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OBの山行記録・ 2008年7月27日 (日)

【中部日高】ナナシ沢1823m峰南面直登沢→コイボクシュシビチャリ川

【メンバ】米山悟(1984)、斎藤(1987)、田中バイエルン(3)
2008/7/19
コイボク林道ナリノ沢下1キロ地点(13:50)→峠のっこしてナナシ沢Co400入渓(14:20)→3の沢二股(17:40)Co640広場C1(19:00))
2008.7/20
C1(5:45)発→23直登沢出会い(6:10)→・822荼毘の広場(8:10)→Co1040ババ遭難現場(11:00)→23山頂C2(19:10)
2008/7/21
C2(5:15)→最低コル・1573下降点(7:10)→コイボクシュシビチャリ川810二股(10:00)→イワナノ沢出会下、清和橋Co540(15:00)

1986年のババの雪渓崩落遭難以来はじめて現場の墓参りができた。雪渓跡に一面に咲いていた黄色の花を供え、バーボンをかけてカメラーデンリートで弔った。

ここ数年にわたり現役学生を日高の難しい直登沢に誘い、沢力の底上げを続けてきた。今回もやる気満々の三年目、バイエルンを引率。ルーム現役は少人数ながらも着実にハイレベル化している。直登沢莫迦が続々誕生中だ。
1日目: 水満々:曇り

コイボク林道から最低鞍部をのっこしてナナシ沢に降りる。水が多い。雨も降ったが、融雪期の続きのようだ。渡渉するのにいちいち選ばなければならない。函はおおむね中を行く。バイエルンは初め、この水量と流れでは「行ける気がしないんですけど・・」と言っていたが、渦と速さを読み、弱点を突いて渡渉を重ねるうち慣れてきた。前にナナシに来た斎藤の印象では、こんなに苦労した覚えはなく、今回の水量はかなり多い。水温はぬるくて助かった。


右岸3mほどのギャップでトップにヒモを垂らしてもらう難しい箇所あり。予定を大幅に上回り、暗くなってきても23出会いに着かない。手前一キロに、広い河原、流木ありの地点があり、ここで泊る。タープを張り焚き火するなり日没。焚火の傍らで寝ていたら、夜中に一時雨が降りあわててタープに避難。ずぶ濡れになった。寒くてほとんど眠れず。

2日目:徹底的に滝・霧雨

朝から晩まで滝滝滝でもういちいち書いていられない。13時間半、30数本の滝を登り続けた。最大で30m、10m台がいくつか、あとは数mのが無数。小さいものほど難しい。水量もかなり多く、少なければ水の際で登れたものを、側壁の別ルートを登ってトラバースといういやな対処もあり、時間がどんどん過ぎる。斎藤がアクロバチコなルートを切り開き、決して大高捲きせずにルートを開く。ほとんどを20mザイルで切り抜ける。



今年の雪渓は少ない。ババの遭難現場1040mに今年は既になかった。ババはここで崩れた雪渓の下敷きになって死んだ。それより上部には二か所ほど大きく残っていたが、滝をべったり隠してはくれなかった。雪渓の上から側壁に移り、アンザイレンで滝の上へ。



ザイルを垂らしたのは十回前後か。概ねトップはビレー無しで登り、後続が時間節約のため、粘らずザイルを掴んで登るという方法。背の高いいくつかの滝だけビレーした。ザック吊り上げを要するバランス微妙な滝も幾多かあり。登っても登っても次の滝が見えている。とうとう源頭には良い天場もなく、山頂泊の覚悟となる。



ようやく花畑に差し掛かると、頭の上うっすら切れたガスの先にアカネ雲が見えた。上は晴れている。クマの掘り返しあとなどを辿って山頂に着くと、雲海の上に39やコイカクが。完登の祝福だ。一日の苦闘を昇華する景色だが、すぐに宵闇が来た。タープを張って下に潜るが寒い。全身ずぶ濡れで火の気無し。行動食やハムを食べて横になる。震えが止まらずほとんど眠れない。十七夜の月が上がる。幻想的だ。


3日目:ヨボヨボと下山


寒くてほとんど眠れず明るくなると雲海の上だ。ストーブ無しなのでピーナツとギンビスを食べる。タープをたたむころ日が昇ってガスが飛び、カムエクが姿を見せた。神々しい。向かいのコイボクカールにバイエルンは先々週登ったばかり。ピラミッドへの稜線を辿り、最低コルまで。前半まあまあ、後半結構なハイ松藪こぎ。下降の沢はノーザイルのナメ滝が連続。筋肉痛の足で慎重に下る。それもCo1000までで、あとはコイボク沢を延々下る。水量が多く、水温は低い。楽しそうな函も飛び込む気になれず、へつりで下る。筋肉痛に加えて、とある淵で飛び込んだ時にバタ足で足を何かに打ち、ひどく痛むようになった。長い河原歩きで遅れがちになり、結果下山連絡の締切時間に1時間強遅れてしまった。もうまるで高齢者のような歩き姿である、我ながら。


下山連絡をするとやはり在札OBに救助準備連絡が回っていて平謝り。長い林道で、なかなか電話が通じないのである。静内温泉のぬるぬる湯で、三日間すっかり冷え切った体を温め、筋肉をほぐす。バイエルンは現役ながらよく楽しそうについてきた。斎藤はあの状況でもなんでも突破できるスゴ腕である。僕は、四ヶ月ぶりの山で、こんなところに来たにしては善戦したと思うが、トシなんだからもっと体作りしたほうがいい。

札幌駅の青森行き夜行列車を待つホームで訃報を聞いた。昔一緒にヒマラヤに行った上海の梶田さんが昨日の朝、奥秩父の井戸沢で死んだそうだ。ちょうど僕もいやな滝を登っていたころだ。一緒に屋久島の小楊子川や黒部源流を登った。沢での死は一瞬だ。若く未熟ゆえの事故もあるし、たくさん登ってきた末の事故もある。深く弔いたい。死んでしまうとみな悲しむが、逆だ。あんないい男と深く付き合っておいてよかったなあ、と思う。かなしみの感情は、数年経ってから湧いてくる。
  • コメント (3)

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コメント一覧
北陵高校山岳部OB   投稿日時 2021-3-22 4:03
唐突に失礼します
そうですか奥田は大学に行っても山岳部で
先輩やOBの方々からあだ名で呼ばれるほど居場所を得てたのですね
ババってジャイアント馬場からでしょうか?笑
あの事故から35年経ちましたし今でも高校時代のことを思い出します
奥田が最初に山岳部で参加したのは福井から入って
百松〜烏帽子〜神威あたりの縦走で定山渓に抜ける縦走だったはず
普段あんなモッサリしてて、しかもデビュー登山なのに
ちゃんと最後まで付いて来たのに驚いた覚えがあります
高橋GG   投稿日時 2008-7-29 20:40
今でもふと、何かの拍子に
ババの時間が止まってもう何年になるかな、
と改めて数えることがある。

あの夏、現場で遺体を荼毘に付し、
壺のなかの物体になってしまったババを
私がザックに背負って
林道終点で待つご両親のもとに連れて帰った。
蓋が開かないようにビニールテープで留めたら
白い陶器に赤いストライプになってしまったのを
今でもなぜか思い出す。

山頂での写真に感動した。
ババもこんな景色を目にするはずだったのか。
それとも、22年の時間待ちを経て、
ババもいっしょに完登できたのか。
この写真を見て、ほとんど忘れかけていた心残りがようやく清算できたような気になった。
米山たちに、登ってくれてありがとう、と言いたい。
末武   投稿日時 2008-7-27 22:38
夕方突然平塚さんから携帯に着信があり、驚いた。久しぶりにルームに行くとすでに澤柿さんがきていて、米山君と斎藤君のパーティーだときいてまずは問題ないはずだと思ったが、夏は何があるかわからない。何をするでもなく待っていたところ、ほどなく下山連絡が入り、安心しました。直後に松田元部長もお見えになり、皆でまたひと安心。よい弔いになったようで、記録を読みジンときました。ただし連絡には気を使ったほうがいいよ。ちょっと前の知床撮影行でその辺はわかったんじゃないかと思っていました。
 
 
 
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