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28. ゴビ砂漠横断記−瑞・支共同科学探検−/スウェン・ヘディン/隅田久尾訳/1943/鎌倉書房/570頁 原題:Across the Gobi Desert/1931/ Sven Hedin


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表紙
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スウェン・ヘディン(1868-1962) 地理学者、探検家
 略歴は「中央亜細亜探検記」参照

内容
 チベット探検(「西蔵征旅記」参照)から20年近いブランクを経て、1926年11月20日、ルフトハンザ社との提携による新疆省上空横断飛行計画を遂行する為に北京に赴いた。これは沙漠の地上から到達し難い諸地点の上空を飛行して様々な情報を取得し、合わせて地上からは地形、地質、考古学、生物学、民族学、三角測量、5箇所の固定気象観測所の設置による気象観測など、各専門家による広範な内容の調査を行ない、沙漠の実態を明らかにするという大計画であった。また、その総合によって中央アジアの乾燥化の謎を解明するという意図も持っていた。
 しかし、この計画はスタインらヨーロッパの考古学者による多量の古文書や壁画などの国外持ち出しに危機感を抱き、ヨーロッパ人による探検に怒った中国知識人たちの猛反対に遇う。ヘディンは粘り強く反対派と交渉、その結果中国人学者を交えた共同の調査探検隊「西北科学考査団」(Sino-Swedish Expedition)を結成する事に成功した。包頭考査団の調査は1933年まで続くが、本書はパオトオからウルムチまでのゴビ砂漠横断の部分を詳しく述べたもので、26章からなり、巻末にロブノールについて考察した「彷徨する湖・ロブノール」1〜4が付されている。

Highslide JS 中国側10人、スウェーデン・ドイツ側18人からなる調査団は、1927年5月20日、全装備を232頭の借用ラクダの背につけ、パオトウを出発した。静かに出発する一行を見て、さすがのヘディンも感慨に耽った。

「私の多年の夢はついに実現した。私達は中央亜細亜へ、巨大な涸れた河床のように旧世界の全体を覆う砂漠地帯への途上にある。私達は今や大きな任務と神秘な冒険への途上にある。」

 5月28日、百霊廟付近のオアシス、フチョルト・ゴルの固定キャンプに着く。ここで借用ラクダを返し、新たに200頭を購入する。ここからキャラバンは北方隊、南方隊、本隊の3隊に分かれて出発した。ここには気象固定観測所が設けられ、中国人学生への気象観測技術の訓練が行なわれた。ヘディンは22番目の幕営地のシャンデ・ミアオに到着後に持病の胆石の発作に襲われ、2週間の滞在を余儀なくされた。8月29日ようやく小康状態を得て出発し、いよいよゴビ砂漠の核心部へと進む。

Highslide JS「一日、一日と私達は西へ移動し、しかも私達は常に無限の砂漠の中心にいた。そこには殆んど植物の影もなく、その日その日の水もなく、生物の姿もなかった。ただ一度蜥蜴が走りすぎた。」

 11月9日、ハミへ向けてエチン・ゴルを出発する。アラシャン沙漠は砂が深く、時々猛烈な砂嵐に見舞われ、その上、すでに冬の到来した砂漠のキャラバンは、連日、強風と寒気が襲う。疲労と食料不足でラクダは次々と倒れていった。ヘディンはまた胆石の発作に襲われ、急造担架に担がれて進んだ。11月23日、キャラバンはついに厳冬のハミに到着した。パオトウから6ヶ月の旅であった。

Highslide JS こののち天山山脈を越えてウルムチへ向うが、途中のトルファンでヘディンは現地住民から驚くべき話を聞く。それは7年前にコンチェ・ダリヤ(ダリヤ=河)の水がクム・ダリヤの河床に流れ込み、それ以来ずっとそこを流れているという話であった。

「どれほどの喜びと満足とを持って私がこのニュースに接したかは、何人も想像できるであろう。というのは私はこの事は、殊に私が1900年及び1901年に亙りロブノールとそのデルタに長く滞在していた時に、予言していたことであったからである。私はタリム河の諸支流を振り子に、ロブノールをその下端の分銅に擬え、これが砂漠の南部と北部とに交互に揺れるとしておいた。」

 ヘディンはこの旅ではロブノール再訪を果たすことは出来なかったが、5年後の1934年4月、別に編成した調査団により新生ロブノールの調査を行なうことが出来た。(「彷徨へる湖」参照)

Highslide JS 9月26日、ウルムチに到着、新疆省総督の楊増新の手厚い歓迎を受け、新疆における科学調査の許可をもらったが、肝心の飛行計画は政治的な理由として許可を得られなかった。各調査班が夫々の部署についたのを確認すると,ヘディンはルフトハンザ社と善後策を協議する為に、また内陸アジア全域に散った調査隊の資金調達のためにドイツ人飛行士4人と共にベルリンへ帰った。
 ヘディンはストックホルムで探検に協力的であった新疆総督の楊増新が暗殺されたというニュースを新聞で知り愕然とする。そして現地で調査を続けている科学者達を気遣うところで本書は終っている。
西北科学考査団は、1933年10月、7年間の調査を終えた隊員たちが帰化城へ返ってきた時にようやく完全に終了した。

山岳館所有の関連蔵書
ヘディン著作
  • Transhimalaja- 1,2/1920/ドイツ
  • The Wandering Lake /1940/イギリス
  • ゴビ砂漠横断記/隅田久尾訳/1943/鎌倉書房
  • ゴビの謎/福迫勇雄訳/1940/生活社
  • 彷徨へる湖/岩村忍・矢崎秀雄訳/1943/筑摩書房  
  • 赤色ルート踏破記/高山洋吉/1939/育成社
  • 探検家としての世の生涯(内陸アジア探検史)/小野六郎訳/1942/橘書店  
  • 西蔵征旅記/吉田一郎訳/1939/改造社
  • 中央亜細亜探検記/岩村忍訳/1938/冨山房  
  • 独逸への回想/道本清一郎訳/1941/青年書房
  • 熱河/黒川武敏訳/1943/地平社  
  • リヒトフォーフェン伝/岩崎徹太訳/1941/
  • 西蔵探検記/高山洋吉訳/1939/改造社
  • ヘディン探検紀行全集全15巻、別巻2巻/監修:深田久弥、榎一雄、長沢和俊/1979/白水社
  • ヘディン素描画集/ヘディン文・モンデル編/金子民雄訳/1980/白水社
その他関連図書
  • ヘディン 人と旅/金子民雄/1982/白水社  
  • ヘディン伝 偉大な探検家の生涯/金子民雄/1972/新人物往来社
  • ヘディン蔵書目録(山書研究25号)/金子民雄編/1981/日本山書の会
  • その他中央アジア関連多数
 
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