、次の斜面を滑った。温泉で温まったのち糸魚川で解散。ここに新幹線も高速も来ていることに驚く。糸魚川といえば鄙びた日本海の漁村というイメージのままだった。ババア氏は高速道路で東京に、私は新幹線で大阪にむかった。二日間お付き合いいただき感謝です。
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2024-3-10 11:39 |
支笏/美笛峠から白老三山(南白老岳南東面滑降〜ホロホロ峠まで)
支笏/美笛峠から白老三山(南白老岳南東面滑降〜ホロホロ峠まで)(山滑走/支笏・洞爺)日程:2024-03-10(日帰り)メンバー: saito1987 zeniya1990コースタイム:写真:滑降を無事終えて滑り落ちる銭公南東面滑降ライン北白老岳を振り返るホロホロ峠付近から振り返る‼美笛峠付近から樽前山北白老岳の登り白老岳頂上白老岳へ白老岳頂上から南白老岳感想:モナカ雪の上にうっすら粉雪。南白老岳南東斜面は、雪質が悪いうえに所々地肌が露出していて滑りにくかった。パウダー時期は雪崩が怖そう。
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2024-3-8 8:58 |
ブロック切りの大事な技「ジャガイモではなく豆腐」
「ジャガイモではなく豆腐」早くイグルーを作るには大きな長いきれいなブロックを沢山切ること。「きれいな」とは、角がそろっていて面がまっすぐなブロックです。こうでないと積んで行った時、その上の段が安定しなくてガラガラ崩れんですよ。「ジャガイモではなく豆腐」です。 「お掃除が重要なのだ」そのためには、ノコギリの性能を最大限引き出します。スコップの力をなるべく頼らない。切れ目が不十分なのにスコップでガジガジやると、ブロックが壊れる上に、スコップが安いと付け根が金属疲労でヒビ入ります。 切れ目同士が見えない雪の中で出会っているかイメージしてください。ノコを差し込む角度の影響を与えるのが、手首の動く範囲にある雪クズが整理整頓されているかどうか、手首の動く範囲にある壁が膨らんでいないかです。一手間ですが、スコップで整形して退けておくと、切れ目がぴたりとあいますよ。 ノコを扱う姿勢も重要図のNGでは、立って腰を曲げたまま低いところのノコを扱っていますがこの角度ではノコが水平ではなく下向きになります。姿勢を低くしてノコをへそに近づけると、腕力も無駄に使わずつかれませんし腰にも優しいです。膝をついて、腰も接地してやりましょう。 図のNGでは、体を動かさずに右手と左手だけで持ち替えて切れ目を入れますが、その切れ目がどちら向きの「ハの字」になるべきか、考え、右手が向いているのなら身体を移動しましょう。体を都度移動する、というのが大切です。ヘソの位置→身体の位置が重要。 |
2024-3-4 11:33 |
Tribute Creek (New Zealand, Westcoast, Harihari)
Tribute Creek (New Zealand, Westcoast, Harihari)(沢登り/オセアニア)日程:2024-02-18〜2024-02-22メンバー: hazuki2012r fukumoto_2013写真:途中で見つけた青いキノコF9〜F3は登りと同じく右岸岩棚Wanganui川本流についたなんか見えてきた森へ。この辺りは斜度も獣道ついていてそれほど苦労せず。本格的なゴルジュとなる捲きの途中のFantail。たまに尾羽が扇のように開いてキレイ。F22F16と17の捲き始めF22、福本絶妙なライン取りで右岸直登。F22を懸垂で降りて左岸から捲くことにする偵察に行く。F20の中ほど。この先が怖いのでロープ出したF13 20m見に行くが厳しそうだ左岸捲くやっと下山時に登り返せそうな場所を発見。懸垂で降りる。結果論だが入口の滝を2つ捲いたらさっさと懸垂するのが正解。F18.5は懸垂高捲きに突入F12のクライムダウンやっと下山時に登り返せそうな場所を発見。懸垂で降りる。結果論だが入口の滝を2つ捲いたらさっさと懸垂するのが正解。雨の日のテンバロードを5キロほどちょうどよい岩があったので捨て縄まいて支点にしたCo560二股 左はF16 これは登れない三股の快適テンバ。すぐ先の二股 70mくらいの登れそうな滝F19左岸側の稜線帰りはすんなり渡れたお、、、?300二股付近はすごいガレまさに門。奥が15mのF22入山サザンアルプスの主稜線すぐに日陰渡渉点のHot Spring Flatに到着奥に見えているいかつい谷がHot Spring Creekこの日は渡渉できずF10F2 二回目お助け出したところ渡渉点まで遡るF13は右岸懸垂交代で仰ぎ続ける事約2時間、ついに火はつかなかった。が、このおかげで温まったという事にする800m頭上の源頭まで水流ある場所はすべて滝この景色を見られたので引き返すことにする初日テンバ。Sandflyが鬱陶しいこの辺が特にすばらしい楽園に帰還捲き終わりの400二股捲いたゴルジュの偵察暫定版ですF19以降の滝番号など修正箇所あるので後日差し替えます懸垂して様子見に行こうかとも思うが、、、F20の下部。下部は右岸のチムニー状、上部はチムニー~シャワーで登った。苦労して右岸からF10捲いたところHot Spring偵察。手に負える感じではないように感じた。F18は左岸から。振り返るとタスマン海その奥にF23 写真だと8mくらいに見えるが三段30mこれは手が出ない…翌日 なんとか渡れた思ってたのと違う渡渉点までの道入山地点F20晴れ植生のあるラインからお助け出した多分シャモアとかいうカモシカ系の獣ニュージーランドにいる蝙蝠以外の哺乳類はすべて外来種早く日なたへ行きたい河原についた。水位+2~3mの所に数日前の雨の侵食跡があったF14は登りと同じく左岸捲いて懸垂F1F14の捲き始めはやや立ったルンゼ状で、一応ロープ出したF19 右岸登るよく見ると登りの時と水量が全然違うF12はクライムダウン登りの時はF11とまとめて左岸をまいたところ目覚め 濡れもの 10℃は下回っていた息は余裕で白いF2Co690の広い三俣についた。正面に730二股の滝が見えている。捲いた滝Hot Spring源泉発見。源泉は30℃後半か。渡渉で冷えた身体にGood見た目以上の激やぶこの捲きで時間切れかなF11-12濡れと寒さでヤラれてきたので来た道を戻りテンバ探すことにする記念撮影して引き返し入山前からびびらさるしばらく河原を挟み、上部ゴルジュが見えてきた。写真の奥がF214時間くらいこの風景Tribute Creek出合雰囲気出てくる、水量多く渡渉がいちいち地味にしんどい翌日。テンバすぐのF18最終日 大捲きした560‐650ゴルジュはF16,17のみ小さく捲くことができた。下りはタネが割れているので早いF20の上部。捲いたゴルジュを下って内部を確認してみるが、意外と中は何もなかった。写真は捲き初めの二股から見えていた連瀑。帰りはここから左岸を上がれそうなことを確認してから先に進む。Harihariに帰ってきたお疲れ様ですF3?この辺から右岸の岩棚で捲くF11手前。懸垂で一度沢に戻ったF21は大岩の隙間から這い上がる捲いたゴルジュの偵察テンバから。増水のピークを過ぎたころ。すぐ先の二股 70mくらいの登れそうな滝迫力あり、左岸から取りつきF11は懸垂捲きの途中から見えたF17 感想:福本詳細な記録をありがとう。自分のメモから小話メインで補足しておきます。2/14・東京で幸せそうな五島と飯。2/16・間違えて羽田空港に向かっていた。途中で気づいて良かった。2/17・この時期のHokitikaの気温は夏の終わりの北海道くらいの感覚。ザブザブと中を行くには結構寒い。・Hokitikaまでは小さなプロペラ機。空からArther`s PassやMt. Cookを見下ろすナイスフライト。・ Kiwiは想像以上にデカくて、走ると早い。2/18(Day 1)・植生が熱帯林に近いものを感じて驚いた。West Coastはタスマン海で水分を含んだ雲によって雨が多いらしい。最初はホールドスタンスとして信用できなかったが、慣れれば日本と同じ感覚で使えた。ただしグニグニした小さいヤシの木みたいな植物は全体重をかけると根元からもげる。・Hot Spring Flatまでの林道の途中ですごく不思議な声で鳴く鳥に出会った。通称ねじまき鳥。帰って調べるとTuiという鳥で、2つの声帯を持っているらしい。2/19(Day 2)・Tribute Creekの下部はCo520屈曲くらいまでは川原だろうと話していたが、予想に反して巨岩やゴルジュに苦労させられた。・Tribute Creekは増水の速度と勢いはかなり迫力があった。増水も早かったが、減水に関しても同様だった。引き返し判断は妥当だったと思う。2/20(Day 3)・山行全体を通して高捲きは辛かった。下船直後で山的な体力が全然仕上がっていない事や、この手の本格的な沢は数年ぶりという事もあり、福本にはよく前を行ってもらい助けられた。・捲きの途中で、白いセキレイのような鳥によく付きまとわれた。最初は近くに巣があり威嚇しているのかと思ったがずっとついてくる。時折長い尾羽を扇状に広げてアピールされる。帰って調べるとFantailという鳥で、人間の動きに驚いて飛び出してくる小虫を食べるらしい。途中からは求愛されているのかと思っていたが、違ったようだ。・Co690三股はゴルジュの奥に現れた円形劇場のよう。景色よし、薪あり、虫少なし、でまさにオアシス。今日の苦労が一気に報われた。2/21(Day 4)・寒すぎてまともに寝られず。肩から上がタープから出ており結露していたのも良くなかった。朝起きると喉が痛く明らかに体調を崩してしまった。そもそも持参のシュラフがペラペラの夏用だったが、結果的にはこの時期になら3シーズン用の方が良かった。・F21~の高捲きは特に過酷だった。そもそもの計画の1/4くらいしか進めなかった訳だが、藪の中の引き返し地点は山行の到達点として悪くないロケーションで、満足しての引き返しだった。2/22(Day 5)・下部の川原の砂地には金色のピカピカが堆積している箇所がいくつかあった。砂金かもしれない。・最後、河原から林道に戻る時に、ブロンドの散歩のお姉さんが逆に川原に降りようとしていた。が、僕らをみて踵を返した。2/23・ヒッチでHokitika。福本と解散してヒッチでSpringfieldへ。・Smyliesというホステル泊。ここはオーナーさん最高(奥さんは日本人です。食事もめちゃうま、自炊もできる。)、雰囲気最高、ドミトリーなら高すぎない(40ドル)、Castle Hillまでアクセス良好、マットレンタル可能、そういう人たちがよく利用している、などなど、オススメな素敵ホステル。2/24-26・Smyliesで知り合った日本人のI夫婦にご一緒させていただき、Castle Hillでボルダリング。2度目のCastle Hillだそう。毎日車にも便乗させてもらい、本当にお世話になった。・Castle Hillは草原の丘の上にボルダーがゴロゴロしている素敵空間。雲と風があるとかなり寒く、雲と風がないとかなり暑い。ここもまた再訪したい。2/27・ヒッチでArther`s Passへ。Active RestでAvalanch Peakへトレッキング。2/28・登りに行きたかったがガスガス。ヒッチでCave Streamへ。真っ暗な洞窟の中をキレイな小川が流れる。水も気温も結構低い。腰まで浸かる。デートにおすすめ。2/29・ヒッチ三発でHokitikaに戻る。お土産買って帰国。・成田空港に預け荷物が着かなかった。オークランドでは荷物Pick Upしなくていいと言われたからそうしたのに、オークランドで荷物Pick Upしなかったから届いてない事になってた。一転、成田での丁寧すぎる対応に感動。========= しばらくガッツリ系の沢登りから離れていたので期待と不安が入り混じっていたが、結果としてとても良い山行だった。Day3で3.5時間かけて高捲いた区間を、下りではものの30分で通過。答えが分かっていればこんなにもあっけない。未知の沢でこういう経験ができるのは本当に充実度満足度が高い。苦労して未知を解き明かすような過程は楽しい。多少ブランクがあってもセンス的なものは割とすぐ戻ったと感じられたのも嬉しかった。三十過ぎて、ぐちょぐちょの泥の上に葉っぱ敷き詰めて凍える未来はあまり想像していなかったが、寒空の下で南十字星を眺めながら幸せを感じた。 ハイポテンシャル素敵山域を見つけてくれた福本に感謝。ぜひあの先を見に行きましょう。 四月から半年間関東勤務になりました。基本土日休みらしいです。ぜひ遊んでください。ニュージーランドで沢登りしようと思い立ったのが具体的にいつのことだったかはあまり思い出せないが、大学院休学中の2018年に海外遡行同人最終回にふらっと参加した時のことは覚えている。たしか報告のお題目の一つが大西良治氏のグルーミーゴルジュ下降で、異次元空間みたいなゴルジュの中を色んな技を駆使して下っていく様子が紹介された。なんだか曲芸でも見ているかのような気持ちで報告のスライドを眺めていた。全長3km、標高差800mの激ゴルジュの中で2泊3日(3泊だっけ)する、みたいな世界で、ちょっとここまではやれないなあというのが率直な感想だった。報告会の後のアルコールゴルジュ(治安悪い飲み会)では、当時は誰だかよくわかっていなかった佐藤裕介氏とちゃっかり同卓になったりした。「ニュージーランドの沢はすごいんだけど捲いてるうちに終わっちゃうんだよね」みたいな話が出て、そうかー捲くしかないのかーと頭スカスカの相槌を打ったものだった。たぶんこのときにニュージーランドでトラディショナルな一般的沢登りをするのにちょうどいい(=凡人が挑んでも捲きに終始するだけになるほど激しくなく、無味乾燥な河原でもなく、適度な難しさの滝やゴルジュを捲いたり登ったりできて、沢中2泊くらいを要する規模の谷をその気になればいくつか繋ぐことのできる)場所を探してみようという着想を得たのだと思う。普通の沢登りをしたいのならわざわざ海外に出る必要はないし、未遡行の谷筋だって国内にたくさん残っているというのは確かに一理ある。しかし本流筋とか目立つ支流を無造作に選んでも基本的に手つかずというのはやはり海外遡行の大きな魅力といえるだろう。その半年後、3ヶ月ほどニュージーランドに滞在する機会があり、ドンパの平井とアスパイアリング山に登りに行くなどした。その際に周辺の谷に注目してみると、河川の本流はU字谷で非常に穏やかな渓相なのに対し、その支流はU字の側壁を穿つため極めて急峻な険谷を形成していることが見て取れた。確かにこれは極端な遡行内容となるのも頷ける。しかし、ということであれば、逆になるべく氷河の影響が少なそうなエリアであれば日本的な沢登りの余地がありそうだとも思った。その後の滞在中にどこか沢行ってみようかなと思うものの、単独で行く勇気もなく、なんだか消化不良のまま日本に帰ってきたのであった。とはいえ、このころ時間だけは捨てるほどあったのでニュージーランド国内の地形図を読み込んだりした。その時に出した結論は、山岳地帯である南島の中で、氷河による地形への影響が限定的なカフランギ国立公園(南島の一番北)が良いのではないかというものだった。実際に良さそうな沢をピックアップしたりもした。そして5年ほどの月日が流れ、ちょうど南半球の盛夏にあたる2月に長めの休みを取る機会に恵まれた。最初はかねてから温めていたカフランギの沢に行こうと考えたのだが、いかんせんこの辺りの山は標高が低い。日本国内では下田川内のような例があるにしても、やはり流程の中にある程度標高差があったほうが魅力的な渓谷となりやすいのではと思い、別のエリアを模索することにした。あまりに険しい谷ではかえって何もさせてもらえないというジレンマを抱えつつ、高い飛行機代を払うのだから少しでも色々出てきそうな沢に行きたいと思うのが人情というものである。このような紆余曲折の末に出した答えが、「南島 West Coast 」であった。同地域はニュージーランド有数の田舎だが、サザンアルプス山脈が南島中央よりも西海岸寄りに走っており、すそ野が小さいことから山地までのアクセスがよい。なおかつ湿潤な気候によるものか山脈前衛部には深いV字谷が多く、特にHokitika~FranzJosef辺りがよさげである。今回はアプローチの観点から町から歩いて入山できるHarihari周辺の沢に狙いを定めた。船上の羽月さんとラインで打合せしながら、地形図を見る限り山域で最も登攀的と思われるTribute Creek を登り、最もゴルジュがすごそうなHot Spring Creekを下る計画を立てた。========2/17前日夕方から成田、オークランド、クライストチャーチと乗り継いできた飛行機は午前中にHokitikaに到着した。タクシーで市内まで移動してホテルにチェックインする。national kiwi center でキーウィを見たりする。街のキャッチフレーズはsmall cool town らしい。確かにいいところだけど1日で満足かな。まずは登山の拠点となる村のHarihariまで移動する必要があるため、インフォメーションセンターでバスについて調べると、1時間程度の距離の割に60ドル以上するそうで結構高い。相方の羽月さんは「高いな ヒッチにしようや」と言う。彼は某商船会社の船員なので給料はかなりもらっているはずだが、即座にこの選択肢が出てくるのは流石である。自分は社会人になって躊躇なく高速道路を使うようになったりしたが、失いかけていた物を思い出させてもらった気がした。2/18今日は我々にとっての登山基地であるHarihariに移動するだけの予定。8時に起き、カフェで朝ごはんを食べたのちにスーパーで酒を買い足したりしてからホテルを出る。町の横を流れる大きな川の橋の手前でヒッチを試みると、20分ほどでキャンピングカーに乗ったご夫婦が拾ってくれた。オーストラリアから3週間の休みで旅行中で、フランツジョセフ氷河を見に行くところだという。1時間ほどでHarihariに到着する。街に入る前に通り過ぎたWanganui川が思いの外大きい。これ渡渉大丈夫なのか。街に着いたらとりあえず荷物を置きたいのでキャンプ場にテントを張って昼飯を食べたりする。計画上は翌日に近くの日帰りの沢で足慣らしの予定であったが、翌日が雨の予報だったため、今日明日はハリハリに留まり、悪天をやり過ごしてからメインの計画に入山しようと話していた。しかし明後日の入山だと初っ端のWanganui川渡渉が雨後の増水で困難になると考え、降り出す前の翌日午前中に渡ってしまう方が得策と方針が変わる。そうと決まれば天気良く暇を持て余している今日中に渡渉点まで移動してしまった方がよいということで、山用にパッキングを行う。キャンプ場に余分な荷物を預けられないか頼むが、すげなく断られてしまった。しょうがないのでもう一軒あるペンションのようなところに頼みに行くと、荷物を預かってくれる上に入山地点まで車で送ってくれるという。何と親切な。Wanganuiの右岸にある林道通行止めの場所で降ろしてもらい、いざ出発。看板があり、この近辺はオポッサム駆除のための毒餌を撒いているため見つけても触らないようにとある。通りがかりのアベックに聞くとエリア内は水も飲まない方が無難とのことであった。入山地点から進むとしばらく歩きやすい林道だが、川による侵食が激しく、時折寸断されている。こうした場所に出くわすたびに巻道のようなものが付いているため急な登り降りがそれなりにある。しかも道はドロドロしている箇所も多い。そんな悪路になるとは知らず、下界で消費する予定だったスパゲティソース(ザックに入れると事故りそうな容器に入っていた)を片手に持って歩いていたため難儀した。2時間ほど歩いて渡渉点のHotSpringFlatに到着した。できれば今日中に渡って対岸にあるHotSpringCreekの偵察をしてしまいたかったため、渡渉を試みる。始めにHotSpringCreek出合の少し下流の瀞場のように見えるポイントで試すが、水圧重く危険を感じたため断念。吉四六どんの渡し舟よろしく引き返す。続いて少し下流の川幅が広い場所を試してみるがいきなり深くてまたしても断念。次に少し上流に見にいってみるが、良さそうなところは見つけられず、最後に2回目に試した地点の少し下から上下に中洲を繋ぐルートを試みるが、あと2,3メートルで流芯を越えられそう、というところで急に深くなり引き返し。これはまずい。地元の温泉おじさんが何なく渡って対岸の野湯に入っている記事を見つけ当てにしていたのだが、こんなところで敗退の可能性が出てきた。往復22万もかかったというのに…こんなところで日本人とのフィジカル差を見せつけないで欲しかった。そしてWanganui川本流も問題だが、尾根の裏に少しだけ見えるHotSpringCreekの谷も相当に険しく、でかそうだ。安易に入ってきたやつはぶちのめすぞという雰囲気がびしびし伝わってくる。でもまあ、今日は渡渉成功とはいかなかったが、Wanganui川の源流は氷河であり、朝の方が流量が少ないということも一応考えられるため、とりあえず日帰り沢への転進も視野に入れつつ渡渉点付近の河原で泊まることにする。荷物を広げたりしていると体やザックに悪名高いサンドフライがわらわらと群がってきた。ブユによく似ている。日暮れにいなくなるはずと思っていたらサマータイムで日没は21時と遅い。しかもやっと日が沈んだ後もしぶとく1時間くらい飛び回っており閉口した。こいつらには早寝遅起きを心がけて欲しいものだ。2/195時に起きる。今日は午後から雨の予報である。差し当たり雨が降る前になんとか渡渉を成功させたい。なるべく虫が出てこないうちに支度する。とりあえず昨日一番いい線行った中洲を繋いでいくラインでもう一度渡渉を試みることにした。昨日と同じように中洲まで渡り、そこから反対側の本流筋を渡るが、前日よりも中洲から上流側に遡ってから流芯に入っていく。へそより上ぐらいの深さになりスクラムを組んだりする。それでもじわじわと流され始めるが、足は下に着くので半分流れに乗りながらも河床を蹴って対岸までたどり着くことができた。やった!無事渡ることができたので、下降に使う計画のHotSpringCreekを偵察に行く。日本風に呼ぶとしたら「Harihari湯沢」といったところか。しかし牧歌的な名前の割に覇気がすごい。名前通り出合に温泉がある。ぬるめである。出会いからしばらくは河原だが、じきにゴルジュになる。谷が右に屈曲する辺りに釜滝があるが、すごい水量でとても手に負えない。ここでこの地域の沢の渓相やレベルを何となく察し、我々の実力ではとても事前情報なしに下降で使えるようなものではないことを悟る。とはいえ地形図を見る限り、この山塊では下降予定だったHotSpringCreekと遡行予定のTribute creekが両雄という印象なので、せめてTribute creekは登ってみたい。しかしそうなると問題は想像していた以上に密な植生である。Tribute creek上部はかなり険しく、計画段階から尾根を使って丸ごと捲く可能性を認識していたのに加え、下降路に沢を使えないとなると源頭から相当な骨を折って薮尾根を降りてこないといけない。結局、現実的な案として、Tribute creekを登れるところまで登って引き返してくる方針で進めることにする。先の読めない沢での同ルート下降ということで、滝を登っても降りてこられるか、捲きからの復帰で懸垂するにしても登り返せるかを常に考えなければならず、行動の選択肢に制限を感じながらの遡行となった。Hot spring creek出合いからWanganui川左岸を下り、Tribute creekに入る。出合のあたりこそガレているが、やがて小規模なゴルジュとなる。しかしまだゴルジュ内はゴーロ状のためどうということはない。260二股を過ぎると再び沢中をガレが埋める。上部に大規模な崩壊地を持つ300右股からもたらされたものだろう。320で左岸から滝となって支流が出合うといよいよ本格的にゴルジュとなり、また雨も降り出してきた。ゴルジュに入ってすぐの3mほどのF1は左岸側をボルダーチックに登る。直後のF2は右岸の2段の岩棚からお助けx2で越えた。その後もゴルジュの中に釜滝がいくつか出てくるが、いずれもツルツルかつ水量が多いため右岸の岩棚を辿ってまとめて捲いた(F3-9)。この間に雨に打たれてすっかり濡れ鼠になる。ガタガタ震えが止まらない。400二股で一度沢に戻ることができるが、二股の先も登れなさそうな釜滝(F10,11)が見えているため引き続き右岸を捲く。F10の落口右岸側はボロいリッジとなっており、岩棚が途切れてしまうためリッジの上まで登り、ルンゼを二つほど横切ってから登り返し可能なことを確認して懸垂で沢床に降りた。この捲きに1時間以上もかかったが、ほとんど進んでいないことに気付き一気に消耗する。ますます震えが止まらない。このまま進みつつテンバを探す事も考えるが、最もコンディションが悪い日に先の見えないゴルジュをこれ以上進むこともあるまいと考え、今捲いたところを少し戻ってテン場を探すことにする。先ほど懸垂した斜面の少し左のルンゼを登り返し、前述のボロいリッジの頭に出てから登ってきた斜面を降りると、整地すればなんとか泊まれそうな場所を見つけた。いよいよ本降りとなった雨の中頑張って整地したりタープを張ったりする。そうこうしているうちに沢はどんどん増水していった。ついさっきまで薪を探し回った大岩のあたりは完全に飲み込まれている。足元のF9を流れ落ちた水がゴルジュ内のちょっとした岩の出っ張りにぶちあたり、逆噴射した水飛沫がものすごい高さまで吹き上がっているのが見えた。水は茶色く濁り、水位はだいたい2-3メートルほど上がっているようだ。最近は雨が降りそうな時はわざわざ山に行かないことが多いのでこういう惨めったらしい目に遭うことはほとんどなく、かなり堪える。濡れものを何とか着干しできないかと粘るが気温低く湿度高いため全く乾かず、寒いだけなので諦めて着替えた。夕方になると雨が上がったため焚き火でもしようかと試みるが、元々普段泊まらないような湿気た森の中で良い薪が少ないうえ、雨もしっかり降ってしまったためうまく燃えなかった。7時ごろからもうひと降りあったりして、本当に明日晴れるのか不安になる。2/206時に起きる。くそ寒い。目の前には濡れた服が吊るされている。いまからこれに袖を通すのかと思うと心底うんざりする。着替えを先延ばしにしたくてゆっくり支度をしていると太陽が出て来た。途端に活力が湧いてくる。気合を入れて身支度をし、出発。昨日登り返したのと同じ場所を懸垂で下る。釜滝はへつって越えられないか試してみるがやはりつながっていないため左岸を巻きにかかる。途中に綺麗な青いキノコを見つけた。F11,12を捲いて懸垂せずに沢に戻り、ゴーロ帯を行くとやがてF13 20m斜滝が出てくる。左岸の草つきルンゼからお助けだして登るが長さが足らずごたごたする。その後沢は520で左に直角に曲がり、580二股の直前にF14 5mひょんぐり釜滝。左岸直登も考えたが左岸ルンゼから捲いた。懸垂して沢に降りると580二股。左股が本流だが、目の前のF15 3mはいいとして、奥に15mほどの登れそうにない滝(F16)があるため左岸の尾根に取り付き捲きにかかる。途中何度か降りようとするが、ゴルジュが途切れずなかなか下れない。同沢下降の予定なため、登り返しの目処が立たないと安易に懸垂が出来ず難儀する。3時間半ほど苦労して進むとようやく登り返せそうな岩盤の斜面を見つけた。650二股であった。懸垂で下り、捲いたゴルジュ中を見るために中を下っていくと、捲き始めの直瀑F16の上に10mほどの釜滝F17があるほかは特段何もなく、二つの滝ももっと短く捲けそうであった。上から見ていると厳しそうな釜滝がいくつかあるように見えたのだが、何てことはなかった。情報がない沢はやはりどうしても効率が悪くなる。懸垂した650二股に戻り、小滝を二つほど越えると690三俣に到着する。右股は20mほどの威圧的な直瀑で、本流は少し先に滝が見え隠れしている。開放的な地形で気持ちが良いのでここに泊まることにする。待ち望んだ焚き火で服を乾かす。元々の計画では何と町からここまで1日で来る計画だった。これぞ机上の空論。2/216時に起きる。放射冷却で冷え込み、結露がすごい。またしても震えながら支度する。下山に2日は見ておきたいので今日は残りの日程的に行けるところまで行って引き返すことになる。シュラフや余分な食糧はテンバに置いていった。テンバ出てすぐの二股手前のF18釜滝5メートルは右岸ルンゼから草つきを1ピッチロープ出した。続けて容易なF19 5mを右岸から容易に越えると直後に二股があり、両股が滝で出合っている。本流の左股は50mほどの斜瀑(F20)となっている。ツルツルだが寝ているのでこれも右岸寄りに直登すべく取りついていく。中ほどからトップで登っていた羽月さんが苦労し出したため、自分は途中で待機してロープ垂らしてもらった。冷える。確保してもらうとたいしたことないのだが、この手のフリクション系は高度感あると本当に怖い。苦手だ。この滝の後はしばらくゴーロとなるが、860二股の手前から威圧的に両岸が狭まり門のようになっている。F21 3mは登れないので右岸大岩の隙間から這い上がると、門の入り口に15mのF22がある。滝の下からその先の様子を伺うが、次の滝は見えず、F22は右岸直登できそうだったのでとりあえず登る。下部がヌメるがそれほど難しくはない。登ってみるとゴルジュの奥に3段30メートルF23が見えた。これは手が出ないので立ち木を支点に懸垂して戻り、左岸から高捲きを開始する。高捲きといっても要は立った斜面での藪漕ぎである。石楠花系の植物が高密度で生えており、斜度も相まって藪漕ぎとしてもかなりしんどい部類に入る。下から見た側壁はかなり高く、また急斜面と濃密な藪が合わさりルートの自由度が低い。じわじわトラバースしながらも100メートル以上も登ることとなった。そろそろ藪を漕いで2時間という頃、標高1000メートル付近で先を見渡せる場所に出る。そこからはtribute creek奥院の様子が目に飛び込んできた。支流も含め、足元から800メートル上の稜線まで水流のあるところ全て滝という光景である。中でも標高1100メートルまでが非常に困難そうに見えた。地形図によるとこのまま左岸を捲き続けても上流に106mの滝で出会う支流にぶち当たることになりかなり難儀しそうだ。引き返し時間も考えると、ここらで戻るのが妥当なところだろう。この先に進むにはあと2日か3日欲しいと思った。今回はこの光景を見られただけでも結構満足した。ひとしきり記念撮影を終えた後、登ってきた藪斜面を下った。河原を歩き、F19 40m斜滝は2段目は右岸捲き、1段目は懸垂で下降。F18は右岸を少しまいてから飛び込んだ。日がさしており気分爽快。16時ごろテンバに着いたので色々干す。今日は早めに寝た。2/226時起き。今日も今日とて寒い。この日はできるだけ沢を下りてwanganui川本流の渡渉点くらいまでは行きたい。テンバ出てしばらくはゴーロだが、650二股を過ぎると大まきしたゴルジュとなる。ほとんど中を行けることは確認済みなので降って行き、560二股上のF15-17 3m+10m+10m連瀑に着く。ここは左岸からブッシュ帯まで登って560二股の中間尾根を下った。その下のひょんぐり釜滝F14は登りでも左岸を巻いたが、下りではもう少し大きめに巻いて下ることに。左岸のルンゼをお助け出して登り、ブッシュ帯をトラバースして40m懸垂した。その後ゴルジュ状のゴーロを挟み、20m斜爆は登ったのと同じラインを懸垂下降。なんと懸垂の着地地点には持ってきたつもりだったが見当たらなかったキャメロット2番が落ちていた。やっぱ持ってきていたんだ、よかった。400二股上のゴルジュにあるF11,12はF12は右岸をクライムダウン、F11は右岸の岩にスリングをかけて懸垂した。F10は左岸をクライムダウンした。下降ではすでにタネが割れているのでほぼ中を行くことができた。雨をやり過ごしたテンバを懐かしみ、F9から2までは右岸を巻いて、3mF1は右岸クライムダウンするとガレの埋めた沢となった。川床から2メートルほどのところに増水跡ができていた。下りていると途中カモシカのなかまのシャモアらしき獣を見かけた。黙々と歩き、ついにwabganui本流まで帰ってきた。渡渉点まで遡りそのまま往路と同じようなルートでざぶざぶ進むとあっさり渡ることができた。浅瀬のつながり方の影響で帰りのほうが渡渉しやすそうだ。ついに安全圏まで戻ってくることができた!後は夏道を歩くのみ、と思いきや、道を外して急ながれ場登りをする羽目になったり、泥道で転んで突き指したりとストレスフルな道中だった。ついに車道まで到着し、靴づれを我慢しながら5キロほどのロードをこなすと、荷物を預けていた宿に無事戻ることができた。宿にはフリーの洗濯、乾燥機などがあり、洗い物や乾かし物を概ねその日中に済ました。預け荷物のビールで乾杯し、ふかふかベッドに潜り込んだ。========「「ニュージーランドでトラディショナルな一般的沢登りをするのにちょうどいい(=凡人が挑んでも捲きに終始するだけになるほど激しくなく、無味乾燥な河原でもなく、適度な難しさの滝やゴルジュが出てきて捲いたり登ったりできて、沢中2泊くらいを要する規模の谷をいくつか繋ぐことができる)場所を探してみよう」」というモチベーションで企画した今回の遠征だったが、この点についてはかなりの手応えを感じることができた。谷は中を行けたり行けなかったりして、ときには泊まるのにちょうど良い河原も出てくる。自分がこれまでやってきた沢登りをそのまま実践することができた。これは明らかに渓谷登攀やキャニオニングではなく沢登りと呼ぶべきものだ。そしてそれでいてやはり核心部は自分たちの実力を上回っていてまだまだ底が見えない。そういう意味で今回選んだ山域はまさに期待以上の場所だった。2ヶ月間目を皿のようにして地形図を眺めた甲斐があった。そして自分にとって得るものが大きかったのは、初めて地図しか情報のない谷に行き、まっさらな状態で沢登りを楽しめたことだ。もし仮に今回の引き返し地点まででグレードをつけるなら4級程度だと思うが、ゴルジュの先が見通せない状況で進んでいくのは何倍も難しく感じた。今回、遡行では捲きすぎてしまったきらいもあるが、主な原因は沢の未知性と自分達の力量によるものであって、渓相それ自体は捲きを要求する性質のものではなかった。現に、何が出てくるか分かっている下降ではほとんど内部を通過することができた。別に普段から記録をおぼえこんで山に入っているわけではないが、やはり少しでも見ると「この滝を捲いてゴルジュの中に懸垂し、ロープ引き抜いても詰まない」ことをある程度分かった状態で臨むことになるので、判断がはるかに容易であることを実感した。この辺の力量はアルパイン的な場数がものをいうと思うので、精進していきたい。総括すると、今回の一番の収穫はニュージーランドのWestCopastが沢登りの有望なフロンティアであることが確認できたことだと思う。自分自身の展望としては今回未遡行に終わったTributeCreek上流部にまたトライしてみたいし、それ以上に興味ある課題として下降予定だったHotSpringCreekの下部ゴルジュの中を踏査してみたい。興味あったらぜひ。
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2024-3-4 2:02 |
十勝~襟裳岬
十勝~襟裳岬(積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2024-02-21〜2024-02-26メンバー: shibabemaru Mt-sunny kaneko23 tamaki_2023コースタイム:写真:襟裳岬。風強過ぎて携帯飛ばされそうだった。・1221の登り。もう雪ない1009。はるちゃんからレモン。すごく美味しかった。イグルー掘ってる。固くて苦戦。C3。オキシマップ。スノーシューにさようなら。今までありがとう。十勝西尾根から楽古の方。1009の先。C2。渡邊は木登りが得意。C3から朝焼け。Ω1から東の方の景色ゴールは岬のトイレの中。風と寒さを避けるにはここしかなかったのだ。感想:私は青木さんチルドレンなので、テントを持ち、いつも端を選び、イグルーには最後に入って雪まみれになりながら出口を閉める、青木さんみたいなLになりたかった。辛いときに柴部大丈夫?って夢に出てきてくれるのは未だに青木さんである。重荷は持てないけど端っこで寝るのとイグルー閉めるのはやってた。少しは近づけたかしら。それにしても3年前に歩いたはずのルート、全く覚えていなくていかに自分が何も考えずについていくだけのMだったか思い知らされた。
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2024-3-3 20:32 |
松本深志高校イグルー講習@暴風雪
今年も高校山岳部のイグルー講習今週は例年この時期行う松本深志高校山岳部員のイグルー練習でした。白馬遠見尾根のスキー場トップ地蔵の頭です。 晴れてはいたのだけど、風が強く、猛烈な地吹雪の中での講習になりました。これまで数多くイグルー講習をしてきましたが、不思議と悪天になったことはなかったです。講習の段取りははじめ40分イグルスキーがデモで一個作る間、皆に観てもらうので、その間がちょっと寒いのですが、各々作り始めれば体が温まり、雪の中でもできます。 南岸前線で降雪はあったが晴れ、でも強風今回は各々が作り始め、ブロック一段目を掘り出して周りに積んだ頃合いで、スキー場のパトロールさんが来て、強風のためゴンドラの運転を停止したいので下山をと促され、中止して下ることに決めました。完成させてもらいたかったけど残念です。泊まりなら良いけど日帰り予定だったので。ゴンドラが止まるとスキーではないのでゲレンデを歩くのも良くないとのこと。 悪天急変冬山体験とはいえ地吹雪が猛烈で、冬山初体験の高校生たちにはイグルー作っているときからかなりキツい状況だったと思います。足先が冷たくなったと、はじめにイグルスキーが作ったイグルー内に避難する生徒もありました。 地蔵の頭からスキーゲレンデまで戻るほんの数百mの雪面も、来たときのトレースは完全にわからず、吹き溜まりの雪がまた腿までのラッセルになり、しかも地吹雪&ホワイトアウト。風上側の顔は白くエビ尻尾がつき、耳を覆わなければ冷たく痛い。素手で作業すれば即座に指が動かなくなる。こういう体験はやってみなくてはわからない。 直前に雪崩講義で「雪崩は傾斜地で積雪があればどこでも起きる」と聞いていたから、それも怖かったのではないか。その斜面が本当に雪崩れるかどうかの正解など、経験者だってわからない。この状況では、危ないかもと思っても、帰り道なら通るしか無いし、ホワイトアウトではそうそう距離を取ること自体がもっと不安だ。
イグルーができれば疲労凍死を免れるこういう状況のときこそ、イグルー技術が物を言う。今回は短距離の上経験者がいるから必要はないが、白い闇の中で数時間進まなければ帰れない状況のとき、いたずらに彷徨えば限りある体力を消耗し、集中力減退、体温喪失してなし崩しに疲労凍死してしまう。暴風の中のツエルトでは体温低下は免れない、その点、イグルーさえ作れれば、靴を脱いで乾いたものに履き替え、無風快晴になるまで待てば良い。山のピンチのほとんどは待てば解決する。 1989年遠見尾根雪崩遭難追悼イグルー作りの前に、まだ風が弱いとき、ここ地蔵の頭の沢を挟んだ急斜面で1989年の3月におきた研修中の雪崩遭難事故の追悼を行い花を添えた。その時死なずに済んだ赤羽さんを招き、昨年までずっと引率でここに来ていた西牧さんも来た。 僕らが下山を決めた強風の時間帯に、少し北の風吹山で10人巻き込まれる雪崩があり(全員無事)、大山でも。この強い風、関係があるかもしれない。 北海道大学山岳部・山の会 - 【読書備忘】天災か人災か?松本雪崩裁判の真実 泉康子 米山 悟(1984年入部) 北海道大学山岳部・山の会 Academic Alpine Club of Hokkaido AACH, Sapporo Japan 札幌 aach.ees.hokudai.ac.jp 作りながらイグルートークいつもは技術的な話しをしながらイグルーデモ製作を見せるのだけれど、今回は若手相手だし、イグルー話を大盛りで手を止めずに語りました。 なぜイグルスキーはイグルーを作るのか? なぜイグルーはテントに比べ安全なのか? なぜイグルーで山に行くと楽しいのか? なぜイグルーは北大山岳部で生まれたのか? これらをトークしながらノコギリ入れ、ブロック積みをしたので息が切れました。でもみな熱心に聞いてくれていて嬉しかったです。 |