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書評・出版・ 2018年5月31日 (木)

【読書備忘】旅の記憶 福澤卓也遺稿・追悼集 米山 悟(1984年入部)
個人的な本だ。彼を知る人達にとって大切な一冊だ。
僕には24年前、1994年に、四川ヒマラヤのミニヤコンカで29歳で死んだ、同期の山仲間がいた。彼はワンゲル、僕は山岳部で、日高に、大雪に、知床に、北海道の流儀でとことん山に登った。福澤はパタゴニアの雪氷調査に、僕はネパール・ヒマラヤの植物採集調査に、OBで教授の先生の山岳学術調査の助手としてタダで3ヶ月連れて行ってもらってひと皮むけた。優秀な彼は、雪崩研究者としてその後、期待されるほどの業績を上げた。その上、当時ようやく始まった雪崩レスキューの講習会を主催し、ビーコンを普及する活動の中心の一人になった。講師をする彼を、僕がTVニュースで取材し放送したこともあった。


ワンゲル後輩の奥様アキさんと、卒業するなり結婚式をあげた。福澤のように芸達者なワンゲル仲間がケーナやギターで南米音楽で踊りまくる、すごく楽しい宴席だった。
92年、僕は楽しかった8年間の札幌暮らしを終え、別の町で新しい山登りや仕事に励んでいた。20代、30代の僕は、自分自身でもある程度死を覚悟していただけに、山で友人が死ぬことにどこか慣れてしまっていたのかもしれない。2年後に福澤がミニャコンカで死んだと聞いたとき、彼の気持ちになって少し涙ぐんだりはしても、残されたアキさんや両親の気持ちなどに寄り添えるほどの人物にはなっていなかったと思う。



大切な人をなくした後、どうやってその後を生きていくのか。24年かかって今回ようやくこの本が出来上がった。多才な彼の写真、詩、絵。それに彼が才能を発揮し人望を集めた芸や人付き合い、料理。独自の発想と強い意志で成果をものにした研究のうちこみ様がみんなの文章からよみがえる。幼なじみからワンゲルのみんな、研究室の仲間、先輩、学会の先輩、それに当時の女子中学生の自由研究の相談にまで乗っていたんだね。その子も文章を寄せてくれていた。
この追悼集はアキさんが長くて暗いトンネルから這い出て、彼と夢で再開し、みんなのところを訪ね、24年目にようやく世に出たものだ。今だから、時間をかけたから書けた深みある言葉も多い。なのに福澤本人の素直で実直ながらも早熟な、完成された詩篇の数々。やはりあいつは、一段上を行く秀才だったと思う。
29歳から24年経って、いまもうみんな50を超えてしまったよ。
死者との別れは無い。僕が思い出すとき、彼は生き返っている。



2018年3月20日発行
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