平成17年3月20〜21日
【ルート】
八海山〜オカメノゾキ〜中の岳〜駒ヶ岳〜オツルミズ沢滑降
【メンバー】
清野(76年) 山田(一橋山岳部OB)
【行 程】
3/20 八海山スキー場(8:30)〜千本桧小屋(11:00)〜八ツ峰〜入道岳(13:00)〜五龍岳(14:00)〜荒山のコル(16:30)泊
3/21 天場発(6:00)〜引返し点(7:00)〜五龍岳(10:30)〜阿寺山(11:30)~山口(14:00)
越後三山スキー縦走とオツルミズ沢スキー滑降はここ数年来の課題だったが、昨年、一昨年と、こういう”素晴らしい"計画”に耳を傾けてくれる仲間(斉藤、米山)が次々と内地を去り、寂しい思いをしていた。
日本山岳会青年部の木下君の紹介で、若くて元気の良い”鴨”、もとい”青年”が現れたため二つの課題を一挙にかたずけようと,勇んで出かけたが.....安定しない雪と体力不足で、オカメノゾキ手前から逃げ帰って来た。
来年は、精進して再挑戦します。”志を同じくする者”は連絡を!
八海山から望むオツルミズ沢
八ツ峰の通過
荒山のコル テントサイト
オカメノゾキから脱出
中の岳を望む
オカメノゾキと越後駒ヶ岳
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安達太良山(1699.6m)
●2005年4月16日(土)〜17日(日) (2ー0)
【ルート】
奥岳温泉→勢至平→くろがね小屋→安達太良山→矢筈森→勢至平→奥岳温泉
【メンバ】
L:田中健太郎(87入部)、M:清原実(86入部)、山森聡(86入部)
【行程】
4月16日(土) (雨→曇→雪) 奥岳温泉駐車場(11:05)→くろがね小屋(14:00)C1
4月17日(日) (晴、強風)くろがね小屋(6:20)→安達太良山(7:40-8:00)
→奥岳温泉駐車場(9:50)
【記録】
<1日目>
恒例の春山スキーの季節がやってきた。
春山スキー仲間の斎藤清克は、北海道へ転職してしまったが、1年前に札幌市役所から霞ヶ関に2年間の有期出向で東京にやってきたシェイク(田中健太郎)から、ほんとの空を見に行きませんか?との誘いがあった。そして、この秋に札幌から東京へ転勤になったババア(清原実)も一緒に行こうということになった。こうして、昔の仲間3人で、ほんとの空を見に行くことになった。早いもので、東京に出てきて、今年で17年目になる。メンバーは入れ代わり立ち代わりではあるが、Roomの仲間と、今年も、恒例の春山スキーができるのは、幸せなことだと感謝している。
シェイクは、ババアの家にC0して、早朝自家用車で東京を出発。私は横浜の自宅を早朝電車で出発して、東北本線二本松駅で9:45に、2人と合流。駅前のコンビニで買出しをする。買出しといっても、今回は2食付の山小屋泊なので、行動食少々と、酒とつまみの買出しだ。
奥岳温泉では、雨が降ってきた。雨具の上下を着込んでシートラで歩き出す。いつしか雨はやみ、どんよりした曇り空の下をシール登高で登っていく。勢至平にあがると、乳首と呼ばれる安達太良山が見えた。ここで、あらかじめ五万図の裏に書いてきた詩を、みんなで朗読する。
「あどけない話」
智恵子は東京に空がないといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ、
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が、
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
「高村光太郎、智恵子抄より」
今日の安達太良山の上の空は、白い曇り空なので、ほんとの空ではないだろう。明日に期待しよう。くろがね小屋に着く頃には雪が舞ってきた。
くろがね小屋は、20人位の宿泊客。温泉もあって旅館みたいだ。夕食はカレーライス、朝食は生卵と味噌汁の定食であった。私にとって営業小屋に泊まるのは、AACHに入部以来、初めての経験であった。(と思ったが、現役時代の十勝・白銀荘での冬合宿があったな。)
宿泊客のなかで、スキーをもってきているのは、我々だけであった。(ちなみに、シェイクはいわゆるスキーではなく、ミニスキーを持ってきた。私は、今回、兼用靴から板・ビンディング・シールまで一式を新調した。明日の滑りが楽しみだ!)
<2日目>
今日は快晴。安達太良山めがけて、元気よく歩く。ババアとシェイクはつぼ足で歩いている。私は、シール登高だ! 途中1ヶ所スキーを脱いでハイマツの中の夏道を越えた。その後もシールで登高できたが、今回、兼用靴用にワンタッチアイゼンも新調したので、ここでシートラし、アイゼンも試してみる。先に山頂に着いた2人は、「こんなところでアイゼンを履いている奴がいる」と笑っている。3人で登頂を祝って握手。私は、山頂での握手が大好きだ。山頂から、なんども青い空を眺める。これが、ほんとの空か!山頂から、スキー滑降点の矢筈森まで、稜線を歩くが、風が強い。稜線上は、風で飛ばされてか、雪は全くない。何度も耐風姿勢をとらなければ、本当に飛ばされてしまいそうだ。
矢筈森からは、沢の源頭を快調に滑る。さすがに兼用靴にカービングスキーを新調した甲斐あって、気持ちがいい。あとから振り返ってみると、沢の源頭に、かっこよく、スキーのシュプールが刻まれている。本当に気持ちがいい。ハイマツの夏道をシートラで少し歩いて、勢至平の疎林の緩斜面をスキー滑降だ。途中、つぼ足で登ってくる登山者とすれちがいながら、スキーの寵児を歌いながら、快調に滑っていく。勢至平からみる山容は、十勝みたいだ。というより、Roomの仲間と春山スキーに行くと、「十勝みたいだ!」という感想になることが多い。どうやら、十勝が、心のふるさととして、原風景として、しみついているようだ。
晴れ渡りたる青空 輝き満てる雪原
遠き山連なり ぶどう色に浮かぶ
丘を滑りて谷間へ 木立潜りて出湯へ
雪煙上げつつ いつか裾野に着きぬ
風を(風を)切りて(切りて) 滑る嬉しさ
我を(我を)包む(包む) 雪の柔らか
今は(今は)在らず(在らず)
山は(山は)遥か(遥か)
雪山の楽しければ かくも切なく目に浮かぶ
さて、歌の通り、スキーを脱ぐなり、奥岳温泉に飛び込もうとするが、何と、お湯が満杯になるのが正午になるというではないか。早く下山しすぎた。仕方がないので、車でちょっと下って、岳温泉の光雲閣で入浴。高級ホテルの立派な大浴場なのに、日帰り入浴料¥525はとってもリーズナブル!その後、ふもとの安達町で、「智恵子の生家」を観光して、文学と温泉三昧の春山スキー第一弾は、楽しく終了した。
GW後半には、石川ヤンケ(87入部)や石橋兄(82入部)とともに、第二弾、第三弾を計画中。(谷川岳芝倉沢や守門岳が今のところ候補。)折角、山スキー用具一式を新調したので、もとをとらねば!
ちなみに、学生時代から約20年使用した冬用シュラフ(タフバック1)にも別れを告げ、ダウンシュラフを新調した。早くテントで試さねば!
(文責:山森聡)
谷間のくろがね小屋!
くろがね小屋の温泉!
安達太良山山頂にて!
スキー滑降点(矢筈森)から安達太良山(乳首)を望む!
矢筈森からのスキー滑降!
勢至平の疎林の緩斜面を滑るババア!
勢至平から安達太良山を望みながら詩の朗読!
ミニスキーのシェイク!
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幾春別岳(1063m)
●2005年4月
【ルート】
左股川林道→東尾根の標高点575の南西尾根から往復
【メンバ】
米山悟(84入部)斉藤清克(87入部)、銭谷竜一(90入部)
【行程】
4月16日(晴れ)丘珠空港(10:00)→幾春別川左股林道入り口(11:35)発→575南西尾根末端(13:30)→標高点575(16:00)イグルー完成(16:40)
4月17日(雪風時々晴れ)イグルー発(5:00)→幾春別岳山頂(8:05-15)→イグルー着(10:40-11:00)→尾根末端(11:45)→林道入り口 (13:15)
夕張山地の西の広い無人地帯の最高峰。都合のつく時間内で行けて、まだ未踏で、誇り高そうな山ということで、今週は幾春別。20年前の五万図の束に幾春別を見つけ、やはり前にもチェックしていたことを思い出した。しかし今回、最新の地図を見てその林道の増えっぷりに驚いた。
丘珠空港で斎藤の車に拾ってもらい、三笠まではすぐだ。札幌近郊より近いかも知れない。林道はひたすらシール歩き。まだまだ雪がべったりある。林道が左岸に渡る手前の尾根(標高点575の南西尾根)に取り付きたいが、末端が急だ。その西側の支沢の中も行ってみるが渡渉に不自由。更に西隣の尾根に上がっていくブル道に誘われ、稜線を目指す。結果的には末端が急な最初の尾根を少し無理して登るのが一番だった。ブル道で遠回りして標高点575についたのは午後四時。
三人それぞれ個人装備のノコとスコップを振り回して、あっという間に快適なイグルーが積み上がった。この季節の雪はくっつきやすいので、積み上げ時間は30分弱。近くの立ち枯れを倒して焚き火。寒くも暑くもない良い季節になった。ダケカンバの木立の向こうに夕張岳のガマ岩らしきものが見えた。ここは山深いところだ、見渡す限り明かりを認めず。月は半月。
朝は早起きした。イグルーの厚い壁の隙間から強い風の音が夜半ほのかに続いていた。東尾根は全体に、緩い上り下りで距離が長いが、カンバやタンネ、ニレなどの木の間隔がちょうど良く、印象の良い尾根だ。雪は良く締まっている。ツボ足でも5センチほどしか潜らない。小雪が降り、南風だ。延々歩いて無我の境地に達したころ標高850ほどでスキーをデポ。その後アイゼンに替える。四月も後半なのに気温が上がらないせいか雪は多く硬く、標高が低い割に楽しめる。
天気は相変わらず悪い。頂上は双耳峰だ。視界100mちょっと、気温マイナス3度。芦別や夕張なども見えない。カンバはまばらで晴れれば展望良さそう。帰りは尻セードも交えて楽しく下る。長い稜線はシール外して意外や快走。時々の登りはスキー引っ張りで十分。天気は時々日が射しもするが、綿のような雪が降ったり、粒状の雪が降ったりと変化がめまぐるしい。
イグルーからの尾根下りは557南西尾根をそのまま下る。途中ブル道に何度か出くわし、時折利用する。尾根末端の崖は右の雪斜面を無理矢理降りて沢の中へ。ブル道の多い山だ。夏だったらなおさら見苦しかろう。でもそのせいで、良く管理された樹林でもある。林道は帰りも登り返しが有るが、シールを外しっぱなしでもなんとかなる傾斜だ。入山の時も外していても良かった。今回の雪の状態ならもっと手前から尾根に取り付いても良いし、3日あれば芦別への縦走も出来そうだ。
帰りはドミニカ料理店の看板に導かれ、ドミニカ人の作った豆や魚や豚炙り焼きのご飯を食べた。三笠で最もイカした店と思われる。用事があるので、温泉は行けずに札幌へ。
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昆布岳(1045m)
●2005年3月
【ルート】
豊浦町・山梨→壮滝別川左股280m→東尾根→山頂往復
【メンバ】
米山悟(84入部)、斉藤清克(87年入部)
【行程】
3月27日・壮滝別川左股280m車デポ(9:20)→昆布岳(12:55-13:30)→車デポ(15:00)
【天候】
晴れ時々曇り・2度
地質学教室の在田先生の退官最終講義に札幌へ行き、翌日斎藤と昆布岳を登った。昆布岳のすそ野の直径は隣の羊蹄山と同じ位に見える。山態は、皿を伏せたような丸く低い古い火山の真ん中にマッターホルンのような小さな三角錐が乗っている感じだ。地形図で見ると、火山だらけの後志・胆振地方では一際大きな存在感がある山で、昔から気になっていた。斎藤と僕と、二人とも未踏の山を探して行き当たった。
傾斜が緩すぎてスキーが滑らん、という話を聞いたので、比較的傾斜のありそうな東尾根、豊浦町の山梨集落の壮滝別川左股の、水線が二つに分かれる間の尾根(五万図で)を斎藤が選んだ。基本的にどこから登ってもオーケーな山だ。この辺りは人家がほとんど無いのに道路の除雪が行き届いている。山麓一帯は丘陵と深い谷が特徴的だ。
尾根の傾斜はファミリースキー場並みで非常にのどか。雪は安定しているがベタベタくっつく重い雪。晴れ時々曇り、気温2度で徐々に高度を稼ぐ。広い尾根上はハンノキ、ダケカンバなどのそこそこ大きな木が良い間隔で生えていて爽やかだ。標高900の東峰で初めて「胆振のマッターホルン」が見えた。標高差100mだが、おっ立った姿は秀麗だ。見れば南東尾根から山頂を目指す二人組、北尾根にも人影がある。
山頂への急斜面は遠目には壁のように見えるが、ジグザグスキーで山頂まで行ける。狭く細い山頂には巨大雪庇あり。未踏ピークでの握手はうれしい。独立峰なので、噴火湾から日本海、羊蹄山にニセコ、雷電辺りまでよく見える。今年の残雪は多いので長く春山を楽しめそうだ。
山頂からの急斜面はいい雪質だった。シール外してろうそくを塗り込む。ここの滑りがきょう一番の斜面だ、「ヘルンリ稜」にナミナミマークを刻む。東峰に戻ると、僕らのトレースに沿ってスノーモービル何台かが走り回った跡があった。スキー場みたいで興ざめだ。美しい沢の中で堰堤が出てきた時のような気分だ。緩傾斜帯は、思いのほか良く滑った。ただし雪がべたついて、ターンに力がいるので足がくたびれた。尾根自体は樹木の間隔が良く、良いスキー斜面だ。ザラメの季節は最高だろう。
豊浦に出て町民でにぎわう温泉に浸かり、列車の接続が悪いので、長万部まで車で送ってもらった。夕暮れ時、噴火湾の海の色が白っぽい緑色で、見たことのない美しさだ。20年前、北大受験帰りの長万部下車以来変わらず存続している駅前角の「長万部食堂」は残念ながら日曜定休だった。ここは破格800円のカニメシが食べられる。その隣の店でカツ丼。列車で函館に戻ると満月だった。
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オロフレ山(1231m)
●2005年2月
オロフレ山
【ルート】
盤渓→西尾根→オロフレ山往復
【メンバ】
米山悟、斉藤清克、梶川耕司
【日 程】
2月12日
盤渓(12:30)→西尾根750mでイグルー(15:00)イグルー完成(16:00)
2月13日
イグルー発(9:00)→山頂(11:00-20)→イグルー(12:15-40)→盤渓(13:40)→オロフレ峠の遭難現場へ
1990年に死んだ小松の追悼で遭難現場に集まる。札幌の斎藤と室蘭の梶川とでオロフレ山の西尾根を登って、山頂を踏んでから追悼会に合流することにした。
鉄道で伊達紋別へ。駅横のよろず屋でパンとピーナツを買う。梶川に拾ってもらって盤渓へ。僕は20年ぶりの再訪だ。鉄道は消え、小学校は自然体験施設に変わっていた。小学校横の林道を進む。ヒザ近くのラッセルだ。細いハンノキやカンバの急斜面を登る。タンネが全然無い。誰かが切ってしまったのだろう。
標高750mあたりでイグルーを作る。皆、慣れたものだ。三人ゆったり、壁も特厚の立派な物が1時間で出来た。一段目はマジメに踏み固めた大きく硬いブロックが必要だが、二段目以降は、表面の30センチほどのパウダー層をかき分けた下の、自然に圧雪された層を切るだけで軽くてまとまったブロックが出来ることを発見した。これは樹林帯では手抜きでいい手だ。立ち枯れの木を倒して焚き火。斎藤がアルミ製のジンギナベを持ち上げていて、塩ホルモンを堪能した。時折降雪、気温は氷点下ヒト桁くらい。
完璧なイグルーのため熟睡して7時起床、9時発。ゆるやかな樹林帯をヒザ下のラッセルで抜ける。時々ニレやイチイの大木がある。広い稜線に出ると風が強く、カンバも背が低い。下降点がわかりにくいのでデポ旗を三枚カンバに結ぶ。南へ右折し、ズボズボの強風帯を行く。視界は100m以下、結構な吹雪だ。カンバの影も見えず、ついに視界が50mを切った頃山頂。20年前はオロフレをカットしてホロホロ山にのっこしたので、初登頂だ。
帰りは強風の向かい風の中、目出帽をデストロイヤーにして磁石見てマジな下山。斎藤はほっぺたにシモヤケ。首尾良く旗を見つけ、樹林密度のやや高い尾根をシールはずして下山。育ちの同じ山岳部員同士のパーティーは、何かと手はずが良い。言葉に出さなくとも仕事運びが良く、心地よい。
下山後、札幌から来ていた澤柿、ディック、中村、野村、銭谷とオロフレ峠近くの遭難現場で合流、小松の里の秋田のうまい酒を捧げて、カメラーデンリートを歌う。
小松は雪庇踏み抜き、雪崩埋没で突然死んだ。前の瞬間までそんな予想もできないだろう一年生だった。僕も一年目の時、全く同じ失敗をしたのでわかる。山の怖さなんか全く知らない、登るのが楽しいだけの時期だ。生きていればまたいろいろ危ないこともあったろうが、まだ登っていただろうか。15年経って集まった面々を見て変わらないなと思ったろうか。皆まったく変わっていなかった。
風呂を浴びて、蕎麦食べて解散。僕は東室蘭駅から函館行き列車に乗る。
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2月1日より狩勝峠から襟裳岬まで一人で日高全山縦走をするつもりです。
コイカクに一ヶ所後半分をデポしてあり、
前半21日、後半21日、計42日間で最終下山日は3月13日の予定です。
下山連絡は一緒に住んでいるフラテOB岡田さんとワンゲルOB品川君に
頼んでありますが、もし何かあれば連絡がいくかもしれませんがよろしくお願いします。
携帯でE-mailができるので(250文字までですが)、繋がる所では現在地確認のメール
を打つつもりです。
御心配おかけしますがよろしくお願いします。
現在地
Picture Information
USGSのGTOPO30(Global 30 Arc Second Elevation Data Set)のE140N90をデータとして,POV-Rayというソフトをつかって作成しました.
携帯電話メールで報告された経過
Date | Route & Camp | Note | Weather |
2000.2.1 | 狩勝峠から佐幌岳をアタック | 入山日 | いまいち |
2000.2.2 | オダッシュ山の3つ手前のポコ(co1020)手前co920のカンバ林 | 43kgの荷物 | ? |
2000.2.3 | オダッシュ山を越えて・928先のコルまで | 一日が終わるのがあっという間という感じ | ? |
2000.2.4 | 日勝峠まで | そろそろ疲れてきました | ? |
2000.2.5 | ペケレベツ岳を越えて・1337標高点まで | 予定より1日遅れ | ? |
2000.2.6 | 芽室岳乗越。芽室岳と・1633との間の池マークの所にテント | ピパイロ・1940・エサオマンが見えた やっと日高の稜線に上がったという感じ | 絶好の天気 |
2000.2.7 | ルベシベ分岐まで (・1395へのエスケープ尾根の頭から少し下ろした所に雪洞) | やはり雪洞が一番落ち着きます これからは乾電池で携帯電話 | ? |
2000.2.8 | ・1712まで(東の尾根をco1630まで下ろしてテント) | バリズボで予想外に苦労 | 悪天 |
2000.2.9 | 連絡なし |
2000.2.10朝 | 昨日(9日)は1940をのっこし・1856の先で雪洞を掘りました | | ? |
2000.2.10夕 | 視界が悪かったので停滞 | 連日の行動の疲れもあり休養 | ? |
2000.2.11 | 何とか北トッタベツまで進め西のコルに雪洞 | ちょっと焦って無理してしまい、かなりシビアな行動 | 強風・視界悪 |
2000.2.12 | 停滞 | | ビンビラのホワイトアウト |
2000.2.13 | 停滞 | とりあえず今は縦走を続けることより幌尻アタックに全力を注ぎたい | ビンビラのホワイトアウト |
2000.2.14 | 連絡なし |
2000.2.15朝 | 昨日幌尻アタックに成功 昨夜は・1803西のコルにテントで泊 今・1803の上 今日は神威北東尾根分岐まで行く予定 | 風雪の中ようやく出発から2週間目にして日高山脈最高峰の幌尻に立つ | 14日はあまり良くなかった |
2000.2.15夕 | 神威北東尾根分岐まで進み雪洞 | 前半残り6日になり、ここで縦走を続けるか、断念して下山するか判断。 明日行動できるならそのままコイカクまで行くつもり。 もし行動できないようなら下山することも考えられます。 | 朝のうちは天気が良 |
2000.2.16朝 | 停滞 | 冬型が強まりこの風・気温で日高の核心部に突っ込んでいけない。 明日、今日より風が弱まれば行くが、冬型がさらに強まるようなので多分駄目でしょう。 今後の気象情報を聞きながら最終判断をする。 | 晴れてはいるが、風が強く時折突風が吹き雪煙 |
2000.2.16夜 | 停滞 | いろいろ考えた末、やはり明日神威北東尾根を下山することにしました。日数的にも気持ちの上でも余裕がなくなってしまったので今回はこれであきらめ、来年また万全を期して続きに挑戦しようと思います。残念で情けないですが自分の未熟さを思い知りました。来年また頑張りたいと思います。
下山したらまた連絡します。 | ? |
2000.2.17 | 下山 | いろいろどうもありがとうございました。AACHの皆さんにも大変ご心配かけましたがよろしくお伝えください。 | ? |
ポロシリートッタベツ1
ポロシリ東カール
朝焼けのエサオマン
神威への稜線の観測器
神威への稜線の観測器
エサオマン北カール
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