29.彷徨へる湖/スウェン・ヘディン/岩村忍・矢崎秀雄訳/1943/筑摩書房/355頁 原題:The Wandering Lake/1940/ Sven Hedin
スウェン・ヘディン(1868-1962) 地理学者、探検家
略歴は「中央亜細亜探検記」参照
内容
本書はヘディンの50年に亘る亜細亜探検の最後を飾るもので、ヘディンと深い関わりを持つにいたったロブ湖の訪問が中心に語られている。ヘディンは第2次中央亜細亜探検(1899-1902)の際、ロブ地域を調査し、タリム河下流の流路移動と共にロブ湖も移動するという仮説を立てていた。1928年、第4次探検(1927-1933)の途中、トルファンでロブ湖が移動したという話を現地人から聞く(「27.ゴビ砂漠横断記」参照)。この時は新疆省総督の許可が得られず、ロブ地域に入ることができなかったが、隊員を潜行させてロブ湖移動後の新しい地図を描くことに成功し、自分の仮説が正しいことを確信した。
1933年3月末、南京政府の依頼による北西自動車遠征隊の指揮者として今一度新疆入りを果たす。遠征隊の目的は、鉄道の終点帰化城からウルムチまでの自動車ルートを開拓するというものであった。しかし、新疆は動乱の世界に変わっていた。東干(シナ回教徒)の反乱が各地に波及し、ヘディン一行もその渦中に巻き込まれてスパイと疑われて4台のトラックを徴用され、コルラでは幽閉されて、危うく一命を落とす所であった。
本書は、ロブ湖調査に自動車で出発する所から始まる。全体は21章からなり、1〜14章は、1934年4月1日、無事だった隊員たちと共にコルラを出発して、コンチェからカヌーでコンチェ・ダリヤ(ダリヤ=河)を下り、ロブ湖とその周辺を調査して、6月6日、ウルムチへ帰るところで終る。15〜19章は、1934年10月21日、ウルムチを発って安西を経て敦煌からロブ湖までの古代の道を探り、12月14日、再び安西に戻ってくるまでの紀行である。20〜21章は、長い間世界の地理学会の謎であったロブ湖論争に対して、自分の探検から出した結論を述べている。
新疆省総督の盛世才からヘディンらの幽閉を解く条件として、東方ロブ湖方面の砂漠地帯へ去るようにと命じられたヘディンはこの命令を大変喜んだ。
「(総督は)その決定が我々一同、ことに私にとってどんなに有難いものであったか、夢にも知らなかったに違いない。何故なら、この私はかつて二千年の昔あんなに栄えていた場所を、そして「彷徨へる湖」がタリム河の下流と同時に一九二一年に再びその湖床に帰った場所を、ぜひもう一度見たいと切望していたからだ。」
無事だった隊員たちとコンチェからはカヌーをつなぎ合わせた急造の船でコンチェ・ダリヤを下る。河上の第1日目にヘディンは、第2次探検の忠実な従者だったオルデックと32年ぶりの感動的な再会を果たす。オルデックは楼蘭遺跡の発見に重要な役割を果たした人物で、ヘディンは彼と焚き火を囲みながら砂漠の辛かった日々を追憶する。トメンブーで新しい流れクム・ダリヤへとカヌーを漕ぎ出したのは、コンチェ出発から20日目であった。
「さて我々は、1921年以来新たに形成された川が砂漠の中へ新しい道を探すために―――― もっと厳密に言えば、その古代の河床へ、即ち西暦の始めの時代及び西暦四世紀頃まで流れていた歴史上由緒深い水路へ帰るためにコンチェ・ダリヤの旧河床から流れ出す地点であるトメンブーに別れを告げた。」
5月5日、河岸から2百哩の所に一家屋の遺跡を発見する。明らかに楼蘭時代のもので、少なくとも千六百年は経っていると思はれた。さらに下流に下って翌朝、小さな島のメサ(テーブル状の平長な小高い丘)の上、水面から57呎の高さにある平坦なテラスに共同墓地を発見する。さらにそこから少し離れた小さなメサの上にタマリスクの柱が1本立っていて、“掘ってくれと言わんばかりに我々を誘っている”墓があった。墓を掘り出し、厚い2枚の板の蓋をとってヘディンたちが見たものは、うら若い女性のミイラであった。
「その覆い(註:全身を覆っている毛布)は非常に脆くなっていたので、ちょっと触れただけで粉々になってしまった。我々は頭が隠れている部分を取り除けた。そして今我々は見た。美はしさ限りなき沙漠の支配者、楼蘭とロブノールの女王を。うら若い女は突然の死に見舞われ、愛する人々の手で経帷子を着せられ、平和な丘の上に運ばれて、遥かな後代の者達が呼び醒ますまで、二千年近くの長い眠りに憩うていたのである。」
迷路のような三角州を漕ぎ切って、5月16日、ついに新生ロブノールに漕ぎ出した。ヘディンの34年来の仮説であるタリム河の流路とロブ湖の移動が正しいことが証明されたのである。
「この聖なる湖へ出て、私は何だかお伽の国にでもいるように感じた。いまだかつてただ1隻の舟もこの湖上を漕ぎ回った事はないのだ!今もなおそれは死せるが如く寥々としている。」
5月21日、ロブ湖を離れて廃都楼蘭を訪れた。夜中に外で人の声を聞いたように思い、それは墓場の辺りで囁かれたのではないかと訝った。
「私は耳を澄ました。そして、射手や槍兵をぎっしり詰めた戦車の軋りを、彼らの盾や剣の打ち合う音を、弓が引かれ、矢が放たれる音を聞いた。ついに私は陸続たる隊商達のチリチリ云う鈴の音をどんなにはっきり聞いたことか。又、高価な重い絹を積んで沙漠の砂の上を静かにおづおづと歩を進める駱駝の絶え間ない行進や、楼蘭の川や湖の岸にある肥沃な牧草地を嗅ぎつけて喜びに輝くその眼を、広げられた鼻腔をどんなにはっきり見たことか。」
ロブ湖の調査を終え、6月6日、ウルムチに帰着する。しかし、ヘディンがロブ地域で宝物を発掘して隠し持っていると密告するものがあり、またも盛世才によって4ヶ月間拘禁される。10月にようやく拘禁を解かれて、残った乗用車とトラック2台に分乗し、ハミから甘粛経由できこくのとについた。安西へ、そして敦煌石窟を見学、さらに敦煌から楼蘭までの「絹の道」を探査、その後安西を経由して12月末、北京に到着した。
この2年間にわたるロブ湖の旅は、ヘディンの68才〜69才に行なわれた彼の中央アジア最後の探検となった。
山岳館所有の関連蔵書
ヘディン著作その他関連図書
- Transhimalaja- 1,2/1920/ドイツ
- The Wandering Lake /1940/イギリス
- ゴビ砂漠横断記/隅田久尾訳/1943/鎌倉書房
- ゴビの謎/福迫勇雄訳/1940/生活社
- 彷徨へる湖/岩村忍・矢崎秀雄訳/1943/筑摩書房
- 赤色ルート踏破記/高山洋吉/1939/育成社
- 探検家としての世の生涯(内陸アジア探検史)/小野六郎訳/1942/橘書店
- 西蔵征旅記/吉田一郎訳/1939/改造社
- 中央亜細亜探検記/岩村忍訳/1938/冨山房
- 独逸への回想/道本清一郎訳/1941/青年書房
- 熱河/黒川武敏訳/1943/地平社
- リヒトフォーフェン伝/岩崎徹太訳/1941/
- 西蔵探検記/高山洋吉訳/1939/改造社
- ヘディン探検紀行全集全15巻、別巻2巻/監修:深田久弥、榎一雄、長沢和俊/1979/白水社
- ヘディン素描画集/ヘディン文・モンデル編/金子民雄訳/1980/白水社
- ヘディン 人と旅/金子民雄/1982/白水社
- ヘディン伝 偉大な探検家の生涯/金子民雄/1972/新人物往来社
- ヘディン蔵書目録(山書研究25号)/金子民雄編/1981/日本山書の会
- スウェン・ヘディンと楼蘭王国展/日本対外文化協会/1988
- その他中央アジア関連多数
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28.ゴビ砂漠横断記−瑞・支共同科学探検−/ヘディン/1943 |
30. ヒマラヤへの挑戦/アンジェル/1943 |