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10.婦人記者の大陸潜行記−北京よりカシミールへ エラ・マイアール 多賀善彦訳 1938 創元社
原題:Forbidden Journey from Pekin to Kashmir/1938/Ella Kini Maillart



Ella Kini Maillar(1903-1997) 女性探検家、写真家、ジャーナリスト
 ジュネーブで毛皮貿易商の長女として生れる。少女時代からスポーツ選手として有名で、ヨットでオリンピックのスイス代表、スキーで国際スキー大会に出場、ホッケーでスイス女子ホッケーチーム主将になるなど活躍した。イギリスのウェールズでフランス語教師として自活生活を始めたが、英語の片言も話せなかったので忽ち失敗し、生活に追われて色々な仕事に従事した。ある金持ちのヨット操舵手、スキー映画の俳優、クレタ島での考古学発掘調査員、等々である。1年間ベルリンに行ってドイツ語を勉強し、フランス語を教え、映画の端役に出演し、大抵は一日一食で生活した。
 惨めな生活に同情して50ドルを貸してくれる人があって、それを懐にモスクワへ行った。モスクワに5ヶ月間居て食料品工場に勤めたり、映画制作の仕事を研究したりした。その後ロシアのある調査隊に加わり、コーカサス山脈を北から南へ徒歩で縦断、その途中で犬に噛まれてひどい怪我をしたが予定の行程を歩き抜き、クリミヤ半島で養生をして、スキーをしにスイスへ帰った。1932年、その旅行記を発表し、紀行作家として認められるようになった。
 その年再びモスクワへ行き、単独でソ連領トルキスタンへ入る。天山山脈の5,000mの峰に立ってタクラマカン砂漠を眺め、憧れのシナ本土へ入ろうとしたが果たせず、キジル・クム砂漠を横断する。この旅行記もパリで出版され(註「トルキスタン単独行」)好評であった。1934年、「プチ・パリジャン」の特派員、並びに英仏両国の地理学会の委嘱を受けてアジアへ来遊。日本、満州を巡歴して北京に入り、ここで旧知のタイムズ紙特派員ピーター・フレミングと共に政情不安定な大陸を横断してカシュガルを経由し、パミールを越えてスリナガールに到る。これが本書「婦人記者の大陸横断記」である。
 この旅行後、1937年、1939年とイラン、アフガニスタンを旅行、大戦中の1940〜45年も数々の写真撮影旅行や著作、特派員報告を続け、かつ、印度の賢者の下で修行を行なった。印度での修行を終えてスイスに帰ったマイアールは、アルプス山中の標高2,000mのシャンドラ村に建てた「アチャラ荘」に落ちつくが、冒険心は衰えず、休むことなく講演や冒険旅行に励み、印度へも毎年でかけた。1951年に開国したばかりのネパールに入り、未だよく知られていなかったゴザインクンドの山地を探った。94歳でアチャラ荘で没。数々の写真、紀行文を残した。


内容
 本書は「17.韃靼通信」のピーター・フレミングと一緒の旅である。行程について同書を参照されたい。
 経歴の紹介にあるように、波乱万丈の生活を経験しながら教養を深め、感覚の鋭さを磨き上げた33歳の女性探検家にしてプチ・パリジャン特派員のエラ・マイアールが、イギリス人でタイムズ紙の特派員ピーター・フレミングと共に、1936年、混乱の中国を北京から蘭州、チャイダム盆地、崑崙山脈北縁を通ってカシュガルに到り、パミール高原から印度へ抜ける7ヶ月間、5,600キロの探検旅行記である。
 当時中国は、日本の関東軍が盛んに東北部への武力進出していた時期で、毛沢東率いる共産党軍と国民党の蒋介石軍との内戦が続いていた。新疆省(註:東トルキスタン)はウルムチの政変、東干軍(註東干とは中国系回族)の馬仲英の叛乱により治安が混乱しており、新疆への外国人の立ち入りが厳しく制限されていた(「28.彷徨える湖」参照)。

Highslide JS  一体トルキスタン(註:新疆地区)は現在どのような状況にあるのか、フランスのプチ・パリジャンの特派員として北京にいたマイアールは、通路は閉ざされ、ただ掴み所のない矛盾したニュースばかり聞かされるにつけ、どうしてもトルキスタンを自分の足で歩いてみたいと、旅行の為の情報を集めていた。このような時、旧知のタイムズ紙の特派員ピーター・フレミング(「17.韃靼通信」参照)と会い、同じ計画を持っていた彼とトルキスタンへの旅行に同行する事になる。

Highslide JS  2人が北京を出発する時は、内乱の新疆省の事情は何も分らなかった。蘭州まで行っても、西寧まで行っても、ツァイダムまで行っても分らなかった。しかし、困難に直面するといつもマイアールの経験と機知が地元民の協力を導き、その場その場を無事に切り抜けることが出来た。マイアールの生来の明るさと知性で描写される砂漠に生きる人々の風俗や広漠たる風景は、本書を興味津々たる探検旅行記にしている。
 旅行の内容については、フレミングの「韃靼通信」に記述している。

山岳館所有の関連蔵書
  • 韃靼通信/ピーター・フレミング/川上芳信訳/1940/生活社
  • 彷徨へる湖/スウェン・ヘディン/ 1943/筑摩書房
  • 中央アジア踏査記/オーレル・スタイン/ 1939/大東出版社
  • 西域探検紀行全集15 コンロン紀行/スミグノフ,S/1968/白水社
  • 西域探検紀行全集14 ダッタン通信/フレミング,P/1968/白水社
  • 西域探検紀行全集別巻 中央アジア探検史/深田久弥/1973/白水社
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