OBの山行記録・ 2009年1月26日 (月)
層雲峡現役OB合同アイス合宿/(米山1984入部)
ピンピンに研いだアックスとクランポンを持って、谷川山麓から清野師範(1976入部)がやってきた。現役部員とOBアイスチームの合同合宿を層雲峡で行った。現役は目下、冬山経験含めてアイス経験が途絶状態なので、この度清野師範にアックスの研ぎ方から鍛え込んでもらった。旧石器時代ギャートルズのようなアックスも、磨けば2009年モデルに。勝亦、馬場の若手OBが冬メインに続いて現役相談役遊撃隊。しなやかな登りを見せた。
【年月日】2009年1月24,25日
【メンバ】現役:田中バイエルン(3)小池大五郎(2)鹿島(1)井村(1)/OB:清野(1976)米山(1984)勝亦(2003)馬場(HUSV)
【ルート】錦糸の滝、銀河の滝
初日、青森から夜汽車で着いた米山、前日ジェット機に乗ってきた清野師範と、6年目勝亦、HUSV8年目馬場が道央道を層雲峡へ。企画立案の斎藤は、数日前から疫病で寝込み、参加断念(泣)。現役と合流してまずは錦糸の滝へ。以前は右岸の国道から滝が見えたが、今はトンネルが走り、その旧国道をラッセルして取り付く。
トップロープを2,3仕掛けて、まずはお稽古。アックスの打ち込み方、姿勢、スクリューのねじ込み方、扱い方、上に向かうファイトなどを清野師範に吹き込まれる。旧石器アックスと清野仕上げアックスの違いなども体感。師範は裏山に水をひき、自家製アイス壁道場を作り、毎週欠かさず、沼田の仲間とともに氷と戦闘されているのである。アックスは改良に改良を加え、金属加工のお手並みも玄人はだし、家族はさぞや呆れて物も言えない事でしょう(笑)。
初日夜、合宿とは言いながら師範をテントに眠らすわけにもいかず、師範と米山は恐縮ながら宿坊の畳に寝る。例会をやるというのでテント泊の皆の衆も畳に上がり込み、明日の作戦を審議する。卓上のわずか二つのお茶菓子をじゃんけんで分け合う姿に昔を懐かしんだりした。全然変わってないぞ現役。20年ぶりにルームの例会に出たが、やはり居眠りしてしまった。私の場合、合宿の例会は睡魔との闘いであった。全然変わってないぞ俺。現役にニコルソン(やすり)を渡して「朝までに研いでおけよ」。研ぎ方は、昨年のライデン海岸の項参照。
翌朝、宿の玄関さきに山下君(1997入部)と白石君(2001入部)がきた。アイス修行に頻繁に来ているようで、きょうはブルーウルフの滝だとか。旭川の田戸岡君(1999入部)も来ているそうだ。テント村は知っている人がいて楽しそう。
石狩川本流を伊藤秀五郎先輩の時代を偲びながら渡渉。当時はダム無しで水轟々だったろう。みな、渡渉用ゴム長を持ってきているが、革靴+ロングスパッツで平気だった。水深25センチほど。まあ組み合わせによるだろうけど。帰りで試す価値はある。
銀河の滝で、下段の壁に二本トップロープを垂らして、鹿島(1)、井村(1)が登り込み稽古。バイエルン(3)や大五郎(2)がプリセットしたルートでトップ練習。氷はきょうもコチコチだ。米山はアバラコフの何たるかをこの日初めて馬場さんに教わる。そのおじさんの名前、昔ソ連のパミールキャンプで聞いたことがあるぞ。清野、米山、勝亦、馬場はそのまま上部へとコンテで進んで銀河を完登。あちらは右ルートこちらは中央ルートをとる。氷柱の裏側にスリングを回してビレーポイントをとることをトレチャコフと名付けたりする。昔、ロシアの登山家トレチャコフは、お金がなくてアイススクリューが買えなかったのでこの方法を見つけた・・・。という俗説もその時生まれた。
途中、師範がアックスを落っことした。吹きだまりに運よく落ちたのでロワダウンして探す。これがなかなか見つからず。落ちた場所を見ていたのに、新雪の探しものは見つからないものだ。人間じゃないから気長に二人で探してようやく発見。更に登り終えて懸垂したが、楽しくバカ話しながらロープ回収したら結び目つけたまま引っぱっちゃって、上でひっかかっちゃった。後続お隣パーティーにはずしてもらって反省。
ずいぶん遅れて下段の氷壁に戻ると、バイエルンも大五郎もトップをやっていた。格好もサマになっている。刺さって抜きやすいように刃先を整えておけば、無駄な力も使わず、指も冷たくならず、余裕の心でさっさと抜けられる。腕力の強くない馬場さんの優雅な打ち込みをマネていたら要領もわかってきた。今回はまったく筋肉痛無し。
総員押しなべて得たもの大きく充実の合宿になった。清野師範も、ヤングな面々と登るのは久しぶりで、何度も反芻し喜んでおられた。今どきどこの山も中高年ばかり(オレも含めて)だ。山に向かう紅顔健児たちの、肌は赤銅さながらに、真摯で円らでひたむきで真っ直ぐな瞳と目があうと、それだけで幸福感がみなぎるよ。
「勝亦君!春は鹿島槍北壁で待ってるよ!」と、握手の師範を千歳に送り、狸小路6丁目付近の九州ラーメンを替え玉して米山は夜汽車を待つ間、日曜なのに奇跡的に空いていたつるでBNを飲んで大内さんにご報告。夜の札幌を千鳥足で駅まで。
今回参加できなかった現役の皆様、来春入部予定の皆様。また来年もやりましょう。
トップロープを2,3仕掛けて、まずはお稽古。アックスの打ち込み方、姿勢、スクリューのねじ込み方、扱い方、上に向かうファイトなどを清野師範に吹き込まれる。旧石器アックスと清野仕上げアックスの違いなども体感。師範は裏山に水をひき、自家製アイス壁道場を作り、毎週欠かさず、沼田の仲間とともに氷と戦闘されているのである。アックスは改良に改良を加え、金属加工のお手並みも玄人はだし、家族はさぞや呆れて物も言えない事でしょう(笑)。
初日夜、合宿とは言いながら師範をテントに眠らすわけにもいかず、師範と米山は恐縮ながら宿坊の畳に寝る。例会をやるというのでテント泊の皆の衆も畳に上がり込み、明日の作戦を審議する。卓上のわずか二つのお茶菓子をじゃんけんで分け合う姿に昔を懐かしんだりした。全然変わってないぞ現役。20年ぶりにルームの例会に出たが、やはり居眠りしてしまった。私の場合、合宿の例会は睡魔との闘いであった。全然変わってないぞ俺。現役にニコルソン(やすり)を渡して「朝までに研いでおけよ」。研ぎ方は、昨年のライデン海岸の項参照。
翌朝、宿の玄関さきに山下君(1997入部)と白石君(2001入部)がきた。アイス修行に頻繁に来ているようで、きょうはブルーウルフの滝だとか。旭川の田戸岡君(1999入部)も来ているそうだ。テント村は知っている人がいて楽しそう。
石狩川本流を伊藤秀五郎先輩の時代を偲びながら渡渉。当時はダム無しで水轟々だったろう。みな、渡渉用ゴム長を持ってきているが、革靴+ロングスパッツで平気だった。水深25センチほど。まあ組み合わせによるだろうけど。帰りで試す価値はある。
銀河の滝で、下段の壁に二本トップロープを垂らして、鹿島(1)、井村(1)が登り込み稽古。バイエルン(3)や大五郎(2)がプリセットしたルートでトップ練習。氷はきょうもコチコチだ。米山はアバラコフの何たるかをこの日初めて馬場さんに教わる。そのおじさんの名前、昔ソ連のパミールキャンプで聞いたことがあるぞ。清野、米山、勝亦、馬場はそのまま上部へとコンテで進んで銀河を完登。あちらは右ルートこちらは中央ルートをとる。氷柱の裏側にスリングを回してビレーポイントをとることをトレチャコフと名付けたりする。昔、ロシアの登山家トレチャコフは、お金がなくてアイススクリューが買えなかったのでこの方法を見つけた・・・。という俗説もその時生まれた。
途中、師範がアックスを落っことした。吹きだまりに運よく落ちたのでロワダウンして探す。これがなかなか見つからず。落ちた場所を見ていたのに、新雪の探しものは見つからないものだ。人間じゃないから気長に二人で探してようやく発見。更に登り終えて懸垂したが、楽しくバカ話しながらロープ回収したら結び目つけたまま引っぱっちゃって、上でひっかかっちゃった。後続お隣パーティーにはずしてもらって反省。
ずいぶん遅れて下段の氷壁に戻ると、バイエルンも大五郎もトップをやっていた。格好もサマになっている。刺さって抜きやすいように刃先を整えておけば、無駄な力も使わず、指も冷たくならず、余裕の心でさっさと抜けられる。腕力の強くない馬場さんの優雅な打ち込みをマネていたら要領もわかってきた。今回はまったく筋肉痛無し。
総員押しなべて得たもの大きく充実の合宿になった。清野師範も、ヤングな面々と登るのは久しぶりで、何度も反芻し喜んでおられた。今どきどこの山も中高年ばかり(オレも含めて)だ。山に向かう紅顔健児たちの、肌は赤銅さながらに、真摯で円らでひたむきで真っ直ぐな瞳と目があうと、それだけで幸福感がみなぎるよ。
「勝亦君!春は鹿島槍北壁で待ってるよ!」と、握手の師範を千歳に送り、狸小路6丁目付近の九州ラーメンを替え玉して米山は夜汽車を待つ間、日曜なのに奇跡的に空いていたつるでBNを飲んで大内さんにご報告。夜の札幌を千鳥足で駅まで。
今回参加できなかった現役の皆様、来春入部予定の皆様。また来年もやりましょう。
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