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7.屋上登攀者 藤木九三(ふじきくぞう)/1929/黒百合社/151頁


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表紙
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木版 屋上登攀者
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木版 岩祭の印象
木版 岩祭の印象


藤木九三(1887-1970) ジャーナリスト、登山家、随筆家
 福知山市生れ。京都三中を卒業、早稲田大学英文科中退。1909(明治42)年、東京毎日新聞に入社、同年やまと新聞に移籍、1915(大正4)年、朝日新聞に移る。翌年、東久邇宮の槍ヶ岳登山に同行報道する。同年から始まった朝日新聞主催の中等野球では中心的記者として健筆を揮った。甲子園球場の大鉄傘をアルプス・スタンドと呼ぶが、これは藤木の命名。1928(昭和3)年、朝日新聞神戸支局長のとき、日本初のロック・クライミングを目的とした山岳会「RCC同人」を水野祥太郎、西尾一雄と共に結成する。芦屋地方の岩山に目をつけ、芦屋ロックガーデンを開発し、岩壁登攀技術の習得に努め、1925(大正14)年には日本最初の岩登教程「岩登り術」を発刊した(A-11「岩登り術」参照)。1925(大正14)年8月、早大隊と前後して北穂高岳滝谷の初登攀に成功。1926(昭和元)年、ヨーロッパ・アルプスに遊び、モンテローザ、マッターホルンなど多くの山に登る。1935(昭和10)年京都大学山岳部の白頭山冬期遠征に記者として参加、1936(昭和11)年石鎚山冬期初頭。1959年日本山岳会顧問

内容
 瀟洒なデザインとB5版の余白を大きく贅沢に使った装丁の、ヨーロッパ滞在中の書である。藤木の幅広い知識を盛り込んだエッセイほか18編からなる。「序」で藤木は「屋上登攀者の内容は、随筆、感想、研究、詩など雑多にわたり、中にはその何れにも属さない創作的な作品もある。しかもその配列と順序が、いかにも無造作、無秩序に見えるかもしれないが、自分としては是でずいぶん苦心したつもりである。」と述べている。また“屋上登攀者(詩)”に 「巴里に在りし日のわたしの生活の横顔」と題する次の一節がある。中等野球の取材に通った甲子園球場の大鉄傘の側壁を攀じる山男達の幻影を捉えた1篇である。

   「凱旋門の北の壁では
   あの仲間 ―屋上登攀者―が
   ザイルをしごいて、懸垂の練習をやっているのが見えるだろう」


山岳館所有の関連蔵書
岩登り術/1925/三祥堂
屋上登攀者/1929/黒百合社
雪・岩・アルプス/1930/梓書房
雲表/1931/黒百合社
詩集 雲表/1931/黒百合社
峰・峠・氷河/1933/朋文堂
熱河探検記/1934/朝日新聞社
雲表縦走/1935/三省堂
雪線散歩/1935/三省堂
峰・峠・氷河/1941/朋文堂
登拝頌/1943/山と渓谷社
岳神/1943/朋文堂
岳神/1943/朋文堂
エヴェレスト登頂記/1954/河出書房
垂直の散歩/1958/朋文堂
ケルンに生きる−遭難の手記1〜5/藤木他監修/1959〜62/二玄社
ある山男の自画像/1973/二見書房
雲表の彼方に/1977/スキージャーナル
チロルの伝説/1982/誠文堂新光社
ヒマラヤの伝説/1982/誠文堂新光社
アルプスの伝説/1982/誠文堂新光社
 
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