ログイン   :: お問い合せ :: サイトマップ :: 新着情報 :: おしらせ :: 
 
 
メニュー
前 次

24.赤石渓谷 平賀文男(ひらがふみお)/1933/隆章社/300頁


Highslide JS
扉、表紙欠損
扉、表紙欠損
Highslide JS
池山釣尾根より間ノ岳及び農鳥岳
池山釣尾根より間ノ岳及び農鳥岳


平賀文男(1895-1964) 登山家、政治家
 山梨県穂坂村(現韮崎市)に生れる。甲府中学、目白中学を経て、1917(大正6)年、早稲田大学政経学部を卒業。1920(大正9)年、白馬岳登山から本格的に登山を始める。南アルプスは、早くからウェストンはじめ登山者や地質学者がかなり早くから入っていたが、アプローチが長く不便だったこともあり、北アルプスのように一般には開けてはいなかった。平賀は南アの登山を開発し、一般登山者に門戸を開くべく、自ら南アに入り込んでいった。1924(大正13)年、甲斐山岳会を設立。1925(大正14)年3月に野呂川を遡行、大樺沢からの北岳登頂は、京大隊に次ぐ積雪期第2登であり、この登頂をを初めとして冬期の南ア諸峰にパイオニアとして足を運んだ。1926(昭和元)年、当時ほとんど唯一無二であった南アの案内書「南アルプスと甲斐の山々」を発刊する。郷里にあっては農業を営むかたわら、村会議員、県会議員を務め、戦後は穂坂村村長、韮崎市文化協会会長、山梨県山岳連盟顧問などを歴任、地方の行政と文化の発展に尽くした。

内容
「日本南アルプス」(B-10参照)の著者による、南アルプスの山々を水源とする大井川、富士川、天竜川の上流地帯の谷歩きの報告書である。目次は順に、田代川、東俣川、西俣川、赤石沢、聖沢、尾白川、大武川、小武川、荒川、御勅使川、早川、三峰川、黒川川、戸中川、寸又川、冬の大井川、大井川下流となっている。巻末に「身延山の鳥類−小鳥の鳴き声を聴く」がある。

 「序詞」に「余の著作する山岳書は常に、その山岳の山麓に生れて、その山村に育ち、朝夕その皓例なる山岳に親しく接触し、思考してそれへの限りなき愛着心より生ずる郷土開発の使命の幾部分かを自負する以外の何物でもない。」とあるように、郷土愛から渓谷を実地踏査し、その奥深い、かつ美しい水の流れを叙述したものである。ほとんどが紀行文スタイルであり、その中に史実や動植物に関する文章を記す。

 安部川から中河内川に入り、大日峠を越えて、大井川を上流にたどった紀行には、
「大島の部落に着く。上坂本の少しく北へ百三十間もある長く細い吊り橋が懸かっていた。この辺のかわらは甚だ幅広く、水は網流になっている。川の中程に、草木の生えた岩が島の如く取り残されてあった。大島は二十二戸、大島澤の釣橋を渡ると又人家が二、三軒あって、その村端れの家が田代口の南アルプス案内者瀧浪要太郎方である。・・・・・」
と電源開発が入る以前の大井川上流が描写されている。そして、大井川上流奥の天然林の伐木の歴史について、
「伝説並びに資料を参照すれば、元禄五年より七、八ヶ年に亘って、江戸の商人、紀伊国屋文左衛門や、駿府の松木屋郷蔵等によって御用木を伐採せられたのを最初とするらしい。・・・・・」
など、大井川の歴史について探求する。

 平賀は、登山を楽しむと共に、故郷の動物、植物、歴史、民族などに広く興味をいただいて本書を記述していることは、「日本南アルプス」と同様である。一つの山域を水の流れを中心に探った書である。

山岳館所有の関連蔵書
日本南アルプス/平賀文男/1929/博文館
中央・南アルプス/1959/長尾宏也編集代表/宝文館
わが南アルプス/1976/白旗史郎/朝日新聞社
南アルプス1-4 日本登山記録大成16-19/1983/山崎安治他編/同朋社
北岳・赤石と南アルプス/今西錦司・井上靖監修/1984/ぎょうせい
南アルプス/1988/信濃毎日新聞社
南アルプス/田代宏/1988/グラフィック社
南アルプス/柏瀬裕之ほか/1997/白水社
 
Tweet| |
前
氷河と万年雪の山/小島烏水/1932/

次
高山深谷/日本山岳会編/1933
 
 
Copyright © 1996-2024 Academic Alpine Club of Hokkaido