ログイン   :: お問い合せ :: サイトマップ :: 新着情報 :: おしらせ :: 
 
 
メニュー
前 次

NO.10 森谷昭一作のピッケル

製作者銘: 森谷昭一作 akita moriya 5000
森谷初代:森谷一郎(1903-1980)
森谷2代目森谷昭一(1933-2015)

製作者銘: 森谷昭一作 akita moriya 5000
ヘッド長 29.8cm、全長 73.5cm、フィンガー長16.0cm、穴あきモデル、シャフト頂部からヘッドにかけて薄くなっている。ピックに楕円でakita moriya 5000、フィンガーにタガネで「森谷昭一作」の銘。小ぶり軽量でブレードが湾曲しているため、氷を砕きやすいなど氷雪に強い。

森谷ピッケルは第二次大戦後の昭和27年、当時秋田鉱専(現秋田大学)の学生で秋田アルパイン・クラブの会員あった吉川信市が、秋田市内の鍛冶屋森谷一郎に依頼して作ったのが始まりである。ニッケル・クロム鋼と炭素鋼の2種類製作された。一郎は70歳で引退、その後は息子の昭一が跡を継ぎ、凡そ30年間に2人で3000本程度が製作されたと言われている。akita moriyaは、秋田の岳人を中心に使用されたが、その優秀さからJACマナスル、南極越冬一次隊など海外遠征にも多く使用された。北海道では販売されなかったため、この優秀なピッケルを知る山の会会員は少ない。

akita moriya 5000は、2代目昭一が昭和56年頃、ピッケル鍛治を止めるに際して作った記念すべき森谷ピッケル最後の1本である。昭一は、子孫の為にこのピッケルを森谷家で保存するつもりであったが、あるとき青森から来た山男が、強引に森谷家から持ち出したと言う。この記念すべきピッケルは、2008年1月山岳部から山岳館へ移管されたが、何時、誰の手によって山岳部に持ち込まれたのか、森谷家を離れてから山岳部ルームに保管されるようになった経緯は不明である。

後年、秋田地方の著名な日本画家として活躍した昭一は、自分の手になった記念のこのピッケルの錆やシャフトの傷がが余りに酷いことを悲しんで、無償で修理を申し出てくれた。現在山岳館には、昭一の手により再生なったピッケルが掲示されている。


製作者銘: 森谷昭一作 akita moriya 5000

製作者銘: 森谷昭一作 akita moriya 5000

製作者銘: 森谷昭一作 akita moriya 5000
製作者銘: 森谷昭一作 akita moriya 5000

森谷昭一氏(1933-2015)と再生なったakita moriya 5000

森谷昭一氏(1933-2015)と再生なった
akita moriya 5000
 
Tweet| |
前
菊池徹・三郎氏のピッケル

次
坂本直行氏のピッケル
 
 
Copyright © 1996-2024 Academic Alpine Club of Hokkaido