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NO.8 今村昌耕氏

製作者銘:SAPPORO KADOTA
初代:門田直馬(1877-1954)
2代:門田 茂(1910-1998)
3代:門田 正(1932-1992)

今村昌耕氏のピッケル
製作者銘:SAPPORO KADOTA
1937(昭和12)年 (今村の入部年) 頃製作の特殊鋼ピッケル(ニッケル・クロム・モリブデン鋼)。ヘッド長30.5cm、全長87.5cm、フィンガー長17.6cm、フィンガーは3箇所でねじ止めしている。ブレードは長二等辺三角形、シャフトは扁平細身、重厚な感じのするピッケルである。

今村氏自身の手でシャフトにAACH S.I.の文字が彫り込まれているこのピッケルは、今村氏が1940(昭和18)年1月5日、ペテガリ岳冬期初登頂に使用した。

和久田弘一会員(工・機、1934年入部、1990年逝去)は、1939(昭和4)年、札幌で農機具を製作していた門田直馬に特殊鋼を使ったアイゼンの製作を依頼するが、直馬は苦心の末、北海道の厳冬期に十分通用する製品を仕上げた。和久田はさらに特殊鋼によるピッケルの製作を依頼したが、直馬はアイゼン同様ヨーロッパ物に勝るとも劣らないピッケルを仕上げた。門田のピッケルは、昭和6年から大阪好日山荘の店頭に並んだ。北大山岳部の歴史と共にあった門田ピッケルは、1986年を最後に製作を中止した。和久田の手にあった1号ピッケルは、和久田から門田家へ、さらに門田家から札幌市冬のスポーツミュージアムに寄贈され、現在そこに展示されている。


今村昌耕氏のピッケル
製作者銘:SAPPORO KADOTA
今村昌耕氏のピッケル
製作者銘:SAPPORO KADOTA
今村昌耕氏のピッケル
製作者銘:SAPPORO KADOTA


【参考】門田のピッケルについてはこちらのサイトが詳しい.
 
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