ログイン   :: お問い合せ :: サイトマップ :: 新着情報 :: おしらせ :: 
 
 
メニュー
前 次

13.孤独−氷の家の記録 P.E.バード少将 大江専一訳 1939 大東出版社
原題:Alone/1938/Richard Everyn Byrd


Highslide JS
表紙
表紙
Highslide JS
リチャード・バード
リチャード・バード
Highslide JS
氷の家
氷の家
Highslide JS
(上)リトル・アメリカ
(下)ロス海棚氷に接岸
(上)リトル・アメリカ
(下)ロス海棚氷に接岸
Highslide JS
(上)飛行機が墜落
(下)トラクターと技師達
(上)飛行機が墜落
(下)トラクターと技師達

Richard Evelyn Byrd(1888-1957) 米海軍軍人(少将)、飛行家、探検家
 米バージニア州ウィンチェスターの名門家庭に生れる。14歳で世界一周の一人旅を行なう。15歳で陸軍士官学校に入学するが、18歳の時、法律家の父の勧めでバージニア大学へ転校し法律を学ぶ。しかし、事務所での生活に向いていないと悟り、19歳で海軍兵学校、次いで海軍大学と進み、軍艦の砲兵将校となる。大学時代の激しいクラブ活動で骨折した足が軍務に耐えられないとして除隊させられるが、アメリカが第一次世界大戦への参戦準備を急いでいた関係から、2ヶ月後に海軍に呼び戻されて航空隊に所属した。  1925年、米地理学協会のドナルド・マクミラン北極探検隊に参加、エルズミア島及びグリーンランドの氷原上空を飛行した最初の人間となった。
 1926年5月9日、スピッツベルゲンからフォッカー単葉機で飛び立ち、北極往復飛行に成功し、少年時代からの念願であった北極点上空に達した。
 1927年、大西洋無着陸飛行に挑んだが、フランス海岸に不時着、パリ一番乗りをチャールズ・リンドバークに譲った。
 1928年8月25日、飛行機3機・雪上車・95頭の犬・500トンの資材・82名の隊員を4隻の船に積んでロス海クジラ湾から南極に上陸、リトル・アメリカと名づけた地点にベースキャンプを構えた。11月29日、4名の飛行士と共にフロイド・ベンネット号で極点へ向けて基地を出発した。リイブス氷河沿いに進路をとり、南極山脈にぶつかりそうになりながら3500mの峠を越えて、極点上空に到達、出発から18時間39分後に基地に生還した。一方、犬そりを用いた地理・地質調査も実施、火薬による人工地震の先鞭をつけた。
 この後もバードの南極探検は、リトル・アメリカを基地として大型無線台を据え付けて、毎日直接ニューヨークと通信を交わしながら探検を進めた。
 1929年、少将に昇進。
 1933年、自身で組織した米南極科学調査団長として100名の隊員・4機の飛行機・4台のトラクター・犬そり隊1チームを持ってリトル・アメリカへ上陸、空と地上から内陸の広範囲な探検を行なった。主たる目的の一つはロス棚氷上に前進気象観測所を設置し、越冬観測をすることであった。1934年3月〜8月の5ヶ月間、バードは一人でこの観測所に滞在し、観測を行なった(本書「孤独」)。
 1935年、国営南極探検を大統領に要請する。
 1939〜41年、第二次大戦後の南極大陸の領土分割に加わる時に備えての地図作りに国営探検隊を率いて出発、ロス海とグラハムランドの2ヶ所に基地を建設し、空と陸から広範囲な探検を行なった。
 1946〜47年、ハイジャンプ作戦と銘うったアメリカが南極へ送った最大、かつ最新科学の粋を集めた探検隊の指揮をとった。科学者300名を含む4100名の人員・13隻の艦船・19機の飛行機・4機のヘリコプター・潜水艦1隻からなる。西、中央、東の3隊に分かれて新たな地域が探査され、発見または確定された海岸線8600km、約2250kmにわたる海岸線の航空写真と地図、また南極が一つの大陸であることが確認するなど多くの成果を得た。
 1956年1月、ティープ・フリーズ作戦と呼ばれる第5次南極探検行で、最後の極点上空の飛行をおこなった。
 1957〜58年IGY(国際地球観測年)には合衆国の計画責任者として参画した。
第二次南極遠征(1933〜1934)の4ヵ月半に亘る単独越冬で蝕まれた心臓の悪化が原因で、1957年月11日、ボストンにて死去、68歳。日本の昭和基地でも西堀越冬隊長以下、この偉大な探険家の冥福を祈った。


内容
 飛行機で極点到達を果たした最初の南極探検から4年後の1933年、バードは再度、飛行機4機・船2隻・100名の隊員を率いてリトル・アメリカに上陸した。主な目的は、ほとんど知られていない南極内部の気象データを得るために、プレハブ製の前進気象観測所を設置し、越冬して気象観測を行なうことであった。

 「当初この観測所には気象係2人と無電係1人を置く予定であったが、物資輸送を期待したトラクター4台の潤滑油やラジエーターの水が凍結するなどのトラブルが続いたため、また冬が到来して充分な物資を輸送できなかった。」
 一方、4mに5mの凡そ10畳ほどの大きさのプレハブ小屋は、基地から南方へ125マイル(約200km、南緯80度6分)の地点のロス氷床に、3月末のマイナス50〜60度に達する過酷な気象条件の中でようやく組み立てられた。雪を掘って半ばまで埋められたプレハブ小屋の屋根には百葉箱があり、風速計が立てられ、アンテナもあった。しかし、ハッチ式の入り口扉はしっかり閉まらなかったし、また室内を暖めるストーブも壊れていた。

 物資不足から隊員を減らさざるを得なくなった時、バードはこの観測所を守るために1人で留まる決心をした。
「1934年、南極の冬の夜、ただ1人私が、配備していたボーリング前進測候基地は、リトル・アメリカと南極間にある渺々たる暗黒のロス棚氷の一角に設けられた。それは世界最南端の大陸に設けられた最初の南極観測所だった。そこで冬篭りする私の決心は、おそらくリトル・アメリカの隊員たちでさえ容易に推察することはできなかった。それというのも、前進基地に数名の所員を配する当初の計画が、さまざまな障害のために不可能と分ったからであった。その結果、この前進基地と、それに伴う科学的使命をすべて放棄するか、また自分自身をそこに配備すべきか、のいずれか一方を選ばねばならなかった。私はどうしてもそれを断念することはできなかった。」

 バードの単独越冬は開始されたが、次々とアクシデントに襲われ、健康が著しく損なわれていった。しかし、強固な意志を持ってこの苦難を乗り越えていった。
 5月のある日、バードは観測の為に戸外に出たが、雪嵐に見舞われ、小屋の入り口へ戻ることが出来なくなった。這いずり回っているうちに、偶然にプレハブのベンチレーターを掴んだ。

「南極の夜の雪嵐には言語に絶した残酷なものがある。その執念深さは風速計の紙上では測定できない。それは風以上のものである。寄せ波のように激しく打つ疾風の力で動いている堅固な雪の壁である。」ようやくシャベルを探り当て、雪を掘って扉への道をつけ、何とか観測所の中へ入った。

 同じ頃、無線機の調子が次第に悪くなった。その上、ストーブの煙突の不調や発動機の排気ガスの滞留などのために一酸化炭素ガス中毒をおこした。落命すれすれの危機に見舞われながら、バードはこうした難局を一言も基地に知らせなかった。基地では交信の調子から何か異変が起こっているに違いないと判断し、6月、副団長のブールタール博士は救援隊を派遣したが、雪嵐とマイナス50度の極寒に阻まれて、基地から54kmの地点から後戻りせざるをえなかった。救援隊が到着できたのは8月中旬であった。この時すでにバードは重病人であり、動かすことができず、基地へ連れ戻すまでに2ヶ月の静養が必要であった。
 体力の回復を待って、飛行機でようやくリトル・アメリカに帰った。心臓にひどい打撃を受けていたが、バードはそんなことを露ほども人に洩らさずに、リーダーとしての役割を果たし、探検隊は貴重な観測資料を携えて、1935年2月初旬、南極を後にした。

山岳館所有の関連蔵書
  • Scott’s Last Expedition (1)(2)/L.Hurley/1913
  • Expedition South/W. Ellery Anderson/1957
  • The Crossing of Antarctica/J.Fucha, V. &E.Hillary/1958
  • South, The Endurance Expedition/E.Shackleton/1999
  • 南北極地探検記/加宮貴一/講談社/1937
  • 孤独/R.E.バード少将/大江専一訳/大東出版社/1939
  • 白瀬中尉探検記/木村義昌・谷口善也/大地社/1942
  • 南極の征服(上)(下)/ロアルト・アムンゼン/道本清一郎訳/淡海堂/1943
  • バード南極探検誌/R・E・バード/緑地社/1946
  • 極地を探る人々/加納一郎/朝日新聞社/1950
  • 南極物語/ド・ラ・クロワ/近藤等訳/1958
  • 南極横断 地球最後の冒険(上)(下)/V.フックス/山田晃訳/白水社/1959
  • アムンゼン探検史/加納一郎/平凡社/1962
  • 20世紀を動かした人々―未知への挑戦者/加納一郎他/講談社/1963
  • アムンゼンとスコット ー南極点への到達に賭けるー/本多勝一/教育社/1968
  • 白い大陸/W.サリバン/田中融二訳/早川書房/1968
  • スコット/Pブレンド/高橋泰郎訳/草思社/1969
  • 極地探検/加納一郎/社会思想社教育文庫/1970
  • 極地探検物語/近野不二男/玉川出版社/1976
  • 南極点/ロアール・アムンゼン/中田修訳/朝日新聞社/1994
  • 世界最悪の旅/チェリー・ガラード/戸井十月訳/小学館/1994
  • その他極地関係多数
 
Tweet| |
前
12. アルプス及コーカサス登攀記/ママリー/1936

次
14. 中央アジア踏査記/スタイン/1939
 
 
Copyright © 1996-2020 Academic Alpine Club of Hokkaido