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Re: 白石淳也君お別れ会 米山悟(1984年入部)

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対象モジュール: ブログ記事
件名 白石淳也君お別れ会 米山悟(1984年入部)
要旨 五月末、アラスカのデナリ登頂後、そのとなりの山、Mt.フランシス西面の未踏ルートで雪崩事故だった。
 
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿 .1 | 投稿日時 2011-7-17 1:57
スズキジュンコ 
淳也の足跡を追って、こちらを拝見しました。
彼との出会いは彼が高校生の時。
アメリカで行ったキャンプに参加した時の事でした。
カスケード山脈のハイキングで大自然に感銘を受けた彼は帰国後、
バレーボール部を退部し、登山を始めたと言っていました。

最後に合った時、久しぶりに会った彼は、たくましい男性となっていました。
ただ、その笑顔は10代の頃と全く変わらずに。
とても楽しそうに山の話をしてくれました。

今日、彼の両親から訃報を受取り、あまりにもショックが大きく、未だ信じられない状態です。
こちらのメッセージを拝見して、淳也はどこに行っても静かで、思いやりがあり、でも根はしっかりとしてたくましい笑顔の素敵な人柄だったと確信しました。
28歳と言う若さや、淳也の人柄を想うと悔しさが募ります。

残念です。本当に、本当に残念です。
今はただ、ただ、彼の冥福を祈るばかりです。
 
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011-8-8 13:11
のいり 
7月23日、白石君を送る会が横浜市内であり、北大水産ワンゲルの関係者とご遺族、それに一緒に遭難した栗原さんのご遺族が集まった。北は北海道、南は鹿児島から集まった仲間が白石君のことをたくさん語り合った。彼と久々に乾杯したが、細身の体に似合わないたくましく太い腕がみられないのが無性に寂しかった。
白石くんの実家が横浜ということもあって、集まった30人超のうち半数はご遺族の方々でした。白石君の幼少期は知っていても大学進学後の活動をよくご存じないご親戚の方も多く、この会に参加してよかったと涙を流しておられました。
また、栗原さんの遺骨と遺影を抱いて参加された奥さんともお話することができました。
白石君とは函館の寮で一緒に生活し、よく一緒に飲んだものである。彼は読書家で、よく居間でいろんな本を読んでいたのが印象的だった。
彼と登山といえるものに行ったのは、2005年に道南メップ岳の目名利別川で一緒に沢登りをした位だ。雪渓が多い沢だったが、白石くんのロープワークに助けられたのを覚えている。
白石くんのことを思い出すとき、不思議にとても爽やかな気分になれる。彼は女子部員にも人気であったが、純真で山に情熱が強い男だった。そんなかわいい後輩のことをいつまでも忘れない。
 
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