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27.或る登攀家の生涯/ウィリー・メルクル/長井一男・松本重男訳/1943/昭和刊行会/297頁
原題:Ein Weg zum Nanga Parbat/1936/ Willy Merkrl


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表紙
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ウィリー・メルクル
ウィリー・メルクル

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グラン・シャルモ北壁
グラン・シャルモ北壁
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ウシュバ双峰
ウシュバ双峰

ウィリー・メルクル(1900-1934) 登山家、鉄道技師
 ドイツ、ザクセンワイマールの小都市カルテンノルドハイムに生れる。14才の頃からは1人で山を歩くようになり、級友に終生の信頼できる友人となるフリッツ・ベヒトールトという山好きを仲間に得てからは、2人で週末毎に登山に出かけた。1917年、トロスベルグのバイエルン工業学校電気科に入学、翌1918年兵役に服し、ベルギーの戦線に送られた。1918年に帰還し、登山とスキーを再開する。1920年、ニュールンベルグ国立技術学校入学、1923年に卒業し、国有鉄道に就職、同時にドイツ山岳連盟に加入し、積極的にアルプスの岩壁に挑む。
 1929年、ベヒトールトらとコーカサスに入り、コシタン・タウ(5145m)、ウシュバ(4710m)などに登る。1931年夏、ヴェルツェンバッハとモンブラン山塊のグラン・シャルモ北壁を完登する。1932年、ドイツ・アメリカ合同隊の隊長としてナンガ・パルバットに挑むが、ラキオト・ピーク(7047m)で撤退する。1934年、再度隊長としてナンガに挑戦するが、暴風雪の中を7480mの最終キャンプから下降中に、親友ヴェルチェンバッハ、ヴィーラント、それにシェルパ6名と共に遭難死した。本書の編著者カール・ヘルリッヒコッファーは義弟。


カール・ヘルリッヒコッファー(1917-  )医師、登山家
 再三にわたるナンガ・パルバット登山の組織者。義兄メルクルの命を捧げた山に対する執念を引継ぎ、1953年にナンガ・パルバットの初登頂成功をもたらした。初登頂ののちも1961年、西面のディアミール谷試登、1962年、同初登頂、1963年、南壁=ルパール谷側試登、1964年、ルパール谷冬期試登、1968年、ルパール谷試登、1970年、ルパール壁初登攀と相次いでナンガの新ルートを開拓する登山隊を率いた。登山の組織、運営面ではかなり強引な所があり、隊員とのトラブルが多発した。退却命令を無視して初登頂に成功したヘルマン・ブール、ルパール壁からの登頂を果たしたラインホルト・メスナーとは訴訟沙汰まで起している。


内容
 本書の著者がカール・メルクルとなっているが、原書はWilly Merklである。ウィリー・メルクルとカール・ヘルリッヒコッファーをつなぎ合わせたようなカール・メルクルという著者名は、翻訳者の意図的なものなのか、出版社の誤りによるものか分らないが、ここでは原書どおりウィリー・メルクルとしておく。
 内容はメルクルの義弟ヘルリッヒコッファーがメルクルの生涯を綴るといった形式である。原書の出版が1936年であり、ナチが破竹の勢いでその勢力を延ばしていた時代の書であり、国威発揚めいた序文が加えられているが、国家とか、時代といったものを超越した1人のアルピニストの山への果敢な生涯を見ることが出来る。ヘルリッヒコッファーは豊富な資料を駆使してノンフィクションとして書き上げている。

 序章の「兄メルクルの印象」では、生い立ちからナンガ・パルバット遭難までの伝記を、「登山家メルクルの足跡」ではアルプスにおける登攀の記録を、「登攀家の手記」ではメルクルの遺した山日記をもとにアルプス、コーカサス、第1回ナンガ・パルバット遠征などの意欲的な登攀の詳細を、最終章の「ナンガ・パルバットに逝く」では悲劇的な遭難となった第2回ナンガ・パルバット遠征について詳述している。

 1931年夏、メルクルは親友ヴェルツェンバッハとグラン・シャルモ(3444m)の標高差900mの北壁に取り付いてから2日目、頂上まであと100mのところで間断のない暴風雨と吹雪に襲われた。ようやく腰を下ろすことが出来る小さな岩棚にツェルトを張って4日4晩を過ごした。(「登攀家の手記」)
 「この狭い場所では足を延ばすことも、座ることも出来ない。足を延ばしたいと思えば、それは立ち上がる外に手段はなかった。このようにして60時間の長い間をしゃがみ、60時間を立って過ごさねばならなかった。やがて天幕を打つ雨の音が何時間の間にか雪に変わって来た。そして堪えられないほどの寒気が、ひしひしと襲ってきて身に沁みて来る。」
 ビバーク開始から5日目の朝、僅かな晴れ間を利用して出発するが、またも吹雪となる。100mの岩壁を登るのに9時間を費やして、ついに頂上に達した。それは6日間の死闘の末のアルプス北壁登攀史に残る快挙であった。

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ナンガ・パルバット
ナンガ・パルバット
 最後の章「ナンガ・パルバットに逝く−1934年第2回ヒマラヤ遠征隊」は、1932年の第1回に引き続き、メルクルが率いる第2回遠征隊の遭難に至るまでの記録である。
 ドイツは戦前、5回のナンガ・パルバット遠征隊を送っている。詳しくは「6.ヒマラヤに挑戦して:ナンガ・パルバット」ベヒトールト著、及び「9.ヒマラヤ探査行:ナンガ・パルバット攻略」バウアー著を参照されたい。


山岳館所有の関連蔵書
  • Nanga Parbat 1953/K.H.Herrligkoffer/1954/ドイツ
  • ヒマラヤ探査行 ナンガ・パルバット攻略/小池新二訳/1938/河出書房
  • ヒマラヤに挑戦して ナンガ・パルバット1934登攀/フリッツ・ベヒトールト/小池新二訳/1937/河出書房
  • ヒマラヤ探査行/パウル・バウアー/小池新二訳/1938/河出書房
  • ナンガ・パルバットの悲劇/長井一男/1942/博文堂
  • ある登攀家の生涯/カール・メルクル/長井一男,松本重男共訳/1943/昭和刊行会
  • チベットの七年/ハインリッヒ・ハーラー/近藤等訳/1955/新潮社
  • ナンガ・パルバット登攀史(ヒマラヤ名著全集)/パウル・バウアー/横川文雄訳/1969/あかね書房
  • 八千メートルの上と下/1974/ヘルマン・ブール/横川文雄訳/1974/三笠書房
  • ナンガ・パルバット単独行/ラインホルト・メスナー/横川文雄訳/1981/山と渓谷社
  • ナンガ・パルバット回想 闘いと勝利(山岳名著選集)/ヘルリッヒコッファー/岡崎祐吉訳/1984/ベースボールマガジン
  • 裸の山 ナンガ・パルバット/ラインホルト・メスナー/平井吉夫訳/2010/山と渓谷社
  • ナンガ・パルバット登山報告書/札幌山岳会/1985
 
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