OBの山行記録・ 2006年9月4日 (月)
山行記録・モンブラン北西尾根/(米山)
登山電車とモンブランの支尾根
夏休み、モンブランに登ってきました。
● モンブラン(4810m)
【ルート】
グーテ小屋経由・北西尾根
【日程】
2006.8.30〜9.1
【メンバ】
伊藤、下村、米山、セルジュ、ファビアン
クリス、エリザベス(二人はテトルースまで)
【行程】
8月30日・霧のち晴れ
レ・ウーシュ1000m→ベルビュ1800m(リフト終点・11:00)→ニデーグル2400m
(登山鉄道終点・11:20)→テトルース小屋3167m(14:40)
8月31日・晴れ、風あり
テトルース小屋(8:15)→グーテ小屋3817m(10:40)
9月1日・無風、快晴
グーテ小屋(2:40)→山頂(6:45-7:00)→グーテ小屋(8:30-9:30)→テトルース小屋(11:00)→ニデーグル(12:50)→登山電車で下山
モレーンから見上げたグーテ小屋下の壁
名古屋の原真さん(1956年入部)に誘われて、モンブランパーティーに入れてもらった。メンバーは原さんの知り合いで他に2名、当初もう少しいたのでガイドは3人。ところが原さんが風邪をひいてしまい、麓でカメ、マー(僕の妻娘)と留守番をすることになってしまった。原夫人のエリザベスさんが最初の小屋テトルースまで見送りで登りに来てくれた。ガイドは英語が出来るとはいえ、日本人と同じく、進んで英語を話すわけではない。エリザベスさんがいろいろ手配してくれたので、いろいろなことがうまくいった。
グーテ小屋への岩稜を登る
【ルートについて】
ルート全体は4月の北アルプス風だ。一番急な雪、岩ミックスの両小屋間は槍、穂高の一般ルートを標高差600mに伸ばしたという感じでワイヤーロープが整備されている。テトルース小屋を出てすぐ、急斜面の基部で落石の多いクロワールのトラバース50mほどがある。ここのためにヘルメットがいる。グーテ小屋の上は多少クレバスの危険のある雪の尾根だが、遠見尾根のような感じだ。しかし山頂直下の20分ほどは、幅1m足らずの雪稜で、利尻の南峰、北峰間くらいの爽快感があり、良い気分で山頂に行ける。グーテ小屋より上は視界の無い時は相当厳しい。バロー避難小屋(4362m)の下の広大なコルには電信柱みたいな木のポールが何百メートルおきかに立っていたが、蔵王や乗鞍岳みたいなものだ。
ルート自体はルームの2年班で行けるが、ここの天気予報をいかにキャッチするかが大問題だ。小屋での情報は全てフランス語だ。今年は、僕らの登った三日間より前は、全然ダメな天気だったそうだ。ハズレ年の中の幸運だった。小屋のまわりに天場指定地があり、20張りほど張ってあった。グーテの上ならイグルーはどこでもできる。携帯電話はどこも通じるようだった。
【ガイドとの山行】
フランスガイドとの山行は初めてだ。今回は雪山初級者もいたし、天気が三日間保証付きだったので、ゆっくり進めた。ガイドはテトルースから上は全て短めのコンテニュアスでロープを繋ぐ。こんな簡単なルートで繋がれるのは何だか信用されていないような気がして最初は抵抗があったが、ガイドと行くとはそういうもので、アルプスではこれが普通らしい。ロープは問題箇所だけで繋ぐというのが日本のセンスだが、クレバスのあるアルプスでは、つなぎ続けるという技術が有ることを知った。実際、氷河のない日本ではコンテの経験など無いに等しいから、これは勉強になった。以前本多勝一がやはりコンテを嫌がってガイドともめた話を読んだ覚えがある。
全体に、僕にはガイド無しでも行けたルートだが、ガイドの仕事振りをよく知ることが出来た。エリザベスさんがウェブと電話で探してくれたガイドで、よい仕事ぶりだったと思う。英語は出来ると言うことだったが、そこいらの日本人くらいに出来るという意味で、長い文になるとそうでもない。しかし、他のルートやこの辺の事情など、根掘り葉掘り聞き倒した。一人一日700ユーロで、2人まで見る。割れば一日五万円の計算。高いけど、安いと思う人には安い。
フランスには国家資格の厳しいガイド免許があり、みっちり三年間の国立登山学校がある。会員60万人の誰でも入れるフランス山岳会があり、その会費で運営される資金で山小屋も遭難救助も全て運営される。登山者による登山者のための組織が公平に簡潔に整備されていて、日本とは大違いだ。既得権益や特権意識や排他主義のため誰も音頭をとらず、公共の登山教育の欠如で混乱する日本の様子を改めて思う。ああ、人は外を見聞しなければならない。
【小屋など】
モンブランはヨーロッパ人にとっては富士山みたいなもので、いろんな人が登りに来る。ガイド無しも7割くらいはいる。グーテ小屋は一ヶ月前から予約を入れないとベッドでは眠れない。アポ無しの人は床や食堂で寝ていた。午前二時、グーテ小屋の朝飯時間だが、食堂は暗闇の中座ったまま夜を過ごした人で一杯。パンとお茶の朝飯を受け取って、彼らにどいてもらう時が一番ガイドを頼りに感じた時だった。130人の定員にたぶん200人くらい泊まっていた。でも日本と違い、若者が多い。健全だと思う。素人風ながら、一生懸命登っていた。
夜明け前雪稜を登る
【アタックは早朝】
夜が明けて明るくなる7時前にちょうど山頂につく様にグーテ小屋を真っ暗な中出る。満点の星、山頂の上にオリオン座、そこに向かって人々のヘッドランプの列が伸びている。シャモニーはもちろん、ジュネーブの明かりが見える。氷河地形が作る広く深い谷を見下ろす風景は、日本ではあり得ない独特の高度感だ。山頂ではマッターホルンの後ろから日が昇った。齢63歳の伊藤さんはとっても嬉しそう、下村さんもこんな経験はこれまで無かったと話していた。二人とも抜群の体力で高所の影響も全く無く、高度差2000mをすいすい下山した。ガイドも完璧な仕事が出来たと満足そうだった。レ・ウーシェにもどると、マーがハイジのように芝生を駈けてきて、頬ずりしてくれた。嬉しいネ。
山頂の日の出はマッターホルンから。
【アルプスとモンブラン】
ジュネーブで買った5万分の一地形図はとっても美しい。小屋で広げてみていたのだが、他の人で地図を見ている人を一人も見かけなかった。ル・ドゥリュ、フレネイ、プトレイ、エグイ・ヴェルト、名前は知っている。昔読んだボナッティやテレイの山行記録に覚えがあるからだ。ああ、こんな所にあったのか。アルプスの風景は山好きな日本人にとっては憬れの原風景だ。小学生のとき宮崎駿のハイジをテレビで見てジンジンした身には「おじいさ〜ん、わたし、帰ってきたのよー」と叫びたい気分だ。どうもあれが僕の山人生の出発点ではないかと思っている。
ジュネーブのレマン湖ヨットハーバーからモンブラン
位置関係では、モンブランを白馬岳あたりにたとえると、ジュネーブが松本、シャモニーが大町、レ・ウーシュが白馬村って感じだろうか。ジュネーブにもどると、モンブランがレマン湖越しに見える。麓から見上げたモンブランは白いまんじゅうみたいな山だったが、ここまで離れると山頂部分はきれいな三角になっていて端正だ。常念やカムエクくらい格好が良かった。ジュネーブのメグさんの家のテラスからも見える。サマータイムの遅い日没まで山を眺めて、日が暮れたころ野菜煮込みとチーズと、葡萄酒で祝杯を飲んだ。
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コメント一覧
米山
投稿日時 2006-9-14 12:22
やっぱりフランス国立スキー登山学校やシビアな国家資格の存在が大きいかも。それから日本と違って、「マジ雪氷ルート」のひとジャンルしかないのが強い。フリーとか沢とか雪稜とか日本ではいろいろ分かれているので、何かの専門家で、他はゴブサタというベテランが多いのかもしれん。
三年間、朝から晩までヤマヤマヤマの青春を送れる学校を作って、山の好きな若いモンを育て上げる場があればいいなあ。
三年間、朝から晩までヤマヤマヤマの青春を送れる学校を作って、山の好きな若いモンを育て上げる場があればいいなあ。
高橋GG
投稿日時 2006-9-13 18:47
いい夏休みだったねぇ!
私も小1の息子といつかモンブランに登る約束をしています。
本人もすっかりその気で、
「どこから登るんだっけ?」と聞くと
「シャモニ!」と返ってきます(笑)
私にとって初めてのアルプス、オートルートはsans guide(ガイドなし)でしたが
ドロミテの岩登りと、家内と行ったエッツタールの山スキーは
いずれもガイドを頼みました。
彼の国において、クライアントとガイドとの関係というのは
単なる雇用関係(=先導者、道案内)ではなく
言ってみれば教師と生徒のような関係ではないかと感じました。
より高みをめざし研鑚する生徒には、教師の導きにより
より素晴らしい山の世界が広がる。
ただ後をついていくだけなら大学山岳部出身者には無意味ですが、
目的意識と向上心があれば、ガイドに教わるものは非常に大きいと感じました。
(単なる技術ではなく、スピリチュアルな面でも)
現役諸君も、長期間のヒマラヤ登山だけでなく
気軽にアルプスに行ってみてはどうかと思います。
ところで。
最後まで読んで笑った。
道外の山を「北海道なら○○だな」と例える癖、
ルーム出身者ならでは。
三つ子の魂、百まで。
私も小1の息子といつかモンブランに登る約束をしています。
本人もすっかりその気で、
「どこから登るんだっけ?」と聞くと
「シャモニ!」と返ってきます(笑)
私にとって初めてのアルプス、オートルートはsans guide(ガイドなし)でしたが
ドロミテの岩登りと、家内と行ったエッツタールの山スキーは
いずれもガイドを頼みました。
彼の国において、クライアントとガイドとの関係というのは
単なる雇用関係(=先導者、道案内)ではなく
言ってみれば教師と生徒のような関係ではないかと感じました。
より高みをめざし研鑚する生徒には、教師の導きにより
より素晴らしい山の世界が広がる。
ただ後をついていくだけなら大学山岳部出身者には無意味ですが、
目的意識と向上心があれば、ガイドに教わるものは非常に大きいと感じました。
(単なる技術ではなく、スピリチュアルな面でも)
現役諸君も、長期間のヒマラヤ登山だけでなく
気軽にアルプスに行ってみてはどうかと思います。
ところで。
最後まで読んで笑った。
道外の山を「北海道なら○○だな」と例える癖、
ルーム出身者ならでは。
三つ子の魂、百まで。