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17.韃靼通信 ピーター・フレミング 川上芳信 1940 生活社
原題:News from Tartary−A Journey from Peking to Kashimir/1936/Peter Roberts Fleming



ピーター・フレミング(1907-1971)作家、ジャーナリスト、旅行家
 英国で陸軍少佐の長男として生れる。イートン校からオックスフォードに進み、英文学で第一等の成績を収めて1929年卒業する。卒業後は広範囲な旅行を始めるが、初めはタイムス紙の特派員としてであった。1934年8月、トルキスタンからシベリア鉄道経由で満州に入り、日本支配下の満州の状況を報じたことで注目を集めた。引続き中国、朝鮮を旅行、その間にエラ・マイアールと知合い(10.「夫人記者の大陸横断記」参照)、2人は7ヶ月5,600キロに及ぶ大陸横断旅行を行なう(本書)。
 1939〜45年、第二次大戦に従軍、1951〜54年、軽歩兵隊に勤務し、中佐に進級、大英帝国勲章OBEを授与される。映画「逢びき」(1945年、イギリス映画、デヴィッド・リーン監督)のシリア・ジョンソン(アカデミー主演女優賞受賞)は夫人、「ジェームス・ボンド・シリーズ」、「チキチキバンバン」で有名な作家イアン・フレミングは弟。本人自身も多くの優れた旅行記や史伝を残している。

内容
Highslide JS  本書は「10.婦人記者の大陸横断記」のエラ・マイアールと一緒に行なった旅行である、同書も参照されたい。 1935年2月半ば、エラ・マイアールとフレミング、それに道案内人としてツァイダムで5年以上暮したことのあるロシア人のスミグノフ夫婦の4人連れは、汽車で北京を出発する。不本意な乗換えなどをさせられながら西安まで汽車で、そこからトラックで山のように積んだ荷物の上から振り落とされまいと力一杯しがみついて蘭州に到着する。蘭州では省政府からの旅行許可を得るのに苦労した挙句に出発を許されるが、頼りのスミグノフ夫婦は天津へ送還せよという通告を受ける。フレミングは悲憤慷慨するがどうしようもなく、これから先マイアールと2人で旅を続ける他なかった。

Highslide JS  西寧でもやはり禁足を食い、ツァイダムへの当局の許可取得に10日を要した。ようやく案内人1名と駱駝4頭、馬2頭で西寧を出発、途中大編成の隊商に出会い、それについてココ・ノールのあるツァイダム盆地へ入った。ズンチャで隊商から離れて、駱駝の調達に苦労しながら西へ向う。ティジナールからは国境警備隊に掴まることを恐れて、普通のルートを避けボコン・コルの谷へ入った。2人の旅行ルートは大部分がよく知られた道であったが、ティジナールからイシク・バクテへ出るまでの間道は、未知の部分で生やさしい道ではなかった。途中道に迷い、マイアールの愛馬は疲労で死に、食料、水を欠く旅となった。ようやくボコン・コルの谷を抜け、アヤク・クム・クル湖へ出る。バシュ・マルグンを経て、ようやく西域南道にあるオアシス、チェルチェンへ出た(14.「中央アジア踏査記」参照)。北京を発ってから4ヶ月目であった。

Highslide JS  ここから西のコータンまで、コータンからさらにカシュガルまでの道は、玄奘三蔵、マルコ・ポーロ、その後多くの先人の辿った道である。カシュガルには英国領事館があり、そこで2人は大歓迎を受ける。カシュガルからパミール高原を通り抜けて、ギルギット迄も昔からのキャラバンルート、すなわち、チチクリ峠、タシュクルガン、ミンタカ峠、フンザと辿る。スリナガールに到着して2人の旅は終わった。北京を出てから7ヶ月、踏破した距離は5,600キロであった。

Highslide JS  2人が通ったルートについては、一部を除いて古来、求法者や探検家により旅行記が書かれており、新しい発見があったわけではなく、また彼らは旅行中に地形学や考古学などの学界に貢献するような収穫を上げたわけでもなかった。しかし、ヘディンやスタインのように多くの召使と駱駝や騾馬を何十頭も率いての大キャラバンと異なり、彼らの行く手に何が待っているか分らないという情勢の中で、行く先々で案内人と駱駝を調達しながら進む小さなキャラバン隊のスリルに満ちた旅行記である。

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註:著者の韃靼についての解説(序文から)
「韃靼とは正確な意味における地理上の名称ではない。「基督教国」といふが如きものである。韃靼とはヨーロッパ及びアジアを蹂躙せんとして、韃靼人がやって来た土地のことである。韃靼人はかつて極めて雑多な種類があったために、ある時はカスピ海から朝鮮に亙る長城の外全部をこの名称で呼んだ時もあった。しかし現在では、もしこの名称を適用しうるとすれば、それは新疆省(支那トルキスタン)及びそれに境する高地にのみ適用される。即ち我々の旅行した地域がこれである。」


山岳館所有の関連蔵書
  • 婦人記者の大陸潜行記−北京よりカシミールへ/エラ・マイアール/ 1938/創元社
  • 彷徨へる湖/スウェン・ヘディン/ 1943/筑摩書房
  • 中央アジア踏査記/オーレル・スタイン/ 1939/大東出版社
  • 西域探検紀行全集15 コンロン紀行/スミグノフ,S/1968/白水社
  • 西域探検紀行全集14 ダッタン通信/フレミング,P/1968/白水社
  • 西域探検紀行全集別巻 中央アジア探検史/深田久弥/1973/白水社
  • 中央アジア関係多数
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