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19.山 詩集 井田清(いだきよし)/1931/山と雪の会/180頁


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表紙
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伊藤秀五郎 詩集「風景を歩む」
伊藤秀五郎 詩集「風景を歩む」


井田清( ?−1957) 実業家、詩人、登山家
 東京に生れる、1930(昭和5)年、北大農学部畜産学科を卒業。北大山岳部創設期のメンバー。1926(昭和元)年2月、夕張岳にスキー登山、同年5月、ニセイカムシュペ、同年9月、赤岩山試登、1927(昭和2)年1月、上ホロカメットク、同年7月、ピリカペタン沢から札内岳、エサオマントッタベツ岳、1928(昭和3)年2月、石狩岳など数々の意欲的な山行をしている。
 井田の北大卒業後の消息は、当時の友人達が鬼籍に入った事もありはっきりしない。以下は断片的な情報による消息である。

山崎英雄(昭和18年入部、農学部生物学科卒業)は井田の思い出を次のように語っている。
学生時代の井田は、山崎春雄先生宅を良く訪問していた。ヘルヴェチア・ヒュッテの建設時、手伝いによく来ていた。戦中は騎兵隊に入っていたらしい、サーベルを下げて現れた。戦後も山崎宅へ2,3回来たが、来てもゆっくりせず、何か分らないが慌しく帰っていくのが常であった。
山の会時報6号(昭和12年12月)に掲載の中野征紀宛の手紙。
ヘルヴェチア・ヒュッテ10周年記念写真に対する御礼、10周年に出られなかったお詫び、ヘルヴェチアと山崎春雄先生とグブラーさんの思い出を綴った心温まる手紙である。最後に「この冬はまたまた支那で暮らしそうです。フラフラ歩き好きはますますつのるばかりです。」とある。
時報24号(昭和25年12月)の会員消息
編集者が井田の事務所を訪問した時のこと。「銀座資生堂3階に事務所があり、鳥羽湾の真珠研究所で真珠の養殖について偉大な発見をした由」というちょっと度肝を抜かれる話が載っている。続いて「近く氏の新しい詩集が発刊されるとのことである」とあるが、実際に発刊されたかどうか、定かでない。
会報44号(昭和51年8月)に桜井(南部)信雄の「1本のピッケル」という記事。
これは井田の死後、桜井が井田愛蔵のシェンクのピッケルを遺族から譲られるが、それが井田に渡るまでの経緯、シェンク親子のどちらが鍛造したものかなどを知人22名に取材した話である。井田の消息に関する部分を拾うと、 「彼は登山家であったが、又詩人でもあり、詩集「山」を出版し、何れかと言えばやや感情的な性質を持っていたように見受けられた。」「彼が渡欧したのは昭和8年8月(1933年)で・・・」「戦時中軍属として満州に居た間、知人がピッケルを預かり、帰国後再び彼の手に渡り大切にしていたものであろう。」桜井の話の結論は、井田は現地で父のシェンクから手に入れたものであろう、と結論している。井田は1933(昭和8)年夏、磯野計蔵(註)、案内人のサミュエル・ブラバンドとメンヒ、ユングフラウ、アイガーなどの山々に登った。桜井が述べている井田の「1本のピッケル」は、現在、北大山岳館の壁を飾っている。1本のピッケルにまつわる古い楽しい話である。

内容
 詩集「山」は、山と雪の会の発行、発行者は井田清、武者小路実篤が序を寄せている。“序詞 山”“谷間”“樹氷と掌”“瞼の奥”“クマ笹”“やまみち”“白粉をぬった女”“沼歩き”の8部から構成され、56篇の詩を載せている。
 山の出版の3年前、伊藤秀五郎は詩集「風景を読む」を出版している。題字は日夏耿之介(詩人)、跋は外山卯三郎(美術評論家)による箱入りの立派な装丁である(参照:上の写真)。井田の白表紙のあっさりとした装丁の詩集に比し、余りにも立派である。井田は、伊藤のこの詩集に影響されて自分の詩集を発行したのであろうか。伊藤の沈鬱で難解な詩と比べると、井田の詩は明るくて分りやすい。
日高の山

僕は喜んで居るのだろう。
こんなにも毛深い峰の上で
ハンモックのような這松に身を埋めて
松の香で一杯な山の蒼穹を見て居るのだから
そして朝焼けの雲海が薄い透明な曙の裡で
静かな夢の様に凪いで居る明け方
僕はそっと枯枝に火を移す。
又一日の山旅の始る朝の火を。

軽い朝風が火を吹いて
赤い火花が薄光の中で灯火の様に慓える頃
尾根の腹にはられた天幕の中では
網の魚の様にどいつも谷の方へずりこけたまま眠っている。
小さい天幕の嫌ひなアイヌ達は
冷たくひえた焚火の傍で
円く石の様に行儀よく眠り続けている。
谷側の体の下には枯木をかって
はみだしやうのない尾根の腹で
峰の広い胸に抱かれている彼等は
天幕の中に這入ると幼児の様にむづかるのだ。
ーつづくー
岩壁

あの岩壁の
うすい裂目に身をしのばせて
青黒い冬の水平線や
遠くの白い山々を見て居よう

岩陰で
私はこっそり
小さなパイフェをくゆらそう

夜には
そっと岩陰から空をのぞこう
何処か遠くの山では
氷や樹氷が闇にうす寒く鳴って居るだろう

私は寂しいから岩穴の中で炭俵をゆすぶって
その懐かしい氷や樹氷の声を聞かう
(樹氷は風でよく粉炭の様な音をたてるのです)


山岳館所有の関連蔵書
詩集 風景を歩む/伊藤秀五郎/1928/厚生閣書店/東京詩学協会版
頂/中村邦之助/1934/私家本
北大山岳部部報/1,2,3号
北大山の会会報/6,24,44号
山と雪/1,2号/山と雪の会
スイス山案内人の手帳より/岡澤祐吉/1987/ベースボール・マガジン社
(註)磯野計蔵(1907-1966)
東京商科大学山岳部OB。1930年8月、奥又白より前穂北尾根・西穂縦走、同12月、種池小屋から厳冬の鹿島槍登頂などの記録を残す。1933年3月〜1934年4月渡欧。明治屋第4代社長。
 
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