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5.黒部渓谷 冠松次郎(かんむりまつじろう)/1928/アルス/273頁


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函と表紙
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写真:黒部川下の廊下の縦観
鳴澤の落口より黒部別山澤落口まで
写真:黒部川下の廊下の縦観
鳴澤の落口より黒部別山澤落口まで


冠松次郎(1883-1970) 登山家,紀行文筆家
 東京本郷の質店に生れ、自身も終生質店主であった。1902(明治35)年頃から登山を始める。1909(明治42)年頃よりに日本アルプスに足を入れるようになり、1911(明治44)年白馬岳に登り、祖母谷を流れに沿って下り、初めて黒部峡谷に入り、その虜になった。同年日本山岳会へ入会し、山行記録などを「山岳」に発表するようになる。冠が渓谷探索を目的に黒部に初めて足跡を印したのは1920(大正9)年のことで、以後秘境黒部の山や谷の探検によって黒部を世に次々と紹介していった。1925(大正14)年夏、沼井鉄太郎らと立山ガイド宇治長次郎の他9人の人夫を連れて、釜釣温泉から平の小屋まで、下の廊下の完全遡行に成功した。同時代の登山家達が高い山への登頂を目指していたのに背くかのように、黙々と渓谷美を訪ね歩いた。黒部以外にも日本アルプスや奥秩父の渓谷など、多くの記録的登山を行なった。また多くの優れた記録や紀行文を残した。日本山岳会名誉会員

内容
 序に「本書は私が過去十数年の間、この群峯を跋渉した時の記憶及記録等を辿って書きつけたものであって、後に刊行する「劔岳」、「黒部渓谷」の二編と相俟って、立山群峯及黒部渓谷の全豹を彷彿しうるものと信じている」と述べ、この三部作により立山と黒部を語りつくそうとの意図である。
 はじめに「立山群峯概観」で常願寺川方面、早月川方面、黒部川方面からの立山へのアプローチを詳細に解説。ついで「春の立山(其一)千垣から丸山まで」「春の立山(其二)黒部別山から上市まで」は、残雪期の立山の紀行である。
 「上廊下の記(其一)下廊下へ」「上廊下の記(其二)中廊下へ」」「上廊下の記(其三)奥廊下へ」は、1928(昭和3)年8月22日から31日までの上廊下を中心とした紀行である。黒部渓谷は電源開発により大きく変わり、変わったばかりではなく、黒部湖の出現によって広範囲に谷そのものが水没した。この紀行は、今は見ることが出来なくなった上の廊下の面影を詳細に伝える。「春の後立山」は1927(昭和2)年6月残雪期の、「岩井谷と薬師岳」は1916(大正5)年夏の紀行である。

山岳館所有の関連蔵書
剣岳 冠松次郎/1929/第1書房
立山群峰 冠松次郎/1929/第1書房
黒部 冠松次郎/1930/第1書房
双六谷 冠松次郎/1930/第1書房
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日本アルプス大観 立山・黒部・後立山 冠 松次郎/1931/木星社書院
破片岩 冠松次郎/1933/耕進社
雲表を行く 冠松次郎/1942/墨水書房
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山への味到 冠松次郎/1943/墨水書房
立山と黒部 富山県郷土史会/1962/富山県郷土史会
続黒部 冠松次郎/1966/名著刊行会
山渓記 全5巻/冠松次郎/1968-69/春秋社
黒部別山 黒部の衆/1986/黒部の衆
日本登山記録大成15 薬師岳・黒部川 山崎安治他/1983/同朋社
峰と渓 冠松次郎/2002/河出書房
 
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