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92カムチャツカ第二次遠征 »

カムチャツカ再訪

小倉 憲悟


 しばらくうとうとして目が覚めると、飛行機は明け方のカムチャツカの上空を飛んでいる。昨年9月に来て以来2度目のカムチャツカである。前回ピークに届かなかったコリャークスカヤ・ソプカ(3456m)が目の前に現われると、いよいよペトロパブロフスクに到着する。よく見ると山肌は黒々としている。雪に覆われると鋭く浮かび上がる稜線も雪がなければやや迫力に欠ける。南面とは言え3000mでこれだけ雪が少なければ、イチンスカヤとハンガールも雪がないんじゃないかとやや不安になる。




 この日は予定が変わってペトロに滞在することになった。街のレストランで夕食を済ませると、前回のガイドだったビタリーが待っていた。彼によると、これも前回のコックのニーナが、僕達が昼間街でインタビューされたのをテレビで見て、しびれをきらせて待っているらしかった。ニーナの家で再開を祝って乾杯する。満腹の上に次から次へと皿を勧めてくれるあたりは豊似川の大庭さんのようだ。国や暮らしぶりが変わっても、彼らの誠実さは変わっていなかった。




 翌日トラックでミリコヴァに向かった。前回一緒だったヘッドガイドのコーリャ、働き者のヴァーシャは今回も一緒で、アレークは大型トラックの運転とミリコヴァでヘリの手配をしてくれる。他にはメスナー似のフェージャ、人のよさそうなボーリャ、通訳でアメリカ人みたいなヴァレーリア、コックのアーラおばさんが同行する。




 アタックの日は朝から天気が良かったが、僕はきのうからのせきがひどくなり呼吸が苦しく、始終遅れ気味だった。肝心な時に体調が悪いなんて、今まで何をしてきたのかと思うとくやしくてしょうがなかったがピークに立って部旗を揚げて写真を撮ると安心した。




 次の日からヘリが迎えに来るまでは、各自スキーをしたり昼寝をしたり、そのうち暇をもてあましてナポレオンに熱中しはじめたりしている。日本では猛威をふるう雨男隊長の低気圧も、異国のお天道様の下では影響はないらしく、連日の強い日差しにみんな顔をヒリヒリさせていた。ヘリが来る予定の日もいい天気で、予定どおりやってきた。昨年のオパーラの時は3日もヘリが来なかったのに、今回はうまくいった。ヴァーシャがうれしそうに僕に「アパーラ、アパーラ」と合図していた。




 ハンガールに移動した次の日もいい天気で登頂できた。ハンガールからは眺めが良く、どういう訳かピークに立っていた三角点を除けば、360度見渡すかぎりカムチャツカの大自然の山々に囲まれていた。北には先日登ったイチンスカヤがあり、西は火口湖を見下ろし、南のペトロの方向にはバケーニン、ジュパノフスキーが見える。そしてはるか東にはかすかにクロノツカヤ・ソプカの尖峰が確認できた。




 最終日も予定通りヘリが来てあっという間にミリコヴァに着いてしまった。しかし、ビザを延長してもう何日か滞在するつもりが、帰りの飛行機のチケットの予定がとれないので今日中に帰ることになってしまった。トラックは一路ペトロへと走っていく。窓の外には、広大で美しいカムチャツカの原野が、明るい日差しに輝いている。みんな疲れてうとうとしている。しかし今日中に帰ることになった以上、僕はとても寝てはいられなかった。ガナルスキー山脈を過ぎ、マルカの温泉でゆっくり休憩して再び走り出すとまもなくコリャークスカヤが見えだし、もうすぐ旅も終わってしまう。来るときは延々とかかったのに帰りはすぐに着いてしまうように感じるのは気のせいだけではないだろう。




 昨年コリャークスカヤのアタックの帰りに会ったドイツ隊の中に実はフェージャがいて、彼とは一度会っているらしかった。そういえば髭面の人と握手した覚えがある。彼が言っていた「Mountain is my life」という言葉が印象に残っている。




 別れ際に彼らは「今度は夏に来るといい、夏は一番美しい季節だ」と言っていた。しかし、僕は次は冬に来たいと思う。カムチャツカの冬はどんなに厳しいのか興味がある。僕達がいつも行っている冬の十勝・日高での経験を生かして、厳冬のカムチャツカを目指そう。




 それぞれの思いを胸に名残惜しいカムチャツカを後にした。


 
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