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18.北海道の山岳(登山案内) 編者代表田中三晴//1931/晴林堂/376頁


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表紙
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日高登路概念図(1/20万)
日高登路概念図(1/20万)


北大山岳部創部期に活躍した以下の6名と晴林堂店主田中三晴が編者となっている。
館脇操(1924年農学部生物学科卒)、坂本直行(1927年農学実科卒)、沢本三郎(1928年農学部畜産科卒)、須藤宣之助(1930年農学部化学科卒)、井田清(1930年農学部畜産科卒)、山縣浩(1932年工学部機械科卒)

田中三晴:慶応大学山岳部OBで大島亮吉と同級。大正9年大島亮吉と共にクァウンナイ川から石狩岳を登り、石狩川を下る(参照:B-14、大島亮吉「山 研究と随想」)。北海道の夏山開拓者の1人。札幌山鼻に晴林堂書店を経営していた。


内容
 「序」は槙有恒が寄せている。同書が発行された1931(昭和6)年は、冬の石狩岳初登頂の3年後のまだ日高山脈の夏・冬の初登頂が試みられている時代である。そのような時代に発行された本書1冊のみで、もちろん北海道の山すべての案内が含まれているわけではないが、編者たちが道内の山の初登頂に勇猛に挑んでいた北大山岳部の錚々たるメンバーであるために、取り上げられている山の案内は、簡潔、的確である。編者代表の田中三晴は「はじめに」で次のように記し、本書が本道初の綜合登山案内書であると宣言している。
「今や本道山岳主要登攀を大体終わりたるも、未だ比等山岳に関する纏りたる登山案内書を見出さず、本州に於ける此の種の著書多きに比し、甚だ心寂しきを覚ゆ。ここに於て自分は前掲の数氏と共に、その足跡をたづねて、ここに一書をおくり出そうとするのである。」
 「日高山脈」の項を見ると、
「北部,中部の澤が急峻で、箱、滝の連続をなしているのに反し、南部の澤は非常に緩やかで歩行容易である。又北部の山々は、夙に多方面より登山せられ、且一般に知られているが、中部、南部は未だ余り登られず、未知のものが多い。」と紹介している。
 慶応大による夏のペテガリ岳初登頂が本書発行の1年後、北大が執念を燃やした冬のペテガリ岳初登頂は、本書発行から12年後であった。写真が14葉、1/20万日高登路概念図、十勝連峰冬期登路概念図など図版6葉が挿入、添付されている。箱入りの立派な装丁である。

山岳館所有の関連蔵書
記念 創立十五周年/北大スキー部/1926
北大山岳部部報1号(1928)〜3号(1931)
山とスキー 1号〜100号、 山と雪 1号〜10号
大雪山ー登山法及び登山案内/小泉秀雄/1925/大雪山調査会
北海道のスキーと山岳/加納一郎/1927/北海道山岳会
山ー研究と随想/大島亮吉/1930/岩波書店
山と雪の日記/板倉勝宣/1930/梓書房
 
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