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25.一登山家の思い出 エミール・ジャベル 尾崎喜八訳 1937 龍星閣
原題:Souvenirs d'un Alpiniste/1920/Emile Javelle


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表紙
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原書表紙
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グリューンエクホルン(3869m)
グリューンエクホルン(3869m)


エミール・ジャベル(1847-1883) 登山家、哲学者、文学者
 1847年、南フランスの仏伊国境に近いアルプ・マリティムの古い町サン・テチェンヌに生まれた。3歳の時、両親とともにパリに移った。植物研究者の叔父の感化で幼い頃よりアルプスに魅せられる。14歳の時、あるカトリック神学僧団の修道僧となったが、その苦行生活から健康を害し実家に帰る。その後、2,3の私塾を経て、父親がスイスのバーゼルで新しく始めた写真スタジオを手伝うが、継母との折り合いが悪く出奔、パリで写真屋に就職する。しかし、ジャベル17歳の時、父親のたっての願いでスタジオへ帰り、助手として働くことになった。であった。スタジオでの仕事の傍ら時間を作っては読書に励み、結果、哲学に惹かれていった。1868年21歳の時、友人の父の斡旋でスイス・ヴヴェで寄宿学校のフランス語教師の職を得た。幼少からの変化の激しい生活から抜け出し、ようやく研究と登山を安定して続けられることとなった。1874年にはヴヴェの町の高等学校のフランス語とフランス文学の教師となった。ヴヴェでは人々のために尽くし、町中の人から敬愛された。
 レマン湖畔のヴヴェからその麗姿を眺め暮らしていた、またジャベルの最初の山行の対象であった名峰ダン・デュ・ミディを終生熱愛した。ヴァリス・アルプスやモン・ブランの山群におもむき、1871年、ティンダル(J.Tyndall 1820-1893)の足跡を慕ってワイス・ホルンを、翌年はウィンパー(E.Whynper 1840-1911)の後を追ってマッターホルンに登った。1876年にはダラン・パラディソ(4061m)北東稜第2登、モン・ブラン山群のトゥ―ル・ノワール(3824m)初登頂を記録、1870年代のアルプスに彩りを添えた。
 こうした行動は数々の紀行・登攀記として発表されたが、年とともに磨きのかけられた彼の文学的資質はこれらの記録を一級の文学作品に仕上げた。中でもトゥ―ル・ノワールの初登頂についての叙述は、山岳文学の最高傑作の一つとされる。死後、友人たちの手によってまとめられた“Souvenirs d’un Alpiniste”(「一登山家の思い出」尾崎喜八訳)は、山岳文学の古典の一つとしての評価を得、わが国の登山者、とりわけ静観派と呼ばれる人たちに愛読された。
 山でアクシデントで強く胸を打って以来、医師から登山を禁止されていたにもかかわらず登山を続けたために病気が悪化し、1883年、36年の短い生涯を閉じた。幼少時の体験から敬神の念が強く、「アルプスの伝道者」と呼ばれた。

内容
 本書「一登山家の思い出」はジャベルの死後、その残した手記から友人のエドワール・ベラネック教授が登山紀行17編、随筆1編を選んで年代順に編纂して出版したものである。ジャベルはウィンパーやママリーやティンダルのような大登山家とはみなされていないが、山岳文学の古典として残る本書の著者としての地位は高い。友人のE.ランベールは序「エミール・ジャベル」で彼の登山について次のように述べている。

「ジャベルは山に対して一つの熱情を持っていた。彼には永くアルプスの脚下を離れて生きる事は出来なかった。アルプスは彼の上に一種の魔力をふるっていた。彼の心は平野の風景の魅力を等しく理解する程に自由だった。しかし、アルプスの自然が形と現象との種々相をもって人格的象徴の無尽蔵の世界を彼に提供した時、平野の風景は彼の眼には単に風景としか映らなかった。遥かに見える山頂、それは彼自身だった。あの別の山頂、それも亦彼自身だった。 〜中略〜 彼が山頂に達することは、学者が何かを発見する喜び、才能の士が追及して遂に至上の努力によって見出す喜び、それに似た喜びを手に入れる事だった。」

「トゥ―ル・ノワールの初登攀」の中の次の一文は、ジャベルのアルプス初登攀の感激を記したものであるが、山に対するほとばしる情熱を見ることができる。

「未だ何人の足も置かれた事のない或る山頂を踏むことには、単なる自負の満足意外に全く別な何物かがあるのである。其処には魂の奥底に直接触れる一つの痛々しい独特な感じがある。それは、これらの岩が最初に存在して、大空の下にその誇らかな裸体を掲げた数へ切れない時以来、何人も未だ其処を訪れず、如何なる眼も今君の見ている物を見ず、世界の開闢以来其処につづいていた沈黙を破った最初の声が君の声であり、そして人類の最初の代表者として此の野生の領域へ現れる特権を受けた者が、群衆の中から偶然にも選抜された人間、即ち君であるという事を、君が自分に言って聞かせる事に他ならない。〜中略〜
 我々の野蛮な祖先が、当時まだ森林におほわれていた、そして其処に今日では我々の耕作地や都会が広がっている土地を、初めて自分達の物にした頃、もしも或る小高い所へでも登るような事があると、彼らは一つの石の小山を積み上げた。古いケルト語を保存している英吉利の登山家達が、いまだ口にするあの積(ケ)石(ルン)を。同様に吾々も、自分達の山の処女山頂をきはめる度に、太古の伝統にしたがうというよりも寧ろ一種の本能から、同じ事をする。そしてその積(ケ)石(ルン)は、彼等祖先にとってと同様に吾々にとっても亦、単に個人的な虚栄心の記念碑ではないのである。それは何よりも先ず次のような事を意味する。『人間が此処へ来た。今日以後この一角は人間のものである。』」

山岳館所有の関連蔵書
  • アルプス登攀記 E.ウィンパー 新島義昭訳 1980 森林書房
  • アルプス登攀記(上)(下) J.ティンダル 浦松佐美太郎訳 1993 岩波書店
  • アルプスの氷河 J.ティンダル 矢島祐利訳 1932 岩波書店
  • アルプスの旅より J.ティンダル 矢島祐利訳 1933 岩波書店
  • アルプス紀行 J.ティンダル 矢島祐利訳 1934 岩波書店
  • アルプス及びコーカサス登攀記 A.F.ママリー 石一郎訳 1938 朋文堂
  • 山 研究と随想 大島亮吉 1930 岩波書店
  • 先蹤者 アルプス登山者小伝 大島亮吉 1935 梓書房
  • 山とスキー 38,39,42,50,64号 山とスキーの会
 
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